第211話 巨人との交渉

「で、それのどこが脅威なんだ?」


 巨大な男がそう言った。文字通り、その男は巨大だった。普人族の民家の屋根が、その男の腰くらいの高さである。

 ただし、今会話が行われている場所、つまり王城は、この男たちの種族に合わせたサイズである。

 居合わせているエイブリー姫やイアン達が、対比でミニチュアに見えてしまう巨大な王城だ。


 男の名はティッターノ・エルドラン。巨人の国エルドランの王である。金の装飾があしらわれた臙脂色の腰布を巻いており、足には動きやすそうな、革製のサンダルのような靴を履いている。上半身は裸であり、豪奢なマントを羽織っている。王冠はない。王がこのような簡素な格好をしているのは、彼らという種族が全て戦士として教育されているからだ。力こそ正義。文化や文明を軽んじるわけではないが、武力さえあれば国は維持も繁栄も出来ると考えているのだ。


「ティッターノ様は、魔物の大反乱スタンピードが脅威ではないと?」

「おうよ」


 エイブリー姫の問いに、あっさりとティッターノ王は答える。返事が横柄なのは、エイブリー姫を軽く見ているわけではない。巨人族というのは、誰に対してもこう接するのだ。敬意をはっきりと示すのは、同等かそれ以上の戦士と戦場で出会った時のみである。


 彼らが魔物の大反乱を危険視していないのは、決して油断ではない。事実、先の大反乱ではレギアから溢れ出そうになった魔物達を、この国は国境警備の戦士だけで完璧にシャットアウト出来ている。


 コーマイやエクセレイを初め、ほとんどの周辺国は国境の町村が打撃を被った。だからこそ、他国の出来事とは看過できず、複数の国が連合してレイド攻略したのだ。

 そこで最も活躍したのは、個人で言えばマギサ・ストレガやエイダン・ワイアットだ。


 しかし、最も活躍した国を挙げるとすればエルドラン国だろう。それほどにこの国の兵士はサイズが大きいだけでなく、一人一人の練度が高い。何故ならば、彼らは種族の特性として大食らいなのだ。そして、彼らの食料事情を支えるには大型の魔物を倒し、食らわなければならない。その大型の魔物というのは、討伐ランクがB以上はあることがほとんどである。つまり、それを倒せない巨人族は食いはぐれ、餓死するのだ。成人しているエルドランの民は、ほぼ例外なく屈強な戦士となる。政治を専門にする例外もいるが、それはごく稀な者である。


 やはりそうきたか、とエイブリー姫は頭の中で考える。彼らが自分たちの兵力に絶対の自信を持っているのは当然知っていた。

だからまずは、彼の関心を引くことが第一だろう。


「なるほど。ちなみにレギアはその大反乱でご存じの状況ですが」

「そうだな。だがそれは、奴らが貧弱だった。それだけの事だろう」

「そのレギアの国土を、1ミリも侵攻出来なかったのに?」


 エイブリー姫の言葉に、ティッターノ王がぴくりと反応した。

 額に青筋が浮かぶが、ティッターノ王は自制して思いとどまる。たかだか第二王女だ。ここに送られたということは、それなりの切れ者なのだろう。

 だが、王位継承権は決して高い存在ではない。

 そんな小娘の戯言に、エルドランの王が感情を揺さぶられることなど、あってはならない。


「ふん。砂漠地帯が多い国だ。領土を手にしたところで俺たちの食い扶持は増えん」

「あらあら。レギアを手中に収めれば、水が豊富なエクセレイや巨大な群生林のあるコーマイの侵攻に着手出来ると述べていたのは誰でしたっけ? ティッターノ様のお父様でしたかしら? それともお爺様?」

「俺は先代でも先先代でもねぇ」

「あら、今代のエルドランの王は野心家ではないのですね? 貴方様は王である以前に戦士。戦で国を振興するのは民が望んでいることではありませんか?」

「この俺が、腰抜けだと抜かすか? 小娘」

「いえ、そうではありません。ティッターノ様の治政は先代達に比べると、たいそう穏やかだと思っただけですよ」

「魔物の前に、そちらと事を構えてもいいのだぞ?」

「それでは共倒れになると、申し上げているのです」

「小娘。貴様は俺たちに協力を求めているのだろう? 随分と穏やかじゃない会談じゃねぇか」

 ティッターノ王の眼がすわる。


 後ろで控えている近衛騎士団は、イアンを除いて全員が震え上がる。パルレはプレッシャーに押しつぶされそうになり、唇が青くなる。それでもくずおれないのは、エイブリー姫の従者としての矜恃。主人の面子を保つ。その一心で、後ろに控える騎士達はプレッシャーをやり過ごす。


「……ふん。ちったぁまともな戦士がいるじゃねぇか。特に横の騎士はいいな。普人族にしておくには惜しい」

 ティッターノがイアンを見下ろす。


「自慢の近衛ですの。あげませんことよ?」

「はっ」


 身体が巨大であるので、はいた息が風となり、エイブリー姫の桜色の髪をなびかせる。


「要はまた起きたら、以前の様に鎮圧すればいいだけの話だろう? 協力は出来んな」

「では、伝令役を置くことだけを許していただければ」

「ほう、何故だ?」

「もし大事が起きたとき、迅速な協力体制を敷くためです」

「エクセレイの第二王女は才媛と小耳に挟んでいたが、違ったようだな。ただの臆病者だ」

「戦事で最後に生き残るのは、古今東西臆病者と決まっていますわ。私は生き残りたいのです。我が国の民と共に」


 大体お前の耳が小耳なわけないだろう、と心の中でエイブリー姫は思う。が、当然口には出さない。先ほどからわざとティッターノ王を逆なでする言葉を選んではいるが、挑発と悪口は似て非なるものだ。使い分けなければならない。


「ふん。それがお前の考える強さか、小娘」

「えぇ」

「力なき者が考える浅知恵よ」


 そのティッターノ王の言葉がエイブリー姫の嫉妬心を呼び起こそうとする。

 が、彼女はいつも通り自制する。


 分かっている。彼女は分かっているのだ。

シャティ・オスカの「雷の書」を読破し、その魔法体系を完璧に理解できた。しかし自分がその魔法を出来るわけではない。フィル・ストレガがもってくるレポートをものの数分で理解しては、「それ書くの苦労したのにあっさり読まないで下さいよ!」と彼に苦言を呈される。しかし自分は彼の様に多彩な魔法は使えない。従妹のイリスは自分を慕ってくれている。その愛すべき従妹は近い将来、魔法使いとしての自分をあっさり追い抜くだろう。その時彼女は自分を尊敬したままでいてくれるだろうか。


 ティッターノ王はただ事実を述べただけ。

 自分はエクセレイで誰よりも魔法を貪欲に学んできた自負があるが、こと実践や戦闘になれば、秀才の域を出ないのだ。

 自分は、力なき者なのだ。


「エルドラン国は、素晴らしい国ですね」

「? ふん、当たり前だろう。俺の国だ」

「えぇ、ですがエクセレイもいい国なのですよ」

「……何が言いたい」

「貴方の国民は、みな強い」

「そうだ、お前のところは貧弱な民ばかりだ。自衛が出来ぬものが多すぎる」

「その通りです。ですから、弱い者の心がわかるものが統治者でなければならないのです。王家での私の役割が、それです。貴方の言う通り、私は力なきものです。ですが、私は浅知恵を弄してここにいるわけではありません。今日もし、貴方が私の手を取らないと断じれば、後悔するのは貴方です。ティッターノ王よ」

「…………」


 巨人の王が桜色の髪をした王女を見下ろし、睥睨する。

 そして考える。

 ティッターノ王はこの会談が始まってからずっと威圧インティミデントの魔法を仕掛けている。これは他所の国では不作法と言われるが、武を第一に考えるエルドラン国では挨拶代わりに行われるものである。何故ならば、交渉に最低限必要とされるものは武力と胆力であると考えているからだ。

 力が同等でなければ、巨人族はそもそも交渉のテーブルにつかない。


 後ろのイアンという男はいい。この男は屈強な戦士であり、純粋な実力で自分の威圧をはじき返している。他の騎士や従者も、膝を震わせながら耐えている。

 何故耐えているのか。

 この王女がいるからである。


 この場にいる者で最も弱い者は、後ろのメイドだろう。そしてその次が目の前のエクセレイ王国の第二王女なのだ。そのはず、なのだ。

 だが、この娘は自分の威圧に一度たりとも怯んでいない。

 持っている魔力の保有量ではあり得ないことである。この娘はほぼ胆力のみで、このティッターノ王と対等でいようとしている。


「……ふん。いいだろう。伝令役は置いていけ」

「よいのですか?」

「よい。エルドランの戦士に二言はない」

「では、協定は?」

「それは出来ぬ。俺はお前と本当の意味で対等とは思っていない」


 これは巨人族としては妥当な判断である。

 ティッターノ王は内心、エイブリー姫が対等な存在であると認めつつある。

 だが、ここであっさりと彼女を認めてしまえば、ほかならぬ王が巨人族としての在り方を否定することになる。力こそが全て。兵力こそが全て。エイブリー・エクセレイという弱き者の強さを認めることは、王が弱者に屈したと受け止められかねないのだ。


「そうですか、ではそのように」


 エイブリー姫が振り向くと、数名の騎士が動く。


「彼らをこの国に置いておきます。国難の時は彼らに声をかけて下さい。こちらも何かあれば、信号魔法で彼らに繋ぎます」

「ふん。我々が助力を乞うなど、あり得ない事態だと思うがな」

「……今日はここまで交渉が進んだだけ、よしとします。それではティッターノ王、お互いの国に幸あらんことを」

「何を帰ろうとしている」


 エイブリー姫達が振り返り帰途につこうとすると、巨人の兵士が巨大な斧を交差させてゆく手を阻む。


「……これはどういうことですか?」

「知れたことよ。何、簡単なことだ。今後また会談があるとすれば、その時どちらが上の立場かはっきりさせた方がいいだろう」

「少々、考えが粗野すぎますわね」

「貴様の国のねちっこい貴族共よりまともだと思うがな」

「……それは確かにそうですね」

「何? ————はっはっは!」


 まさか肯定されるとはお思わず、ティッターノ王が笑う。巨大な体から笑い声が発せられるため、エイブリー姫達は空気の振動を肌で感じた。


「そういうわけだ。そっちの一番強い兵士を出せ。そこの隣の騎士だろうがな。こちらも、今王城にいる一番の兵士を出そう。勝った方が偉い」


 そのあまりにもシンプルな要求に、エイブリー姫は目を丸くする。

 だが、少し楽しんでいる自分もいる。自分の国の政治も、このくらいシンプルであればいいのに、とすら思う。

 そうなれば、大人になったフィル・ストレガをどんな手を使ってでも手駒にし、国政を自由に出来るというのに。いや、これは下手すれば圧政になりうるのでやめた方がいいか。


「エクセレイでは、そのような野蛮な取り決めはしません」

「だが、ここはエルドランだ」

「そうですね。郷に入っては郷に従え、ですか。イアン」

「いいのですか?」


 あっさりと主君が相手の要求を飲むので、イアンは驚く。


「いいわ。イアン、それとも私のために勝つことは難しいかしら?」

「……今日は幼少の頃のように我がままでございますね」

「お願い、イアンおじ様」

「ふふ、イヴ嬢様の頼みであれば、仕方ありませんな」


 イアンが規律正しく歩みを進め、前に出て、ヘルムを静かに被る。

 それに対して出てきた巨人は、ただでさえ大きい巨人族の中でもとりわけ体格のいい男だった。






「申し訳ありませんでした、姫様」

「いいのですよ。今回の交渉事は上々です」


 イアンと巨人族の兵士の戦いは痛み分けだった。強靭な肉体に決定打を与えられないイアンと、そのイアンを捉えられない相手。決闘は膠着状態に入ってしまい、ティッターノ王の一存で引き分けという扱いになってしまったのだ。


「彼らは武というものに誠実です。ここで私が勝てば、もっと良い方向へ交渉を進めることが出来ました」

「いいえ、イアン。あの頑固な種族が伝令役を許したのです。十分でしょう。むしろこの交渉事にイアンがいなければ、ティッターノ王はそもそも私の言葉に耳を傾けなかったでしょう。強さこそ正義。強い戦士を交渉事に連れてこないのは、彼らにとって侮辱ですからね」

「ありがたきお言葉です」

「和平や条約は結べなかった。でも、パイプラインは出来た。これ以上は高望みでしょう」


 エイブリー姫が馬車の外の風景を眺める。


「他のみんなは、上手く交渉してるでしょうか」


 桜色の瞳に、期待と不安が入り混じった。

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