第255話 少年と少女の契約

「スワガー殿、回復役ヒーラーの手配をお願いします」

「サービスには対価というものが必要なのだがネ」

「この有事の際に外への救護を全くせずに、回復役を内部に囲っている悪徳商社があると王家に申告してもよろしいのですよ?」

「逆だネ。逆だヨ、フィンサー教諭。国のバランスが崩れれば奴隷が増えル。つまりは、うちは不景気になればなるほど社会的な役割を全うしなければならない。その役割とは、奴隷の健康管理も含まれる。その為には、回復役の負担管理も大事なのだヨ。うちがそれを出来なくなると、奴隷にすらなれなかった浮浪者が都に増え、治安を荒らすヨ? それでもいいのかネ?」


 フィンサーが嫌そうな顔をして金貨を放る。


「ヒヒヒ、まいど」

 額の脂を光らせてスワガーが金貨を受け取る。


「仕事だヨ、来なさい」


 スワガーの声かけに応じ、魔人族の女性が現れる。


「魔人族!?」

 ロッソが驚く。


「グレーな仕事というのはネ、グレーゾーンにいざるを得ない人間の受け皿なのだヨ。ここは魔人族の従業員も多いからねェ。回復役ヒーラーの就職先は教会が多いガ、大昔に魔王と共に神へ弓を引いた魔人族の回復役など、連中が雇うはずがなイ。そこでうちさネ」


 スワガーの説明を聞きながら、ロッソが回復役の女性とノイタを見比べる。

 落ち着いた大人の女性だ。自分が抱いている少女が、近い将来こうなる? にわかに信じがたい。


「君、私の同族を救ってくれたのね。ありがとう」

「いえ、俺は何もしていない。何も、出来なかったんだ……」

「でも、ここに連れて来てくれた」

 女性がほほ笑む。


 すぐに回復魔法でノイタの治療を始める。その手際を見て、改めてフィルやヒル先生が異常に卓越した魔法使いなのだと再確認する。


「これはもう、必要ないね」

 フィンサーがノイタの腹部に刺さるナイフに手を伸ばす。


「待って下さい。血が噴き出る!」

「回復魔法が効き始めているから大丈夫。彼女の背中を見せてくれ」


 フィンサーに言われるがまま、ロッソはノイタを正面から抱くような形で背中を見せる。

 柄を握り、一気に引き抜く。少し血が噴き出るが、すぐに止血される。


 ノイタの口元から吐息が漏れた。胸元に心臓の振動が伝わり始める。


「ノイタ!良かった!……良かった」


 ロッソは歓喜し、ノイタの髪をすいて顔を見る。


「傷口を優先して治療したので血は止まりましたが、中はまだ再生しきっていません。しばらくその姿勢でいいですか?」

「え、恥ずかしいんだけど」

「恋人なのでは?」

「違いますよ!」

 ロッソは慌てて否定する。


「おや、違ったのかい?」

「恋人のそれに見えたがネ」

「あんたら性格悪い大人だな!」


 声を荒げるロッソを見て、魔人族の女性は笑いながら治療を続ける。


「大体何ですか、そのナイフ」

「これは仮死化の短刀だね。刺された人間を仮死状態にして、保存する魔法だよ。とはいっても人間の身体は生ものだから、温度調整も含めて保存は一週間が限界だ。大昔は色んな国の王族などが身を隠す時に利用したと言われているね。ところが、仮死化の短刀と見せかけて普通のナイフで王族を殺される事件が多発したことで使用者が今ではほとんどいない魔法具だよ」

「何だその頭の悪い歴史……」

 ロッソが呆れる。


「というか先生、何でそんなもの持ってるんだよ」

「シュレが狙われたときの保険にね」

「え、先生それは引くわ」


 フィンサー教諭は愛妻家として学園で有名だ。愛され学園長のシュレ先生を最も愛しているのは、他ならない夫である彼である。

 その愛が行き過ぎていることがあるとは聞いたことはあるが、普通嫁のために仮死化の短刀を準備するなんてあり得ない。


「先生、ちなみにそれはどのくらいの値段したの?」

「冒険者時代に稼いだ金が一割ほど吹っ飛んだねぇ」


 この人、A級冒険者だったよな? 現時点で自分がB級まで上り詰めてこのくらい稼いでいるから、とロッソは頭の中でそろばんを弾く。

 そして概算が終わると、更にドン引きする。

 物理的にフィンサーから、少し距離を置く。


「何で離れるのさ」

「いや、ノイタに近づけるには良くない大人だなって」

「君とその子は、同い年なんだろう? まるで兄みたいだな」

「……そうですね。そんな気持ちで今まで一緒にいたんだと思います」


「治療が済みましたよ」


 すっと、魔人族の女性が離れる。


「ありがとうございます!」

「ありがとう。助かったよ」

「ご苦労。奥に戻って休みたまエ」


 スワガーの指示に従い、頭を下げて女性が奥へ行く。

 肩で息をしていた。やはりフィルの治癒魔法は異常だなと再確認する。あれで回復役専門じゃないのだ。ストレガという名がおかしいのか。それともあの少年がおかしいのか。鶏と卵問題である。


 ノイタのまつ毛がぴくりと動く。


「起きそうだね」

「え、先生どうしよう。暴れるよな!?」

「こっちに来なさい」


 フィンサーに付き従い、ノイタを背負って奴隷商の奥へ行く。

 そこは奴隷契約の間だった。自分が焼き印を押された日のことを思い出す。


「君にチャンスをやろう。その子を奴隷にしなさい。人を殺さないことを命令し、縛るんだ」

「……出来なければ?」

「出来なければ、私がその子を殺すよ。出来るね?」

「……やります。やってみせます」

 ロッソは頷く。


「ふン。では奮闘したまエ。暴れて施設を壊したら学園へ請求するヨ」

「そこは私の名義にしてください」


 シュレに迷惑をかけたくないのだろう。フィンサーが個人のギルド口座をスワガーへ教える。

 そのやり取りを横目に、ロッソがノイタを床に仰向けに寝かせる。


「う、う~ん」

「ノイタ、起きたか?」

「あ、ロッソ!」


 ノイタが笑顔で両手に魔法を形成する。


 その両手を、ロッソは馬乗りになって押さえつける。


「む、やめるのだロッソ。ちゃんと幸せにならないと」

「出来れば、俺はノイタと生きて幸せになりたいんだけど」

「何で? 生きてたら幸せになれないのに?」

 ノイタはきょとんとする。


 ミシミシと地面が音を立てる。冷たい大理石の床に罅が入る。


「参ったネ。魔法で強化されている床なのだガ」

「うちの学園のホープと、そのパーティーメンバーですよ」

「そのホープとやらがうちの備品を壊していル」

「…………」


 黙って銀貨を投げるフィンサー。

 下卑た笑みを浮かべてキャッチするスワガー。


「なぁ、ノイタ。取引しないか?」

「……何をするのだ?」

「試してみるんだよ」

「試す?」

「そうだ。生きていた方が幸せになれるか。死んだ方が幸せになれるか、試してみるんだ。まずは俺と一緒に生きてみよう。駄目か?」


 ロッソがノイタを見つめる。

 金の瞳と、ブラウンの瞳が交錯する。


「……パパの言うことは絶対なのだ」

「本当に? 今までそのパパの言うことが絶対だった? 都に来て、俺と師匠と出会ってからもそうだった? 何か違うことはなかった? 俺は……ノイタの言うパパよりも信頼出来ないか?」

「……出来るかもしれない」

 金の瞳が逸れる。


 スワガーが無言でロッソに焼き印を渡す。


「今から、ノイタを奴隷にする。こうでもしないと多分、周りの人は君を危険だと思うから」


 ロッソは気づいていた。フィル達がノイタと戦う時、それを見ていた市民がいたことを。裏切り者に魔人族の少女がいることは、明日には周知の事実となっているだろう。

 そして、都のギルドに頻繁に顔を出していた魔人族の少女といえば、ノイタのみである。


「ノイタを奴隷にして、何を命令するつもりなのだ?」

「生きてほしい。そして誰も、殺さないでほしい。駄目か?」

「……分かったのだ。しばらくは、そのお試し期間に付き合ってやるのだ」

「ありがとう」


 そう言って、ロッソはノイタの腹部に焼き印を押し付ける。


「ッ!」

 ノイタが音もなく悶絶する。


 ロッソの肩に噛みつき、痛みを紛らわせる。肩に噛みつくノイタを、ロッソは優しく抱きとめる。


「ありがとう、ノイタ。俺を信じてくれて」


 都が震撼したその日、一組の奴隷契約が、ひっそりと終わった。







「送り出す人間は、私だけで良かったのかい?」


 都の外壁の外側で、フィンサーが言う。

 時間は早朝。まだ、都のほとんどの人間が寝静まっている時だ。


「いいよ、先生。俺はあれだ、なんとか罪?」

「犯人蔵匿の罪だね」

「そうそう、それ。 だからさ、見送りはいらないよ。先生こそいいのかよ。犯罪やって退学になった生徒の送り出しなんてして」

 ロッソは笑う。


 彼の隣には、ローブを目深に被ったノイタがひっそりとたたずんでいる。


「済まなかったね。フィル君は何とかなったけど、君は普段から彼女と行動することが多かったから、守り切れなかった」

「いいですよ。どの道、ノイタは都に残れなかった」

 ロッソが寂しそうに笑う。


「これからどうするつもりだい?」

「外国に行きます。ノイタが指名手配されているのは、取り敢えずエクセレイだけみたいだから。せっかくだし、色んな国を見ながら冒険者としての腕を磨きますよ」

「今までの君の実績は使えない。ギルドカードは身分証明も兼ねているからね。またE級からやり直しだけど?」

「それもまぁ、何とかします。路銀までもらって、すいません」

「……全てシュレが望んだことだよ。私はそれを叶えただけだ」

「学園長が?」

「言っただろう? 我々は、いつまでも君たち生徒の味方だよ」

「ははっ」

 2人で笑う。


「それに、送り出しは私だけではないようだ」

「え?」


 外壁の陰から、ルーグが出てきた。


「師匠……」

「クソガキ共が」

 ルーグが袋を投げて渡す。


「わっわっ」


 慌ててロッソはキャッチする。その袋には、金貨と銀貨がぎっしりと入っていた。


「師匠、これは何ですか?」

「手前とそこの俺の腹に穴開けやがったクソガキの金だ。ギルドの口座からおろしてきた。ラクスに職権乱用させるのに骨が折れたんだぞ?」

「ギルマスが!?」


 ルーグと手元の金を交互に見る。


「おい、クソガキ」

「何なのだ」

「手前、いっぺん顔面殴らせろや」

「嫌なのだ。痛いのだ」

 ぷいと、ノイタが目をそらす。


「死にたがりのくせに痛いのは嫌とか意味がわからねぇ」

「ルーグだって、ノイタをワイバーンの前に蹴りだしたことがあったのだ。おあいこなのだ」

「あ? まだ根にもってんのか。尻の穴が小せぇな」

「いや、師匠。それは普通根にもつよ。あとセクハラ」

 ロッソが呆れる。


「ふん。ルーグのためを思ってあの世へ送ってやろうとしたのに。人の善意を湯気にしたのだ」

「ノイタ、無下な。無下」

「その善意が死ぬほど大迷惑なんだよクソガキが。爆散掌底バーンナックル

「うわー!」


 ノイタがあわててかわし、地面の上を転がる。


「殴ったのだ!予告もなしに殴ったのだ!」

「手前も予告なしに俺の腹に穴開けやがっただろうが!」

「師匠、見送りに来たんですよね!?」

「ふざけんな!破門しに来たんだよ!手前ら、2人とも破門だ!二度と俺の弟子を名乗るな!」


 ロッソは笑った。

 ルーグは渋面になった。

 ノイタは威嚇している。


「また、一緒にクエストしましょう。師匠」

「二度とごめんだ」

「べー!」


 ロッソの後ろから、ノイタが舌を出す。


「行ってきますね」

「さようならだろ」

「いいえ、いってきます。また帰ってきます」

「ふん、勝手にしろ」

「ルーグ!」

「何だクソガキ」

「お腹の傷、ごめんなのだ」

「……殺すのはよくて、そっちは謝るのかよ」

 ルーグが呆れる。


「フィル達にも、よろしく言っておいて下さい!」


 手を振りながら、ロッソとノイタは都から離れていく。

 ルーグとフィンサーが小さくなっていき、豆粒ほどの大きさになる。


「師匠、あんなこと言ってたのに、まだ見送ってら」

「フィルはあれをツンデレと言ってたのだ」

「何だその言葉?」

「ノイタもわからないのだ」

「何だそれ」


 笑いながら、ロッソはフィルのことを思い出す。ノイタが死にかけたとき、一緒に泣いてくれた友人。自分の命の恩人。あの少年に別れの挨拶が出来なかったことが悔やまれる。


「……2人になっちゃったな」

「大丈夫なのだ。ノイタは元々独りだったのだ」

「言われてみればそうだ。俺も、独りだった」

 2人で笑いだす。


「これからよろしく、ノイタ」

「よろしくなのだ、ロッソ」


 2人はゆっくりと、都オラシュタットから離れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る