第208話 メントゥムドラゴン後始末
目を覚ましたら、逆さまのファナの顔があった。
目がぱちりと合う。真下から見た人間の顔って、鼻の穴とかが見えてみっともないはずだけど、本当に整った顔立ちをしている。足元の神様は、もしかしたら面食いで彼女を顔採用で聖女にしたんじゃなかろうか。高卒で就職していた先輩も「イケメンだったら一発で採用だった」と言っていたし。
「わたくしの顔に、何かついていまして?」
「いや、トウツは胸が邪魔で顔が見えないけど、ファナは顔がよく見えるなぁって」
閉じていたファナの足が開閉し4の字になり、俺の首をきゅっと絞めた。
「痛い痛い痛い死ぬ死ぬ死ぬ!何かミシッていってる!頭蓋骨からしちゃいけない音してる!せっかく生き残ったのに改めて死ぬ!」
ぱっと解放されて、気管に空気がどっと押し寄せる。ヤベェ、2回目の死を迎えるところだった。
後ろからファナが抱きしめてくる。今度は締まっていないし、極まってもいない。優しく、たおやかな感触が背中に広がる。
「全く、人の気も知らないで」
ファナの声が震えている。
そう言えば出会って以降、彼女が弱っているのを見たことがない。
「えっと、すまん」
「全くですわ。持ち場を離れすぎですの。何のためにツーマンセルで動いていると思っていますの。わたくしもそれなりに腕は立ちますが、自殺しに行ってる人間を救うほど強くはありませんのよ?」
「いやでも、あの竜が俺をくっつけて走るから」
「教会に保護されている孤児でも、もっとまともな言い訳出来ますわよ?」
「ごめんて」
「今回ばかりは謝っても許しませんの」
「じゃあ、次からは気を付けるよ」
「それで、今まで実践できたことがありますの?」
「いや、最近はほら、調子よかったじゃん? あんまり大怪我もしてなかったし」
「大怪我をするのが前提なのがおかしいのです」
ぐうの音も出ねぇ。
「ファナ」
「何ですの」
「お前、筋肉質だと思ってたけど、抱かれ心地いいな」
チャンスリーロックを仕掛けられ、頭がミシミシと音を立てる。
「痛い痛い痛いごめんごめんごめんて!」
ちょっと空気を和ませようとしただけやん!何でここまで厳しくするん!?
「ふざけるのはやめて下さいまし。全く、わたくし達、同じ墓に入るところでしたのよ?」
「いや、俺別にお前と同じ墓に入る予定ないんだけど。というか、死にかけたのは俺だけだから、お前は死なんだろ」
「いえ、わたくしも死にますのよ?」
「え、後追い自殺でもするの?」
愛が重すぎない?
それは困る。安心して獅子族のおっさんにお腹貫かれられないじゃん。
「違いますわ。いや、どうかしら。もしかしたら後追い自殺もありかもしれませんわね。聖女を拝命したのに、神を裏切り男の為に絶命する。いいですわ!これは素晴らしいですわ!そうしましょう、是非そうしましょう!」
「わぁ!いきなりサイコスイッチ入れんな!言っておくけど、俺を後追いしても絶対喜ばないかんな!」
「え、それは嫌ですわ」
「そうだろう? だから、絶対そういうことするなよ? ほんと、マジで」
「う~ん、でもそれを考える機会は今後来ないかもしれませんわね」
「何でだ?」
「だって、貴方はわたくしが絶対に守りますもの」
「…………」
何というか、とても死にづらくなってきたなぁ。前世ではさくっと死ねたのに、今世では「死」と向き合うことがどんどん難しくなっていく。
俺は少し、多くの人と深く関わりすぎてしまったのかもしれない。
でも仕様がないじゃないか。クレアを守るためにはファナ達の助力が必須なんだ。そう思って冒険者を志して、トウツを初めとして色んな人に味方になってもらった。
だが、その人たちも守りたい人になってしまった。
俺はとても欲張りな人間なんだな、と死んでからようやく気づく。本当に、どうしようもないほど欲深い。死んでも治らないとはこのことだ。
「……俺を守るために、ファナが死ぬのはなしな」
「善処しますの」
「それ、破るやつじゃん」
「フィオが言えたことではありませんわ」
ぐぬぬ。
「フィオが死んだら、わたくしも同じ墓に入るというのは、別にジョークでもなんでもありませんのよ。今日フィオが死んでいたら、間違いなくわたくしも死んでいましたもの」
「は? そりゃないだろ」
「いえ、それがあり得ますのよ。間違いなくわたくしは死にますわ。トウツの手によって、ね」
俺は驚く。自分で自分の瞳孔が開くのがわかる。思わずファナから離れて、正対して座り込む。うげ、腹の傷がまだ痛い。
「トウツが? お前を? それはないだろ」
「それがあり得ますのよ。いえ、確実にトウツはわたくしを殺しますわ。フィオに何かあれば、それは守れなかったわたくしの過失ですわ。あの女はわたくしの首をとりにくるでしょうね」
「いや、ちょっと待って。意味が分からない」
「そうですの? わたくしには分かりますわ。だって、もし逆の立場であれば、わたくしもあの女の首をとりますわ」
「…………」
「そしてわたくし達はどちらも、その死を受け入れるでしょうね。だって、フィオを守ることが出来なかった自分なんて、価値がないですもの」
「…………」
「フィオはあの女の貴方への執着を舐めすぎですわ。本当に、何もわかっていませんわ。貴方が思う以上に、トウツ・イナバという人間は、フィオ・ストレガという人間に依存していますのよ」
ファナの灰色の光彩が、俺を捉えて離さない。
「そうか。仮にそうだとしたら、俺は簡単には死ねないな」
「仮に、の話ではありませんの。これは前提の話ですの」
「そうか、そうかよ」
あぁ、そうか。
そうか、そうか。
面倒なことになったなぁ。これじゃあ死ににくくなるじゃないか。
「……ファナ」
「何ですの?」
「俺、強くなるよ。少なくとも、お前たちに守られなくてもいいくらいには」
「是非、そうなって下さいまし」
俺は腹を庇いながら彼女に近づく。そして、彼女の頭の後ろに腕を回して抱擁する。自分の小さな体がもどかしい。膝立ちしている女性の頭に、やっと腕が届くなんて。
「……今日はフィオがサービス精神旺盛ですの」
ファナが俺の背中に腕を回す。
「このくらいはしたくなるよ」
「そうですか、では」
ファナが顔を少し話して、こちらに頬を突き出してくる。
「これは?」
「頬へのキスは友愛だからセーフなのでしょう?」
彼女がゆっくりと目をつむる。
灰色のまつ毛がかすかに震えている。今日は彼女のか弱い一面をたくさん見れる日だ。流石に女性にここまでさせて、何もしないほど酷い男じゃないぞ、俺は。命を救ってくれたんだ。そのくらいは、すべきだろう。頭の中に、前世の彼女である茜の顔がちらつく。あれ、茜の顔ってどんなんだっけ。思い出せない。……本当最低な男だな、俺って。
静かに顔を近づけて、頬にキスを落とす。
「ふふ、駄兎に自慢してやりますの」
「おいやめろ。マジで血を見るから」
俺とお前が。
「どの道、あの女は臭いで気づきますわ。そうでなくともフィオが詰問されたらすぐバレますもの」
「お前ら、ほんと俺の顔読むの得意なのな」
「フィオが分かりやす過ぎますの」
ぐぬぬ。
「あ」
「何ですの?」
「竜!
俺はガバっとファナから離れて周囲を見回す。
離れた瞬間「あっ」とファナが言い、寂しそうな顔をする。え、ちょっとやめてよそう言う反応。何か申し訳なくなるやん。
少し離れた場所に、その老竜はオブジェのように屹立していた。
俺は老竜の死体のそばに寄り、見上げる。
その死体は雄々しかった。巨大な美術品のように美しく、気品が高く、竜という神秘生物の美しさをこれでもかと俺の網膜に張り付ける。
「……お前、あのまま死んだんだな」
「わたくしが来た時には、既にこうでしたわ。竜が戦闘した後には、基本的に魔物は寄らないから、このままにしておきましたの」
「解体は、しようと思わなかったのか?」
「フィオならば、自分で解体したいと言いそうだったからですわ」
「……そうか。ありがとう」
「別に。わたくしには全く分かりませんが、貴方は魔物すら博愛する
「何で二回言うんだよ」
俺は思わず苦笑する。
「大体、俺のどこが博愛なんだよ。私欲のために魔物を殺してるんだぜ?」
「戦っているところを見れば分かりますの。貴方の殺し方は、博愛そのものですわ」
「……そうか。そういうことにしておくよ」
「えぇ、そういうことにしておきなさいな」
俺は老竜の首を風魔法で降ろし、首を地面に寝かせる。見開いた巨大な眼を、両手で引き下ろして閉じさせる。
「ありがとう。俺の糧になってくれて」
静かに両手を合わせる。
「前から思っていましたけども、その祈り、トウツから習ったハポンのものではないのですか?」
「あぁ、そうだよ」
「フィオの、前世の世界での祈りですの?」
「あぁ、そうだよ」
「…………」
ファナが横に来て、手を合わせる。
俺はそれを見てびっくりする。
「おい、いいのか? 異教徒は死すべし、じゃないのか?」
「ふふ、このくらいいいですの。これでわたくしに天罰が下らなければ、ますます神のわたくしへの愛が証明されましてよ? 天罰が下れば、それはそれで神の手で死ねるのですから本望」
「本当、最高の聖女だよ、お前は」
「よく言われますの」
ファナが可愛らしくウィンクする。
「解体、手伝ってくれるか?」
「もちろんですの」
俺たちは、老竜の身体を解体していく。急ぎの作業だ。俺が気絶していた間に、竜の死骸をあさりに来る魔物が反応しているかもしれない。そいつらは、竜の気配にすら臆しない強力な魔物たちだ。連戦で相手するわけにはいかない。
大まかに分けて亜空間ローブに入れて持ち帰る。ファナの亜空間ベールもあるし、容量は十分だ。
「他の
「親の竜は二頭とも滅しましたの。子竜は二頭。解体はまだしていませんけども。フィオが危険と感じたので、慌ててこっちに駆けつけましたのよ?」
「そうか、すまない」
「三体の子竜には逃げられましたの。あの分では、わたくし達に報復する余裕はないと思いますわ。自分たちが生き残るのがやっとでしょう。親の庇護がない亜竜の子どもが生き残れるほど、この森は甘くはないですわ。他の魔物は、成長する前に子竜を殺しにかかるでしょうね」
「そっか。そうだよな」
それもまた、自然だ。弱肉強食で、自然淘汰だ。彼らが生き残るならば、生きればいい。死んでしまうのならば、そういう運命なのだろう。その自然の動きに、俺は感傷することは出来るけども、干渉は出来ないし、すべきでもないのだ。
「さて、フィオ」
解体が終わり、ファナがこちらを満面の笑みで見つめてくる。
「何だ?」
「この老竜は亜竜とはいえ、間違いなくA級相当の討伐ランクですわ。ソロでのA級討伐は初めて、でしょう? だから」
ファナがシスターベールの隙間からこぼれる髪を手で払いながら、腰を屈めて俺の顔に、顔を近づける。そして静かに頬にキスを落とした。
「これはご褒美ですわ」
そう言って、ファナは他の竜の死体がある方向へ歩みを進めた。
後に取り残された俺は茫然とする。心なしか、頬が熱い。これは気のせいじゃないだろう。あ、いやこれは物理的に熱いな。ルビーが多分、空中の魔素に火をつけてるもん。
「どうどうどう、ルビー。頬っぺただから。友愛だから。恋愛じゃないから」
ルビーをなだめつつ上機嫌な彼女の背中を追いかけるために、俺も歩みを進めた。
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