第230話 漬けられた鎧は錆びずに動く

「武具資料、武具資料と……あった」


 イリスは本の背表紙を指差し確認しながら、目当ての資料を探し当てた。


「ございましたか? 姫様」

「えぇ、あったわ。ありがとうパルレ」

「念のため、他の資料も探しておきます」

「頼むわ」

 そう言って、イリスは本を開く。


 古い紙の匂いが鼻腔をくすぐる。とは言っても、ここに貯蔵されている本は劣化とは無縁だ。初代の王の「データは大事!大国や古豪の国はどこもそうしてる!」という指示により、防腐魔法や防劣化魔法が仕掛けてあるのだ。その魔法を維持するために数名魔法使いを雇ってもいる。

 ここは王宮の蔵書庫だ。閲覧を許されるのは一部の人間と、王から許可を得たもののみ。王家の血筋であるイリスですら伺いを立てなければ入れない場所だ。


 壁一面に本がぎっしりとしまっている。壁どころか天井にも本が並べられている。魔法により本が天井に「吸い付いている」のだ。どういう原理の魔法なのかは設計者しか知らないらしい。書庫の中央では、空中浮遊する現代アートのようなファンが回り続けている。中央から周囲の本全てに新鮮な空気を送り続けているのだ。

 頭の悪い設計である。魔法立国のエクセレイだからこそ成立する作りとも言える。


 調べる内容は、死霊高位騎士リビングパラディンのフルメイルの資料だ。イリスはあのモデルの鎧を知らない。驚いたのは、ギルドですら年代指定が出来ていない型というのだ。


「メイラは騎士ではなく市井出身かもしれないと言ってたけど」


 森育ちの狩人のような体捌きだと言っていた。

 もしあの魔物が騎士ではなく、ただの全身鎧を着た元冒険者だとする。であれば、自分がここで本を開くのは無意味なことになる。だが、これは自分がすべきことだ。あの魔物は目下危険視されているが、国のトップが警戒するほどではないとされている。

 魔法英雄師団ファクティムファルセから逃げ続けているからだ。交戦さえすれば、討伐出来るものと上級貴族や大半の王家の人間は考えている。


 自分はそうは思わない。あれは危険だ。この国にとって致命的な打撃を与えうる存在だ。王家でそれを危惧しているのは、自分と親愛なる従姉のみだろう。

 ギルドの一部の人間や身近な人々、特にあれと直接敵対した人物は皆、あれが危険だと断言する。でもその人々はここに立ち入ることは容易ではない。ラクス・ラオインギルドマスターですら、閲覧許可が降りるのには時間がかかるだろう。


 だから、イリスはここにいる。


「これも違う。一体どの年代なのかしら。それともオーダーメイド? だとすれば資料が残っているわけがないわ」

 イリスが唸る。


「イリス様、そろそろ休まれては? もう朝から昼まで篭りっぱなしです」

 従者であるパルレ・サヴィタが言う。


「今、いい感じに集中出来てるから、もうしばらく調べさせて頂戴」

「畏まりました」

 パルレが丁寧にエクセレイ式のお辞儀をする。


 書庫管理人とパルレが目くばせをする。もうしばらくすれば、強制的に休ませようと打ち合わせしているのだ。

 ただ従うことは、アマチュアの従者がすることである。主人の行き過ぎた行為をそれとなくたしなめること、体調管理をすることも大切な仕事である。

 パルレの本来の主人はエイブリー第二王女だ。彼女から「あの娘は努力が行き過ぎることがあるから、調整してあげてね」と仰せ使っている。

 本の活字をとてつもない速度でイリスは流し見している。パルレは幼少期のエイブリー姫を思い出す。


「タイプは違うけど、やはり実の姉妹のようですわね」

 パルレは慈母のような笑みを浮かべる。


 自身もまた、蔵書を探し始める。

 本当はもっと従者をたくさんつけても良かったのだが、イリスは拒否した。そもそも、最初はパルレが付くことすら拒否されたのだ。

 イリスは賢い。エイブリー姫は元々激務であるが、最近はそれに拍車がかかっていることに気付いているのだ。尊敬する従姉の手駒を自分が使うことに遠慮している。その上、責任感が強く何でも自分でやりたがる。甘え方が不器用な子どもなのだ。幼少期のエイブリー姫は、そこのところはもっと要領が良かった。いや、彼女の場合は良過ぎた、か。

王族が従者を指定するのは、成人する14歳が慣例である。ギルドの冒険者登録の指標と同じだ。つまり、彼女はまだ自身の従者を持たない。王宮の従者に命令する一定の権利はもちろんあるが、個人の従者ではない。

エイブリー姫は強かだった。王宮内にいる信用度の高い、実力や実績のある人物には幼少の頃から唾を付けていたのである。王のお気に入りであるイアン・ゴライアをあっさりと持っていく手腕は実に鮮やかだった。その彼女に指名されたことは、パルレの誇りである。「裏切れば死ぬ契約魔法」を結ぶほどに、彼女はエイブリー姫に心酔しているのだ。


「イリス様は、従者を指定する時は誰にするつもりですか?」

 イリスが一息ついたタイミングを狙って話しかける。


「従者? 4年も先のことよ?」

「エイブリー様も数年先を見据えて行動せよとおっしゃっております」

「確かにそうね」

 イリスは考え込む。


「……あたし、最近気付いたのだけれど、メイラ達はたまなのよね」

「玉、と言いますと?」

「資格のある人間しか近衛騎士にはなれない。当然だけども。でも、あたしは冒険者を知ったわ。当たり前だけど、選りすぐられてない人々は、玉石混合なのよね。だから、王宮内で働いてる人々の能力は、疑わないわ」

「なるほど。では、誰でもいいのですか?」

「そういうわけではないわ。大事なのは、実力以上に信頼だと思っただけ」

 イリスはページをめくる。


「ルーグ師匠の教えを聞いて、痛感したわ。あたしが困難に立たされた時に逃げる実力者よりも、共に戦ってくれる弱者の方が心強いわ」

「王宮内の人間では、そうなり得ませんか?」

「いえ、なると思うわ。これは多分、あたしの心の持ち様の問題。彼らの忠誠には疑いようがないもの」

「では、学園のお友達はどうですか?」


 ページをめくる手が止まった。

 イリスの頬へ、みるみる朱がさしていく。

 これは藪蛇だったかと、パルレが構える。


「そ、そうね。信頼できる人はいるわ。クレアとか」


 逃げたな、とパルレは思う。

 だが、ここは追求すべきではないだろう。イリス姫殿下は歳の割には達観しているが、まだ10歳なのだ。変につつくわけにはいかないだろう。


「でも、クレアは留学が終わればエルフの森に帰るのよね。ずっと居ればいいのに」

 イリスは口を尖らせる。


 別れを想像して寂しくなったのだろう。


「他のお友達はどうですか?」

「……候補はいるわ。でも、多分あいつは無理ね」

「何故ですか?」


 あいつが誰とは聞かない。パルレは主人が嫌がることは積極的にはしない出来た従者なのだ。ただし、ドレスアップは除く。


「あいつは多分、私の側に居続けることは出来ないと思うわ。色んな人に必要とされて、それに応えちゃう。あいつにとって、あたしは色んな人の中の一人だもの」

 そう言って、イリスは拗ねてしまった。


 この話はここまでだな。そっとしておこうと思い、パルレは静かに下がる。

 下がろうとしたら、書庫管理者の男性が現れた。


「もし、姫殿下。お探しの資料はもしかしたらこれではないですか?」

 男は一冊の本をイリスへ丁寧に手渡す。


「「漬物クエスト大全集?」」

 イリスとパルレの声が重なる。


「そこの、死霊レイスの項目ですね。はい、378ページです」


 管理人の言う通りにページをめくると、それが出てきた。

 イリスが見た実物よりも汚れが少なく、綺麗な出立をしているが、間違いない。


「あった、死霊高位騎士リビングパラディン。あいつだわ」

「これが?」

 イリスの後ろからパルレが覗き込む。


「ありがとう。助かったわ」

「お安い御用です」

 管理人が下がる。


 イリス達は再び本に目を落とす。この本は大昔の漬物クエストの大全集だ。もちろん、既に消化されて漬物ではなくなったものもあるだろうが。鎧の資料ばかり探っていたから盲点だった。

 死霊騎士リビングメイルのページ。そこにそいつはいた。鎧の型番に合わせて、戦死した騎士達の名前が網羅されている。目を引くのはやつを含めたオーダーメイド鎧の死霊騎士達。製作者は……。


「ファステ・スミス。嘘、あれの制作者って、シュミットさんのご先祖?」

「都一番の鍛治師ですよね? 老舗だとは聞いてましたが、これほどとは」


 通りであれほど強いわけだ。アルの全力のソバットを食らって剣は折れたが、鎧は無事だった。あの人の先祖が鍛えた鎧ならば、納得もいく。

 死霊騎士討伐が安いクエストである理由は、スミス作の鎧がほとんどかり尽くされたことにある。

昔は高級クエストだった。高価な鎧が高く売れるからだ。何のことはない。シュミットの鎧であれば、高く売れるのは当然のことだったのだ。

 だが、残っていたのだ。よりによってあいつが。

 そして「認めたものにしか商売をしない」というポリシーがこの時代からのものだとすると。


「生前もやはり、実力者だったのね」

 イリスは唸る。


「姫様、ここの項目をご覧ください」

 パルレが肩越しにページの左隅を指差す。


「え、嘘でしょう?」


 その指の先にはクエストの嘆願者の名前があった。横には王家の紋章がある。


 エールストーン・エクセレイ。


 この国の、初代国王その人である。全ての代の王の歴史を並べて、もっともカリスマがあるとされた建国者だ。イリスやエイブリーの髪色はこの王の先祖返りと言われている。桜色の髪で生まれる王族は、否応なしにこの人物と比べられ、国民からの巨大な期待プレッシャーを背負うことになるのだ。


「ということは、あいつは初代の近衛騎士?」


 影しかなかった敵の姿が、形を持ち始めた。

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