第276話 レギアは

「コリトフ!コリトフ起きろ!」


 コリトフ・アニナエは外からの怒号に飛び起きた。

 レギアの竜人族である彼は、先祖が竜と交じったとされている種族である。それゆえ、爬虫類に近い特性をもつ。つまりは、寒い朝に弱い。砂漠地帯の夜は底冷えが酷い。普段の彼であれば「あと5分」と言いつつ30分は延長して睡眠を選ぶ場面である。

 だが、彼は軍属である。

 最若手である。

 上官が声を荒げて起こしているのに「あと5分」などとほざけば飯抜きで耐久ブートキャンプが始まること必至である。


 彼は飛び起きた。

 顔から鱗を生やしながら扉を開け放つ。


「何ですか!ドリコさん!」


 転がるように宿舎から飛び出し、上官の方へ走る。時間がなかったので腰布のみを身に着けている。竜人化の便利なところだ。普人族モードの時よりも羞恥心が薄くなるのだ。局部さえ隠せば問題ない。


「あれを見ろ」

「……あれ?」


 コリトフが見る。そこには巨大な影が屹立きつりつしていた。否、摩天楼である。摩天楼とは、別名「空を裂く建築物」である。その巨大なオブジェクトは砂漠と空の水平な境界線に、新しく縦方向の境界線を作り出していた。


「何ですか、あれ。城ですよね? あんなもの、昨日までありました?」

「なかったから問題になってるんだろうが」

 上官のドリコが険しい顔で見る。


 コリトフはドリコの視線につられて、口を開けたまま上空を見る。まるで針のように細長い城は、昨日まではなかったはずなのに、まるでここが地元かとでも言うように当たり前にそこにある。


「気色悪いデザインだな。住みづらそうで構わねぇ」

「一夜で生まれる城。まるで神話ですね」

「魔王が出現したと思ったら神話かよ。勘弁してほしいな」


 ドリコはそう言うと、竜人化してから斥侯スカウト部隊に指示を飛ばす。


「コリトフ、足を温めておけ。国に残った軍属で一番足が速いのはお前だ」

「アイ、サー」


 コリトフは素直に柔軟を始める。

 ドリコ上官が戦闘時でもないのに竜人化した。最若手の彼でも、それが有事を意味するくらい知っている。


 ここはレギア国境近くのキャンプ地だ。ほとんどの国民はエクセレイに疎開した。ここが魔王により支配されると、かの巫女が託宣したからである。巫女の託宣が歴史の大局の大筋を外すことは過去の歴史においてほとんどなかった。その事実は、多くの国民に生まれた土地を諦めさせるには十分であった。

 だが、この国には頑固な人間が多くいた。

 その一部はエクセレイと戦い、誇りと共に散った。

 生き残った者たちは、意地でこの地に留まっている。

 ただの意地っ張りで残っているわけでもない。

 魔王がエクセレイに侵攻するとしたら、間違いなく陸路としてこの国を使うことがわかっているのだ。つまり、伝令役がいる。彼らはその危険な役割を買って出たのだ。エクセレイのためではない。そこへ逃げ延びたレギアの民のためだ。そしてエクセレイが魔王に勝ったその時は、この地に同胞が帰ってくるのを待つつもりである。


 コリトフは足をかわれてこの地に残っている。

 半分、祖国のために死ねと言っているようなものである。

 それでも彼は残った。

 レギアが誇りを何よりも優先する国民性であり、彼もその例にもれなかったからだ。


 瞬膜をまたたかせ、斥侯たちが城へ接近するのを周囲の竜人たちが見守る。

 すると、変化が起きた。そしてその変化がもたらした結果は一瞬で、竜人たちは一瞬観測の結果を受け入れられなかった。


「……全滅」


 ドリコが呟く。


 針のような黄土色の城から光が瞬いたかと思うと、城下にいる斥侯たちがまとめて消滅したのだ。

 コリトフは魔法の種類に辛うじて気づいた。足が速い彼は、斥候の適正があったのでその訓練も受けているのだ。


熱光線カルロレイだ」

「馬鹿言え。部隊丸ごと一瞬で消し炭にするような魔法じゃない」

「でも、ドリコさん。そうにしか見えなかった」

 コリトフは顎をわななかせる。


「おい!何かやばいぞ!」

 周囲の竜人たちが叫ぶ。


 指さす先を見ると、城から大量の飛翔体が飛び出した。それらは轟音をまき散らしながら、竜人の拠点を次々と焼き潰していく。


「コリトフ!エクセレイへ走れぇ!」

 ドリコが槍を持ちながら叫ぶ。


「でも、俺も戦えます!」

「馬鹿言うんじゃねぇ!何のためにお前をここに置いてる!」


 コリトフとドリコの視線が合う。

 決断の時間は一秒にも満たない。


「っ行きます!」

 踵を返してコリトフが走り出す。


 後ろでは同胞が次々と爆撃され、絶命していく。

 肉が焼けた臭いが周囲に充満する。熱気が肌にぶつかって五月蠅い。

 コリトフはわき目もふらず走った。周囲で何が起きているかは見ない。見たくなかった。自分は明らかに同胞を見殺しにしてエクセレイへ逃げている。それでも後ろを振り向かずに走る。振り向いたら同胞を助けるために引き返してしまうからだ。それは駄目だ。自分は何のためにここに留まったのか。事が起きた時に救援要請をするためである。

 前方の高台では、信号魔法を放とうと魔法使いが駆け上がっているが、高台ごと爆破され絶命している。同胞の鱗が焼けこげる臭いが鼻につく。

 針の城から飛び出てきた飛翔体は、明らかに魔法反応がある所を狙って攻撃している。救援要請魔法、もしくは迎撃魔法を先んじて潰しているのだ。

 魔法で助けを求めることはできない。原始的な方法でしか救援要請ができない。

 つまりは、自分の足頼みである。


「くそ!くそ!くそ!何だよあの鉄の竜は!」


 否、おそらく竜ではないだろう。

 普通翼はあそこまで直線ではないし、空を飛ぶときにあんな轟音は鳴らない。普通の竜が飛ぶ時は風を切るような音が鳴る。これは違う。まるで刻んでいるような、無理やり押し分けているような音。

 その上、顔がない。楕円の曲線がただ、鈍い銀色に光っている。

 竜よりも速いが、直線方向に限られるようである。攻撃目標に突貫しては熱光線カルロレイで対象を焼き尽くす。


「ゴーレムか!? それも飛行タイプの!? そんなもん聞いたことねぇよ!」


 コリトフは走り続けた。村の外れを抜けても振り向かなかった。振り向けばそこに鉄の竜がこちらに火魔法を飛ばしてきそうな気がしたからだ。胸の中が空気を求めて暴れる。爆発しそうだ。太ももは膨張してはち切れそうだ。それでもがむしゃらに走った。目や口や鼻からも液体が吹き出し、みっともない相貌になっているだろう。それも意に介さず走った。


 走る速度を緩めたのは、エクセレイの国境警備の目の前でのことだった。

 門の衛兵が何やら叫ぶ目の前で、息を切らしながら「敵襲。レギア落つ」とだけ呟いた。コリトフはそのまま目の前が真っ暗になった。







「魔王様、いいのですか?」


 魔王軍四天王の一人、レイミア・ヴィリコラカスは尋ねた。

 怜悧で整った顔立ちをしているが、病人のように顔色が悪い。それもそのはず、彼女は吸血鬼である。この種族は総じて血色が良くないのだ。だが、それが逆に彼女の吸い込まれそうで危険な美貌を際立たせている。髪は長く紫。ゆるくウェーブがかかっている。アイシャドウも、ネイルも、魔法使いが着るローブも、パーソナルカラーに合わせて紫で統一している。


 彼女が尋ねたのは、逃げた竜人族のことである。伝令兵のようだ。

 レイミアには、魔王が意図して逃したかのように見えたのだ。

 魔王は静かにそこに鎮座していた。針の城のバルコニー。数百メートルはある上空で。

 顔は見えない。ローブのフードで隠されている。


「構わぬ」


 地獄の釜の底から聞こえてきそうな、低く渋い声で魔王はつぶやく。


「あれは撒き餌だ。我が倒すべき敵を釣り上げてくれる生きた餌よ。もし其奴らが釣れれば、我の願望は果たされる」


 その願望が何か、とはレイミアには問うことができない。

 四天王として認められた彼女でさえも、魔王とは対等ではないのだ。


「承知致しました。そのように」


 その言葉に、後ろで控えていた吸血鬼が幽鬼のように消えて動く。伝令に走ったのだ。あの竜人を見逃せ、と。


「さて、ここが正念場であるな。……待っていてくれ、ガーネット。すぐに迎えに行くから」


 魔王は何かに焦がれるように呟く。

 レイミアはそれを面白くなさそうに眺めていた。

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