第189話 出発前の馬車にて

「えっと、あの。初めまして」

「えへへ〜。初めましてぇ」


 まずい。やっちまった。

 出会ってしまった。

 どうしてこうなることを想定しなかったんだ。どうにかして過去に戻りたい。何かしらの軌跡が起きて時間改変が起きないだろうか。異世界転生ができたんだ。タイムスリップだって出来るはずだろう、そうだろう、神様? え、駄目? あ、はい。そうなの。


 対峙している両名はアルケリオ・クラージュ。田舎の貧乏下級貴族出身の心優しき少年。色素の淡い髪が太陽にキラキラと輝いている。

 そしてトウツ・イナバ。極東のハポン国出身の忍者。変態。兎人族のショタコンプレックス。


 アルたちとは学園でお別れ会をして、別れを済ませたはずだった。

 ところが、ちゃんと見送りをしたいとのことで、早朝トウツたちが泊まる宿まで来てしまったのだ。後ろにはクレア、イリス、ロス。

 いい子たちや。滅茶苦茶いい子たちや。でも今回は不味いんや。今回ばかりは友人を見送るために早起きするいい子ではなく、悪い子でいて欲しかった。


「どうして来たんだよ!」

 小声でイリスに話しかける。


「アルが見送りたいというから、イヴお姉様に出発地を聞いたのよ。何よ、わたし達と離れるのが寂しくないってわけ?」

「いや、そうではないけども」


 あの姫様ぁ!

どうして普段は頭が切れるのに、こういうところで配慮してくれないんだよ!


「どうでもいいけど、あんた何でお姉様をイヴと呼んでいるのよ。いつ仲良くなったのよ。あたしの目が黒いうちは、今以上に仲良くなったら承知しないわよ?」

「ごめん、今それどころじゃない」

「あ、もう!」


 俺はアルとトウツの近くに立つ。いつでもあの変態から世界一大切なルームメイトを助けるためである。

 緊張が走る。トウツがアルの尻を触るのが先か。俺の抜刀が先か。今、俺はとてつもなく集中している。闇ギルド攻略と比肩するレベルだと言っても過言ではないだろう。

 問題はストライクゾーンの広さだ。トウツは俺に五歳児の時に不老の薬を飲ませた。ということは、そこが彼女のゾーンである可能性が高い。内角低めといったところか。しかしアルはもう10歳だ。身長140センチ足らず。内角高め。俺の身長よりも30センチ近く高い。俺の想像以上にトウツの許容範囲が広ければ、アルはアウトだ。ショタ判定を受けるだろう。ロスには見向きもしなかった。あいつは成長が早くて、アルよりも10センチ以上高いし、表情も大人びている。範囲の外なのだろう。

 さぁ、どうなる。どう動く、変態兎。


 動いた!


 俺は亜空間から紅斬丸を抜いた。トウツが屈んだ。アルはキョトンとした。可愛い。


「君がフィルのルームメイトかい?」

「はい、そうですけど」


 日常会話!? トウツが日常会話だと!? どうして美少年の前で平静を装えるんだよお前!どうしちゃったんだよトウツ!いつものお前はそうじゃなかっただろ!


「フィルは学園では、どお〜?」

「いつも気絶してるから心配です。流石にもう慣れましたけど」

「心配してくれてるんだ〜。優しい子だねぇ、君は」

「いいえ、フィルにはいつも助けられてるからっ!」


 何だこの近所のお姉さんと少年みたいな緩い会話は。


「そっか〜。フィルのこと、好き?」

「はい。大好きです!」


 でかしたトウツ。この世界に録音機器がないことが悔やまれる。いや、開発しよう。録音魔法だ。それとついでにホームビデオみたいなのも魔法で作りたい。クレアとアルの成長記録をするのだ。

 あとクレア。俺を睨まないで。お兄ちゃんを睨んでもアルから「大好き」は引き出せないぞ。


「そっか〜。これからもよろしくね」

「はい!」

 そう言って、馬車の方へ向かうトウツ。


「お、おい」

 慌てて俺はトウツの方へ向かい、声をかける。


「フィル、何で紅斬りちゃん出してるのさ」

「いや、悪漢が出ると思ってさ」

「物騒な世の中だからねぇ」


 いや、お前のことだよ?


「アルが気にならないのか?」

「どうして?」

「いや、お前の好みなんじゃないかなって」

「甘いなぁ、フィルは」

「何がだ?」

「フィルの言葉だと、僕は何だっけ。ショタコンとか呼ばれるんだろう?」

「そうだけど」

「僕はとっくの昔に、フィオコンさ」

 トウツが俺の耳元でささやく。


 エルフ耳がゾワゾワした。


「まぁ!まぁまぁまぁまぁ!何て神聖な魔力の持ち主なの!美しい!美しいですわ!」


 視界の端で、痴女ファナがアルを抱きしめて拉致した。

 しまった!伏兵がいた!


「ファナやめろぉ!」

「シッ!」


 俺よりも先に肉薄する者がいた。クレアだ。


「やぁ!」


 クレアの渾身のハイキックを片手で受け止めるファナ。


「あら、何ですの? おやまぁ!こっちの男の子程ではないけども、貴女も神聖なスメルがしますわ!」


 満面の笑みでアルとクレアを両手で抱き上げるファナ。彼女の身長は2人よりも20センチも高くない。それでも余裕で抱えるあたり、背筋力の差がえげつない。

 よく考えれば、2人は学園の中で最も光魔法の適性が高いのだ。ファナのアンテナに引っかからないわけがない。


「んー!んー!」

 必死にじたばたと足掻くクレア。


 アルはぼやっとした顔で虚空を眺めている。本当お前大物だよな。おそらく、ファナに敵意がないから自由にさせているのだろう。俺もアルみたいに器の大きい人間だったら、もっと気楽に魔王討伐への決意が固まるんだろうか。


「ぷはっ!許さない!私だってアルにハグしたことないのに!」


 おい、クレア。隣にアルがいるけど、大丈夫かその発言。


「ねぇ!フィル頂戴!この子達わたくしに頂戴!きっと素晴らしい祓い師エクソシストになるわ!こっちの男の子からは子種も貰おうかしら!」

「ん“―!」


 節操ないなお前!

 痴女の腕の中で妹が死ぬほど足掻いている。滅茶苦茶魔力解放するやん。それをファナは涼しい顔で抱っこしている。ぶっちぎりでイカれた女だ。


「アルに手を出すのは困る!」


 俺はファナに肉薄し、紅斬丸を振るう。


重すぎる愛シュヴィエドゥアー


 ファナがアルとクレアを解放し、俺の刀を受け止める。


「おらぁ!」

 俺はラッシュをかける。


 アルに手は出させぬ!アルこそ俺のメインヒロインなんだ!ひたすら愛でた後、クレアと一緒に幸せになるのを結婚式の親族席で見送るんだ!ダークエルフの呪いはこの際置いといて!ここでお前のお手付きにするわけにはいかないんだよ!例えパーティーメンバーだろうが、妹の幸せの邪魔はさせねぇ!

 ていうか普通に犯罪だし!


 俺のラッシュをファナが受け流す。いける!速度は追いついている!


「速いけど、まだパワーはわたくしの方が上ですわね」

「ざけんな!」


 身体強化をフルにし、横一文字に斬りつける。

 ファナが地面を抉りながら後退する。


「よくってよ、フィル!流石はわたくしの未来の旦那様ですわ!」

「そんな未来はねぇ!」

「未来は掴み取るものですわ」

「かっこいいこと言ってるけど犯罪だからそれ!」

風刃ウィンドカッター!」

「あら」


 横から飛んできた風魔法をファナがかわす。


「アルには、触れさせない!」


 いやもう、隠す気ないやん我が最愛の妹。


「それと、何でイリスも参加してるんだよ」


 クレアの隣で氷魔法を形成するイリス。何故臨戦態勢なのか。


「な、何よ。クレアの手助けよ」

「付き合いいいな、ほんと」

「あ、あの人フィルも狙ってるのよね?」

「そうだな。逃げ切るけど」

「て、手伝ってあげる」

「? ありがとう」


 素直ではないが、やはりイリスはいい子である。

 これで3対1。


「瑠璃。馬車でブラッシングするから手伝って」

『あいわかった』

「それはずるいですわ!」


 急増の4人組で教会の聖女を打倒した。


 ちなみにロスは見ながら爆笑していた。フェリは子どもたちと喋るのを避けるために、一人先に馬車へ乗って読書にいそしんでいた。







「はい、フィルは僕の膝の上に座ろうね」

「いいえ、わたくしの膝の上ですわ」

「意味がわからない。エイブリー姫から大きい馬車を借りたんだ。座席は広い。膝の上に座る意味がない」


 しかもペガサスだぞペガサス!


 俺たちは虫の国コーマイへ行く出立の準備を終わらせた。これから馬車に乗ろうという時に、席順争いが始まってしまったのだ。一触即発。トウツが刀の柄に手をかける。ファナのヴェールから十字架の先端がチラ見する。


「瑠璃、フェリ。俺の両隣に座ってくれ」

「そんなぁ〜」

「あんまりですわ」

「逆に何で膝の上がいけると思ったんだ。今までその手の要求が通ったことないだろうが」


 こいつら、本当に極東のエリートスパイと聖女なのかよ。ただの変態じゃないのか?


「数打てば」

「当たりません」

「フェリばかりずるいですわ。大人しいからといって、恩恵に授かりすぎですわ」

「一番得しているのは、どちらかと言うと瑠璃ね」

 フェリが静かに目線を落として言う。


 瑠璃は、俺の膝に頭を乗っけている。

 よしよし、ういやつめ。お前が一番の癒しだよ。俺はわしゃわしゃと瑠璃の首周りを撫でる。約束のブラッシングである。学園の寮ではアルと交互にしていたが、今日からは俺一人の仕事である。


『一番の特等席はわしじゃなく、ルビーじゃのう』

「頭の上か?」

『正解じゃ』


「フィオ、騙されないでよ〜? フェリもなんだかんだでスケベなんだから」

「ちょっと、トウツ。言いがかりはやめて」

「いいえ、ここは駄兎に同意しますわ。わたくしたちはフィオの下半身を堂々と見ますが、そこのダーク隠れビッチさんはフィオと目が合わない時に隠れて見ていますのよ」

「え、そうなのか?」

「そんにゃわけない!」


 落ち着けフェリ。噛んでいるぞ。


「というか、お前ら俺の下半身見てたのかよ。普通に怖いわ。やめてくれ」

「あ〜れ〜れぇ〜?」


 トウツの顔が楽しげに歪む。赤い瞳に嗜虐に満ちた三日月をかたどる。

 やばい。何か会話トラップ踏んじゃったか?


「フィオこそ、そんなこと言える立場なのかなぁ? いつも僕の胸を見てくるよねぇ」

「あ、いや。それは」


 ごめんなさいごめんなさい。これは男のさがなんです。

 目を逸らした先にフェリの瞳があった。擦りガラスのような、淡い水色の瞳がこちらを見やる。


「えっち」

「違う!いや、合ってるけども!」


 男はみんなそうなんだよ! え、そうだよね? 俺の半径5メートル以内の男はみんなそうだったけど。自信なくなってきた。


「というか、納得がいきませんの。何で隣の駄兎の胸は見てわたくしの胸は見ませんの?」

「それは胸じゃなくてただの筋肉じゃん」

「やりますの? 変態兎。ギルドでは未消化でしたわね」

「別に僕はいいけどぉ~? 喧嘩したところでファナちゃんの真っ平がふくよかになることは未来永劫ないけどねぇ」

「…………」

「…………」


 クロスカウンターがさく裂した。

 トウツとファナの脇腹にお互いの拳がめり込んで盛大に凹む。彼女たちの脇腹から衝撃波が弾けて、馬車内部の空気を一瞬で圧縮する。

 空気が弾けた。と同時に、馬車の両側の壁が吹き飛んだ。

 2人が馬車の側面を突き破って吹っ飛んだのだ。


「ヒヒーン!?」

『外のペガサスが混乱しておるのう』

「マジ? 御者さんに謝らないと」

「壁は私が直しておくわ。ついでに2人が戻れないように強化加工しようかしら」

「な、何の爆発ですか!? 敵襲ですかい!?」

 御者さんが室内を伺いながら慌ててまくし立ててくる。


 あ、そっか。それが普通の反応だよな。

 何か俺も瑠璃もフェリも、麻痺してるよなぁ。


「すいません。直ぐに直します!……付与魔法もしますので、賠償請求は勘弁してくれませんか?」

「とんでもない!付与魔法なんて、おつりが来ますよ!」


 御者のおじさんは、更に声を荒げて混乱していた。

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