第268話 世界樹行こうぜ!世界樹!11

『さて、切り替えていこうか』


 俺はきりっとした顔で呟いた。


『どんなかっこいい顔をしても、さっきまで情けなくワイバーンから逃げていた事実はかわらんのう』

『何言ってんだ瑠璃!死ぬ気で戦えばあいつだって倒せるって!多分!』

『命がけで戦うのが当たり前だと思わないでほしいのう……』

『当り前だろ。そのために逃げたんだから』

『逃げるは恥だが役に立つ』

『それは流石にわかるぞ、ナハト』


 ハンガリーのことわざだっけ。確か。

 俺はナハトの羽毛をそっと撫でる。首をくるくると回しながらナハトがホッピングする。

 すぐさま、すっと瑠璃が寄ってくる。


『よーしよしよしよし』

 すぐに瑠璃の毛並みも撫でてやる。


 瑠璃の体表は犬っぽいが、実はイルカのようなすべすべした感じもして気持ちがいいのだ。イルカ触ったことないけども。


『で、どうするのじゃ?』

『決まってる。ワイバーンに見つかる前に、サラマンダーを倒す』


 すぐさま、俺は行動を開始する。


『さっきは調子に乗った。やっぱ洞窟で肉声を出すなんて馬鹿のすることだ。音が反響するもん』

『さっきまでわが友は肉声でサラマンダーを呼んでおったのう』

『大丈夫。もうしない。俺は学習する馬鹿だから』

『馬鹿は否定せんのか……』


 そりゃそうだろう。俺は地頭があまりよくないんだ。神様は何で俺を転生させたんだろうね? 元いた世界の人々見れば、もっとまともな人選があったろうに。トレーディングカードで言えば、コモンレアだよ。コモンレア。たまたま俺がいいタイミングで死んだから? いやでも、世界は広い。俺と同時に死んだ人なんて他に数名いたはずだろう。そこにもっとまともな人選があったはずなのだ。本当、意味がわからない。ファナを聖女に選んでるくらいだから、「もうこいつでいいや」くらいのテンションで選んでるんだろう。多分。


 感知魔法をじんわりと溶岩窟内に充満させていく。

 頭に入ってくる情報量が爆発的に増えて、動揺する。もう慣れてしまったけど、この感覚はいつまで経っても新鮮だ。


元の世界にいたとき、盲目の男性のドキュメンタリーを見たことがある。話の構成がとても引き込まれる番組で、いつも脳みそを殺してテレビを見ていた俺にしては珍しく集中して見ていた番組だ。

 その男性は生まれたときから盲目だった。

 周囲の家族や友人は、彼を可哀そうだと事あるごとに述べていた。彼は目が見えるようになるまでは、その周囲が自分の何が可哀そうと思っているのか、理解に苦しんでいた。生まれたときから彼は盲目だったのだ。光や色のある世界をそもそも知らない。それらがある幸せを知らない。知らないものをもたないことの、何が可哀そうなのだ?

 彼はそう、ドキュメンタリーの中で独白していた。

 そして、彼の人生が進めば当然周囲の時は進むもので、医学も進んでいた。つまりは、彼を治療する方法が見つかったのである。それがどんな手術だったのかは、覚えていない。俺の脳みそは、忘却機能に関しては高性能なのだ。

 結論を言うと、彼の手術は成功した。

 担当医は手術の成功にたいそう喜んだという。周囲の人間もよろこんだ。家族や友人は泣いて喜んだ。

 そして、男性自身も。

 彼は光のある世界に感動した。色のある世界に恋をした。

 なるほど、確かに自分は不幸であったかもしれない。そう、思った。

 だが、彼は再び瞳を閉じることを選んだ。

 脳が環境の変化を拒んだのだ。生まれたときから盲目だった彼の脳は、情報を音や触感、臭いで得ることに特化しすぎていた。その少ない情報を拡張してやり繰りすることに慣れてしまっていたのだ。そんな彼にとって、光や色は美しいかもしれないが、あまりにも「五月蠅すぎる情報」だったのだ。

 瞳を閉じた彼は、再び暗い自宅の部屋で耳をそばだてて、壁の触感を楽しみながら余生を過ごすことになる。

 そしてその生活は、彼にとって間違いなく幸せだったのだ。


 今の俺の感覚は、ドキュメンタリーで見た彼が初めて目を開いたのと同じ感覚なのだろう。

 壁の岩の裏に隠れている小さな虫の身じろぎが手に取るようにわかる。すぐ近くのフロアにファイアゴーレムがいて、核が駆動しエネルギーを全身に送る脈動が振動となって俺の肌を叩く。空気中にある魔素はふわりふわりと不規則に踊りまわる。溶岩窟のすぐ外からは、巨大なエネルギーの塊が2つあるのがわかる。地脈に張り付くような流麗なエネルギー。これは世界樹だ。太陽のように放射状に伸び続けるエネルギー。これは不死鳥。桁違いだ。そりゃ神話でも語られようというものだ。

 だが、それに負けず劣らず存在感がある気配がそこにあった。

 最も力強く脈動するものがすぐ近くに。


 ルビーだ。


『鯰の魔物を研究して正解だった。すぐ近くにいることが、手に取るようにわかるよ。ルビー』


 赤い波動が、体中に波のように叩きつけてくる。きっと、ルビーが宙を飛び回っているのだろう。

 ルビーの動きを少しでも理解したい俺は、気持ちよさげに目を閉じる。


『あとは、君を目で見て話すことが出来ればいいのだけれど』

『……エルフは長寿じゃ。この戦いさえ生き残れば、いくらでも待つと言っておる』

『はは、そうか。尚更死ねないね』


 俺は拳を握る。


 目当ての気配が近くなってくる。

 カチカチと火打石のように音がなる鱗の羅列。腹が地面を這う砂利が削れる音。炎の塊のように雄弁で雄々しい存在感。

 サラマンダーだ。


『見つけた』


 俺は感知魔法をやめる。

 身に染み込んでくる情報量が一気に少なくなる。

 さっきまで感じていた全能感が、嘘の様に掻き消える。


『移動しよう、瑠璃、ナハト。トカゲ退治だ』

『あいわかった』

『言わずとも常在戦場なり』


 一人と二匹が、溶岩窟を音もなく移動し始めた。

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