第252話 始まる最悪8

身体強化ストレングスカタナ


 極限まで魔力で研ぎ澄まされた抜き手が、ゴン・バーンの腕を切り裂いた。大柄な彼を小人族ハーフリングのシュレが切り裂く様は圧巻である。

 どちゃりと、地面に太い腕が転がる。


「がぁあ!」

 ゴンが膝をつく。


「隙あり」


 フィンサーがシュレの背後から現れ、手斧でゴンの首をとった。


「くそっ!」

「まずい!」


 ソムとボウが退却を始める。前衛が死んだのだ。この戦いは続けても、ヴェロス達の勝ちは確実である。


「またんか!首置いてけ!」


 悪鬼のような小人が2人を追いかける。ソムとボウは生きた心地がしない。小さいはずの女が、まるで巨人族のような気さえした。


「シュレ、学園の方に戻りましょう。ショー達が対応していますが、心配です」


 フィンサーの声に、シュレの動きがピタリと止まる。


「そうたいね。あの2人はまぁ、後でよかね。子ども達が優先たい」

 先ほどの鬼のような形相がなかったかのように、けろりとシュレが言う。


「私は市中へ行きましょう。学園よりも大変なところが多そうだ。ヴェロス老師も手伝ってもらっても?」

「酷使するのう。老人虐待ではないかの?」

「ははっ、お戯れを」

 フィンサーが黒い笑顔を見せる。


「しかし、あの3人は傀儡魔法にやられたのでしょうか? 仮にも勇者パーティーに選出される人間です。精神力は強いはずなのですが」

「そうじゃのう。中途半端な洗脳魔法にはやられないくらい、わしが鍛えたつもりじゃが」

 ヴェロスが口髭をなぞる。


「考えても仕様がなか。はよ行くばい」


 それぞれが三方向へ散開した。






 勇者ルーク・ルークソーンは草原を疾駆していた。

 彼の魔力にあてられ、襲いかかる魔物は一匹たりともいない。

 走る先は、魔力による光の柱。都オラシュタットの救難信号である。王宮に勤める従者達が、日々魔力を貯蔵し、有事の際は上空へ放出する。都の外にいる騎士や冒険者を呼び戻すためだ。


 だが、ルーク以外に都へ走る人間はいない。

 都以外の都市も同じ状況だからだ。都に助力する余裕がない。そこかしこの都市や町、村の上空に救難信号が伸びている。

 キサラ・ヒタールとアルク・アルコは周辺の都市へ置いてきた。暴徒に敗北する寸前だったからだ。


「おかしい。どこの都市にもA級冒険者相当の裏切り者がいた。僕のパーティーの選考に残っていた手練れもいた。いや、逆か。最初からそういう奴らをエクセレイに紛れ込ませていたんだ。順序が逆なんだ。裏切られたんじゃない。僕らは、最初から裏切り者と一緒に過ごしていたんだ。そうだとすれば、辻褄が合う」


 彼はまだ知らない。その裏切り者の中に、自身のパーティーメンバーがいることに。

 焦りが更に足を加速させる。

 焦りの原因は、都の窮地に民の求心を担うはずの自分がいないからである。おそらく、ここ最近遠征クエストが多かったのは、まさにこの有事の時に自分が都を留守にするシチュエーションを作るためである。


「魔王とやらは、恐ろしいくらいに慎重だね」


 苦い顔を浮かべ、ルークは都近郊へ差し掛かった。






「腹が立つねぇ。見事にあたしゃ無視されたってことかい」


 マギサ・ストレガは、そう呟きながら上空へ登る救難信号を見ていた。一番近い信号でも五百キロほど遠い。それを見ることが出来るのは、この国では彼女以外に、転生者のフィオ・ストレガくらいだろう。


「ふむ。私には見えませぬな」


 隣では、呑気にエルフの長老ルアークが返答する。


「あんた、この国の有史より長く生きてるくせに、あれを見ることも出来ないのかい。建国メンバーなんだろう?」

「端役に過ぎませぬよ。救難信号ですかな? 皆目見えませんな。エルフは目がいいはずなのですが」

「私ら普人族からしたら、あんたは見目若いけどね。エルフ基準でも年寄りなんだろう? 耄碌もうろくしたんじゃないかい?」

「見える貴女が異常なのですよ」

「よく言われるよ」


 マギサは嫌そうな顔をして返答する。彼女は魔法使いとして、生涯評価され続けてきた。結果として現れたのが「褒められ疲れ」だ。フィオからすれば、いつも不機嫌な婆さんという印象だったのだが、彼女は人の好意に疲れ果てていたのだ。

 もっとも、だからこそこの世界の魔法の価値を全くわからないフィオを見るのは楽しかった。弟子に直接言うことはないが、存外この老婆は弟子の育成を快く思っていたのだ。


「ところで、無視されたとは?」

「魔王だよ。あやつ、私がいるエクセレイの南区だけ間者を送らなかったね。北区、東区、西区はどこも都市部が荒れている。魔王の手先が暴れているんだろうねぇ。南区だけ平和そのものだ。全く、面倒なやつだよ。あいつは」

「……まるで魔王を知っているような言い方だ」

「人生の分岐路で時々すれ違っただけの仲さ」

「国には報告されないのですか?」

「してもしなくても、この結果は変わっていないよ。むしろ、知らない方がいいことだってある」

「ほう……」


 ルアークが顎をしゃくる。


「マギサ殿は、魔王を殺せますか?」

 ルアークが聞く。


「おや、あんたにしては珍しく剣呑なことを言うじゃないさね」

「村の民が、やつの手引きでやられましたからね。まさか、ゾンビにされているとは思わなかった。久しぶりですよ。ここまではらわたが煮えくり返るのは」


 森がざわめいた。少し離れた先でワイバーンが慌てて飛び立つ。


「……やつと私がサシで戦うとしよう。おそらく、僅差で私が負けるだろうね」

「本当ですか?」


 ルアークが目を丸くする。彼のこの表情は、カイムも含めてコヨウ村の誰も見たことがない。


「一つ言うが、魔法使いとしての実力は負けないよ。そこは絶対だ。だが、残念ながら私には老いがある。奴にはない」

「……件の魔王は、伝承の再来ではなく伝承本人だと、言っているのですか?」

「そうだろうね。私の読みではそうだ」

「…………」


 ルアークは押し黙る。彼は自身の生涯で、最も苦慮したのはエクセレイの建国だと思っている。

 だが、もしエクセレイ内部で本格的な戦火が切って落とされたら、それがトップに躍り出るかもしれない。


「……ところで、何故家を焼いているのです?」


 そこには赤々と燃える家屋があった。

 フィオがマギサと共に過ごした家である。トウツやフェリや瑠璃、シャティ・オスカも訪れた、マギサ・ストレガの隠居用の家屋である。

 焚火の炎にしては大きすぎる。

 マギサもルアークも、オレンジの光に顔を照らしながらのんびりと炎を見つめる。


「ここを留守にする。あの男は私に勝てると踏んでいるだろうが、ノーリスクで勝てるとは思っちゃいないよ。慎重な男だからね。何、戦うことがあったら確実に腕か足はもっていくさ」

「……まるで、魔王に戦いを挑んで死ぬかのような言い方ですね」

「まさか。わたしゃ死なないよ」

 マギサがキヒヒと笑う。


「私がここを離れたら、あの男は確実に家探しをする。私の研究成果を盗むか、私を殺す算段にでも利用するだろうね。だから、先に燃やして痕跡も残さず滅却する。ついでにあんたのところの村も襲いそうだから気をつけな」

「それは怖い。皆で森の深層にでも逃げましょうか」

 ルアークが肩をすくめる。


 カラスの使い魔であるナハトが、マギサの横にホップして首を何度も振り動かす。


「なんだいナハト。精霊に成りかけのあんたが郷愁かい? 変なところ精霊に成れないねぇ、あんたは。まぁ、いいさ。手伝ってくれるかい? 最近は運動不足で敵わん」

「カカ」


 ナハトが短く鳴いたかと思えば、身体の体積が肥大化した。翼幅が5メートルほどに伸びる。

 そのナハトがマギサの背中に埋まる。嘴から、ずるずると背中に飲み込まれたかと思うと、マギサの背中から翼だけを表に出している。まるでマギサから巨大な烏の翼が生えているかのようだ。

 融合。

 魔物使いテイマーの極致の奥義と呼ばれる魔法だ。心を通わした魔物と身体すら共有する。国によっては禁術扱いされている。自我を使い魔に乗っ取られる可能性もあるからだ。太古に、この魔法が原因で魔物と化した人間が国を滅ぼしたこともある。


「貴女は本当に、何でもありですね」

 ルアークが呆れる。


「ふん。使える者は烏の翼だって使うさ」


 そう言うと、マギサは飛びたった。


 翌日には、東区の都市5つの暴徒が沈静化されることになる。

 そしてまことしやかに噂が流れることになる。


 英雄マギサ・ストレガが復活したと。






 オゾス・ダシマは死に体だった。

 彼の偽りの人格である、ゼータ・ダシマが心血注いで作り上げた温室の中央で仰向けに倒れ、浅く呼吸をしている。

 土のベッドには彼の血が滲み、こげ茶色の土が更にどす黒くなっている。


「そろそろお縄だな」

 ショーが上から見下ろす。


 横にはロスが控える。

 少し後ろにイリス。更に後ろにはアルがいるが、魔力切れが近いのかふらついており、

ヒルの手当てを受けている。


「……ショー先生ではないですか。どうしたんですか? ……お腹が痛いですね」


 オゾス・ダシマの表情が、先ほどまでの悪鬼のようなものとは打って変わり、温厚なものへと変わる。


「性格悪すぎだろ。ここでゼータ先生を出すのかよ」

 ショーが苦虫を噛み潰したような表情になる。


「……これはどういう状況ですか? 温室が……あぁ」


 力なく地面に横たわったゼータが、あるものに気づく。血濡れの女王プリンセスブラッドショーに殺された、学園の生徒である。


「ショー先生。これは、がやったんですね」

 ゼータが呟く。


「あんた、気づいていたのか」

「怖かった」


 ゼータが話し始める。


「私が知らない種が埋まっていることがあった。温室の中に害のある植物が勝手に育つことも。進化して毒性をもつこともあった。その度に無力化、鎮静化していった。最初は生徒の悪戯だと思った。でも、悪戯の範疇を越えてくるようになり、犯罪を疑った」

「…………」


 周囲の人間は、ただ黙って彼の話を聞く。


「何度セキュリティを見直しても、夜通し温室を監視しても誰もここをいじっていなかった。その内、最悪の予感がよぎったんだ。私が無意識にこんな危険な生き物を育てているのではないかと」

 ゼータがショーを見る。


「もう一人の私と会ったんですね。これを作った私と」


 ショーは何も言わない。ただ、ゼータを見つめるのみである。今の彼に、本当のことを伝えることなど出来ない。オゾスが主人格であり、あんたはここに侵入するための隠れ蓑の作られた人格などと、言えるわけがない。

 でも、ゼータにはそれで返事は十分だった。


「君の名前は何て言うんだい?」


 力なく死にかけている血濡れの女王プリンセスブラッドショーに、彼が話しかける。


「そうか、プリンセスか。ふふ、綺麗な花だね。こっちへおいで」

「おい、あんた」


 ショーが慌てて呼び止める。

 だが、ゼータは止まらない。

 近づいた血濡れの女王プリンセスブラッドショーが次々と触手をゼータに突き刺し、血を飲み干し始める。

 ヒルとリラは後ろで気づく。血を飲まれながら、ゼータは逆干渉している。この植物型の魔物を、内側から滅ぼそうとしているのだと。


「迷惑をかけた。済まない、ショー君。私は、教師失格だな」

「いや、違うとよ」


 全員が振り向くと、そこにはシュレ学園長が腕を組んで立っていた。


「あんたはいい教師だった。うちが保証する」


 ふんすと、鼻を鳴らしてシュレが言う。


「……そうですか、それは、よかった」


 ゼータの体中から、血液が抜き取られる。まるで即身仏のような姿になって彼は絶命した。それに寄り添う血濡れの女王プリンセスブラッドショーは、真っすぐ茎を立たせたままドライフラワーとなっていた。温室に木漏れ日が乱反射して入り込む。花に看取られたかのようなその男の死体はまるで、一枚の絵画のようだった。


「参ったたいね。この規模の温室管理が出来る教員なんて、外におらんとよ。代えが効かん。勝手に転勤しおって。阿呆め」


 そう言って、シュレはその場を後にした。


 イリス達は、何度も彼の穏やかな死に顔を見返しながら、学園長に付いていった。

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