第266話 桜色交渉
「エルフの巫女伝説……巫女伝説」
王宮の蔵書をイリスは漁っていた。
シャティ先生に、巫女に関わる資料をリスト化して渡されている。そのリストを眺めながら、重複しない本や資料を棚の中から探す。
王宮の蔵書管理人は、イリスの姿をにこやかに見ながら手伝っている。友人のために彼女が動いているのを知っているからだ。
後ろには直立不動のメイラと、彼女の部下達。
武装した人間が書庫へ立ち入るのは推奨されていないが、今は事が事なので特例として騎士達も入っている。一気に人材不足に陥っているエクセレイにとって、将来性の塊であるイリスは守り抜かなければならない王族だ。上から数えてすぐくらいの優先度で守られている。
「クレアの先代の人々、すごい人が多いのね」
過去の託宣夢の内容。そこからもたらされた結果を見て、イリスは唸る。この国を魔法立国たらしめているのは、巫女の役割も大きい。
災害が予知されれば、対策となる魔法が発明される。
戦乱が予知されれば、戦う術の魔法が開発される。
その時代に必要とされる魔法技術を先取りできるのだ。恐ろしいアドバンテージである。
「これだけの有利な条件があるのに、何でエクセレイは過去一度も覇権国家を目指さなかったの?」
イリスの中で疑問が浮かび上がった。
巫女というこの国にしかない情報源がある。これがある以上、遠い昔にレギアやエルドランを攻略して大陸一の国になることは可能だったはずだ。
「エルフは内向きの種族。巫女を提供する代わりに、エクセレイの行動範囲を縛っているのかしら?」
予測をつぶやいてみるが、いまいち説得力に欠ける仮説である。
エルフとエクセレイは一連托生の関係だ。エクセレイが富めば、エルフの種族も富む。
否、エルフは富むことに価値を見出していない種族だ。そう考えると、エクセレイが世界に侵攻するのはエルフが望まないのは必然かもしれない。
でも、もっと納得のいく仮説があるはずだ。
「それとも、世界が巫女の奪い合いになるのを避けた?」
これなら納得のいく仮説、かもしれない。
エクセレイは積極的に他国を侵略する国ではない。他所の国が仕掛けて、やり返す形で領土を奪った記録はある。
だが、エクセレイの方から戦争をけしかけた記録はない。
もちろん自国の歴史なので、自国に有利な形で記録を残すことは多くある。それに世界的に見れば、エクセレイは若い国だ。自国の整理に気を取られて外に目を向ける暇がなかったのかもしれない。
にしても、持っている軍事力に比較すると、あまりにも血の気が少ない国家である。
世界進出をエクセレイが目指せば、当然そこに巫女の託宣夢が大きな働きをしていることは他国に知られるだろう。
そうなれば、巫女を付け狙う国が当然出ている。
マギサ・ストレガが国境に悪意探知魔法を仕掛けた理由はそれもある。
「う〜ん、わからないわ」
イリスがパタンと本を閉じる。
次の本を開く。それは古ぼけた本だった。状態のいい本がほとんどであったが、これはかなり劣化している。この王宮図書館の貯蔵方法は丁寧だ。ここに入れば向こう200年は元の姿のままと言われている。ということは、この本はここに置かれた時からこの状態なのだろう。
「巫女の警告?」
よくわからないタイトルだ。
疑問を浮かべながら、イリスは眺める。
魔の才持たぬ者がこの世を統べ混沌が始まるであろう
一撃にて村は滅び
鉄の翼竜は火を吹き
空の支配者は真竜では無くなる
誰もが人を容易く殺す術を身につけ
誰もが容易く戦場に馳せ参じる
餓鬼仙人を殺め
戦いの秩序は崩壊せしめる
異世の者と交じるなかれ
異世の叡智を拒絶せねば、既知なる叡智を我々は手放すこととなる
すなわち、世界の崩壊なり
崩壊を止めよ
拒絶せよ
拒絶せよ
拒絶せよ
本から顔を離し、イリスは表情に疑問符を浮かべる。
「この巫女、いつの代かしら。……古いわね。エクセレイとエルフが合流する前だわ」
クレアは自分が生まれ育ったコヨウ村の長老がエクセレイ建国の生き証人だと言っていた。その人すら生まれていない昔。想像できないほど大昔である。
「
イリスが疑問にもっている言葉は、フィオから言わせれば異世界のことだ。でも、彼女はそれを知ることができない。なぜなら、この世界に異世界という概念は一般的ではないからだ。
「クレアの欲しい情報は、これにはないかもね」
イリスは本を閉じる。
「次の本、次の本。あった」
本を眺め、棚を眺めながら歩くと、参考になりそうな蔵書を発見する。「歴代巫女大全〜なぜ巫女という役割がエルフという種族に託されたのか〜」、というタイトルだ。
「う〜ん」
イリスが背伸びして本を取ろうとする。魔法を使ってもいいが、図書館で不用意に魔法を使うのは推奨されていない。学園図書館は例外的に、許可されているが。
彼女は王族。人が見ていない時こそ、規律を守る行動をしなければならないのだ。
「これね。はい」
すぐ横から手が伸びてきて、目当ての本を手渡された。
「……お姉様」
本を渡したのはエイブリーだった。
尊敬する従姉であり、親友のクレアを危険に晒した張本人。ロスの国を実質併合した立役者。
2人はしばらく見つめ合う。
イリスはどうすればいいのかわからない。
怒ればいいのか。それとも泣けばいいのか。整理するには、この従姉へ抱く感情は多岐に渡り、複雑すぎる。12歳の少女の精神では、処理しきれない。
「クレアちゃんのため?」
エイブリーがイリスの手元の本を見ながら言う。
イリスは黙ってうなずく。
「一緒に読まない?」
イリスはまた、口元を引き結んでうなずいた。
「へぇ、先代の巫女は北の村出身なのね」
イリスの横で、エイブリーがつぶやく。
彼女は年下の従妹がまだ心の準備ができていないことに気づいている。適当な会話をしつつ、やり過ごす。
「大全集。便利な本ね、これ。巫女が代替わりしたら、オートで記録が追加されることになっているわ」
「どうやって?」
気まずいものの、知的好奇心には勝てない。イリスがつい、質問する。
「エルフ側の記録と同期されているのね。北の村のエルフの長老が向こうで記録した瞬間、この本も自動手記されるのよ。本をいくら眺めてもどんな魔力シグナルで繋がっているのかわからないわ。機密性も抜群。どんな発想したらこんな記録魔法作れるのかしら」
イリスは、エイブリーの横顔を見て少しほっとする。
この知識に貪欲な姿は、自分がよく知る従姉であると。
2人は一緒になって本を読みとく。
事前知識があるエイブリーは、自然と教える側に回る。
「託宣夢は超自然的な魔法。太古の魔法と呼ばれるものね」
「太古?」
「魔物の中には、事前に地震や雷、噴火などを察知して逃げる種族がいるわね」
「それ、ルーグが教えてくれたわ。どの魔物が逃げ出したら何が起こるか、一つずつ教えてくれたの」
「そう。例の隻腕の冒険者ね」
「う、うん」
ぎこちなく、イリスがうなずく。
「託宣夢はこれを極限まで引き延ばした延長線上にある魔法ね。動物的な勘を魔法で強化したもの。だから、具体性を帯びた未来予測も可能。予知ではなく、予測というところが肝ね。でも、普通の人間種族ではこれは難しい」
「どうして?」
「文明を築きすぎたのね。自然から離れすぎたのよ。その自然と付かず離れずの距離を保っており、かつ先祖が精霊と交わったとされる
「変なの」
「何が?」
「こんな周りくどいことするくらいなら、神様が直接管理すればいいのに。この世界ごと」
「さぁ、忙しいんじゃないかしら。神様も」
「忙しい」
イリスは驚く。
理知的な従姉が「忙しい」なんていう感情論で弁論を締めることが珍しいからだ。
「それにしても不思議ね」
「何がですか? お姉様」
イリスはエイブリーを見返す。
「巫女の託宣夢への対策よ。何で魔法一辺倒なのかしら」
「……どういう意味ですか?」
イリスは従姉の思案を測りかねる。
「託宣夢の対策よ。なぜ、水害対策に水魔法の体系化だったのかしら。土木産業に働きかけても良かったわ」
「…………」
「戦時の託宣夢に関してもそう。兵力を高めたいのなら、少数の魔法使いを鍛えるよりも人口を増やして兵備を増やしてもいいわ」
「…………」
「何で対策は魔法だけなのかしら。変なこだわりがあると思わない? 私にとっては、そのおかげで魔法立国という夢のような国が出来上がっているから好都合なのだけれど」
笑いながら、エイブリーは本を閉じる。
そして、イリスに向き合う。
すわ本題かと、イリスも居住まいを正す。
「イリス、聞いてもいいかしら?」
桜色の瞳が、同じく桜色の瞳を覗く。
「うん」
イリスは一回り小さい子どものようにうなずく。
「私のこと、嫌いになったかしら?」
「……ならないわ」
ずっと慕ってきた従姉なのだ。嫌うことすら、難しい。
「怒ってる?」
「怒ってるわ!」
キッと、イリスがエイブリーを見る。
それを穏やかな表情でエイブリーは受け止める。
「悲しい?」
「とても悲しいわ。お姉様があんなことするなんて」
「失望した?」
「これ以上ないくらい」
「じゃあ、私のこと。怖い?」
イリスはエイブリーの瞳に吸い込まれそうになる。
ちぐはぐだ。
幼少から自分を励ましてくれた従姉と、非情な決断をし続けた従姉が、同じ人間としてどうしても一致しない。
「……怖いわ。私が知るお姉様は、あんな酷いことをクレアやロスの国にする人じゃなかったもの」
イリスはうつむく。
「そう。それでいいわ。私は私のやり方でこの国を守るわ。イリスはイリスのやり方で、守りなさい」
「お姉様?」
「それをやり切って、実現させてみなさい」
「……うん」
「実現した時には、私に教えて欲しいわ。こっちのやり方の方が、正しかったって」
イリスは息を吸い込む。
「任せて、お姉様。あたし、私は誰も傷つけないわ。クレアもロスも、この国民の誰だって泣かせやしない。誰かを犠牲に成り立つ国家なんて作らない。みんなが笑える国を作るわ。お姉様は間違ってたって突きつけてやるんだから!」
イリスが立ち上がる。
エイブリーは嬉しそうに従妹の凛々しい表情を見る。
しばらくして、ここが図書館だと思い出したイリスは恥ずかしそうに座る。
「じゃあ、競争ね。どちらがこの国を正しく導けるか」
「えぇ、勝負よ。お姉様」
すっと立ち上がり、エイブリーは王宮図書館を後にする。彼女の後ろで、従者のパルレ・サヴィタが小さくお辞儀をして主人の後を追っていった。
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