第229話 ヒル・ハイレンは狼狽する

「え、ハイレン先生に師事したい?」


 そう言ったのは、食事を口にほおばったロスである。


「お行儀悪いよ、ロス」

「悪い悪い」


 そう言って口元を上品にふくロスを、アルは笑いながら見る。皇族である彼はテーブルマナーが完璧だ。だが、時々こうして気の置けない友達といる時は崩す時がある。アルは親友のこうした緊張の解き方が好きだ。心を許されているような感じがする。


 アルの両手には包帯が巻かれている。強靭なフィジカルと膨大な魔力で、死霊高位騎士リビングパラディンの呪いの一太刀はしのいだ。だが完全には受け止めることが出来なかった。それは魔力の量と質の割には、アルの魔力操作が限定的だからだ。つまるところ、光魔法の適正が天元突破しているはずなのに、回復魔法や浄化魔法が使えないことにある。


 完全に治すことは出来なかった。この国でもトップの回復魔法の使い手であるヒル・ハイレンをもってしてもだ。それはこの攻撃が外傷だけでなく呪いでもあるからだ。今は手にかかった呪いを封じる形で抑えている。後はアルがもつ膨大な魔力が自然浄化してくれるのを待つだけだ。これはアルだからこそ出来た処置とも言える。


 ハイレン先生にはこっぴどく叱られた。何故受け止めようとしたのかと。子どもなのだから、さっさと逃げなさいと。

みんなを守るにはそうすべきと思った、と返答した。ハイレン先生は驚いていた。アルが自己主張するのは珍しいからだ。

 師事したいと思ったのは、こないだの一瞬のやり取りで痛感したからだ。自分はこのままでは駄目だと。


「でも、突然どうしてさ」

「突然じゃないよ。ずっと考えてた。こないだのは、ただのきっかけ」

 アルは自分の手に巻かれた包帯を見つめながら言う。


 フィルは自分のことをスペシャルだと評してくれた。

 アルは自分が特別だとは思っていない。

 自分の周りの人間は工夫している。ロスは体術が恐ろしい勢いで上達している。魔力というアドバンテージがなければ、竜化したロスには敵わない。イリスは氷魔法を極めつつある。その上3属性の使い手だ。クレアは索敵、隠密、弓兵と多岐に渡る技術がある。

 素のままの魔力でやり繰りしている自分とは違う。


「アル、あ……あ~ん」

 クレアが顔を朱に染めてさじをアルの顔にもってくる。


「ありがとうクレア!」

 アルは満面の笑みでそれにかじりつく。


 その笑顔に当てられて、クレアが破顔する。人には見せられない顔である。普段のクールな彼女とはかけ離れた表情だ。ロスはこれを恐れたので、学園の食堂の柱の裏にある人目のつかないスペースに座ったのだ。

 クレアは咀嚼するアルの横顔をじっと見つめている。

 胸焼けがした。親友を慕っている友達が、親友を嬉々として介護している。


「イリス、何で今いね~んだろ」

「イリスは王宮の書庫で勉強があるって言ってたでしょ?」

「そういうことじゃない」


 この3人組はまずいのだ。クレアがアルにばかり構いたがるからである。フィルがいる時もそうだったが、実はこの集団のバランサーはイリスなのだ。

 この朴念仁の友人が、隣のエルフの少女の想いに気づいたとき、どんな反応をするだろうか。禁忌の関係ではある。でも、出来れば上手くいってほしいとは思う。そして更に出来れば自分がいないところで愛を育んでほしい。見ているだけでお腹がいっぱいになるから。などと、10歳の割には達観した感想をロスは抱いた。


「で、ハイレン先生はどう言ってた?」

「師弟契約を結ぶには、特別な繋がりがあるか高い給料を用意しないといけないから……」

「体よく断られたかぁ」


 ハイレン先生の判断は非情でもなんでもない。魔法の使い手にとって、自身の技術を教えることは自分の歴史を手渡すことになる。よほどの信頼か対価がなければ教えないのが普通である。

 あの魔物は、近いうちまたアルを狙ってくる気がする。いや、これは予感ではない。確信だ。だが、事情を知らないハイレン先生にそれを汲んでくれというのは難しい話だろう。


「でも、シャティ先生はフィルに魔法を教えたって聞いたわ」

 クレアが会話に入る。


「あの2人は特別な関係といえば、そうだろうな」

「フィルが小さい時に、一緒にクエストしたんだっけ」

「その討伐相手が瑠璃ちゃんだって知った時はびっくりしたわね」

「そうそう。僕もびっくりしたよ。いつもブラシしてあげてたあの子が、フィルやシャティ先生達が束になってかからないと倒せない魔物だったなんて」

「どこにどんな強力な魔物がいるか、わかんないもんだなぁ」

「そうだね。案外、ジェンドもそうだったりして」


 アルがそう言うと、クレアとロスが笑う。


「おいおいアル、それはないだろ!」

「あんな可愛い黒猫が瑠璃ちゃんなみに強かったら、この学園のセキュリティが疑われるわよ」

「冗談だって!」


 3人で笑い合う。


「話を戻そうか。アルのハイレン先生への弟子入り、俺に考えがあるぜ?」

 ロスがにやりと笑った。


 いつもは精悍な顔つきのロスが、今はいたずらっ子のような表情だ。


「アルはハイレン先生に師事するには授業料が足りないんだろ?」

「うん、うちは貧乏貴族だから」

「エイブリー姫には感謝しないとね。殿下のおかげでアルに会えたもの」

「違いないな!」

 クレアの言葉にロスが笑う。


「でも、対価は準備出来るぜ?」

「本当!? 僕に準備出来るものかなぁ」

「いや、ここは俺が出そう」

「いいの!? でも悪いよ」

「俺は何もしないよ。勝手にハイレン先生が対価と感じるだけだ」

「……どういうこと?」

「何言ってるの? ロス」

 アルとクレアがいぶかしむ。


「耳かしな。作戦は、こうだ」


 食堂の隅で、3人の優しい子どもたちのいたずら会議が始まった。







「で、また来たのかしら。アル君」

 ハイレンは難しい顔を作って、保健室でアルを出迎えた。


 フィルやロス、ロッソは彼女にとってブラックリストである。アルは怪我こそあまりしないものの、この3人の悪友先輩に当てられて、時々大怪我をしてくるのだ。

 だからあまり気は進まないのだ。

 出来ることが増えれば、この子はまた多くの傷を抱えて帰ってくる。そういった確信がハイレンにはあった。もっとも、自分が関わろうが関わるまいが、この少年はその方向へ突き進むだろう。教員として、その確信めいた予感がある。


 出来ることなら、手伝ってあげたい。この子は確実にこの国になくてはならない存在になる。でも、導く人間は別に自分でなくていいのだ。こういう子は、誰が関わっても強くなる。

 ハイレンは当然ながら高給取りだ。この国一番の学園、しかも回復魔法のスペシャリスト。回復魔法のエリートは普通、教会に引き抜かれる。教会と人材の奪い合いでオラシュタット魔法学園が勝ち取った才媛なのだ。そして引き抜く条件として、シュレ学園長は超高給を約束したのだ。全ては学園の子どもの安全のため。

 だから、言ってしまえば授業料などいらないのだ。彼女は既に金持ちである。そしてそれは、わざわざ労働時間を増やす必要がないことも示す。

 弟子をもつ魔法使いは忙しい。弟子とは、普通は仕事をリタイアしてから探すものである。

 現役で働きながらするものではないのだ。


「また来ました、ハイレン先生」

「いいのよ。経過を見せに来たのかしら?」

「いえ、弟子入りの件です」

「もう、またなの」


 ハイレンは当然、ドアを開けて入った瞬間、アルの顔を見て用件に気づいていた。フィル・ストレガに負けず劣らず素直な子どもである。

 分かっていたが、面倒だったので経過観察ということにして追っ払いたかったのだ。


「言ったでしょう? 私は忙しいの。そもそも、セミリタイアの光魔法の魔法使いはたくさんいるわ。いい人を見繕って私が推薦してもいい。光魔法のトップの知り合いはいくらかいるわ。教会に行ってもいいわね。あそこなら貴方を歓迎するはず」


 取り込んで囲いこむだろうけど、とは言わない。この子が将来、王族付きになろうが冒険者になろうが田舎の貴族に戻ろうが教会に所属しようが、国益になることには変わりないのだ。


「あそこは怖いところだって、フィルが」

「怖いところ? 普通、教会に対しての印象は真逆のはずだけども」


 あの少年は本当、時々常識がねじ曲がった発言をする。治療するたびに心配するほどだ。浮世離れしているのか、単純に変人なのか判断に困る。


「まず、何で私なの?」

「フィルが僕の身の回りであればハイレン先生が一番だって、昔言ってたから」


 主体性があるようで、ない子である。ルームメイトの言葉を信じすぎている。だが、10歳であればこんなものだろう。イリスやロスやクレアが早熟すぎるのだ。もっとも、あの3人はレアケース中のレアケースだろうが。


「私を雇うだけのお給料を出せるの?」

「お給料は払えません。僕は貧乏だから」


 嫌なことを言わせてしまったな、とハイレンは後悔する。


「あの、ハイレン先生」

「何?」

「えっと、僕は今から独り言を言います」

「…………?」

「僕が勝手にしゃべるだけなので、それをどう解釈するかは先生の自由です」

「そうなの。続けて頂戴」

「はい!」

 アルの顔がぱっと華やぐ。


 ハイレンはすぐに誰かが入れ知恵したなと気づく。フィル・ストレガは今、国にいない。だとすれば、イリスやロス辺りだろうかと思案する。


「えっと、ロスが今度ピトー先生にお見合いを勧めるそうです」


 ぴくりとハイレンの頬が引きつる。

 ショー・ピトー。元レギア皇国の武官であり、今はこの学園の職員兼ロプスタンの護衛だ。マギ・アーツを担当しており、怪我した生徒をしょっちゅう保健室に連れてくるものだから、ハイレンとは一番会話する仲である。


「でも、ピトー先生はレギアにとっても大事な人だから、変な人は紹介出来ないって」

「へ、へ~、そうなの」

「同じレギア出身の人でもいいけど、ロスはエクセレイの人と婚約した方がいいと考えてるみたい」

「どうして?」

「レギアはエクセレイと仲良くしないと、再建できないからって言ってました」

「……なるほどね」


 ハイレンは納得する。あの浅黒い健康な少年は、本来は無邪気な子どもなのだろう。だが、とても達観した一面も持ち合わせている。それは皇族としての使命感がそうさせているのだろう。自分の護衛の婚約すら、国益に変えようとしている。実に強かだ。


「それで、どうせ婚約するならそれなりの立場の人がいいって言ってました」

「うん」

「光魔法に長けていれば、教会とも騎士ともツテがあるからとてもいい、と」


 当てはまる。自分に当てはまる、とハイレンは思う。思ってしまう。学園と教会が自分を取り合ったとき、教会にいくらかパイプは出来たのだ。今も連絡をとれる人間はいる。大きな軍事活動がある時は、国から要請があり、自分が出ることもある。その時に、エクセレイの武官や騎士とは面識も出来ている。


「距離が近いのも、いいと思います。ピトー先生はああ見えて慎重な人だから、信頼できる人じゃないと婚約しないだろうとロスが言ってました」


 私である。と、ハイレンはまたも思う。思ってしまう。


「あと、肌が白くて髪は綺麗な金色で白衣が似合って」

「待って、分かったわ。貴方を弟子にします。いや、させて下さい」


 堕ちた。完敗である。ハイレンにはアルの背後に快活な笑みを浮かべる異国の皇子が映っていた。これはもう、脅しのようなものである。


「本当ですか!ありがとうございます!」

 アルが満面の笑みを浮かべた。


 それを見てまたもハイレンは落ち込む。目の前の少年は何の悪意もなく今の交渉を行ったのだ。エクセレイは今後安泰だろう。その確信を、最近自分の目の前に現れる子どもたちを見てますます感じるのだった。

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