第254話 始まる最悪10

 ルーク・ルークソーンは沈静化しつつある都を眺め、ふと足元を見た。


 憲兵の死体に刺さっている矢である。


「……手入れが行き届いている。風切り鳥ソニックバードの羽根か。材木はビッグトレント。矢尻は魔剣歯虎イヴィルロドゥスの牙。……ソムか」


 パーティーメンバーの矢が、都の境を守っていた憲兵に刺さっている。これだけで察するに余りあるというものだ。

 ルークは矢を静かに抜き取り、風魔法で切り刻む。

 数週間は国中が落ち込むだろう。そんな時、勇者パーティーのメンバーが魔王の手先だったなんて情報が流れるのは、悪戯に国民を不安にさせるだけである。


「残念だ。本当に残念だよ、ソム」


 ルークは温厚な人間である。

 本来は争い事も苦手であるし、人前に出るのも嫌な人種である。担がれなければ、勇者なんて名乗ることもなかった。都ではなく、田舎の片隅で上級冒険者を細々としたかった。最初は当時幼少だったエイブリー姫の口車に乗せられ、まんまと利用されたのである。次世代が出るまでという契約だったのだ。

 だが、どうやら勇者という役割は終わりそうにない。

 時代が彼にまだ、勇者であれと望んでいる。

 ルークはその予感をひしひしと感じていた。


 都にたどり着いた瞬間の、人々が自分に向けたすがる様な目。

 あぁ、この戦いが終わるまでは、自分は勇者のままなのだという妙な確信があった。


「本当、勘弁してほしいよ。僕はただ、キサラ達と魔物を追いかけていればよかったのに」


 ルークは寂しそうに呟いた。






破壊の両腕ヘレスカイナ


 ノイタの破壊魔法が俺の胸の手前を通過する。


「やめろノイタ!」

「それは無理なのだ」

 朗らかな表情で、ノイタが俺を殺しにかかる。


 攻撃に殺気が篭っていないので、違和感がありかわしづらい。普通の戦闘とは違い、勘が効かなくてやりづらい。

 ノイタの背後で、ファナが十字架を構える。


放射する愛ラジエイトラヴリー

「やめろ!」


 ファナの火魔法を、自分の火魔法で相殺する。


「瞬接・斬」

「このっ!」


 トウツの剣撃を紅斬丸で防ぐ。


「あはっ。幸せになろうよ、フィル」


 ノイタの破壊魔法が俺の脇腹を狙う。


「それは駄目」


 トウツが前蹴りでノイタを蹴り飛ばす。石畳をバウンドしてノイタが川に突っ込み、水柱が上がる。


「やめろトウツ!死ぬだろうが!」

「殺しにかかってるんだよ?」

「どうしてっ」

「い〜い? フィル」


 がっしと、トウツが両手で俺の頭をロックする。至近距離で赤い瞳が見つめてくる。


「あの娘は放っておいたらいつかフィルを殺す。確実に殺す。だから僕らはあの娘を殺す。お〜け〜?」

「全然オーケーじゃない!」

 俺はトウツの手を振り切る。


「参ったなぁ。僕はフィルのそういうところが好きなんだけど、自分の命くらいは最優先に考えてほしいかな」

「同感ですわ。あの娘、終わってますわよ。ここでわたくし達が殺さなくても、まともな人生送れませんわ。むしろ、ここで殺してあげたほうが慈悲というもの」


 水音が聞こえた。川からノイタが上がってきたのだ。川の縁に彼女の手がかかる。


「酷いのだ。肋骨が痛んだのだ」

「そう。蹴り砕けばよかったねぇ」


 俺はトウツ、ファナとノイタの間に立つ。


「困るなぁ。フィルを守る。フィルの妨害をかわす。この両方こなしながらその娘を殺すの、骨が折れるんだけど」

「フィル、神の意思に反していますわよ」

「神の意思なんざ、知るかよ」


 よりにもよって、俺を転生させた神だ。言うことを聞かなければならないほど上等なもんじゃないだろう。


「で、貴女はそっちにつきますのね。瑠璃」


 オリハルコンブレードを背中から生やし、瑠璃が横に立つ。


『いいのか? 瑠璃』

『我が友は望むことをすると良い。わしはそれに付き合う。檻で契約した時から、そう決めていた。ルビーにも頼まれたしの』

『ありがとう。瑠璃、ルビー』


 すぐそばで、赤い魔素マナが点滅する。

 2人で、紅斬丸とオリハルコンブレードを構える。


「フェリちゃんはどっちにつくんだい?」

「わ、私は……」


 フェリがすがる様な目で俺の方を見る。


「フェリ、頼む。一緒にノイタを救ってくれ。お願いだ」


 俺に声をかけられ、彼女は俺とノイタを交互に見る。表情に張り付いた感情は困惑、逡巡。駄目だ。彼女はまだ迷っている。


破壊の両腕ヘレスカイナ

 ノイタが背後から俺に強襲する。


 前方からはトウツとファナが襲いかかる。

 あぁ、くそ、最悪だ!


大文字紅蓮回転グレンスタースピナー!」


 全範囲攻撃で全員を下がらせる。


「聞いてくれ!ノイタは止めれる!あいつの破壊魔法は手からしか出すことが出来ない!手を潰すんだ!そのあとは意識を刈り取ればいい!何とかなるんだ!」

「捕まえた後はどうするんだい? 起きた瞬間、その娘は1人でも多く道連れにして死ぬよ」

「こんの、分からず屋が!」

「分からず屋はフィルの方だねぇ」


 ノイタがまた肉薄してくるが、ファナが十字架で受け止める。


「ノイタの魔法でも壊せないのだ!?」

「オリハルコン付きの教会の特注ですのよ?」


 ファナが十字架をフルスイングする。俺はノイタの横に立ち、防御魔法で受け止めるが、ノイタごと吹っ飛ばされる。地面を転がるノイタをトウツが斬りつける。それを並走する瑠璃が妨害する。俺は態勢を整えて火球を散弾で撃つ。2人とも、あっさりとかわしつつ高速で接近してくる。瑠璃の置きトラップが発動し、石畳の地面からビッグトレントの根が槍の様に飛び出す。

 が、あっさりと切り飛ばし燃やされる。


 俺と瑠璃。ノイタ。ファナとトウツが三竦みで静止する。全員の体にテンションが張り詰めた魔力が流れる。

 トウツとファナ相手に戦えると実感できることを、喜ばしく思うことができない。こんな形で自分の力量を知りたくなかった。


「おい、あんたら、何やってるんだ?」


 不意に、横から声が聞こえた。


 ロッソだ。


「ちょっと待てよ。何で戦ってるんだ? どういうことだよ」


 俺は焦る。状況を説明する余裕がない。


「あ、ロッソ!」

 ノイタがぱっと笑顔を輝かせてロッソへ駆け寄る。


「やめろぉおお!」

 慌ててノイタに火球を放つ。


「何するんだ!」

 それをロッソがガントレットで弾き飛ばす。


「フィル!どういうつもりだよ!お前も魔王とやらに操られてるのか!?」

「えへへ」


 守られたノイタが、ロッソの背後で拳を振りかぶる。

 駄目だ!殺気がないから気づいていない!


「くそ!」

「え?」


 ロッソを守ろうと駆け寄ろうとしたら、ノイタのお腹からナイフが生えていた。

 いや、違う。

 背後から何者かがノイタを刺したのだ。


「かふ……あれ、おかしいな。もっとたくさんの人を幸せにするつもりだったのに」


 ノイタが地面に突っ伏す。

 俺とロッソが慌ててその人物を見た。


「……フィンサー先生」

「やぁ」


 フィンサー先生は、陰気な笑顔を見せる。


「どうして」

「何するんだよ先生!」


 ロッソが爆散掌底バーンナックルで殴りかかるが、あっさりといなされて地面に叩きつけられる。


「がっ」


 石畳が陥没する。


「治療を!」

「待ちなさい」


 ノイタとロッソに駆け寄ろうとする俺を、ヴェロス老師が止める。


「何故止めるんですか!」

「君のためじゃよ」

「違う!俺のためじゃない!あんたはエクセレイのためにノイタを殺そうとしているんだ!」

「……坊主の言う通りじゃな」

 ヴェロス老師が顎をしゃくる。


「わかんねぇよ。意味わかんねぇよ。何でノイタが刺されるんだよ。ノイタぁ」

 ロッソがノイタに手を伸ばす。

 が、それをフィンサー先生が足で弾く。


「なっ」


 ロッソが驚くが、弾かれた腕があった個所が爆発する。

 地面がえぐられ、石畳に小さな穴があく。

 ノイタが破壊魔法で消し飛ばしたのだ。


「ノイタ……お前、どういう?」

「惜しかったのだ。ロッソはいい奴だから、幸せにしたかったのに。出来れば一緒に、幸せになりたかったなぁ」

 ノイタが寂しそうに笑う。


 ロッソの眼に理解の感情が宿った。


「やっと気づいたか、馬鹿弟子が」

「師匠!?」


 ルーグさんが家屋の陰から現れた。後ろでは教会の修道女が「安静にしてくださいよ!もう!」と叫んでいる。


「川と水路に毒を投げ込んだのもそいつだ。要人をまとめて暗殺したのもな。諦めろ、馬鹿弟子」

「な、何言ってんだよ師匠……」

 ロッソの表情がみるみる青くなる。


「俺達は騙されたてたんだよ。そこの馬鹿女にな。俺の腹の穴も、そいつが作った」


 ロッソがルーグさんの傷を見て、口をわなわなと震わせる。


「フィル!」

 すがる表情でこちらを見てくる。


「お前、光魔法得意だろう!? 出来ないのか!? ノイタの解呪、出来るよな!?」

「……無理だ。たぶん、魔法だけじゃない。ノイタは、生まれたときからそういう教育を受けている」

「……!おい、あんた!あんた聖女なんだろう!? 何とかしてくれよ、こいつを!なぁ!」

 地面を這いつくばり、今度はファナに叫ぶ。


「無理ですわね。わたくしが救えるのは自ら救われようと望むものですわ。その娘は自ら破滅へ向かっている。そんなもの、聖女どころか神ですら救えませんわ」

「そんなっ……誰か!誰かノイタを助けてくれよ!いい奴なんだよ!死んでいい奴なんかじゃない!頼むよ!なぁ!」


 そんなこと、みんな分かっている。ノイタが純真でいい子なことくらい、みんなわかっているのだ。それでも救えないのだ。けれども俺は、ロッソと一緒に彼女を何とかして助けたい。何か方法があるはずだ。何か、何か……!


 フィンサー先生が彼女の横に膝をつく。青く、細い首に手のひらを乗せ、圧迫する。

 窒息死させるつもりだ!


「やめてくれ!フィンサー先生!何でそんなことするんだよっ!」

「お願いです!俺が何とかします!研究して、その呪いを解呪する方法も見つけます!だから頼むよ!なぁ!チャンスをくれよ!学園は俺達の挑戦を支援する組織じゃないのかよっ!」

「学園は、君たちの安全を守る組織ですよ」

「か、かふっ」


 ノイタの喉が潰れる。息が出来ていない。目が薄く閉じていく。意識を失う。魔力の流れも静止していく。あぁ、やめろ。やめてくれ。


「ロッゾ……」


 ロッソの方へ手を伸ばしたまま、ノイタは動きを止めた。魔力の流れが見えない。

 絶命したのだ。


「あ、あ、あ“あ”あ“あ”!どうして、どうしてっ!」


 ロッソが怒りに任せて石畳を叩き割る。俺はヴェロス老師に拘束されたまま、それをただ眺めていた。

 何だこれは。

 何なんだこれは。

 現実感がない。

 俺は一体、何のために戦っていたんだ?

 何のために、強くなってきたんだ?

 わからない。わからないわからないわからない。


「ロッソ君」

「何だよ!人殺し教師!」

「そうだね。私は人殺しだ。彼女を運ぶのを手伝ってくれるかい」

「五月蠅い!ノイタを生き返らせろよ!あんたシュレ先生と一緒に言ってただろ!自分たちは生徒の味方だって!あれは嘘だったのかよ!」

「ロッソ君。人が来る。君は彼女の死体を赤の他人に見せたいのかい?」

「…………」

「彼女が裏切り者だと知れば、市民は石を投げるだろうね。魔人族だ。慈悲はないだろう。人の形を保てないほど、死体を損壊させるだろう。君は、彼女の尊厳まで奪わせたいのかい?」

「…………分かったよ」


 ロッソが虚ろな目をして返事し、覚束ない足取りで立ち上がる。


「ナイフを抜かないで。それは大事なものだから」

「そうかよ。くそ」


 ふらふらと、フィンサー先生にロッソが付いていく。

 俺はそれを眺めることしか出来なかった。

 後ろにフェリが来て、俺を抱きとめる。


「ごめんなさい、フィル。私、選べなかった。何も、選べなかった」

「違う。俺がもっと強かったらこんなことにはならなかったんだ。何で、やっと強くなったと思ったのに。何でだよ」


 フェリが抱きしめる力を強める。

 俺はされるがままになるしかなかった。


 俺は弱い。俺は、無力だ。







「ごめん下さい」


 フィンサーがドアをノックする。

 それを死んだ魚のような目でロッソは眺める。両手の上にはノイタの亡き骸がある。まだ温かい。

 つい先日まで、一緒にクエストをしていたのだ。馬鹿みたいなことをノイタが言って、自分はそれを聞いて笑っていた。ルーグ師匠も嫌そうな顔をしながらも、それに付き合ってくれていた。

 大事な仲間。大事な時間。

 でも、それが更新されることはない。

 止まったんだ。彼女の時間は止まってしまったんだ。

 それはロッソにとってもそうで、これから先の人生、自分の中で何かが止まったまま生きていくのだろう。

 奴隷になった時でも、これほどの喪失感はなかった。

 自分を奴隷商に売った両親に愛情などなかった。自分は幸せの形を知らなかった。だから、アラクネに殺されそうになった時、自然と自分の運命を受け入れることができた。失うものは、ほとんどなかったから。

 でも、今はこの「結果」を受け入れることができない。

 気づいてしまったのだ。ここ数年の自分の幸せの大半は、彼女が担っていたことに。


「ロッソ君、入りなさい」


 フィンサーに言われるがまま、無言でそこに入る。

 そして気づく。

 エントランスの足元に書いてある紋章。

 幼少に見たことがある。

 両親が自分を売った場所。自分が買われた場所。自分が、奴隷になった場所。焼き印を背中に押し付けられた場所。この紋章は奴隷印だ。

 つまり、ここは。


「先生、何で奴隷商なんてとこに来てんだよ。教会じゃないのかよ」


 死体をまず送るのは教会のはずだ。ゾンビ化しないようにするために浄化してもらい、安置してから土葬する。それがこの国の習わしだ。


「全くだネ。表で暴徒が暴れているというのに、こんな時に尋ねるなんて非常識が過ぎル」


 店の奥から、胡散臭い男が出てきた。ずんぐりむっくりした体形だが、妙に品のいい男だ。黒いシルクハットを被り、針金みたいな黒い髭が横に伸びている。


「済まないね、スワガー殿。でも、急用なんだ」

「ほウ? 表の暴動よりも優先すべきことかネ?」

「そこを何とか」


 フィンサーが金貨を投げてよこす。


「……ふン。話が早くて助かるネ」

「ロッソ君、紹介しよう。この国大手の奴隷商の首領ドン、スワガー氏だ。彼がオフィシャルに奴隷を扱ってくれるおかげで、奴隷の人権は守られていると言っても過言じゃない」

「…………」


で、今日は何の依頼だネ?」

「奴隷契約を結びたい」

「ほウ、戦闘奴隷かネ? 今は猫の手も借りたい状況だからネェ」

「いえ、違います。契約を結ぶ奴隷はこちらで準備しました」

「ほウ?」

「奴隷の主は彼だ」

「え?」


 フィンサーがロッソを指さし、ロッソは呆けた声を出す。


「そして、奴隷は彼女だ」


 フィンサーが、ノイタの亡骸を指さした。

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