第244話 学園生活34(婚活社会科見学)

「おいちょっと、押すなよ」

「ごめん、押しちゃった。待って誰か私のお腹触った? フィル?」

「冤罪だ。位置的にアルだろう?」

「ごめん!クレア!」

「え、あ、そうなの!? あ、あ、ありがとう?」

「何お礼言ってるのよ、クレア……」


 イリスの言う通りである。クレアの俺とアルへの扱いの差が泣ける。

 俺達は今、魔力隠しのスカーフに隠れて潜入中である。ロスを先頭に、クレア、アル、イリス、俺の順番である。


「大体、何で魔力隠しのスカーフが一枚しかないのよ!」

「無茶言うな!これ多分、一点ものだから他にないんだぞ!国宝級の魔法具がほいほい2個もあってたまるか!」

「でもフィルなら持ってそうじゃん?」


 ロスの俺への信頼が厚すぎて焦げそう。


「クレア、足が絡まってるよ」

「ありがとうごめんなさい」

 アルの言葉にクレアが慌てて返す。


 クレア大丈夫? 言語野バグってない?


「もう少し広く使えないの?」

「廊下の広さ的にこれが限界」

「便利そうに見えて不便だな、これ」


 酷い言いようである。エルフの長老ルアークさんが聞いたらどう思うだろうか。細く笑って許しそうだけども。


 ここはハイレン邸の廊下である。侯爵家であるハイレン先生の実家でお見合いをする流れとなった理由は、ピトー先生が住む場所が軍官の宿舎だからである。ピトー先生から提案したらしい。曰く「大事な御息女をこのような男所帯の汗臭い場所へ招待するわけにはまいりません」とのこと。

能力を買われて出世しているものの、ピトー先生はあくまでも一代限りの爵位持ちである。つまり、この縁談が成立することはピトー先生の婿入りということになる。

成立すればの話だが。


「というか、普通に話してるけど大丈夫なのか?」

音界遮断サウンドボーダーインセプトで音漏れを防いでるから大丈夫だよ、ロス」

「それ、風魔法の高等技術よね? 何でそんなあっさり出来るのよ」

 風魔法が得意なクレアが言う。


「それはまぁ、ストレガだし」

「あんた説明が面倒な時、それ言うのやめなさいよ」


 げ、何でバレてるんだよ。


「そう言うイリスだって、温度調節大事なのか?」

「問題ないはずよ。少なくとも、ハイレン家の護衛は気づいていないもの」

「流石。あ。あと、音界遮断は空気の振動は抑えるけど、地面の振動は抑えられないから気をつけてくれ」

「それ早く言えよ!」

 ロスが声を殺して叫ぶ。


「現れたわ」

 いの一番に気づき、クレアが静かに言う。


 流石は愛すべき妹。優秀である。その働きに免じて、さっきまでアルの感触を堪能するために背中へ魔力を集中させて感知していたことは黙っておこう。


 ピトー先生が豪奢な玄関を開き、規律正しい足取りで入ってきた。竜人の部下を2人連れているのみである。こうして見ると、学園での先生はいい意味で緊張を解いているんだなということがわかる。精悍で心地の良い緊張感を雰囲気としてまとっている。体中を筋肉のベルトでまとっているような体形が、とてもスーツに合う。こんな大人になりたかった……。どうにかして今からでも不老の薬を解除できんだろうか。


 俺達は息をのむ。

 階段脇に5人で固まり、ピトー先生が通り過ぎるのを待つ。通り過ぎようとしたその瞬間、先生の歩みが止まる。


 誰かの心臓がうるさいくらい跳ねているのがわかる。俺の鼓動だろうか。それとも、前にいるイリスか?

 しばらく階段脇を眺めたピトー先生は、ハイレン家のメイドに連れ立って上の階へと上がって行った。


「行った?」

「心臓飛び出るかと思ったぜ」

「今日、これずっと続けるの? もたないわよ」

「大丈夫だよ、慣れる。なぁ、アル」

「慣れないよっ」


 はは。ぷくっと頬を膨らませたアルが世界一可愛い。


「付いていくぞ。俺に歩調を合わせてくれ」

「合点」

「わかったわ」


 ロスに合わせて、俺達はムカデのように階段を上がって行く。小学生の時にやった貨物列車ごっこを思い出す。ここまで緊張する遊びではなかったはずだが。あれれ~、何でだろう?


「へい、目標発見。ステイステイ」

 ロスが待ったをかける。


 見ると、ピトー先生が一室へ入っていくところだった。少し、大きく息を吐いてから挨拶し、入室する。レギアの軍隊式の敬礼をする先生の背中を俺達は眺める。

 入ってすぐに、先生は両開きの扉を閉めた。


「……え、どうやって入るの? フィル」

「俺に聞くな。わからん」

「ノープランかよ!」

「そういうロスだって何か考えてたんじゃないの!?」

「いや、頭いい奴揃ってるから誰か考えてたかなって」

「全員、人任せだったのね」

 クレアが現状をまとめる。


 これは予想外の問題が浮上した。どうやって扉を開けるか、である。気配は完璧に遮断している。だから、ドアを開けても俺達の姿も魔力も見られることはない。でも、ドアが開いたという事象は当然発生するので、気づかれるだろう。俺が前世で住んでいた家の安っぽいぺらぺらしたドアならば、空調の気圧の関係で勝手に開いたり閉じたりということはあった。だが、ここは公爵家の豪邸である。当然、ドアも豪奢で重厚感がある。風程度で勝手に開くようなものではない。大体、ドアノブはどうするんだ、ドアノブは。


「まずはドア近くの脇につける」

「聞き耳をたてる?」

「魔法を使って聞耳たてるのはなしな。魔力を遮断してるから、当然こっちから外へ魔力を飛ばすことはできない」

「万能に見えるけど、やっぱ欠点もたくさんあるわね。このスカーフ」

「当然だろ。こっちが魔法使い放題なら、姿が見えない敵が目視不可能な魔法ぶっぱなすことになるんだぞ? マジもんのチートじゃないか」

「チートって何?」

「ごめん、アル。こっちの話」

「こっちってどっちだよ」

 ロスが顔をしかめる。


 どっちって、異世界です。


「私の耳なら、聞き取れるかも」

 クレアが言う。


「流石クレア!」

「え、うん!任せて!」


 いいぞアル。その調子でマイラブリーシスターを持ち上げてくれ。お前の言葉なら雲の上まで登るぞ、そのエルフのお嬢さんは。

 神妙な顔をしてクレアはスカーフ越しに耳をそばたてる。


「……自己紹介が始まってる」

「どんな感じだ?」

「ピトー先生はいつも通り。ハイレン侯爵がいらっしゃるから、軍属らしく応答してるみたい」

「あ~、軍関係の人は身分の高い人相手にはお堅いよなぁ」


 正しい社交マナーなんだけど、お見合いではどうなんだろう。


「ハイレン先生は? どう?」

 イリスが尋ねる。


「ガチガチに緊張しているみたい。聞いたことないくらい声が震えてる。嘘、ハイレン先生って緊張するんだ」

「マジ? それはレアだな。見たい」

「俺も」

 クレアの報告に俺とロスが色めき立つ。


「しっ。ドアの方へ人が来る」

「誰?」

「多分、ハイレン公爵よ。ハイレン先生に自由に話させるために席を外すみたい」

「ドアが開いたら入れ違いで入るぞ」

「それ、大丈夫?」

「大丈夫だ。俺に合わせてさっと入るぞ。さっと」

 ロスがジェスチャーしながら言う。


 重厚な音を立ててドアが開く。初老だが、美丈夫な男性が出てくる。ハイレン侯爵だ。ハイレン先生と同じ髪色で、優し気な眼をしている。雰囲気を見ると、少なくともピトー先生への印象は良かった感じだろうか。


「今だ!ゴーゴー!」


 ロスの号令にならい、全員がハイレン侯爵の横を一斉に駆ける。

 驚いた。足音一つなかった。ルーグさんの元で冒険者として在り方を学んだと聞いていたが、今すぐB級になれそうなくらいの練度だった。


「それにしても、お見合い相手がヒル先生だったとはな」

「何? 私だと不満なわけ?」

「いや、そういうわけではない」


 眉をひそめたハイレン先生に、ピトー先生が困り気味に言う。

 俺達はそれを横目に見ながら壁際にそろって体育座りする。落ち着く……ヘヤノスミスに体育座り落ち着く……。


「ロスから聞いたときは驚いたよ。これ、ドッキリじゃないよな?」

「私の父がドッキリ仕掛けるような人に見える?」

「職務に忠実そうな素晴らしい御仁だったな」

「え、うん、ありがとう」


 唐突に父親を持ち上げるピトー先生に、ハイレン先生がたじろぐ。


「違う!違うわピトー先生!褒める相手が違う!」

「そうよ。まず褒めるのはハイレン先生。見て、服も髪もメイクも気合が入ってる。気づいて褒めないと」

 イリスとクレアが熱のこもった助言を送る。


 もちろん、ピトー先生には届かないわけだが。

 え、とういうか、髪もメイクも違うの?


「え、メイクとか髪形普段と違わなくないか?」


 あ、ロス。声に出しちゃうんだ。


「見てわからないの!?」

「毛先の整い方が全然違う」

「肌の張りも違うわ!お見合いが決まったその日から手入れをしていたのよ!あの美人だけどずぼらなハイレン先生が!」

「そう。仕事が出来すぎる結果、自身のケアに関心がなかったハイレン先生が」

「あれだけ整えるのに、どれだけ時間がかかると思っているの!?」

「普段手入れしていないハイレン先生の苦労が偲ばれるわ」


 ほら、こうなるだろう。ロス君、それは女性にとっては起爆スイッチなんだよ。化粧頑張ってる女性はちゃんと褒めないと。ソースは前世の姉。

 それとイリス、クレア、それフォローしてる? ハイレン先生を遠回しに貶してない?


「貴方、このお見合いに乗り気なの? そもそも」

 ハイレン先生がうかがうように言う。


「う~ん、どうなんだろうな?」

 ピトー先生が困り顔になる。


「ハイレン先生!それはまずいわ。まずいわよ!」

「全くもってその通り。ピトー先生はフィルやロスと同類よ」

「え、俺がどうかした?」

「同類ってどういうこと?」

「「そういうところ」」


 どういうところだ?


「アルは違うのかよ」

「アルはいいのよ。多分、肉食系の女の子に好かれるタイプだから」

「え、それは困る」

「クレア、何が困るの?」

 アルがきょとんとした顔で聞く。


「え、いや、何でもないわ」


 我が妹よ。そこで日和るんじゃない。


「まぁ、ロプスタン様や部下を安心させたいという意味では、この縁談は助かったな」


 ピトー先生の言葉にハイレン先生の顔が曇る。

 あの人、べた惚れやんけ。


「馬鹿!ピトー先生の馬鹿!」

「そこは相手がハイレン先生で嬉しいと言うべきよ」


 何か最初乗り気じゃなかった女子が一番ヒートアップしてない? バイブス上がってんよ。


「そう。じゃあ乗り気と解釈していいのね?」

「まぁ、おおむねそうだな」


「よく頑張ったわ!ハイレン先生頑張った!」

「言質をとった。後はピトー先生のプロポーズを誘導するだけ」

 女子が小さくガッツポーズをする。


 ちなみに俺は見逃さなかった。ピトー先生の後ろで給仕しているメイドもサイレントガッツポーズしているのを。


「いやいや、この縁談はまだ始まったばかりだろ? その日で決定なわけないだろ」

「何言ってるの、フィル。ハイレン先生とピトー先生を見て。あの2人は今日決まらなかったら数年ずるずる引きずるパターンよ。絶対そうだわ」

「私もそう思う。恋愛は勢いよ」

「お、おう」


 君ら怖いよ……。

 あと、クレアは人のこと言えないからな?


「そうだな。ちょっといいか?」

「え、えぇ。いいわよ?」


 ピトー先生が一旦話を切り上げたようだ。そしてじっとこちらの方を見る。


 え、こっちの方を見る?


「…………」

「……え、何これ。こっち見てる?」

「そんなわけないじゃないの!魔力も気配もちゃんと遮断してるんでしょう?」

「イリス。温度遮断は完璧か?」

「当り前じゃないの!私たちの体温は漏れてないはず。フィルこそ音の遮断は出来てるの!?」

「それが出来てなかったらクレアとイリスの実況でとっくの昔に気づかれてる」


「ロス坊ちゃん、いい加減に出てきてください」

「い“!?」


 呼ばれたロスが、思わず俺たちを見る。俺達も目を皿の様にしてロスの方を見る。


「ど、どうする!?」

「バレた!? どうして!?」

「うぅ、また不法侵入で慈善活動だ……」

「待て、アル。当てずっぽうかもしれない。まだチャンスはある」

「でも、確信してるみたいよ」

 クレアが言う。


「今出てきたら、学園には報告しません。ロス坊ちゃんは俺のことを心配してこの縁談を組んでくださったんでしょう? 怒りませんよ」


 いや、ピトー先生違うんですよ。ロスは交渉の材料に貴方の縁談を組んでましたよ。


「く、出よう」


 ロスの決定に従い、俺達はスカーフを頭の下へおろし、姿を現す。


「あ、あなたたち!」

「驚いた、どういう原理だ?」

 ハイレン先生とピトー先生が驚く。


「こっちの台詞ですよ。ピトー先生、どうやって気づいたんですか?」

 俺が問う。


「そりゃ簡単だよ。あ~、温度の隠蔽してたのはイリス姫殿下ですか?」


 学園の外なので、先生がイリスを丁重に呼ぶ。


「えぇ、そうよ」

「なるほど。クレアとフィルなら気づくかもな。足元を見てみな」

「?」


 俺とクレアは地面を凝視する。

 これは……もしかして。


「足跡?」

「正解」

 クレアのつぶやきにピトー先生が答える。


「足跡にも、わずかに温度は残るんだよ。先祖が蛇タイプの竜でかつ、軍属の俺だから気づけた痕跡だけどな。クレアもフィルも言われて注意深く見ないと気づかなかっただろう?」


 驚いた。伊達に一代でレギアの出世街道に乗っていない。


「さて、そういうわけで」

「ピトー先生!ハイレン先生はいい女性よ!」

 ピトー先生の言葉を遮り、スカーフから飛び出てイリスが言う。


「お、おう?」

「まず美人」

 困惑するピトー先生へクレアも畳みかける。


「魔法の腕前も指折りよ!」

「回復魔法は国のトップレベル。生傷が絶えない軍属のピトー先生にぴったり」

「生徒にも人気者よ!」

「同じく人気者のピトー先生とベストカップル」

「エクセレイの王族として、自国の侯爵家にピトー先生のような人が入れば嬉しいわね!」

「両国が繁栄すること間違いないわ」

「侯爵家なのに鼻にかけない仕事人!」

「仕事熱心なピトー先生への良き理解者になるはず」


「わかった、わかった!わかったから!静かにしてくださいませんか、イリス姫殿下、クレア」


 ピトー先生が言うと、2人が押し黙る。


「あ~、おチビ達に邪魔されたけどな、ハイレン先生」

「は、はい!」

 ハイレン先生の顔が強張る。


「今度、一緒に食事でも行きませんか? 俺達はこういった、緊張した場で物事を決める仲じゃあないでしょう?」

「……そうね、わかったわ。私も、それがいい」

 こくこくと、ハイレン先生が確かめるようにうなずく。


「そういうわけです、ロスお坊ちゃん。縁談を組んでもらったのは有難いんですが、この話は俺達のペースで進めたい。いいですかい?」

「……うん、ショーがいいなら、それでいい!」

「助かります」


 そう言って、ピトー先生がにかりと笑った。


「そ、それでさ、ショー」

 おずおずとロスが切り出す。


「正直に名乗り出たから、お𠮟りは勘弁してほしいなぁって」

「あぁ、もちろん約束は守りますよ。俺は罰を与えたりはしません」


 ピトー先生の言葉に、俺達は笑顔でお互いを見合う。


「でも、ハイレン先生はどうかな」


 続く言葉に、俺達5人の体感温度が一気に下がる。汗が噴き出る。みんなで恐る恐るハイレン先生の表情を伺う。

 あ、ダメだこれ。めっちゃ笑ってるけど、これめっちゃ切れ散らかしていらっしゃるご尊顔ですやん。


「あなた達に、二週間の慈善活動を言い渡します」

「やっぱりこうなるんだぁー!」


 ハイレン邸に、アルの嘆き声が響き渡った。


 ちなみに、翌週には2人は秘密裏に婚姻を済ませていた。

 「何でこっそりやるんだよ!」と、掃除しながら5人で叫ぶはめになったのだった。


 教訓。人の恋路に口を出すな。

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