第274話 世界樹に行こうぜ!世界樹!17(クリスタルの幻影)
ガリガリ、ジャリジャリと氷を踏みしめる音が足元から聞こえる。
小さな霜や氷塊が、足の裏で形を崩す感覚が全身に伝播する。息は白く、熱がじわじわと身体から放出されているのがわかる。カロリーを摂取しなければ自分の体力がすぐに底をつくであろうことを予感する。霜柱が崩れる度に、自分の視界が少し落ち込むさまが面白い。特に俺なんかは体格が5歳児で視界が低いわけだから、なおさらだ。ここら辺を楽しめる感覚も、たぶん体年齢に引っ張られているからだろう。そうだよね? 俺って子どもっぽくないよね?
『何で空飛べる魔法があるのに歩かないといけないんだ』
『仕方ないじゃろう。空など飛んだら、ここら一体の魔物に狙い撃ちにされるわい』
『……つい先日そうなったんだけどな』
つい先日の件とは、ワイバーンとドッグファイトした時のことである。亜竜でも竜は竜。空はやはり、やつのテリトリーだった。俺と瑠璃で協力しても、やつの方が有利な戦いだった。ところが、横やりが入ったのである。
他の魔物からの攻撃だ。
ビッグフットは氷の礫を剛速球で投げてくるし、ドリルスワンは回転しながらダーツのように突っ込んでくるし、オーロラドラゴンは
結果として、俺達とワイバーンは仲良く雪山の中腹に撃墜されることになる。
毎回思うけど、よく生き残ってるなほんと。
神様とやらは、どうあがいても俺の死に場所を引き延ばしたいらしい。
つい最近まではそれが獅子族の男によるものだったけども。
『腹が立つのはさ、ワイバーンも生き残ってるっぽいところなんだよな』
『あやつも大概頑丈じゃのう』
『ほんとだよ、全く。大体、ワイバーンは竜の中でも珍しい群れる種じゃなかったのかよ。何であいつ単体で追いかけてくんの?』
『わが友であれば、腹に穴あけられても許せるかの?』
『いいや!許せないね!……俺が悪かったわ』
『まさしくそうじゃの。わしみたいに討伐された後仲良しになる方が稀なんじゃよ』
『それもそうだな。瑠璃は可愛いなぁ』
『もっと言っていいんじゃよ』
瑠璃が楽しそうにイルカ尻尾でぺちぺちと地面を叩く。
つい先日気づいたけど、この森に引きこもる時に瑠璃が喜んでいた理由が少しわかった気がする。警戒心の強い瑠璃にとって、心を許している相手は片手で数えるくらいしかない。その数少ない友人であるところの俺を独占できるのだ。彼女にとっては喜ばしい状況なのだろう。例えそれがいつでも死地になり得る雪山の中だとしてもだ。
『よしよし。瑠璃は世界一可愛いなぁ』
わしゃわしゃと瑠璃とじゃれつきながら登山を続ける。
『ナハト。この雪山を過ぎれば、本当に
『カー』
『そのカーは、肯定のカーだな』
前世では、登山を趣味としている大人に数人会ったことがある。俺は疲れることがほどほどに嫌いで、どうしてわざわざ大切な休日を消費してまで彼らが登山をするのか理解が及ばなかった。その時間を使えばアニメがワンクールは見れただろうし、小説だって2、3冊は読めただろうに。外出して映画だって見れた。
だが、登山という趣味は割とポピュラーで、どうも世間に迎合された趣味らしいのだ。
ということは、俺の感性が世間に迎合していなかったのだろう。
つまりは、ひねくれた高校生だったのだ。
当時彼女であったところの茜に、定期的に呆れられていたのはそういうことだ。よくもまぁ、俺が死ぬその瞬間まで関係性を切らずにいてくれたものである。失ってから気づくとはよく言うけれども、俺は彼女の魅力に死んでから気づいてばかりである。死んでも治らない。三つ子の魂百まで。俺は3歳を二度経験したわけだけれども、それでも自分の本質が改善されたとはどうも思えないのだ。人の本質は変わらない。でも、この世界にきて、俺は選択や行動は変わったように思うのだ。それは自分の心境の変化か、環境の変化かはわからない。どっちもなのだろう。たぶん。きっと。めいびー。
話を山に戻そう。
有名な登山家は何と言っていたんだっけ? 「そこに山があるから」だっけ? 俺はあれが名言になることも理解が及ばなかった。それ、多分同じく登山が好きな人にしか通じない名言なんじゃないのと、斜に構えて思っていたのだ。つくづく、前世の俺は面倒な子どもである。
今なら何となくわかる。
登山という行為は努力で、登頂は達成なのだ。
この世界に生まれてよくわかった。というよりも前世で気づけなかったという方が正しいか。努力は必ずしも報われない。学習しても、鍛えても、常にクエストに飛び出していても、人脈を増やしても、手指から砂の様に目標が零れ落ちるなんて、世の中いくらでもあるのだ。今のところ、俺がクレアを守れない未来が確定しているように。
だからこそ俺は今、雪山登山をしているわけだけども。
登山は違うのだ。
変わらない目標として、常にそこにいてくれるのだ。ゴールポストが動かされることは決してないし、砂や流体のように掴んだと思ったら手から零れ落ちることもないのだ。
もちろん失敗することもあるだろう。山頂を目前に食料が尽きて引き返すこともあるだろう。野生動物に出くわして下山することもあるだろう。酸素欠乏で断念することもあるだろう。高山病に襲われることだって、不意に怪我することだって。
でも、山は変わらずそこにいてくれて、俺達の登頂をずっと待ってくれているのだ。
これほど優しい目標があるだろうか。
これほど慈悲深いゴールがあるだろうか。
なるほど、確かに「山がそこにあるから」だ。こんなに有難いもの、登らざるを得ない。
まぁこれが終われば向こう数年は、登山はもういいかなとは思うけども。
いやだって普通にきついじゃん。
前世の俺は登山準備すらしたことない人間だったのだ。その本質がそうそう変わるわけがないのだ。もし魔王を倒せたら、アルとクレアと一緒に全力で引きこもりたい。
『お』
『どうしたわが友』
『これ、氷じゃなくない?』
『どれ……本当じゃのう』
足元を見てみると、明らかに透明度の違う結晶がそこにはあった。それはまるで山脈の頂の様に連なって地面に横たわっていた。違いとしてはわずかだけど、自分にはわかる。どんなに透明度の高い氷でも、わずかな気泡や亀裂がついているものだ。この結晶は違う。氷のそれではない。
これは、鉱物だ。
どう見ても氷ではない。
クリスタルだ。
前世の俺の目では気づかなかっただろう。クリスタルと氷では結晶の仕方が違うのだ。氷は寒くなればすぐ水が固まり形成される。それに対してクリスタルは長い時間をかけて何層もの結晶が重なり合ってできたものだ。だから、光の屈折が見られるはずだ。それにより、見る角度によっては虹色にも見える箇所もある。氷には出せない独特のプリズム。
エルフの目だから気づけたと言えるだろう。
『クリスタルだよな? これ。しかも魔力伝導率もかなりいいやつだ。オリハルコンほどじゃないにしても、絶対使える素材だ』
『そうじゃの。世界樹の近くともなると、こんな高級品も転がっておるんじゃの』
『登山の途中だけど、流石にこれはスルーできない。採取するか』
『同意じゃ。これはわしの体内にもストックが欲しいの』
『合点』
瑠璃の強化にもなるならば、取らない手はないだろう。元々、世界樹へ行く目的の一つにも含まれるのだ。魔素が濃いここ近辺は、よい素材がたくさん採れる。
『そのまま亜空間ローブにしまうにはサイズが大き過ぎるな。解体して入れようか』
『そうじゃの。流石にわしでも丸のみはきつい』
俺は紅斬丸を腰だめに構えて、居合の要領で真下に斬撃を飛ばす。
ビシリ、と音を立ててクリスタルの表面に大量の罅が一斉に伝播する。透明だった横倒しの巨大なクリスタルの色が、綺麗な透明から白に変色する。通していた光を通さなくなったことで、明度が下がったのである。
『我が友。ここまで粉々に亀裂を入れては、素材として使えんじゃろ』
『……俺じゃない』
『何じゃと?』
『ここまで粉々にするような斬撃はしていない。こいつが勝手に壊れたんだ』
『どういうことじゃ?』
『
渋いバリトンボイスでナハトがつぶやいた。
次の瞬間、膨大な魔力が足元から噴出した。魔力が見える俺には、フラッシュによる目潰しでも食らったかのように感じる。足元一面のクリスタルが、水色の光を放っている。太陽の光の反射ではない。間違いなく、光源はクリスタルそのものである。
『こいつ、生きてるのか!?』
『そんな馬鹿な!わしらが全く気づかないじゃと!?』
『違う!気づかなかったんじゃない!さっきまでこいつは生きていなかったんだ!俺が刀を入れた瞬間に活動を始めたんだ!』
『そんなことあり得るのかの!?』
『そうとしか考えられない!』
思い出すのは、フィンサー先生が使った仮死化の短刀だ。心臓が止まり魔力の流れすら途切れたノイタに、俺の魔眼は完璧に騙された。あれと同じだ。このクリスタルの塊は、おそらくさっきまでスリープ状態だったのだ。俺が、起床スイッチを押してしまったのだ。
クリスタル全体に入った無数の罅は、不規則に見えて規則的だった。十数センチほどの菱形がびっしりと埋め尽くしており、それが一斉に丸みを帯びて隆起する。瓦のように。生物の鱗のように。40メートルほど先のクリスタルの柱の先端が起き上がった。雪を弾き飛ばしながら、グルグルと身震いする。動きが生き物のそれだ。身震いした先端が静止した瞬間、それは蛇の頭部のような形をしていた。そこに2本の流木のような湾曲した角が生える。先端がワニのように二股に分かれて、鯰のような髭が生える。口の上にはガラス玉のような巨大な目玉。目玉のところだけが透明度が高く、動きさえしなければ巨大な美術品のように思えた。
『……クリスタルドラゴン』
『まさか真龍とはの。これはまずいぞ、我が友』
『虎の尾を踏む』
虎ではなく竜だし、踏んだんじゃなくて斬ったんだよ。
などとナハトに突っ込む余裕すらない。危険が危ない。
『どうする。我が友』
『そんなん決まってんだろ』
ふっと、俺はほくそ笑む。
『逃げるぞー!』
『承知した!』
『カー!』
一人と二匹の登山が、タイムトライアル競技に変わった瞬間だった。
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