第263話 フィオ、12歳

 クレアは学園のキャンパスを歩いていた。


 周囲の生徒たちはおもわず道を譲る。中には祈りを捧げる者、会釈をする者までいる。大人の教師や事務員、警備までするものがいるのだから、始末におえない。学園では身分関係なく接することがルールだったはずだというのに。

 今の彼女は森の奥からきた少数先住種族の何某ではない。国のトップシークレットだった人物だ。見る人によっては、王族よりも重く受け止められる存在である。


 彼女は環境の変化に辟易としていた。

 野山に戻って魔物を狩り、畑を耕す生活に戻りたい。どの果物にどんな毒があるのかとか、どのハーブにどんな効能があるのかだとか、そういう益体のない会話を村の人たちとしていたい。

 それでも、この結果は受け入れなければならない。この環境を呼び込んだのは自分である。これまで通りの暮らしは難しいと、エイブリー姫に予め言われている。それを了承したのは自分自身なのだ。両親はその思いを尊重してくれた。きっと、怒っていた。自分を叱りつけたかったはずだ。心配で仕方がなかったはずだ。それを飲み込んで、守ることを約束してくれた。

 森へ帰ったら、うんと親孝行しよう。

 などと考えながら、怜悧な表情をしながら歩く。


 また人と目があった。

 その生徒は気が弱そうな高等部の男子だった。

 慌てて柱の近くに寄り、指先で円と十字を描く。サークルアンドクロス。テラ教の祈りである。


「変なの。私は未来を伝えるだけの、ただの繋ぎハブよ。大事なのは私ではなくて託宣夢なのに」

「それでも、クレアは特別なのよ」

 隣のイリスが、クレアの独り言に返す。


 少し後ろでは、メイラを中心とした護衛が仰々しくついてくる。人々が道を開けてしまうのは、これも原因である。


「それはわかるわ。託宣夢を見れるのは私だけだもの。でも、この変わりようはあんまりよ。いつも通りにして欲しいのに」

「それこそ酷というものでしょ。貴女、アルが突然とある国の王子とか判明したら、今まで通り接すること、できる?」

「……難しいかも」

「でしょう?」


 イリスは笑った。

 クレアは口を尖らせた。


「ジャガイモ」

「……何?」

「人をジャガイモと思えばいいのよ。あたしは社交界でそうしてるわ」

「何それ」

 クレアの口元が少し緩む。


「貴女のことを褒めてくれる人は花ね。不躾に文句を突然言う人は、羽音がうるさいドリルホーネット。調子のいい時だけ味方になろうとする奴は、よく獲物を横取りしてるフォレストハイエナ」

「ふふ、何それ」

「お姉様が教えてくれたのよ。あたしは真面目すぎるんだって。だから、頭の中で時々ふざけてみなさいって。頭の中でどうふざけようと、人には読まれっこないわ。心の中は、いつも自由よ」

「そうね。じゃあ、イリスも花ね。うんと私を褒めてくれるもの」

「ええ、そうよ。あたしは大輪の花!」

 イリスが元気よく、その場で綺麗にスカートを回してふわりと浮かせてみせる。


「じゃあ、アルは何かしら」

「うーん、太陽?」

「私たちといるときは、いつも笑っているものね。じゃあ、ロスはどうかしら」

「岩、かな。いつも一番心が落ち着いてるもの」


 この子ども集団には前世を含めれば、一応大人が一人混ざっている。

 だが、残念ながら彼は一番落ち着いているという評価が女の子たちからはなされていないのだ。その見た目は子どもで大人である彼と本当の子どもであるロス。どこで差がついたのだろうか。慢心、環境の違いだろうか。


「フィルは?」


 今度はその大人子どもが話題にあがる。


「……難しいわね」

 イリスが腕を組む。


 それを見て、クレアもまた首をひねる。


「月、かな。あいつ、一歩引いてあたしたち見てる感じがあるでしょう? 時々だけど」

 イリスが言う。


 あの小人族の少年は、いつも自由に行動しているように見えて、どこかイリスたちを見守っている節がある。同い年だというのに。それがイリスにとっては腹立たしく感じるが、同時に安心するときも多くあるのだ。

 絶対、本人には言わないが。


「月はダメね」

「何で?」

「それだとアルとついになるじゃない」


 それを聞いたイリスが吹き出す。それを見たクレアがますます不機嫌な表情になる。

 太陽と月。

 一緒にいると落ち着くアル。

 そのアルとの仲良しアピールをして時々クレアを煽ってくるフィル。

 あれが太陽の光を浴びて輝く月?

 とんでもない。あの小人族の少年はそんな上品なもので例えるような人物ではない。

 もっと月並み・・・な何かである。

 クレアはそう思った。


「風……かな」

「風?」


 クレアの表現に、イリスが目を丸くする。

花鳥風月。風もまた、月に負けないくらい詩的な表現なのでは、とイリスは思う。


「フィルはね、時々風みたいに私たちの背中を押すの」


 イリスは黙って頷く。


「魔法の授業の時もそう。自分で解いてしまえばいい問題を、私たちが自力で解くのを待ってる時がある。黙ってニコニコして見てるのよ」

「腹立つわよね、あれ」

「本当にね」

 2人して、笑う。


「それにね、時々いなくなるじゃない。クエストに行くために時々学園を休むし。突然コーマイに行ったかと思えば一年帰ってこないし。今もそう。ふらっと出ていって2年間留守にするって、意味がわからないわ」

「本当にそうよ。あいつって、本当自由で我がまますぎよ」


 クレアの言葉に、イリスが乗る。


「でも、だからこそふらっと消えそうなの。それこそ、風みたいに。どこかに消えてしまいそうだわ」

「……次帰ってきたら、しばらくは学園に張り付けてもいいかもしれないわね。アルとロスも寂しそうだし」

「そうね。そうしましょう」


 そうこう言ううちに、2人は学園内の一画へ来た。

 クレアの別居である。エルフの家族と、イリスとその護衛が生活を共にする場所である。有事が続くうちはこの生活が続くだろう。

 時々、シュレ学園長やフィンサー主幹教諭、リラ先生なども訪れる。


「お帰りなさい」

「ただいま」

「ただ今、戻りました」

「もう、イリス様。他人行儀はもういいのですよ?」


 イリスの礼儀正しい挨拶に、出迎えたレイアがほほ笑む。

 イリスにとっての母親像とは、かなりかけ離れた女性である。だからこそ、イリスはまだレイアとの距離感を掴み損ねている。


 王族や貴族は、子を厳しく育てることを常としている。もちろん、例外もあるが。

 彼女の母親は、その厳しい人間の典型であった。イリスを自分の子どもというよりも、国の所有物として育てている節があった。エイブリーが他の王族の親戚よりも、イリスと仲良くしているのは、それを見かねてということもある。

 もちろん、それをイリスが知る由はない。


 そんな環境で育ったイリスにとって、レイアという「優しい母親」とは異世界の生物のように見えるのだ。


「学校は楽しかった?」

「えぇ。イリスがまたテストで一位をとったの。次は私がとるわ」

「もう、イリス様の目の前で言わないの」


 クレアとレイアのやり取りを、おっかなびっくりといった形でイリスが見る。

 レイアはそれを横目に見つつ、打ち解けるのはもう少し先だろうな、などと考える。


「クレア。着替えたら、大事な話がある。隣の部屋に来なさい。メイラさん、申し訳ないが」

「承知しております」


 カイムの目配せにメイラが反応し、騎士を後ろに下がらせる。

 それをクレアが見て、少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。彼らはローテーションを組んで見張りをしてくれている。もちろん、十分な睡眠時間が確保できるだけの人員は足りている。それでも、激務は激務だ。

 イリスには「慣れなさい」とよく言われる。守られる立場とは、そういうものであると。そして、これだけの警護を受けるに足る働きで返せばよいのだと。

 クレアの場合は、生き残り託宣夢をエクセレイに届け続けることだと。

 理屈ではわかるが、まだ12歳そこらのクレアには受け入れることが困難である。


「分かった。待ってて、父さん」


 そう言って、イリスと一緒にクレアはパタパタと別室へ行った。


「うふふ、娘が増えたみたいで嬉しいわね」

「あぁ、そうだな」


 カイムもまた、レイアを見て少し安心する。

 少し前に、親友が魔王の手に落ち新種のゾンビとなり葬られていることを彼女は知った。そこに自分の息子が立ち会っていたことも。

 それでも、自分の子どもたちがそれぞれ頑張っている様子を見ることで、心を安定させていた。クレアが巫女であることを暴露するという非常事態こそあったものの、最近は安定している。

 日常に、イリスという少女が関わってきたことも大きいだろう。

 クレアを支えてくれていることは知っていた。

 だが、その比重は両親の想像以上の重さだったのだ。


 2人はクレアの心の強さに甘えてしまっていたのだと、猛省した。

 そして同時に、イリスにも感謝した。


「……あの子は、フィオも元気かしら」

「私達の子だ。きっと、元気にやっているだろう」

「そうね。きっと、そうよ。私がお腹を痛めて生んだ子だもの」

 レイアがほほ笑む。


 カイムがレイアの肩を引き寄せて、椅子に座らせた。







「ここ、どこ?」


 俺は溶岩泳を終えて、洞窟の深部にたどり着いていた。


『わが友も頑丈になったの。溶岩を泳げるとは』

『カー』

「提案した君らが言うのおかしくない!?」


 確かにさっきは溶岩の中くらいしか逃げ場がなかったけどさぁ!

 もっと他になかったの!? 何か作戦とか!プランBはなかったんかいプランBは!

 というか普通についてきたこいつらも大概である。火耐性がある魔物をたくさん吸収している瑠璃はともかく、溶岩の中を普通に羽ばたいていたナハトはゲームのバグか何かに見えたものだ。


「ったくもう。どうやって洞窟出るんだよ。灯りよライト


 ぱっと、火魔法で光を灯す。

 目の前が明るくなった。


 と思ったら、目の前にオレンジの満月があった。


 というか、その満月はサラマンダーの瞳だった。

 でかい。瞳の直径が余裕で俺よりも大きいサイズだ。


「え“」

『しまったのう。ここにもおったか』

『カー!』


 がぱっと、サラマンダーが口を大きく開けた。


「うおあぁああ!」

 ローリングして俺はかわす。


 一拍遅れて俺がいた空間にサラマンダーが嚙みつく。


「ふざけんな!ふざけんなばーか!」


 泣き叫びながら洞窟を走り回った。


 俺は、12歳になった。

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