第202話 王室の使者は、カイコガの鈴の音

「初めまして。王室の使者として参りました。カイコガ族のベル・ア・ソアと申します」


 上品な女性が静々と頭を下げた。


 その女性は初雪のように真っ白だった。頭髪や体色が白に覆われているので、黒茶けた触覚や黒と赤の瞳がまるで浮いているように見える。

 彼女の風貌は、虫寄りではなく人寄りだ。つまり、普人族に近い。

 他の昆虫型の虫人族ホモエントマのように、二本の足で立ち、四本の腕を持っている。手足のつなぎ目の部分がまるで球体関節のようだ。昆虫型の人々とはこの二日、いろんな形で出会ってきた。その中でも彼女は儚い印象が強く出ている。頑強そうな印象は全くなく、押せば簡単に体が崩れてしまいそうだ。


 体表は硬質ではない。羽毛か粉雪に覆われているかのようにふわふわとしている。首元にはマフラーのように白い毛で覆われている。触覚は現代アートの櫛のよう。普人族でいう白目が黒目になっており、虹彩には赤いリングが光っている。背中から着物のように白い美しい4枚羽がストンと落ちている。


 ケーファーさんと会った時も思ったが、この国の人々は自前の羽が邪魔なので、ローブは着ないようだ。彼女が着る服も、背中をざっくりと開ける形状になっているらしい。正面からでも、体の側面から背中へと紐が伸びているのがわかる。おそらく、エプロンのように背中で結んであるのだろう。


「あの、私の顔に何か?」


 ベル・ア・ソアさんがおずおずと話しかけてくる。自分に自信がないのだろうか、終始顔が申し訳なさそうだ。瞳の上にちょこんと乗ったまろ眉が、申し訳程度にハの字を作っている。


「いえ、カイコガ族の方と会うのは初めてでして。不躾な目で見て申し訳ありません」

「いえ、こちらこそお目汚しを」

「お目汚しだなんて、とんでもない」


 むしろ、めちゃくちゃ美人の部類に入るだろう。

あれ、でも、俺の感覚で美人と感じるということは、この人ってもしかして。


 いや、そういうことを考えるのは失礼だ。

 彼女は今のところ、王室の人間へと導いてくれる唯一と言っていい存在だ。機嫌を損ねるのは得策ではない。彼女との人間関係の構築に失敗してしまうと、頼みの綱がカプリさんしかいなくなる。

 そのカプリさんでさえ、昨日寝る前にトウツたちから「警戒を怠るな」と忠告されたのだ。油断ならない人物であるらしい。親切なおじさんにしか見えなかったけども。

 蜘蛛の糸は一本よりも、二本あった方がいい。

 願わくば、その糸の両端がエクセレイとコーマイを繋いでくれると、もっといい。


 何か、考えれば考えるほど人選ミスな気がしてきたぞ。エイブリー姫は何でこの役割を俺に与えたのだろう。相当焼きが回っているのかな。あの人、政敵が多そうだし。


「いえ、ですが私は確かにお目汚しなのです。フィル様たちは私たち虫人族ホモエントマの美的感覚は既に御承知でしょうか?」

「ええ、まぁ一応は。俺達の相貌も、言ってしまえば見てくれはよくないですよね? 念のために仮面をつけていますが、それでいいですか?」

「私も醜女しこめですので、外していただいて結構です」

 そう言って、ベルさんがしゅんとする。


 どんなテンションで話せばいいかわかんねぇ……。え、勝手に落ち込む人と話す時って何を意識すればいいの? 助けてマギサ師匠。


 俺たちはそれぞれ仮面を外す。

 仮面を外すと、対面のベルさんがはっと息をのむ。

 だが、嫌悪感を一切表情に出さない。優しい人だ。


「ま、まぁ用件について話しましょうか。そこにかけて下さい。女将さんに客間をまるごと借りたんですよ。くつろいで下さい」

「ありがとうございます」

 ベルさんが上品な所作で座る。


「本日は、正確に言えば王室というよりもジゥーク・ケーファー騎士団長の橋渡し役として参らせて頂きました。本来はもっと立場が上の者が応対すべきところを、私のような小娘で申し訳ありません」

「かしこまる必要はありません。我々も身分の高いものではないので。使者を送ってまで気にかけていただいて嬉しいです」

「あ、ありがとうございます!」


 何というか、思ったよりも優しめの人が来たな。

 使者は交渉者だ。場合によっては、俺たちから国益になる情報を引き出すことも仕事のはず。だが、彼女からはそういった切れ者の雰囲気を感じない。あくまでも俺の評価だけども。

 トウツから警戒サインが来ない。ということは、少なくともうちのパーティーメンバー全員が彼女を警戒するに値しないと判断しているのだ。


「私はソア家の二女になります。ソア家はコーマイの中では古い家系でして、そうですね、エクセレイ王国でいう公爵家でしょうか」

「公爵家!」

 俺は慌てて居ずまいを正す。


「私はそこまで畏まるほどの相手ではありません。その、今回フィル様達の使者を務めるのも、相応の家柄があり、未婚で、フィル様たちにとって見目麗しく見えるという人選でしたので。申し訳ありません、自分で見目麗しいだなんて。思い上がったことを言ってしまいました」

「いえ、確かにベルさんは美しいですよ」

「えっ」

「はいストップ」

「ステイですわ、フィル」

「私もそう思う」


 女性陣から「待った」がかかった。


「すいません、ちょっとタイム」

「え、あ、はい!」

 俺の言葉にベルさんが慌てて返事をする。


 俺たちは部屋の隅に移動し、こそこそと話す。


「何で止めるんだよ」

「フィル、今口説く流れだったでしょ?」

「ちげーよ!」

「いや、確実に褒め殺しするパターンでしたわね」

「でも実際美人だろあの人。美人を美人と言って何が悪いんだ」


 円滑なコミュニケーションに誉め言葉は大事だぞ。会話が苦手な俺でもそれくらいはわかる。


「そこよ、フィル。貴方が褒めれば褒めるほど、彼女にとっては醜いと言われることになる」

「あっ」

 フェリの言葉に思わず声がでた。


「冒険者のムナガさんはそれで気を悪くするような人ではなかったけど、今回の相手は使者。しかも公爵令嬢。言葉には気を付けるべきよ」

「あぁ、わかったよ」

「あと、フィルもほだされないでよね~?」

「何でだよ」

「わざわざ未婚であることを自分から開示してきましたのよ? 姦計の可能性ありですわ」

「そんなわけないだろ。俺はガキだぞ?」

「虫人族の10歳はとっくの昔に精通済みよ」

「生々しい性知識をいきなりもってくるのやめてくんない?」

「こっちの基準でいう美人を使者にしたんだから、可能性は高いねぇ」

「うっかり結婚でもしちゃったら、所属がエクセレイではなくコーマイになってしまいますわ。血縁関係で縛ってくることは、上級冒険者ではよくあることですの。気を付けて下さいまし」

「使者なのにあんなに間が抜けた人選なのも怪しい。未婚だと話したのも彼女の判断ではなく、誰かの入れ知恵よ。手を出してごらんなさい。未婚だと気づいたうえで手を出したんだから、コーマイに所属する気があるんだろうと見なされてもおかしくないわ」

『総括すると、フィオは彼女に惚れない範囲で仲良くなるということじゃの』

「よくわかんないけど、わかった」

「それ、絶対わかってないよね?」


 俺は無視して振り向く。よくわかんないけど、多分どうでもいい話だこれ。


「お待たせしました」

「は、はい!」


 俺が席に戻ると、そわそわして待っていたベルさんの肩がぴんと跳ねる。いちいち反応が可愛らしい人だな。


「俺たちがジゥークさんに伝えることがある時は、ベルさんを通せばいいということですね?」

「はい、そうです。私もこの旅館に泊まりますので」

「公爵家の一人娘が? それは危険では」

「いえ、私は政略結婚にも扱えない女ですので、家柄ほどの価値もないのです。ある意味、一番安全な存在と言えるでしょう。だからこそ、フィル様たちへの使者として選ばれたのです」

「ジゥークさんが、そのような人選を?」

「いえ、これは私の父の決定です」


 何とも、話が進む度に反応に困ってしまう。

 ジゥークさんは豪傑であり、誇り高い騎士だった。彼女の自尊心を傷つけるような人事をするとは思えなかったので、つい聞いてしまったが。そうか、父親か。

 うーん、墓穴ばかり掘っている気がするなぁ。


「それと、出来ればクエストを達成した際は、私にも一報を頂ければと思います。王室では既にフィル様たちへ褒賞の授与をすることが決まっております。ですが、異国の人間に褒賞を与えることが歴史上あまりございませんので」

「どのくらいの報酬にすべきか、決めかねていると?」

「はい、そうですね。申し訳ありません。何分、前例のないことでして」

「確かに、そうだよなぁ」


 今、王室で財務を握っている人間は頭を悩ませていることだろう。

 国の危機を救った人間がいる。だが、そいつは異国人だ。異国人が英雄的な活躍した時の相場と呼ばれる報酬が過去の記録にない。つまり、今回決める報酬の内容が今後の指標となってしまい、マニュアルになってしまうのだ。多すぎても少なすぎても角が立つ。


 しかも、コーマイは今、国難だ。懐事情が厳しいはず。そんな中、報酬を与えすぎれば「国民の援助を優先しろ」と国民から文句を言われる。逆に低く設定すれば「国力を見せつけられない!情けない!」という事態になる。

 彼らは、より適切な報酬を与えるために情報が欲しいのだ。クエスト内容も、その情報の一つということだろう。

 であれば、協力すべきだ。

 向こうはこちらの価値を測りたい。こちらは自らの価値を誇示したい。お互いに利のある話である。


「もちろん、協力させていただきます。既に我々はクエストを2つこなしていますが、耳に入れた方がいいですか?」

「いえ、それに関してはカプリギルドマスターより伺っています。大丈夫です」

「そうですか。よかった」

「王室やケーファー様より伝言があれば、また私の方から話しかけることもございます」

「承知しました」

「引き続き、フィル様達にはクエストをしていただければと思います。カプリギルドマスターから聞いたのですが、エクセレイからの救援だけが目的でなく、冒険者業のために入国されたとか?」

「ええ、そうなります」

「この度はありがとうございました。一コーマイ国民として、御礼申し上げます」

「いえ、すべきことをしたまでです」


 人に感謝されるのは、くすぐったい。

 でも確かにこれで良かったと思える。真摯に礼を述べる彼女を見ると、一層その気持ちがわいてくる。


「では、王室の決定が下るまでは、しばらくこのままということですね」

「はい。フィル様は長く滞在すると伺いましたので、国が落ち着いた後にしたいと王室より回答頂いております。国民も余裕を取り戻してからでないと、王室が誰に褒賞を与えたかなどというニュースは気にも留めないでしょう。救国の英雄を周知せずに送り返すなど、あってはならないことなのです。ご理解いただけると幸いです」

「急ぎではないので、それで構いません」

「ありがとうございます」


 渡りに船である。こちらはゆっくりとこの国から信頼を勝ち取るつもりだった。それにクエストも出来るだけ多くこなしてからエクセレイに戻りたい。

 冒険者業を通して、少しずつ、この国での地盤を固めていく。パスさん達のような気心の知れた仲間を増やしていくのだ。最後にものを言うのは人だ。この国の人々を味方につけていくのだ。


「では、他に確認したいことはございますか?」

「いえ、こちらからはありません」

「そうですか。で、ではですね」


 ベルさんがそわそわしてこちらを見る。両手の人差し指を胸の前でくるくるとひっつけている。

 何やら緊張しているが、どうしたのだろうか。


「あの、私はコマドリの間におります。2階の部屋です」

「はぁ」

「夜はいつも時間が空いてますので、フィル様がよければ自由に出入り下さいませ」

「はい。いつでも会えるのは都合がいいので助かりますね!」

「あ、えっと。はい」


 ベルさんが困惑したような顔で客間を退室した。

 交渉が終わった。

 俺は胸を撫でおろして椅子に深く沈んだ。


「ふふ、くくく。まさかそこで天然で返すとはねぇ」

「ベルさんも一世一代の誘い文句でしたでしょうに」

「何がおかしいんだよ」


 トウツとファナが突然吹き出したので、俺はうろんな目で椅子ごしに振り替える。


「フィルは多分、何事もなくこの国を後にするということよ」

 フェリが上品に笑いをこらえている。


 あ、いや駄目そう。今吹き出したもん。


「一体何なんだよ」


 結局、3人が笑っているのが何故なのか、わからずじまいだった。

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