第245話 始まる最悪

 そこには慟哭している青年がいた。

いや、青年ではない。少年だ。よく見ると、肌に張りがあり、子ども特有のつるりとした、骨格が定まっていない華奢な体格をしている。引き締まったアスリートのような体形をしているが、発展途上さが残っている。

 健康的な褐色の肌に、絵の具の原色のような赤い髪。


ロスだ。


 でも、何でこんなに身長が高いんだ? 今もクラスで一番高いけど、これほどではなかったはずだ。

 そこで気づく。ロスの服が中等部のものなのだ。ネクタイの色は中等部1年のものだ。


 あぁ、これは夢か。

 でも、何故ロスは泣いているのだろう。夢の中の俺は、ロスの手元にあるチラシを見る。紙は高級品だ。これが配られるということは、国の情勢が左右されるほどの大きなニュースである。

 その見出しには、こう書いてあった。


 レギア、滅びる。出どころ不明の新種ゾンビが原因か。


 ぞわりと、俺の毛が逆立つ。始まったのだ。魔王軍の侵攻が。レギアを完全に飲み込んだということは、すぐにエクセレイへ来る。俺達が中等部1年ということは、2年後だ。そこが、おそらく俺のデッドラインだ。獅子族の男に腹を貫かれる時。


 ロスが泣きじゃくりながら、俺とアルに抱き着く。今よりも少し身長が伸びたアルと俺はされるがままだ。ただ、2人そろって抱き返すことしか出来なかった。


「許さない!絶対だ!絶対にだっ!俺の国の民を殺した奴らを、絶対に見つけ出して倒してやる!うぅうぅぅ!」


 ロスは泣きながら怒りの声をあげる。夢の中の俺は、ロスに力強く抱きしめられながら、血が滴り落ちるほど拳を握りしめていた。







『フィル、何かあったかの?』


 起き抜け一番に、瑠璃が心配して声をかけてきた。


「……俺はうなされていたのか?」

『そうじゃな』


 慌てて周りを見る。まだ、太陽は登っていない。真っ暗だ。すぐ近くのベッドでは、ロスとアルが寝息を立てている。

 コーマイから戻り、3人部屋にしてもらったのだ。

 寝起きは最悪だ。寝巻もシーツも汗でびっしょりで気持ちが悪い。

 俺は、音もたてずにロスの枕元に立つ。


『もし、夢を見たのか?』

「あぁ、見たよ。とびきり最悪なやつをな」


 ロスは幸せそうな表情で寝ている。シーツを蹴り飛ばし、寝違えそうに足を変な方向に折りたたんでいる。

 静かに、シーツをロスにかける。


「何とかするよ、ロス。俺が何とかする。だから、このまま眠って待っていてくれ」

 余所行きの服に着替えながら、つぶやく。


 俺は寮を飛び出し、夜風を弾き飛ばしながら王宮へ向かった。






 王宮には先客がいた。

 

 俺の家族だ。

 カイム、レイア、そしてクレア。

 王宮の煌びやかな門から、湿った雰囲気を隠そうともせずに帰路についている。日はまだ出たばかり。王宮が開くのを待っていたら、カイムたちが来たので慌てて隠れたのだ。しばらく門の近くに隠れていたあと、すぐに出てきた。

 用件は俺と同じだろう。

 託宣夢の報告だ。


 クレアは目元を真っ赤にしていた。レイアが寄り添い、彼女をなだめている。

 いつも一緒に行動している男の子の友達の不幸。しかもそれが祖国の滅亡だ。詳細を話す時は、苦しかったに違いない。学園に戻った時、俺は彼女に何かしてあげられるだろうか。いや、難しいな。今の俺はクレアのただの友達だ。兄ではないのだ。

 もどかしい。

 レイアとカイムと一緒に、彼女を慰めてやりたい。大丈夫だ、君の兄である俺が何とかすると、嘘でもいいから告げてやりたい。

 でも、出来ない。

 俺はまだ、あの3人の家族ではない。


 エルフの家族が王宮を離れるのを確認して、俺も門へと急ぐ。


「何だ? また来客か。今日は朝から忙しいな」


 そう呟いたのはドルヴァさんだ。イアンさん率いる近衛騎士のメンバー。マギサ師匠の自宅へエイブリー姫が押し入った時、護衛に付いていた人物だ。

 貴族至上主義が行き過ぎているため、あまり俺との対応に帯同しなかった人物でもある。


「エイブリー姫に取次は出来ますか?」

「おいおい。ストレガ様の弟子とはいえ、アポなしで王族との謁見なんて出来るわけねぇだろ。でも姫様はお前が来たら通せって言ってんだよな。ちょっと待て。検査するからよ」


 面倒そうにドルヴァさんが悪意発見魔法具を取り出す。ドルヴァさんの質問に、俺は矢継ぎ早に答える。一刻も早くエイブリー姫と話さなければならない。


「よし、通っていいぞ。そこの使い魔は置いていけ」

「ありがとうございます!瑠璃、終わったらすぐ戻るから」

『無理はせぬよう。今のわが友は心配じゃ』

『わかってる』


 許可をもらい、はやる気持ちを抑えて廊下を早歩きで進んだ。横を歩く監視兼護衛役の騎士が訝し気な顔をして俺に付いてくる。


「待ってたわ。入って。貴方、人払いを」

「はっ」


 ドアの前でエイブリー姫が待っていた。すぐに騎士に指示を飛ばし、俺を中へ招き入れる。


「早朝からすいません」

「いいのよ。託宣夢ね」

「はい」

「クレアちゃんの話とのすり合わせをするわ。パルレ、紅茶と朝食を」

「はい」


 後ろで、パルレさんがパタパタと動き出した。




「……最悪ね。いや、最悪だけど、事前に知れてよかったと思うべきだわ」

「でも、どうするんですか? レギアが滅びたということは、その国民の数だけ魔女の帽子ウィッチハットが増えるということですよね?」

「そこは考えるわ。考えるしかない。最悪はもう、始まっているのよ」

「…………」


 神妙な顔をしたエイブリー姫の顔を見て、俺は感情の行き場を失う。この人は賢い。少なくとも、俺なんかよりもずっと。その彼女が、クレアから報告を聞き、俺がくるまでの間に何かしらの決断をしていない。

 やはり難しいのだ。


「俺は、何をすればいいですか?」

 真剣な顔をして、切り出す。


「……まずはクレアちゃんの心のケアをしてあげて。私からも言葉かけはしたけど、普段から一緒の貴方から言ってあげた方がいいわ」

「任せて下さい。俺はあの子の兄です」

「ふふ、それを堂々と名乗ることができればいいのだけれど」

「いつか名乗りますよ。必ず」


 俺の言葉を聞き、エイブリー姫がほほ笑んで紅茶に口をつける。


「この件は私に任せて。エクセレイにとって一番の決断をするつもりよ」

「……よろしくお願いします」


 俺は王宮から飛び出し、瑠璃と一緒にパーティーメンバーへ報告に走った。






 フィルが去った後、エイブリー姫は苦悶していた。

 最悪だ。恐れていた事態が、ついに始まってしまったのだ。レギアが滅びるということは、既にエクセレイの喉元に剣が突きつけられていると同じなのだ。レギアは敵のベースキャンプになっているだろう。あの砂漠の国から、次々と魔女の帽子ウィッチハットという名のゾンビがなだれ込んでくるのだ。

 すぐさま呼び出されたイアンが、心配そうに若き主を見つめている。


「どうすれば、どうすればいい? レギアを見捨てる? でも、見捨てればレギアに残っている民間人全てが魔女の帽子ウィッチハットになってエクセレイに押しかけるわ。国境の戦力でそれを抑えられる? 無理、無理だわ。国境の戦力が敵に吸収されるのがオチよ。では、レギアを救う? リスキーすぎるわ。敵戦力が分からない。周辺国に助力を求めても、大きな援助は望めない。他の国は対魔王の準備が出来ていない。恩を売る名目で兵を貸す国はあるはず。でも、そのくらいの助力は焼石に水。これも敵に飲まれるのがオチ。あぁ、もう。エルドランの全面協力を取り付けれていれば……いえ、たらればの話はなしよ。今はリアルの話をしている。ここは一度頭をクリアにしないといけないわ。何故私はレギアまで救おうとしているの。私は誰? 私はエクセレイ王国第二王女のエイブリー・エクセレイ。私が救うべきは私の国。そして国の民。レギアを守るのは、あくまでレギアの民よ。命題をシンプルにしなければ。最優先はエクセレイの存続と国民の命。であれば、レギアからの侵攻を止める、もしくは低減させるのが主目的。そのためには、レギアから来る敵戦力が減ればいい。敵の戦力の大元は何? ゾンビ。ゾンビよ。植物型ゾンビの魔女の帽子ウィッチハットが敵戦力の数のほとんどを占めるわ。であれば、魔女の帽子の数を減らせばいい。エクセレイの民を守りつつ、魔女の帽子を減らす方法。それは……それは」


 エイブリー姫が静止する。

 目に宿るのは閃きと自己嫌悪。

 長年彼女の護衛として連れ添ってきたイアンは、自身の主人が思い当たりたくない発想をしたのだろうと、身構える。

 エイブリー姫は静かに椅子に座り、紅茶で口を湿らせる。


「魔王軍に滅ぼされる前に、エクセレイがレギアを滅ぼす」

 桜色の瞳が据わる。


「姫様、それは」

「それがエクセレイにとって一番安全です。レギアの兵士は強い。ですが、今や残存兵力はわずか。エクセレイの国力であれば捻り潰せます。レギアの民が魔女の帽子となり、エクセレイに押しかけるより数十倍ましです」

「あまりにも慈悲がありませぬ。国内に囲っているレギアの民が反駁しますぞ。エクセレイ国民の支持も得られませぬ」


 イアンの隣で、メイラが顔を歪ませて頷く。彼女はエイブリー姫の命令に難色を示したことはない。

 だが、今回ばかりは嫌悪が表情に出てしまう。


「魔女の帽子は兵糧が要りません。こちらは生きた兵士を食べさせないといけない。レギアに残されている兵糧、まとめていただいて戦争の糧とします」

「姫様っ!国民とレギアへの説明はどうなさるおつもりですか!?」

「レギアの悪意探知魔法と嘘発見魔法に、巫女をかけます。もちろん、私もレギアからの悪意探知魔法を受けます」

「なっ」


 エクセレイが国境や都の入り口にも設置している、人の深層心理に働きかける魔法。丁度王宮へ入る時にフィルも受けたものである。万能に見えるが、術者と術にかけられる者の同意がなければ成立しないという足かせのある魔法である。かつてフィオたちが都に入る時に検問で受けた魔法でもある。それに巫女をかけようとエイブリー姫は言っているのだ。


 イアンはたじろぐ。

 巫女はこの国がもつ唯一無二の存在だ。それを全世界に晒すことになる。巫女の血筋を失うことになると、今代だけでなくこの国の未来永劫の損失を意味する。巫女の一族の託宣夢は、建国からこの国を支えてきたのだ。それだけではない。永らく協力関係を築いてきたエルフの民との関係が悪化することは免れない。このエクセレイという国の土地の先住民は彼らだ。エクセレイという国の国民はあくまでも後から来ていついただけ。


 レギアと自国民を説得するために、彼女はジョーカーを晒すと言っている。そしてレギアを攻め滅ぼす正統性を担保するために、自身も精神干渉魔法を受けると言っているのだ。

 王族がまるで疑われた罪人のような取り調べを受ける。これは屈辱である。王家の家名に傷がつくのは必至だ。


「巫女を全世界の人間に晒すと? 危険です。魔王軍に巫女の情報を知らせることになるのですぞ!」

「都合のいいことに、今代の巫女は2人います」

「……姫様は片方の巫女を魔王軍の撒き餌にするおつもりですか?」

「ええ、1人まではかえが効きます。このメリットを使う。せっかくあるメリットを使わないのは損です。巫女には、エクセレイとレギアの民のためにその身を晒してもらいます」

「……どちらの巫女を使うおつもりですか?」

「……そうね。フィル君には、辛い思いをさせるかもしれないわね」


 エイブリー姫は、悲痛に微笑んだ。

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