第279話 世界樹行こうぜ!世界樹!18(死霊の谷の戦い)

 竜人族の武人、ドリコは地に伏していた。


 鉄の竜による攻撃をかいくぐり、残ったわずかな仲間と魔女の帽子ウィッチハット相手に市街地戦をしていたのだ。勝つために戦ったのではない。彼らは勝つ可能性を全て捨て、持久戦を選んだ。全ては伝令のコリトフを逃がすため。エクセレイに逃れた同胞のためである。

 腕は千切れてしまった。目元がかすむ。尻尾の付け根に力を入れても、自慢の尾はピクリとも動かない。


「城が動くなんて聞いてねぇよ。動きながら籠城戦出来るなんて、卑怯じゃねぇかよ」


 自身の命が途切れることがわかっていても、恨み言は言いたくなるものだ。

 戦況は開幕から最悪だったが、その最悪は加速した。

 城がゆっくりと滑りながら、竜人の拠点に近づいてきたのだ。ただでさえ魔女の帽子ウィッチハット相手に戦力数は負けている上に、逐次増兵する城が接近するのである。ゾンビの投入はどんどん加速し、あっという間に拠点の村は飲み込まれてしまった。

 ゲリラ戦を仕掛けたのに、ゲリラ地ごと潰されたのだ。

 戦術すら許さない圧倒的なスケールによる蹂躙。

 そこにはベテランの竜人も経験したことがない戦場が広がっていた。

 消え入りそうな視界の中に、誰かの足が映る。


「魔王様!下に降りてはいけません!」

「この戦場に、我を屠れるものなどおらぬ」


 魔王!

 死にかけのドリコの意識が覚醒する。

 この男の情報を手に入れるという使命が、諦めかけていた命への執着を思い起こさせる。見なければ。この男の顔を。見て、仲間に知らせるのだ。エクセレイへ逃れた仲間のために。

 千切れていない残った腕で地面を押し、口から血を吐き出しながら男の顔を見上げる。


「……あ?」


 ドリコは絶句した。

 その顔に。

 一瞬訳が分からなかった。

 顔を見るまでは、どう仲間に人相を伝えるべきか考えていた。

 だが、その必要は全くない。


 何故なら、ドリコはその男の顔をよく知っていたからである。


「……ふっざけんなよ、てめぇ」

「ふむ、武人。何がだ? 言うてみよ」

「何がだ、じゃねぇ!てめぇは!てめぇだけは魔王しちゃいけねぇだろうが!何してんだよてめぇ!とち狂っちまったのか!?」

「狂ったとは異な事を言う。我はここに生まれ落ちたときから、したいことしかしておらぬ」

「な、何いってんだてめぇ」

「何を言っている? お前こそ、何を言っている? 我がやっていることにお前らが勝手に感謝し、勝手に期待し、勝手に我という存在を祭り上げただけであろう。我はいつでも貴様ら人類の、敵である。もちろん、お主にとってもそうである」


 魔王がドリコの頭を踏みつける。

 ドリコが歯を食いしばりながら地面に顔を擦り付ける。


「……地獄に堕ちろ、糞野郎」

「そうか。先に行って待っておれ」


 ドリコの意識はそこで途絶えた。

 周囲には赤い血しぶきが飛び散った。







 死霊レイスが鉄砲玉のように懐へ飛び込んできた。

 並の冒険者であればかわさなければならないが、俺は違う。光属性の魔力を込めた膝蹴りを見舞う。

 死霊は爆発四散して霧のように消える。


『ゴースト系の魔物は素材が手に入らないから損だなぁ。いや、剥ぎ取りの時間を戦闘に回せるから効率はいいのか。一長一短だなぁ』


 俺はボソリと神語でつぶやく。


『今は魔力を増やすことが優先じゃからの。十分成果は上がっているのではないかの』

『そう思いたいけどなぁ。少なくとも初対面の時のトウツやファナには追いついたはずだけども』


 逆に言えば、ここみたいな優良な狩場なしであいつらはあれだけの魔力を保有していたことになる。何だそれ。この世界は転生したはずの俺よりもチートが蔓延っている。

 隣にいる瑠璃の耳がピンと張った。ナハトの羽毛も逆立つ。俺のエルフ耳もピクリと動いていることだろう。


『お客さんじゃの』

『しかも常連さんだ』

『千客万来』

『千や万どころか、一も来てほしくないんだよなぁ』


 ため息混じりに振り向く。

 そこには巨大な赤いトカゲが直立していた。腹に穿たれた傷痕。細く頑強な首を真っ直ぐ上に伸ばし、上から見下ろしている。最近は目を潰そうと顔面ばかり攻撃していたものだから、警戒して顔を高い位置にしているのだろう。瞬膜がギュルギュルと動く。息が荒い。魔力が高ぶっている。翼が力んでいる。やる気満々である。


『君さぁ、俺を倒すのはいいとして、その後どうするの? また雪山超えて森エリアに戻るの? 俺たちがクリスタルドラゴン起こしちゃったから、多分君も帰れないよ?』

『我が友。神語では通じん』

『いっけね。忘れてた。いや待って。普通に人語も通じないから意味ないやん』

『それもそうじゃの』

隔靴掻痒かっかそうよう

『その例え方は知らないなぁ、ナハト』


 などと3人で呟いていると、赤い鍵爪が上から降ってきた。


『うおあぁ!? 君速くない!? 出会った頃と速度がダンチなんだけど!』


 気づいたら距離を詰められていた。何だその速度。卑怯だろう。質量を犠牲にして速度をとった魔物だけに許されるやつだぞ、それ。


『対人戦に慣れたのじゃろうな。初動を気取られぬ動きになっておる』

『……人里に来たら困るやつだな』

『全くじゃな』


 俺と瑠璃は散会する。もはや手慣れた動きだ。俺は目の前の敵に集中。瑠璃は周囲の魔物から横槍が来ないか警戒しつつ援護。


 ワイバーンは迷わず俺の方へ来る。これもいつも通りだ。やつの腹に痕を残したのは、俺だ。


『傷ものにされたから許さないってか!? 乙女じゃあるまいし!』

『我が友!そいつはメスじゃ!』

『え、マジ!? ごめん!』


 謝りつつもドリルで突貫する。

 回転方向と同じ方へ腕を捻りながらいなされる。

 速いだけじゃない。器用になっている!

 側転しつつ距離をとったところに紅蓮線グレンラインが飛んでくる。風魔法で真空を作り、熱を遮断しながら転がる。そこに追い縋る奴が連続でストンプを繰り出す。少し前までは噛み付きだった。カウンターで目ばかり狙うものだから、最近は足を身体強化しての、この攻撃が多い。ここで距離を僅かでも離したらまずい。尻尾がくるからだ。尻尾の半径範囲からさらに距離を取ると、紅蓮線が飛んでくる。その距離で魔法を使って応戦するとなると、魔力切れで負けるのはギリギリ俺の方である。最近魔力が増えたといっても、そこの溝を埋めるまでには至らなかった。倒せば逆転するとは思うけども。

 つまりは、このショートレンジこそが俺の距離だ。

 以前ドリルを叩き込んだのもこの距離。

 それをわかっているからやつもストンプの速度を緩めない。腹回りの身体強化を絶やさない。

 もはやストーカーと化したワイバーンとの戦いは十数回にも上る。お互いの手が既知である。詰将棋のような戦いをお互い繰り返しているのである。


『パーティーメンバー以外で俺の戦いの癖を一番知ってるのは、お前かもしれねぇ、な!』


 亜空間ローブからドリルを取り出した。

 やつの顔に焦燥が浮き出る。

 もちろんこれはブラフ。身体強化の魔力が足から腹に集中するのを俺の目は見逃さない。反対の手に紅斬丸を握り、足を斬りつける。


「ガアァァア!」


 ワイバーンがよろけて後退する。


『お望みのドリルだ』


 反対の手でドリルに魔力を流し込み、推進突貫させる。

 ズドンと衝撃音が鳴るが、地面を抉りながら後退し、奴はドリルを受け切った。

 火力が足りなかったのだ。ドリルのハンドルを握っていればもっと魔力を注ぐことができた。余裕がなかったから手放して射出してしまった。ダメージにはなった。でも、大きな傷が残るほどでもない。

 やつは怒りながら丹念にドリルをストンプして破壊する。


『あぁ、くそ。それ作るのコストも労力も結構かかるんだぞ!』

『我が友、様子がおかしい!』


 瑠璃が慌てた様子で戻ってくる。


『わかってる!』


 異常は俺も感知していた。


 横槍がないのだ。

 こいつと俺たちの戦いが十数回にも登るのは、その全てが中断されたからだ。通常、ワイバーンが戦う場所に寄る魔物はいない。

 だが、ここはエルフの森深層。その奥の奥だ。亜竜のワイバーンだろうと、多種多様の魔物が漁夫の利を狙ってきた。

 そして今日はそれがない。

 原因として考えられるのは一つ。

 ビッグゲームハントだ。


『俺や瑠璃、ワイバーンよりもやばいやつがいる!』


 魔力を温存する戦い方に切り替える。

 ワイバーンも俺との戦いで賢くなっているのか、こちらの意図を察する。

 合図もなしに、お互いに距離を取る。


 その中心に、斬撃が奔った。


『うぇ!?』

「ガア!?」


 俺とワイバーンの短い悲鳴が重なる。

 それもそのはず、その斬撃はアルの全て飲み込む青オリハルコンフリュウにも匹敵するほどの威力だったのだ。限りなく真龍の吐息ブレスに近い。

 違うのはその色だ。竜のように明るくなく、アルのように青くもない。

 それは呪詛だ。呪いだ。怨嗟だ。どす黒い墨だ。

 俺達が慌ててかわしたのは、その斬撃に触れたらまずいと肌で感じたからだ。

 呪いの籠った斬撃。


 ワイバーンと共にゆっくり斬撃の主を見る。


『……瑠璃』

『あやつも常連と言えば常連じゃのう』

『まとめてブラックリスト入り出来ねぇかな』

『残念ながら接客業は客を選べぬ』

『俺ら冒険者業のはずなんだけどなぁ』


 そこには一領いちりょうの鎧がいた。

 数百年の経年劣化を経てもなお、動き続ける死霊の鎧。この世に縛りつけられた魂の残りかす。他の魂を砕き続ける自動人形。


 死霊高位騎士リビングパラディン


 横やりが入らなかったのは、こいつのせいだ。いや、おかげというべきか。

 そして、死霊の密度が思った以上に少なかったのも。

 既にここの生態系の頂点に、こいつが君臨していたのだ。他の死霊を飲み込むことができる特性を持つこいつにとっては、浄化魔法を使える俺以上に最高の餌場だったのだろう。


『あ~、そうだよな。そうなるよな。南にはマギサ師匠がいる。他の方角へ逃げても魔法英雄師団ファクティムファルセに見つかる。そこから逃げて他の怨念を吸収するには、更に南下して死霊の谷ここへ来るしかないよな』


 鎧が金属音をまき散らしながら突貫してきた。


『準備する時間すらくれないのかよ!』


 俺と瑠璃は臨戦態勢を整える。

 すぐ脇ではナハトですら身構えた。こいつが戦う姿勢を見せたということは、流石に俺の死を予期したということだろう。


 視界の端では、ワイバーンが口元に炎をため込んでいた。

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