第225話 休息

「ふへへ~」


 俺は今、とても緩んだ表情をしているのだろう。それとも、溶けたと表現した方がいいだろうか。


 胸元には瑠璃がいる。

 偽青龍海牛ブルードラゴンモドキのオリハルコン吐息ブレスをかわすために、瑠璃がとっさに編み出した子犬モードである。

 可愛い。

 鬼の様に可愛い。

 もう瑠璃はずっとこの姿でいいんじゃないかな。永遠に愛でていたい。

前世では父の「どうせお前ら世話を途中でやめて父さんが見ることになるんだろう? 知ってるんだよ」という論により、犬も猫も飼えなかった。

 俺も前世の姉もぐうの音も出なかった。父の言う通りになることが容易に想像出来たからだ。


 けど、今こそ言える。俺は離れん。瑠璃から離れんぞ。このモフモフは俺だけのものだ。瑠璃だって尻尾を振ってるし、相思相愛。死がふたりを分かつまで離れんぞ。


「もうずっとこの調子だよ」

「仕方ありませんわ。わたくしもあの時は、瑠璃が死ぬかと思いましたもの。フィオが満足するまで自由にさせてあげなさいな」

「私も、今回のクエストは活躍したはずなんだけど」

「それを言うなら僕は最初にモドキちゃんの目を潰したからね」

「わたくしは後衛の要でしたわ」

「爆破でオリハルコンの外装を弱体化させたのは私」

「もうみんな頑張ったでいいだろ。な~、瑠璃」

『そうじゃのう。特にわしは頑張ったの』

「そうだね~、瑠璃が一番頑張ったねぇ~」

「そこはかとなくムカつく話し方だねぇ」

「何言ってますの? いつもの貴女の話し方ですわ」

「え、僕こんな腹立つ話し方してないよ?」

「「「『え』」」」

「え?」


 こいつ、マジ?


「お邪魔するわよ」

 ムナガさんが客間へ入ってきた。


 ここは旅館スワロウテイルの客間だ。

 俺たちはクエストの分け前をもらうためにここで待っていたのだ。事が事だけに、ギルドで山分けをするわけにはいかなかった。

 何故ならば、オリハルコンだ。

 どの国でもこれを加工した武器や装飾品は国宝に指定されるレベルの希少な鉱物。その上、国を悩ませていた魔物からとれたものだ。衆目でやり取りなんて、まともに出来るわけがない。


 カプリギルドマスターが秘密裏に査定し、お忍びでクエスト報酬を渡す流れとなったのだ。

 そもそも、俺たちもくたくたでギルドで待つ元気もなかった。


 あの後、鎧虫の逆鱗デルゥ・ポカ・レピの3人はリュカヌさんの治療のためにすぐに都コーマイへ戻った。ジゥークさんと共にボロボロの姿でギルドへ着いた俺たちは、無言で査定所に偽青龍海牛ブルードラゴンモドキを放り投げてそのまま帰路へついたのである。

 査定所にいたギルド職員は、突然放り投げられた資料でしか見たことない魔物に右往左往していた。目に見えて狼狽していたのがわかった。ギルドマスターが何やらわめいていたが、とにかく寝たかったので俺たちはスルーして旅館スワロウテイルへ帰着。泥の様に眠った。


 翌日起きるとすぐに女将から「ギルドマスターがおいでです」と言われた。散々愚痴を垂れ流されたかと思えば、偽青龍海牛ブルードラゴンモドキ討伐のお礼をひたすら述べて、嵐のように出て行った。査定がいそがしいのだろう。

 でも、いいのだ。

 ゴンザさんも言っていた。

 この大物の査定による忙しさは、嬉しい悲鳴なのだと。

 ギルドの悲鳴が鳴り止んだら、また顔を出そうと俺たちは話し合って決めた。そして二度寝をしたのである。


 これが昨日の話である。つまり今日は、討伐して二日後になる。

 カプリギルドマスターは人を寄越すと言っていた。その人というのが、ムナガさんということなのだろう。

 この件で信頼して任せられる人は限られている。ムナガさんが選ばれたのは妥当と言えるだろう。


「ムナガさん、お久しぶりです」

「ほんとにね。会ってないのは数日なのに、数ヶ月すぎた気分さ」

「俺もいるぞ!」

 ファングさんがドアの死角から顔だけをひょっこりと出す。


 顔が完全に虫でびっくりするから、普通に出てきて欲しい。

 俺たちは慌てて仮面を被ろうとする。


「素顔でいいよ」

「でも」

「私はこの顔で市中を堂々と歩いているんだよ? あんたらはそっちの国だと整った顔だちなんだろう? しゃんとしなさんな」

「ありがとうございます」

「いいってことよ」


 ムナガさんとファングさんが笑う。


「心配かけました」

「全くだよ。パスなんか、何度も死にかけたとうるさかったんだから」

「ははは」


 実際、そうである。あの面子の中で、一番敵の注意を引き付けることに成功していたのはパスさんだ。普通、ヘイト管理は頑強なタンクが行うものだ。

 だが、相手にはオリハルコン吐息ブレスという「当たったら終わり」の技があった。つまり、通常のタンクでは無理だったのだ。結果として、攻撃手段はないが、最も速いパスさんがヘイト管理役を多く担うことになったのだ。

 うちのトウツも同じことは出来ただろう。ただ、トウツには攻撃手段があった。だからパスさんに任せたのだ。


「パスさん、ラウさん、リュカヌさんがいてくれて良かったです。誰かが欠けていれば、今頃空の藻屑でした」

「空の藻屑って何だよ!」

 ファングさんが笑う。


「パスさん達は?」

「リュカヌは療養。教会で角は再生させたけど、しばらくは安静だね」

「そっか、良かった」

「パスとラウはギルドで酒盛りさ。おっと、冒険者総出で宴会してるわけじゃないよ。2人でのんびりと飲んでる。流石にまだあれを倒したことは公表してないからね。みんなが知れば大騒ぎなんてもんじゃ済まない。ギルドの連中も、仕事で忙しいのに祭りの治安維持に駆り出されるなんざたまったものじゃないからね。公表は、あと少ししてからだよ」

「そうなんですね」


 俺は手で椅子を示す。

 ファングさんが座り、ムナガさんはたくさんある足と長い胴を折りたたんでその場に座る。


「で、何の用件ですの? わたくし達は今日も休む予定ですの」

 気怠げにファナが言う。


 みんな疲れているので、今日はのんびりとした雰囲気になっている。ちなみにフェリは部屋に引っ込んだ。接客が出来ないというのもあるが、消費の激しかったポーションをまた作り直しているのだ。今回の戦いはみんなドーピングをして魔力切れギリギリの戦いだったからなぁ。


「簡単な話さ。これよ」


 ムナガさんが言うと、ファングさんが亜空間ポケットから青いものを取り出す。

 ゴトリと音を立ててテーブルの上に置かれたそれは、オリハルコンの塊だった。


「おお!」

「これがオリハルコンですのね」

 俺とファナが歓喜の声をあげる。


 胸元にいる瑠璃が尻尾をパタパタと振る。トウツは無言で満足げにうなずく。


 テーブルの上にあるそれは、鈍く青い輝きを放っていた。偽青龍海牛ブルードラゴンモドキの外装だった時は薄く引き延ばされていたので、クリアに見えた。

 だが、塊で見る青は主張が強く、窓から差し込む光を反射せずに吸収しているかのようだ。深海のようなコバルトブルーだ。


「内臓に残っていたものらしい。外装を加工してかき集めるよりも、ここの部位が一番多いということらしい。騎士団の取り分と、私らの取り分を引いて、これさ」

「これだけあれば、武器が3振りは出来る。ありがとうございます!」

「いいってことさ。あんたらにまず渡すべきと思ってね。その内、エクセレイへ帰るんだろう? 他のオリハルコンは分解して分配するのにすら時間がかかりそうなんだよ」

「あの固さですからね。加工するだけでも一苦労でしょう」

「一苦労なんてもんじゃないさ。ギルドの解体用の特殊工具が一夜で半分くらいダメになったらしいよ」

「それは何というか……」


 嬉しい悲鳴どころじゃなさそうだ。


「だからその塊さ。その形のまま内臓に残っていたんだよ。ラウは最後の吐息ブレス用にとっておいたんじゃないかと言っていたよ」

「それはまた」

「知らないところで九死に一生でしたのね」


 トウツとファナがため息をもらす。

 最後の戦い、俺たちはやつの鼻先で接近戦を仕掛けていた。近すぎて吐息ブレスが出来なかったのだろう。近距離ではなく、中距離で戦っていたらやられていたのはこっちだったかもしれない。俺は瑠璃を抱きしめて少し、震えた。


「おや、そいつはよく見たら瑠璃かい?」

「えぇ、そうです」

「そんな可愛い姿になれるんだね。どうどう」


 ムナガさんが手を伸ばして瑠璃の首元を撫でる。はたから見たら巨大な虫が子犬を食べそうな図に見えるが、微笑ましい光景である。


「瑠璃ちゃん、パーティーメンバーの僕らより、ムナガちゃんの方が好きだよね」

「全くですの。もう少し仲良くしてもいいですことよ」

『お主らといると、気が狂う』


 ……これは通訳しない方がいいな。


「私らはお暇するよ」

「お茶くらい飲んでいきませんか?」

「疲れているんだろう? 邪魔するほど野暮じゃないさ」

「ありがとうございます」

「おうよ。フィル達のおかげで今から大量の儲けが入るからな!」

 ファングさんがニヤリと笑う。


 それはもう、複眼でも何故かはっきりわかるほどの笑みだった。

 そういえば、ギルドでは俺たちが討伐できるか否かで賭け事がされたんだった。そして胴元は目の前にいるカマキリ族のファングさん。


「……ちゃんと破産者が出ないくらいのオッズにしたんですよね?」

「そこの調整はばっちりよ」

「だったらいいんですけど」


 ムナガさんとファングさんは意気揚々と帰っていった。よく考えると、今回のクエストで一番得をしたのは彼らなのかもしれない。


「もう一回、寝るか。エクセレイのみんなは元気にしてるかなぁ」






「おいおい、マジかよ」


 くすんだ赤い頭の強面の男、ルーグはうめいた。

 目の前の光景があまりにも信じ難いものだったからだ。

 隣には同じく、絶句したメイラや子どもたち。


 華奢でぼんやりした、絹のような金髪の少年がたたずんでいる。その奥には、胴が弾け飛んだアースドラゴン。

 頑強さでいえばトップレベルの竜を正面から、魔力のぶつけあいで圧倒せしめたのだ。

 ルーグはこの少年が規格外であることは、当然承知していた。

 だが、これほどとは予期していなかった。


 アルケリオ・クラージュ。

 フィオ・ストレガがこの世界の外来種だとすれば、彼こそこの世界原産のバグである。そのバグは伝承ではよく、こう名付けられている。


 勇者と。

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