第196話 旅館にて

「で、どうやって寝よう」


 珍しいことに、旅館への瑠璃の入室許可をもらった。というのも、虫人族は体毛どころか鱗粉もある種族が多くいるので、瑠璃みたいな犬型の使い魔くらいは迷惑でも何でもないらしい。シデムシ族という掃除のスペシャリストである種族もいるとのこと。


 そして問題は寝る場所である。旅館の女将が何かを勘違いしたのか、部屋の中心にキングサイズのベッドが1つだけある。ベッドの四隅には蝶の彫刻があしらわれた柱があり、天井からは光沢を放つ絹の天幕が降りている。

 え、なにこれ。


「やっぱ、旅館の人呼んで部屋変えようか」

「大丈夫よ」

「大丈夫って」


 フェリは忘れてやしないだろうか。俺は、実年齢は結構いい大人なのだ。


「フィオは、私を信じてくれるんでしょう?」

「ん〜、どっちかというと、俺が信用できないのはフェリというよりも自分自身なんだけど」

「?」


 いや、そんなきょとんとした顔をされても。大人びた女性が不意に見せるあどけない表情はグッとくるものがある。俺がそれを必死に押し隠しているのを、この朴念仁の錬金術師は気付いているのだろうか。


「ベッドは広いから、隅に寄って寝れば恥ずかしくないわ」

「それもそうだけど」

「オラシュタットではみんなで雑魚寝だったじゃない」

「あれは人数が多いから逆に問題なかったんだよ」


 目に毒だったけど。特に裸族のトウツとファナ。


「私と一緒じゃ、嫌?」


 何か、今日のフェリは妙に押しが強い。トウツやファナに感化されたのだろうか。俺が学園にいるときはずっとあの2人と一緒にいたわけだし、そうだとしてもおかしくはない。


「嫌というわけではない。というよりも嬉しいです」


 ここで俺は嘘なんぞつかんぞ。美人と同衾するのだ。世の男は嬉しいに決まっている。まぁ、ダークエルフの呪いがある以上、俺と彼女がどうこうなることはないだろうから言えることでもある。


「そう」

 フェリが薄く笑う。


 彼女が楽しそうなのを見れば、俺も楽しい。この回答で正解だったらしい。

 周囲の魔素が慌ただしく赤く点滅する。ルビー的には不正解のようだ。この親友のご機嫌とりは、昔から難しい。


『わしが間に入るがの』

 ぬっと、瑠璃が間に現れる。


 俺はそれを捕まえて、わしわしと毛繕いをする。何か瑠璃とフェリの視線が一瞬ぶつかった気がするけど、それは気のせいだろう。気のせい気のせい。


「そういえば」

「なに?」

「この部屋がこうなってるの、トウツとファナは知ってるのか?」

「……知っているわけないわ」


 だから、何で一瞬言い淀むの?




「わたくしがベッドで寝ますわ」

「何を言っているんだい? 前衛専門の僕のコンディションが一番大事だ。ここは僕がベッドに寝るね」

「あら、忍者はベッドの下か天井裏で寝ればいいのではなくて?」

「そういう聖職者も、禁欲のために石の上で寝れると聞いたよ? 床で寝なよ」

「職業差別ですわね」

「その言葉、そのまま返すよ」

「わたくし、そろそろ貴女のそのねじれた性格を矯正すべきと思いますの。神の使徒として」

「私欲と使徒職をごっちゃにしないでほしいなぁ。神様は一体どうしたんだい? 君みたいなやつを聖女にするなんてね。もうろくしたのかな?」

「神はもうろくなどしませんわ。あまりにも不敬ですわよ。天罰がくだりますわ」

「おりるとしたら、真っ先に君だろ〜う?」


 ファナの額に青筋が浮いて出る。

 それをニヤニヤ見ながら表情で煽るトウツ。


「……ここで喧嘩したらフィオを怒らせますの」

「それは僕も望むところではないねぇ」

「今晩、どちらが多くクエストをこなせるかで勝負しませんの? 勝者がベッドを手に入れる。そうですわね。フィオがダークエルフの呪いを解いたとき、先に口説ける権利も賭けましょう」

「乗った」

「ぶっ潰してやりますのサノバビッチ」

「2度と聖職者を名乗れなくしてやんよ」


 その晩、都ミヤスト周辺の魔暴食飛蝗グラグラスホッパーが忽然と姿を消した。

 ギルド職員の情報により、異国のA級パーティー無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドが夜通し駆除してくれたという噂が駆け回ることとなる。フィオたちの知名度と支持する声は、入国2日目にして最高潮に高騰することとなる。


 なお、朝食を持ってきた旅館職員がベッドに折り重なり、泥のように眠る2人を発見する。フェリファンに「女同士なのだけど、こいつらはカップルなので同室で」と吹聴されていた旅館の人間は、その勘違いを更に加速させることになる。




「おやすみ〜」


 瞑想で魔力を空にして、フィオはあっという間に眠ってしまった。半分気絶みたいなものだが。

 起きている間はあれだけ屁理屈を述べていたのに、いざ眠るとなるとあっさり意識を手放すフィオに、フェリファンは納得のいかない表情を浮かべた。

 オラシュタットの宿では、フィオがいつもこうなのでトウツとファナが色めきたって大変だった。瑠璃と自分が週末はいつも苦慮していたという事実を、彼はいい加減気づくべきだと憤慨する。

 トウツとファナが今回あっさり引いたのは、彼女たちなりに反省はしているということなのだろうか。

 2人の気配が旅館から遠ざかるのを感じる。


「こんな夜更けに何してるのかしら、あの堕兎と似非聖職者は」

 フェリファンが独言ひとりごちる。


 目の前には緊張感のない寝顔を晒すエルフの少年。中に入っている魂は成人男性のはずなのに、体年齢に引っ張られているのか、よだれを垂らす顔が童子にしか見えない。今の彼は千両役者の仮面も外している。エルフ耳がピンと尖っている。

 自分と同じ、鋭利な耳。

 出来れば、肌の色も同じでありたかった。そうであれば、ことは簡単だというのにと、フェリファンは思う。


「無防備な人」

 そう言って、フェリファンは少しベッドの隅から身をよじりフィオに近づく。


 瑠璃がちらりとこちらを見る。


「心配しないで。何もしないわ」


 フェリファンがそう言うと、瑠璃は静かに目を閉じた。

 フィオ以外には根本的に心を開かない彼女だが、最近は上手くやれていると、フェリファンは自分なりに思っている。

 彼の髪をすこうと手を伸ばすと、目の前の魔素が異常なほど赤く発光した。


「そうね。フィオに触れるには、まずあなたに許可を貰わないといけないわね」


 フェリファンは思わず苦笑する。

 目の前の小さなエルフは、無防備だ。

 この世界で生きるには絶望的に優しくて、慈悲があって、他罰的になれない。それが曲がりなりにもこうして生きている。それは以前彼が言っていた加護のおかげか。自分を含めたパーティーメンバーがいるからか。ストレガの名が守っているのか。はたまた、あのいけすかない姫様の後ろ盾によるものか。

 ただ一つ言えるのは、彼を一番最初に見守っていたのは、この火の妖精だということ。


「そうね、あなたの言うことを今度一つ聞くわ。その時は瑠璃を通して頂戴。だから、今はフィオを貸してほしいの。ダメかしら?」


 フェリファンがそう言うと、赤い魔素が萎んでいく。その条件で飲んでやろうといったところか。

 フィオの髪をすきながら、フェリファンは微睡まどろみに身を任せた。




 目が覚めると、目の前が暗褐色だった。

 鼻腔を落ち着く匂いが支配する。


「これはまずい気がする」


 視界を覆い尽くしているのはフェリの胸部だった。体を全てすっぽりと覆いかぶされる形になっている。彼女は寝る時、いつも薄紫のネグリジェだ。接着している肌色面積がまずい。これはやばい。精通していない俺でもやばい。

 フェリを起こさないように、身動ぎして上に逃れようとする。

 寝る時はお互いベッドの隅だったのに、何で中央で抱き合ってるんだ。俺は抱き枕がないと寝られない人間ではなかったはず。

 ロックされている腕を、フェリの脇から外す。抜けられそうになった瞬間、腰に回された彼女の腕に力が入った。鯖折り状態だが、柔らかいエアバッグがあるので抱かれ心地は最高である。青少年の何かが危ない。


「それはまずいって。フェリ、起きろ。起きて」


 隣部屋のトウツやファナを起こすのはもっとまずい。俺は声を潜めて起こそうとする。

 ベッドの隅にいる瑠璃と、パチリと目が合う。


『瑠璃、助けて!』

『今日だけは無理じゃのう』

『何で!?』

「置いてかないで」


 俺の腰にしがみ付きながら、フェリが言う。


「お母さん、どうして先に逝っちゃったの? 私を置いていかないで」


 胸の辺りが、フェリの涙で濡れる。

 それを見ると、脱力してしまう。


『……腕枕くらいは、かそうか』

『わしもそれでいいと思うぞ』


 俺はしばらく、フェリの頭を撫でながら過ごした。




 フェリが起きた。

 綺麗なアーモンドの形をした瞳がぱちりと開く。起き抜けでこんな顔が整っている人間って存在するんだなと、益体のないことを考える。前世の姉の寝起きの顔を見て笑うと、大体スリーパーホールドされてタップしていたものである。


「……お早う」

「お早う。よく眠れたか?」

「えぇ、うなされてた気がするけど、途中から安心したような気がしたわ」

「そっか。離れてもいいか?」

「……もう少し」

 フェリが目を逸らしながら言う。


 珍しいことなので、俺は驚く。彼女が他人に甘えることなんて、見たことがないからだ。


「何かあったのか?」

「……私、寝言で変なこと言ってなかったかしら?」

「あ~」

「その顔は、隠し事をしている顔ね」

「前から思ってたんだけど、お前ら俺の顔のパターン把握しすぎな」

「フィオが分かりやすいのよ」

「ぐぬぬ」


 俺はため息をつく。


「母親を呼んでた」

「……不覚ね。フィオは寝つきがいいから、バレないと思ってたわ」

「亡くなったのか?」

「心配しないで。幸せに死んでいったわ」

「そっか」


 俺はフェリの頭の上で手を合わせる。


「それ、テラ教の祈り方ではないわね。ハポン?」

「いや、前世の宗教の祈り方」

「そう、ありがとう」

 そう言いながら、フェリが上半身を起こした。


 俺たちはベッドの隅へ行き、背中を壁に預ける。


「母は普人族だったの」

 しばらくの間の後、フェリが口を開く。


「父と母が禁忌を破ってダークエルフに生まれてしまったけど、そうね、幸せだったと思う」

「どんな人だった?」

「優しい人だったわ。私をこの肌の色に生んでしまったのを、何度も謝ってた。だから私はダークエルフであることは隠したくないの。堂々と生きていたい。母に謝って欲しくなかったから」

「——イヤリング、プレゼントしたのは迷惑だったか?」

「いいえ、今の私たちはエルフの追跡者を相手している場合じゃないわ。これは必要なものよ」


 フェリがデスクに手を伸ばし、三日月のイヤリングを掌に乗せる。


「母は老衰で亡くなったわ。幸せそうな死に顔だった。でも私にとって一緒にいた時間はあまりにも短くて、物足りなかったの。あぁ、わかった。そう、そうだわ。私、もっと母と一緒にいたかったのね」

 フェリが腑に落ちた顔をする。


「フィオの前世は普人族だったのよね」

「そう、だと思う」


 この世界の普人族と地球の人間が同一とは思わないが、近しいことは確かだ。


「フィオがこの世界に、長寿種エルフとして生まれ落ちてよかった。母みたいに、泡沫うたかたのように消えていなくならないもの」


 そう言う彼女に、罪悪感がこみ上げてくる。

 本当の話を打ち明けたい衝動に駆られる。

 違うのだ、と。俺は君と一緒に、ずっといられるわけではないのだとぶちまけてしまいたくなる。でもそれは俺のエゴで、してはならないことだ。


「生きている限りは、一緒にいるよ」


 俺は、そうとしか言えなかった。

 嘘は言っていない。


 言っていないんだけど、あれ? どうしてフェリの顔が近づいているんだ? 彼女は目を閉じている。うわ、まつ毛長。肌めっちゃ綺麗。


「待って、フェリ。勢いに身を任せたらダメだろ」

「フィオ、抵抗しないで」


 奴隷印が熱くなる。

 フェリ!まさか命令したのか!? 数年間してなかったのに、ここで!?

 周囲の魔素が急激に熱くなる。ルビーがお冠だ。


『流石にそれはいかんのう』

 瑠璃が割って入った。


 と同時にドアが蹴破られる。刀と十字架を構えたトウツとファナがローリングして乱入してくる。何であいつら、目に隈があるんだ?


「おい!? ここ高級旅館だぞ!? ドア壊すなよ!」

「え、フィオ、気にするのそこぉ!?」

「正体表しましたわねダークむっつり!天誅ですわ!」

「いえ、違うのよこれは。その場の空気というか勢いで」

「「問答無用!」〜!」


 あえなく、1人のダークエルフが捕縛された。


 結論。

 旅館の女将さんに平謝りし、一番広い部屋にキングサイズのベットを2つくっつけて配置してもらった。明日からは全員で雑魚寝するという決定と相成った。どう考えても高級旅館の泊まり方じゃないと思うんだけど。


 ちなみにそのパーティー会議の間、フェリは首元に「私は10歳児に手をだす破廉恥な女です」という札を吊り下げていた。南無。

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