第238話 コーマイのこれから

「フィル君、派手に暴れたようね」


 こめかみを抑えながらペガサスの馬車から降り、我らがエイブリー姫は開口一番そう言った。


「いやほんと、申し訳ありません」

 俺は平に謝る。


「……顔を上げなさい」


 言われて、俺はおっかなびっくり顔を上げる。

 彼女は小さくため息をついていた。少し怒っているが、慈愛に満ちた表情もしている。この表情は前世で見たことがある。姉がこういう表情を、俺がまだ幼児だったころによくしていたように思う。うろ覚えだけども。


「最悪の事態は免れたのです。むしろ、フィル君達はよくやったわ。ありがとう」

「上手く、やれたんですかね?」

「えぇ。タイミングを逃せば、この国は内側から全て食い荒らされていたもの。もう少し、私に相談してからやって、ほしかった、けどね」


 言いながら、エイブリー姫が俺の額を人差し指でつんつんつつく。俺はされるがままに「あう、あう」と言いながら後ろに下がる。罪悪感があるので抵抗できねぇ……。


「大丈夫よ、フィル君。この国は大丈夫。何とかなるわ」

「本当ですか?」

「えぇ、ここから先は私の領分よ」

「イヴ姫の?」

「えぇ、知ってた? 私の本職、お姫様だったのよ?」


 エイブリー姫がぱちりとウィンクを飛ばした。







 怒号、怒声が鳴りやまない。


 王城のバルコニーの上にはエイブリー姫がいる。

 フェリに爆破されたそれだが、急ピッチで修繕したものだ。やはり魔法はすごい。人件費を度外視してやれば、あっという間に城の壁だって復元できるのだ。ただし、まだ付与魔法は完璧ではないらしいが。

 眼下では、城下町の市民たちが狂乱して声をあげている。

 

 それもそうだ。イヴ姫は平和の使者ではない。自分たちの国を支配した制圧者に見えるはずだからだ。王族という中心がなくなったのだ。この国は死に体である。政治の中枢を担っていた人間がまとめていなくなった。次の政権を奪い合うために、スズメバチ族、ハンミョウ族、保守派、革新派と呼ばれる勢力が国内を四分し、いよいよぶつかろうという時に現れた外国からの刺客。

 権力を横からかっさらいにきた敵とみなされるのが普通だろう。


 市民たちは、叫びながら手あたり次第に物をイヴ姫に投げつける。ほとんどのものが城壁にぶつかり、彼女には届かない。果物がぶつかり、城壁を汚すのみだ。

 だが、魔法を使えるものはいる。

 投擲魔法でイヴ姫に届くよう投げているものもいた。

 イヴ姫はそれをかわさない。

 周囲にいる騎士も、彼女を守ろうとしない。

 彼女の命令を守っているからだ。「命の危険がない限り、自分を守るな」と。騎士達は歯ぎしりをして主君が罵られているのを我慢して見ている。

 イヴ姫の顔にトマトがぶつかり、綺麗な白い肌を赤で濁す。桜色の髪にも、赤い汁が飛び散ってついている。

 イヴ姫は顔についた汁を気にも留めずに、ただただ暴れる市民たちを睥睨している。


 彼女はただ、無言でたたずんでいる。


 市民の幾人かが、微動だにしない彼女を不審に思い、叫び声や物を投げるのをやめる。

 だが、少ない。動きを止めた市民はほんのわずかだ。


 後悔した。


 この光景を作ったのは俺である。彼女に嫌な役割を押し付けてしまった。それが王族の仕事とはいえ、あそこに立つべきは俺だったのだ。非難されるのも、物を投げられるのも、俺であるべきだったのだ。

 この国の住民は、裏で傀儡と化していた場所で生きていた。それでも平穏は享受していたのだ。それをぶち壊したのは俺だ。


 イヴ姫がバルコニーの演説台に立って、もう5分程立った。それでも彼女は喋らない。ただ市民たちを見つめている。

 すると、変化が見え始めた。

 市民たちが疲れ始めたのである。

 怒りの感情はエネルギーを使う。長くはもたないのだ。ひたすら彼女に罵詈雑言を浴びせ、怒りを解消し、冷静になりかける者が増えていく。

 すると隙間ができ始めた。

 罵声や悪口の合間に、無音という隙間がいくらか出来るようになった。

 イヴ姫がその隙間に、わずかな無音の時間に、自分の言葉を滑り込ませる。




「あなた方は良き市民です」




 拡声魔法に乗せた言葉が、広場に行きわたる。

 まさか褒められるとは思わなかったのだろう。市民が怒りのぶつけ所を一瞬失う。そこにイヴ姫が言葉を追加する。


「何故ならば、あなた方は怒っているからです。私という外敵に。よそ者に。侵略者に。それはこの国を自分たちの力で支えようという、あなた方の愛国心に他なりません」

 イヴ姫が言葉を切る。


「あなた方の目的は何でしょうか? 王族が亡き今、保守派が政権を担うこと? それとも革新派が政権を担うこと? 変わらずスズメバチ族から女王を擁立すること? ハンミョウ族から新王を選ぶこと? そうではないはずです。あなた方が守りたいものは朝、日差しとともに目覚め、一切れのパンを食べ、働き、賃金を貰い、時々ささやかな自分へのご褒美や家族サービスをする。そういう日常です」


「お高くとまるな!」

「あんたがそれを守るっていうのか!?」

「よそ者が!」

「俺たちの国のことは、俺たちがする!」


 市民たちが、罵声を浴びせる。




 イヴ姫がバルコニーから飛び立った。

 イアンさんが慌てた顔をする。

 予定にない行動だったのだろうか。


 風魔法を使い、ふわりとイヴ姫が広場の中心に降り立つ。

 市民たちが慌てて距離をとる。

 イヴ姫が広場の中心にある断頭台に立つ。

 つい先日まで、狂気に身を染めた市民たちが、横領の疑いがあった王族勤めの貴族たちの首を落とした斬首台である。ピューリ・ヴィリコラカスが推奨して汚職をさせていたのだ。


 これで彼女はお高くとまっていない・・・・・・・・・・

 まさか他国の王族が自分たちと同じ目線に現れるとは思わなかったのだろう。市民はうろたえる。


 イヴ姫が斬首台についた刃に自らの腕をそわせ、勢いよく引く。


「姫様!」

 俺の隣でイアンさんが叫び、飛び降りる。


 斬首台に鮮血が飛び散る。前列にいる市民の顔に血が飛び、赤い斑点がつく。


 市民はいよいよ怒りのぶつけどころが分からなくなった。罰しようと思っていた異国の姫が、自らを罰したのだ。

 絶句する市民に、イヴ姫が畳みかける。


「憎むべきは魔人族と吸血鬼です!」

 高らかに宣言する。


「私は異国の人間です!信用できないでしょう!当り前です!この国はあなた方のもの。それをどうこうする権利は私にはありません!それは自明の理です!ですが、自分たちの目は信じられるはず!見たでしょう!魔人族と吸血鬼が市街で暴れる様を!」


 イヴ姫の言葉に、市民たちが思案顔になる。


「俺は見たぞ!」

 一人の男が叫ぶ。


「魔人族が家を壊しながら襲っていた!」

「俺も見た!」

「えぇ、私も見たわ!」

「吸血鬼が太陽に焼かれているのを見た!」

「あいつらだ!あいつらが敵だ!」

「国民同士で争ってる暇はねぇ!」


 市民たちが叫び始める。

 最初に叫んだ男はさくらだ。俺も、近衛騎士との訓練に参加した時に見たことがある男だ。変装魔法を使っているが、俺の目はごまかされない。

 イヴ姫に向かっていたヘイトが、あっという間に魔人族や吸血鬼に向き始める。イヴ姫はそれをただ静かに見ている。迷っている者が打倒魔人族吸血鬼に傾くのを待っているのだろう。

 彼女は見事、怒りの捌け口を作ったのだ。それは氾濫する川に新しい道を作ってあげたかのように。


 俺の脳裏に、一人の少女が思い浮かぶ。

 ノイタだ。

 純真無垢な魔人族の少女。

 ただでさえ息苦しい世界で、彼女が生きることができない場所がまた増えてしまった。


「フィンサー先生、これは正しいことなのですか?」

 俺は横に立つフィンサー先生に思わず尋ねる。


「……まともな魔人族や、友好的な吸血鬼がいるのは確かだね。大きな声では言えないけど、私にもその種族の知人はいる」

「じゃあ、この演説に大義はあるんですか?」

「この状況を作ってしまった、君が言うのかい?」

 フィンサー先生のモノクルの奥の目が、鋭利に俺を見てくる。


「……いえ、俺には資格がありません」

「すまない、意地悪を言ったね」

「いえ、先生は正しいです。間違っているのは俺です」

「いや、君は正しいよ」

「……俺が?」

「ああ、正しい。この上なく正しい。君のおかげでエクセレイ王国はまた一つの安全を手に入れた。この国が傀儡政権のままだったら、近い将来危険だっただろう。むしろ、完全に乗っ取られる前に君が敵の戦略を台無しにしたんだ。君はたくさんのコーマイ国民を救ったんだよ。エクセレイ国民もね」

「でも、この国と魔人族と吸血鬼たちを踏み台にしています」

「それでも、だよ」

「そこに大義はあるんですか?」

「君は大義のために戦っているのかい?」


 俺ははっとする。


「俺は、クレアのために戦っています」

「そうだね」

「帰りたい場所に、帰るために」

「うん」

「トウツや、瑠璃や、フェリやファナも守りたい」

「うん」

「イリスも、アルも、ロスも、そしてあそこで俺の代わりに立ってくれているイヴ姫だって、俺は守りたい」

「それが大義なんじゃないかな」

「大義なんて、たいそうなものじゃないんです。俺はわがままな人間です。自分が守りたいと思った人しか、守ろうとしない。自己中心的なんです、俺は」

「みんなそうだよ」

「そう、なんですかね」

「私だってそうさ」

「どこがですか?」

「私が同行した理由は簡単だよ。私もまた自己中心的な人間でね。正直、妻さえ幸せであれば他はどうでもいいんだ。愛する妻が付いていけというから、今回は同行した」


 自分より小さな、小人族の学園長が思い浮かぶ。学園の子どもたちみんなから軽んじられているように見えて、一番尊敬されている人物。


「彼女もまた横暴で自己中心的な人間でね。私の大事な生徒を守れと言って、私を寄越したのさ。面白いだろう? 私が抜けたら職員室で書類整理に追われて泡を食う教師がたくさんいるんだけどね。彼女は君の方を優先したのさ。君は自衛できる生徒のはずなのにね」

「……フィンサー先生は、女性の趣味がいいですね」

「私もそう思うよ。ほら、見てごらん。エイブリー姫がまた何か言うよ」




「連立政権の樹立を宣言します!この国の保守党と革新党、そしてエクセレイ王国政治部コーマイ国支部です!なお、我々はこの連立政権においての決定権の全てを放棄します!あくまでも議論の場にいるだけ!決めるのこの国の政治家です!我々が信じられないというのはもっともな意見です!……ですが、自国の政治家たちを信じられぬほど、この国は脆弱ですか?」


「そんなわけねぇだろ!」

「この国は強い!」

「俺たちは強い!」

「魔人族なんかには負けねぇ!」

「吸血鬼にもだ!」


 住民達がヒートアップする。


「では、それを民度という形で示してください」

 そう言って、エイブリー姫が風魔法でバルコニーへ戻ってきた。


 俺は駆け寄って彼女に回復魔法をかける。


「姫様!無茶しすぎです!」

「本当ですよ!」


 イアンさんと一緒に俺は文句を言う。


「でも、上手くいったでしょう?」

 イヴ姫がぺろりと舌を出す。


「言ったけども、今度から事前に言ってくださいね!心臓がもちません!」

「あら、事前報告なしに傾国してのけたのは誰かしら」

「…………」


 何も言えねぇ。


「これでしばらくは安泰ね。後は、保守派と革新派双方が納得する王を全員で決めて擁立すれば終わりよ。王としての職務が出来ない人でも、ジゥークさんや王城の残りの文民で何とかするでしょう」

「そんな簡単に、王様になれる人材なんかいますかね?」

「あら、スズメバチ族とハンミョウ族から一番いい人を選べばいいのでしょう? 保守派か革新派の息がかかるかもしれないけど、エクセレイからすれば共同戦線を張ってくれれば誰でもいいわ。この国の貴族や政治家たちと共に、私も選ぶわ。大丈夫よ」


 そう言って、イヴ姫はにこやかに俺の治療を受けていた。






 一か月後。

 そこには新しく擁立された王が立っていた。修繕が完璧になされた王城のバルコニーに、仁王立ちをして堂々と胸を張っている。いや、胸張りすぎじゃない?


「国民のみんなぁー!俺様が新しい国王に就任した!いや、させて頂いた!承認つかまつった!? まぁいいや!新しい王様、パスゥウウ!ガイドポストだぁあああ!」


 明らかに王様じゃないテンションで叫ぶ男が、そこにいた。


「……パスさん、貴族の血筋だったんですね」

「あぁ、それも結構な家の出だ」


 俺の横で死んだような目をして返事をしたのは、リュカヌさんだ。パスさんと同じパーティーかつ、偽青龍海牛ブルードラゴンモドキを倒したメンバーの一人という功績が評価され、騎士の称号を取り戻したのだ。

 取り戻した割に元気がない。彼の心情はどんな感じだろうか。多分、五月蠅い母親が授業参観で目立ってしまう子どものような気分なんだろうな。


 視線の先では「俺、人生で一番輝いてるぅー!」と叫ぶパスさん。


 大丈夫か、この国。

 いや、何か大丈夫そう。何故か下にいる城下町の国民、めっちゃ盛り上がってるもん。VIP席で眺めているイヴ姫達やコーマイの保守派革新派貴族達も引き気味である。

 何引いてるんだよ。あんた達が選んだ王様でしょ。責任もってほら。


 国民達が盛り上がる理由は単純明快で、今この国で最も支持されている人間が俺達やジゥークさんを除けば鎧虫の逆鱗デルゥ・ポカ・レピのメンバーだったのである。それもそのはず、この国を災害として苦しめていた偽青龍海牛ブルードラゴンモドキを討伐したメンバーであり、そのうち一人が実はハンミョウ族の名家の生まれで、王族に選出される権利があったとなれば、国民が喜ぶこと間違いなしというわけである。


 その話題性をイヴ姫やコーマイの貴族たちはとった。スズメバチ族も、この案が一番国民を安心させるだろうと、継承権を諦めたのである。その引き換えとして、しばらく彼らは国の援助を受けることになる。今回の件で最も死者の多い種族だったからである。


「そしてぇー!輝かしくも、この新王であるパス・ガイドポストの応援演説をしてくれるのがぁ~、救国異国の英☆雄!あのストレガの弟子!みんな大好きっ!フィルゥウウ、ストレガだぁあああああ!」

「「「「うおおおおおおおおおお!」」」」

「ストレガァ!」

「いいぞー!」

「一つぶちかませー!」

「「「「フィ~ル!フィ~ル!フィ~ル!フィ~ル!!」」」」


 え、あのテンションの中で俺、演説しないといけないの?

 何それ、なんかもう、消えてなくなりたい。

 あと、民衆の中に混じってるファングさんがニヤニヤしてるのがすごい腹立つ。ラウさん、ムナガさん、助けて。


「トウツ代わって」

「嫌だよ?」

「ファナ、助けて」

「いくらわたくしでも、あそこで話したくありませんわ」

「フェリ、帰りたい」

「奇遇ね。私もそう思ってる」

「瑠璃」

『わしになにをしろと?』


 誰も助けてくれない。俺は……独りだ。

 死んだ目をしてバルコニーへ行き、パスさんの隣に立つ。

 俺が現れた瞬間、国民が静まり返る。

 え、やめてよ。何で真剣な顔で話を聞こうとするの。俺そんなトーク力ないよ。ほら、だってもう、準備してきた言葉忘れちゃったもん。


「えー、パスさんは、いい人です」


 周囲は沈黙している。


「きっと、いい王様になると思います」


 城下町の人々は、特にギルドの人々が腕を組んで「うんうん」とうなずいている。


「あと、足が速い」


 その後、地獄の応援演説が一分続いたが、それは永遠に感じたし緊張で口が乾いたし早くエクセレイに帰りたいしで最悪だった。


 俺は、11歳になった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 パスさんの名前の由来を近況ノートにて解説しています。興味がある方はぜひ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る