第212話 ベテラン冒険者たちの交渉

『あの顔ってさ、茜の顔だよな?』


 あの顔とは、瑠璃が再現したアラクネの顔である。俺はアラクネ・マザーの顔を至近距離で刺突して殺した。

 だから覚えている。あの鋭利で憎しみの籠った人相を。


 瑠璃が首の根元から生やしたアラクネの顔は、何故か俺の前世の恋人だった。周りに他のパーティーメンバーがいたからその場では尋ねなかったが、今は落ち着いて話せるだろう。


 トウツとファナは今、この場にいない。

 ファナは大顎暴竜メントゥムドラゴン、トウツは砲丸団子虫アルマージキャノン鋼刃魔蔦ガンプラントという魔物の素材を換金するためにギルドへ出かけたのだ。

 隣の椅子には、フェリが腰かけて魔導書を熟読している。

 ベルさんには自室へ戻ってもらった。


 俺?

 「「寝てろ」」と言われて大人しく寝ています。


『そのアカネとやらが何処の誰かは知らぬが、わが友の脳裏にこびりついて離れない顔なのは確かじゃな。わしがアラクネの顔よりも再現しやすかった顔がそれじゃった。わしはフィオと契約する時に、一瞬魂が混ざったからのう。フィオにとって思い出深いものは何となく残滓があるのじゃよ』

『……それは何というか、有難うな。瑠璃』

『何故、礼を言う?』

『いや、何となくだよ』


 礼を言ったのは嬉しかったから、だと思う。

 俺はこの世界に生まれ落ちて、10年の月日が流れている。てっきり、茜の顔を忘れている者かと思っていた。驚くべきことに、前世の家族を除けば一番付き合いが長いのはルビーになっているのだ。次点でマギサ師匠やトウツ達になるのだが。

 この世界での俺の一生は密度が高くて、忙しくて、必死で、それにかき消されるように前世に出会った人々の顔が薄くぼやけたものになっていく。

 それが怖い。とてつもなく怖かったのだ。

 前世の俺は愚鈍で、冷めていて、周囲の人間が期待するほどは動かない人間だった。それでも根気よく関わってくれた人たちが、たくさんいたのだ。

 この世界では、生きることに必死でない人間は見向きもされない。

 何てことはない。前世の俺は恵まれていたのだ。その環境を与えてくれた人たちの顔を忘れようとしている自分が、嫌で、気持ち悪くて、酷い野郎に思えてしまっていたのだ。


 だが、瑠璃は覚えてくれていた。

 俺の代わりに、茜という大切な人のことを覚えてくれていたのだ。

 こんなに嬉しいことはない。


『瑠璃、顔を良く見せてくれよ』

『なんじゃいきなり』


 嫌そうにしながらも、イルカのような尻尾でベッドのシーツをぺしぺしと叩きながら、瑠璃がにじりよる。可愛らしいやつである。俺以外の人間にもこのくらい愛嬌があってもよかろうに。


 むにむにと瑠璃の顔をいじり、わしゃわしゃと撫でる。


『今日はやけに毛づくろいが丹念じゃの』

『いやさ、忘れたくないんだよね』

『何をじゃ、わが友』

『瑠璃の顔』

『何でまた』

『ん~、何となく』

『よくわからぬが、その調子でわしを触るがよいぞ』


 瑠璃が仰向けになって前足と後ろ脚をだらしなく折りたたむ。もうお前、完全に犬やん。


神語しんごで話しているということは、私に聞かせられない話かしら」

 本の上部から、瞳をのぞかせながらフェリが言う。


 あ、これすねてるやつだな。

 トウツやファナもそうだが、俺が瑠璃と神語でこそこそ話していると、大体誰かが言ってくるのだ。「みんなにわかる言葉で喋れ」と。


「済まない。ちょっとね」

「さっきの瑠璃の、アラクネの顔のこと?」

「……あ~」

「討伐したアラクネとは違う顔だったわよね? 誰の顔なの?」

「ん~」

「……いいわ。いつか話して頂戴」

「いいのか?」

「私、面倒な女になりたくないもの」

「そうか、有難う」

「いいのよ」


 出会ってからずっと、フェリの優しさにはおんぶにだっこのような気がする。

 うーん、どうしたものか。


「フェリはさ、この国でしたいことあるか?」

「あら、ご機嫌取り?」

 フェリが本から顔を上げずに言う。


「その通り」

「少しは隠しなさいな」

「俺に腹芸は出来ん」

「それもそうね」


 速攻で肯定しないでほしいんだけど。いやまぁ、事実なんだけどさ。


「……そうね。土を探したいわ」

「土?」

「そう。エクセレイは水魔法のスペシャリストが多い国よね」

「そうだな。マギサ師匠のおかげだ」


 水資源が豊富だからこそ、水害に悩んでいた国だ。そのインフラを整えるためには、多くの卓越した水魔法使いが必要だった。マギサ師匠が水魔法を大々的に体系化したのはそのためだ。


「コーマイは土魔法の使い手が多いわ」

「魔法伝導率の高い、良質な土が多いからか」

「そう、それよ」

「で、手伝って欲しいのは、地質調査やフェリの爆弾に使えそうな土の採取?」

「そう。ふふ、分かってるじゃない、フィオ。いいデートになりそうね」

「デートなのか? それ」


「見て見て!この土!美しいわ!伝導率が高いから着火から爆発までのタイムラグが何と0.07秒縮むの!素晴らしいでしょう? うふふふふ」

「そうだね、ハニー。あ、見てよあの土!あっちは逆に魔力電動の抵抗が高いみたいだ!爆弾を個包装してダース単位でまとめれば、時間差で広範囲のクラスター爆撃が出来るよ!あはははは」


 うーん。絶対デートじゃないなこれ。

 でもフェリが楽しみにしているみたいだし、良しとするか。


『わが友、手元がサボっておる』

「おう、すまん」


 この2人も我がままだけど、トウツやファナに比べると穏やかなものである。あの2人もこのくらい優しく交渉してくれれば、ある程度は俺も言うこと聞くんだけどなぁ。

 まぁ、今更あの2人がしおらしく尋ね事してきたら、裏があるか勘ぐってしまうんだけども。


 魔力が少しずつ回復しているのが、肌でわかる。

 やはりフェリのポーションは良く出来ている。マギサ師匠の虎の子のポーションが切れてからはどうしたものかとは思っていたが、この分だと問題なさそうである。


 そう言えば、他の国にはイヴ姫やフィンサー先生が交渉に行っているんだっけ。

 みんな、上手くいってるかなぁ。

 少なくとも、今の俺よりはちゃんとしているとは思うけども。






「かんぱーい!」


 そう、雄たけびのように乾杯の音頭を取ったのは、アルシノラス村のギルドマスター、ゴンザである。ドワーフのトレードマークである髭が元気よくホップする。ついでにジョッキの泡もホップした。


「「「かんぱーい!」」」


 その乾杯に乗ったのは魚人族マーフォーク達である。

 ちなみにこの乾杯は5回目である。その場にいる全員は既に出来上がっており、前後不覚だ。自分たちが何度乾杯の音頭をリピートしたのか理解していないだろう。


 脇には苦笑するウォバル。苦い顔をするフィンサー。既に酔って潰れているカンパグナ村のギルドマスター、シーヤ・ガートがいる。


 こうなってしまったことを説明するには、少し時間を巻き戻さなければならないだろう。






「止まれ、異邦人。これより先は魚人の国である。許可なく地上の民が足を踏み入れてはならぬところである」


 そう言い放ったのは、魚人族マーフォークの男だ。

 水をかき分けやすい体形に進化しているため、僧帽筋が太く広い。逆三角形の身体をしているが、筋骨隆々である。

 腹はイルカの様に白い。脇や背中、腕には魚のような鱗がびっしりと生えている。唇は厚く、人間のような顔をしているが、よく見ると顔の骨格が魚に近い。

 口から覗く歯は哺乳類とはかけ離れており、鮫のような糸切り歯ばかりである。

 魚類のような無感情な目をしているが、雰囲気で魚人の兵達が警戒しているのを、フィンサー達は感じ取っていた。


「初めまして、エクセレイの都、オラシュタットで常駐上級冒険者をしております、フィンサーという者です」


 フィンサーは学園での地位ではなく、冒険者として名乗った。こちらの方が知名度も高い上に、武を誇示出来るので耳を傾けてくれる人間が多いのだ。


「そのフィンサーとやらが、何用だ」

 魚人の兵が、三又の槍を構えながら言う。


「発光石を先に沈めたので、使者が来ることは知っておいでかと」


 フィンサーの言葉に、魚人の男達がお互いに目配せをする。

 一人の男が奥の方へ引っ込んでいった。


 発光石とは、魔力を込めて光らせる石のことである。込めた魔法の属性により、発光する色が変わる特殊な天然の魔法具である。

 水中にある魚人族の国アトランテには、紙の手紙は届かない。

 この発光する石を海へ沈めて、アポイントの代わりとするのだ。


 赤は宣戦布告。青は商業の交渉。そして緑は権力者などへの会談願いだ。

 今回フィンサーが沈めた発光石は緑。


 その緑に発光した石を、先ほど引っ込んだ魚人の男が持ってきた。


「魔力合わせをしろ。予約をした御仁が確認したい」

「分かりました」


 フィンサーが発光石に自分の魔力を吹き込む。

 光り方が濁れば他人。より鮮やかに輝けば本人だ。

 緑色が更に美しく光り、周囲の海をエメラルドに照らした。


「ふむ。予約されていた御仁で間違いないか。済まない、手荒な歓迎をしてしまった」

「いえ、構いません。お仕事でしょうから。こちらも水泡魔法に取り込んだ空気が心元ないので、すぐに許可を出していただき感謝したいほどです」

「理解があり、助かる」

 魚人の男が静かに頭を下げる。


 兵士たちが三又の槍先を頭上ではなく、足元に向ける。

 これは敵意がない表れである。


「さて、魚人の女王に出会うのは初めてですね。魔力の耐性がなければ異種族は骨抜きにされるともっぱらの噂ですが、大丈夫でしょうか?」

「それは困るね。骨抜きにされたとバレれば、リコッタに殺される」

「俺もロベリアに殺されるぜ!」


 嫁の尻に敷かれているウォバルとゴンザがそれぞれ軽口を言う。


「同性の私は大丈夫にゃん? 百合展開になっても困るにゃん」

「もしそうなったら人質になってくれ!お前は器量よしだからエクセレイとアトランテの交友の証として、寄贈品に出来るかもしれねぇ!」

「よしわかったにゃん。お前の顔を私の自慢の爪で網目模様にしてやるにゃん」

「いや器量よしと褒めただろ!?」


 魚人たちは、この謎に緊張感のない連中を本当に国へ入れていいのか迷った。

 迷ったが、発光石の手順を知らされるものは海辺の王族から信頼される人物のみと知らされているのである。

 これを疑うというのは、古来からある陸との交渉の伝統を疑うということである。


 元A級パーティーの戦斧旅団アックスラッセルと猫人族のギルマスが、魚人の国へと足を踏み入れた。

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