第213話 ベテラン冒険者たちの交渉2
「ようこそ客人。私がアトランテの女王、セレナ・アトランテです」
桃色のオーラが王宮内を包み込んだ。
その女王は上半身が人間の女性で下半身が魚のような姿をしていた。俗にいうマーメイドである。ショッキングピンクのような色をした下半身の鱗が光を反射して、周囲を照らしている。金糸のような髪をウェーブさせて背中までおろしている。目は星のようにぱちりと輝く黄金。胸にはサテンのように光沢のある布を巻いており、縁には宝石が散りばめられている。ティアラは三又の槍を模したデザインだ。伝統ある魚人族の武器を想起させるための装飾である。
この国は巨大な泡で包み込まれている。海藻類が生み出す酸素を取り込み、哺乳類も住める環境を生み出している。水陸両方で過ごすことができる魚人族のための世界だ。
この王宮も同じである。窓のすぐ外は海中だ。まるで古美術館がそのまま水族館になったかのような外見である。とはいっても、この場にいる人物で水族館という施設を知るものはいないが。
「お初にお目にかかります。フィンサーという者です。本日はエクセレイの使者としてまいりました。後ろは私の冒険者パーティーです」
「ほう」
星のような瞳がフィンサーを見下ろす。
彼女は玉座の上にいる。珊瑚の死骸を削り、つなぎ合わせて作られたアトランテの調度品である。この王宮も巨大な珊瑚型の魔物を加工して作られている。
手前には幅の広い階段が5段。その円形の階段の脇にはそれぞれ三又の槍を持った兵士が警戒している。
ウォバルは即座に全員が冒険者で例えるとB級上位かA級以上と判断する。
「おいおい、初対面の人間相手に堂々と
ゴンザが小声で後ろからフィンサーに話しかける。
「申し訳ありません、客人。この魅了の魔法は常時発動しているのです。この国の女王は頑丈な子どもを産むことが最も大切な役目。そのため、異性を惹きつける術に長けた者でなければいけませんの」
「なるほど、そうなのですね。訝しんだ態度をとってしまい、申し訳ない」
「構いません。私のように、魅了が常に発動する体質の人魚は異例ですから」
「左様ですか。魅了の魔法がなくとも、大変お美しい女王様ですね。民も鼻が高いでしょう」
「あら、お上手ね」
フィンサーのおべっかに、セレナ女王が口元に手を当てて上品に笑う。
ちなみに、当然のごとくフィンサー達はこの魅了魔法を
「この発光石が大国であるエクセレイから来るのは驚きましたわ。水産物の輸出は確かに仲良くさせていました。ですが、それはあくまでもヘンドリック商会をはじめとした企業相手。国と直接交友を結ぶことは今までありませんでしたもの」
柔和な表情でセレナ女王が言う。
だが、フィンサー達はすぐに気付く。
彼女は警戒している。
エクセレイは大国だ。海の底のアトランテを落とすのは難しいが、大量の水魔法のスペシャリストを抱えたエクセレイならば、あるいは可能と目されているのだ。その証拠に、フィンサー達はA級の海洋に住む魔物も葬りながらこの深海へ辿り着いている。
その戦いぶりは哨戒兵からセレナ女王の耳にも当然、届いているだろう。
まず与えなければならないのは安心。
フィンサーはそう考えた。
「ここへは、双方の国の友好を結ぶために参りました」
「あら、種族差の隔たりが大きすぎるがゆえに、私たちは距離をとっているはずです」
セレナ女王の声色は温かく、柔和だ。
しかし警戒は外れていない。国を背負う立場として当然の対応だろう。
「そうですね。正確に言えば、危機の共有と言った方が正しいでしょうか」
「危機の共有?」
「ええ。例えば私たちがここへ来る道中に倒した
「その亜種は、私たちも把握しております」
「海藻や貝が作るものと似た種類の毒でした。これは本来、海中でも弱者が身を守るために精製する毒です。
竜種は自身の種族としての力に強大な自負がある。それは亜竜のワイバーンや
「……アトランテでも、異常な事態だとの見方をしています」
目を伏せながら、セレナ女王が言う。
「地上も同じ状況です。商会と繋がりがあるのであれば、聞き及んでいるかもしれませんが」
「えぇ、存じております」
「我々は、これが
「
「ええ」
フィンサーがモノクルのメガネを整える。
「簡単な事です。我々は地上を守る。あなた方は海を守る。何か異常があれば、お互いに情報を送り合える状態にしておきたいのです。商会を通してではなく、王族同士のホットラインが欲しいのです」
話し終わると、セレナ女王が顎に手を当てて考え込む。間違いなく双方にメリットがある。が、それはあくまでもエクセレイやその王族が信頼出来たら、という前提がなければならない。そして信頼するには情報が少なすぎる。海と陸で隔たりがあるのだ。この国は、エクセレイと距離は近いものの、海の向こうのハポン国よりもエクセレイの事を知らない可能性すらある国だ。
逆を言えば、それだけ独立してそこに在ることが出来る国とも言えるが。
持っている情報はエクセレイの商人から入ってくる断片的な情報だけ。ヘンドリック商会の男達の様子を見れば、全体的に信頼できる気質の国民性であると言える。
だが、彼らは商人だ。
彼らと友好的な関係を築けているのは、お互いに利益のある商談しかしていないからである。セレナ王女は自国の商人達を見て、その職の人々の気質というものを知っている。彼らは人との結びつきをとても丁寧に丁重に扱う。だがそれは、その先に利益があるからだ。金があるからだ。金の価値はほとんどの場合において不変。ともすれば、人の信頼よりも不変なのだ。彼らが信頼しているのは人ではなく金である。セレナ王女はそう考えている。
もっとも、タルゴ・ヘンドリックとかいう例外も稀にいるが。
黙した女王を他の魚人は待つのみである。これは彼女の実権の大きさが伺えるな、とフィンサーは内心で考える。
エクセレイですら王族以外にも発言権はある。
だが、この場の魚人は彼女の決定をただ待つのみ。普段、外交を考えなくて良いのでこれで問題ないのだろう。その代わり、セレナ女王にかかる心的な負担は大きい。
「実はタルゴ・ヘンドリックさんとは私も個人的に交友がありまして。この国の漁師がとった魚はいつも身が締まって美味しいので重宝しているのですよ」
フィンサーが突然、全く関係ない話をするものだから、セレナ王女は驚く。
「地上の漁師を卑下するわけではありませんが、やはり美味い魚を見分ける能力は
「……自慢の漁師達ですわ」
「そうでしょうとも」
フィンサーはニコニコと笑う。
ちなみに、後ろにいるウォバルとゴンザとシーヤは、胡散臭い顔をしているんだろうなぁと思いながら見ている。
セレナ王女は哨戒兵の魚人を近くへ呼んだ。
尋ねた内容は、フィンサー達が大海蛇流の毒をここへ持ち込んでいないか。もしくは、ここへ入るときに悪意探知魔法に引っかからなかった、などである。
一頻り話を聞くと、女王は哨戒兵を元の位置につかせる。
「分かりました。相互に連絡を取れる手段を準備しましょう」
「有難うございます」
「ですが、条件がありますわ」
「なんなりとお申し付けを」
「フィンサーと言ったかしら。気に入ったわ。貴方、私の後宮に入りなさい」
「それは出来かねます」
「すいません女王様ストップ!タイムを要求します!」
ゴンザが慌てて待ったをかける。
フィンサーが恐れ多くも、他国の女王の要求を真っ向から突っぱねたのである。ゴンザは大雑把な性格をしているが、危機には人一番敏感なのである。
玉座から少し離れて、ベテラン冒険者達は緊急会議を開く。
「お前何で速攻で否定すんだよ!国の命運かかってんだぞ!?」
ゴンザが小声だが、やけに響く声で言う。
「冗談じゃない。後宮って、要はハーレムだろう? 私にはシュレがいるんだ。彼女以外に操を立てるなんて、あり得ない」
「気持ちはわかる。わかるが、お前の家庭と国を比べてどうして即決して家なんだよ」
「ゴンザだって、ロベリアに隠れて浮気は出来ないだろう?」
「出来ねぇけど!出来ねぇけど、これは浮気じゃねぇのっ。あくまでも政治的交渉なの!」
「でもシュレが」
「お前嫁さんが絡むと知能落ちるのどうにかしてくんない!? ウォバルも何か言えや!」
「僕もフィンサーの立場だったら、リコッタに殺されるからなぁ」
「話になんねぇ。シーヤ、解決策!」
「何でそこで私にふるにゃん!? えっと、他のイケメンをあてがえばいいんじゃにゃいか?」
「「「それだ」」」
「よっしゃシーヤ。交渉しろ」
「嫌だにゃん!絶対嫌だにゃん!何で王族と喋らないといけないにゃん!フィンサーは最初はビーチで美味い酒が飲めるって言ってたにゃん!それがいつの間にかアトランテに来て王族と謁見なんて、ふざけるのも大概にするにゃん」
ウォバルとゴンザが思わずフィンサーを見る。
「いやだって、猫人族の人は気分屋だから、嘘でも言わないと現地に来ないだろう?」
「……ああ、そうだよ。お前はそういう奴だったよ」
「ふっ、くく」
「何笑ってるにゃん、ウォバル。笑い事じゃないにゃん」
「まだなのですか?」
セレナ女王が眉根をひそめる。
王族を待たせる。
これは十分に無礼な行いである。もっとも、セレナ女王も無茶振りをした自覚はあるので、まだゆっくりと待つつもりではあるが。
ゴンザがシーヤの尻を軽く蹴る。
「レディーの尻を蹴るなんて言語道断にゃ」
「いや、話の流れからしてお前が交渉するやつだろ」
「フィンサーをつけろにゃ」
「了解」
2人が玉座の前へ移動する。後ろにウォバルとゴンザが控える。
「女王様にお伺いを立てたいことがございます」
「ブフッ」
突然「にゃん」を付けずに話すものだから、隣にいるフィンサーが笑う。
そのフィンサーをシーヤは目にも止まらぬ速さでローキックする。一部の近衛の魚人が気づいたが、女王に発言の許可を貰わなければ彼らは喋れない。
ちなみにウォバルも背後で、テンガロンハットで顔を隠しながら「くっくっく」と笑っている。
「許可します。申してください」
妙に緊張感のない使者に戸惑いながらも、セレナ女王は許可する。
「この男のどこに惹かれたのですか? 確かに冒険者としての腕前も素晴らしく、オラシュタット魔法学園では教官として重宝されています。しかしそれらが霞むほど面倒な男です。女王陛下におきましては出産が最も大事な公務かと存じます。こいつを側に侍らせればストレスで母体に悪影響を及ぼしかねません」
「仲間を庇って言っているわけでは、ないようですね」
女王は額に汗を浮かべて言う。
もはやその場にシーヤの言葉遣いが乱れていることを指摘する人物はいない。
フィンサーは「そこまで言うか?」という表情を浮かべてシーヤを見下ろす。
シーヤは「何か文句あるんかぼけ」とも言いたげにガンつけながらフィンサーを見上げる。
「彼は見目麗しい上に、冒険者としても優秀ですからね。種付け役としては適任と思ったのですよ」
「種付け役……」
魚人にとってセックスは種を残すための作業である。だからこそこのような直球の言い方になってしまうのだ。フィンサー達は知識ではそれを知っていたが、ここまで露骨に言われるとうろたえはする。
「申し訳ありませんが、女王。エクセレイは一夫一妻制でございます」
「あら、王族は多妻制なのでしょう? こちらと変わらないわ」
「私は庶民ですので」
「後宮へ入れば殿上人よ?」
セレナはフィンサーを諦める様子がない。
後宮の男達を種付け訳とするならば、彼女はコミュニティの母体そのものである。もちろん、他の魚人の女性も出産はする。
だが、最も見目麗しく良質な魔力を持つのはセレナ・アトランテその人なのだ。彼女に、より多くの子どもを残させる。アトランテという国は、合理的に種の保存をしているのだ。
胎生もいるが、魚人のほとんどは卵生だ。一度に大量の子どもを産む。そして、産みすぎると口減らしが始まってしまうのだ。食いはぐれが出ると争いが始まる。ならば、最初から殺してしまえという残酷な選択である。
しかしこれは、海では仕様がないことなのだ。海の魔物は危険だ。ひとたびアトランテから離れれば、生きてはいけない。つまり彼らは限られた資源の中で生活しなければならない。アトランテという国が巨大な気泡に包まれているのも、魔物が侵入してこないようにするためだ。魚人たちは水陸両用としての特性を利用してこの海中での生存戦略に勝ち、生き残っている。
労働力の確保のために子を産まなければならない。しかし諍いを起こすほどの人口はいらない。
ならば、優秀な人物に子を成してもらう。
セレナ・アトランテを守る魚人達にA級相当の剛の者が多くいるのが、その証拠だ。彼らという兵力は、アトランテが強い遺伝子を選択して残し続けた、その結果なのだ。
そんな価値観をもつ彼女の目の前に、フィンサーが現れた。交渉が出来るほどには頭がキレて、地上でA級冒険者が出来る。その上セレナ王女の好みのルックス。海の底の国で、好きな異性を自由に出来る彼女が欲しがるのは当然の流れと言えた。
「では、代わりの人物はどうですか?」
「代わり?」
フィンサーの言葉にセレナ女王が反応する。
「この男以外にも、才能ある男は地上に多くいます。その男たちを紹介するというのは?」
「なるほど。例えば?」
「ルーク・ルークソーンなんてどうでしょう?」
「あのエクセレイの勇者の?」
こいつ、教え子を売りやがった!
隣のシーヤと後ろのパーティーメンバーが驚愕する。確かオラシュタット魔法学園を首席で卒業したルークを鍛え上げたのは、教員として頭角を現し始めたフィンサーだと、彼らは聞き及んでいた。
ちなみに他の3人は知らないが、フィンサーはルークが同パーティーのキサラ・ヒタールと学園時代から恋仲であることを知っている。国民人気のために、その恋仲であることを隠していることも知っている。
そしてあろうことにこの教師は、それを逆手にとって「未婚の男性」をセレナ女王へ進めたのである。
彼は自分の妻のシュレとの夫婦生活の安寧のためならば、堂々と誰でも売るのだ。
「えぇ、声をかけてここに呼ぶことは出来ます」
嘘は言っていない。
ルークが後宮に入ると断言していない。ここに来させるとしか言っていないのだ。
「ふうん、他には?」
「フィル・ストレガなんてどうでしょう?」
「そいつまだ10歳じゃねぇか!」
たまらずゴンザが叫ぶ。
「あら、10歳? でも、ストレガって」
「ええ、そのストレガです。お弟子さんですよ。才能は折り紙つきです」
「まぁ!」
「彼も今度ここへ連れてきましょう」
「まぁ、まぁ、まぁ!素晴らしいですね。いいでしょう。その条件で快諾いたします」
ほくほくした顔で笑みを浮かべるセレナ王女。
快諾しちゃったよこの女王、とフィンサー以外の3人が頭を抱える。
シーヤ・ガートなんかは、ルークがいかに苦労人なのか、実情を知っている。それを知っていながらこの交渉に勝手に用いるフィンサーは畜生である。
だが、この男は昔からそうだった。
先の
目的が「嫁のため」になると、ここまで酷いことが出来るのかとシーヤは戦慄する。旧知の間柄であるシュレ・ハノハノはこいつの一体どこに惹かれたんだと、今更ながら思ってしまう。
「お前、過去の教え子だけじゃなくて、今の教え子まで。血の色は何色か?」
「にゃんが抜けていますよ、シーヤ」
「ふざけんにゃ!」
「でも、彼らなら別にいいんじゃないですかね」
「何でにゃ!」
後ろでウォバルは、「怒る割にはちゃんと語尾に、にゃを付けるんだな」と、謎の感心をする。
「いや、ルーク君もフィル君も、何か既に女性をたくさん囲ってるじゃないですか。そこに女王様が入っても大きな差はないかな、と」
「鬼畜だにゃん。鬼畜眼鏡だにゃん」
「その言い方は、眼鏡が悪口に聞こえるからやめようね」
フィンサーのモノクルが光った。
「ふふ、ではここから先は貴方達は使者ではなく客人ですね。どう歓迎しようかしら?」
セレナ女王が目を光らせる。海の底であるこの国は、客人が少ないのだ。来ることはつまり、お祭りの口実である。
「その言葉を待ってました!」
ゴンザが声を王宮にハウリングさせて言う。
亜空間リュックから、大量の樽をズドンと取り出し、置く。
酒樽である。アルシノラス村の酒蔵からまとめて持ってきたのだ。
「まず、飲もうや」
ゴンザが周囲の魚人たちを見る。
するとゴンザの視線をキャッチした魚人たちが、今度は女王の方を見る。
セレナ女王は、その部下たちが何を期待しているのかすぐに察する。
「仕様がないですね。無礼講です」
彼女がそう言った瞬間、魚人たちが酒樽へ群がった。
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