第186話 出発前の悶着(エイブリー姫との対話)
「遠征の許可? 出来るわけないじゃないの。」
そう言ったのは、我らが第二王女エイブリー姫である。
「え“。」
「え、じゃないの。フィル君、貴方は自分の価値がわかっているの? エルフの巫女よ? ストレガの弟子よ? 貴方はエクセレイ王国が一番失ってはいけないカードのうち一人なの。正直な話、私よりも代えがきかないわ。」
「いや、それは言いすぎでしょう。」
「過言ではないわ。いい加減、自分の価値から目を背けるのをやめてほしいのだけれど。」
「それはまぁ、そうですけども。瑠璃、何か言ってやってくれ。」
「わん。」
「お前、こういう時だけ犬のふりするのずるくない?」
そんな俺たちを見て、イヴ姫がため息をつく。ため息のつき方ですら、王族は優雅なんだなぁ。息から桃の香りがしそう。
「異国で貴方が死んだら、私は困ります。」
「はぁ。」
「とても、とて~も困ります。」
「でも、このままではじり貧ですよ? それはイヴ姫もわかっているはず。」
「もちろん、わかっています。この戦いは、貴方のレベルアップがなければ厳しいことくらい。」
「ギルドに口利きをして、俺のクエストを優先したら絶対角が立ちます。戦が始まった時に、イヴ姫の影響力が弱まっているのは望むところではないでしょう?」
「……私ではなく王家の、ですね。」
「嘘ですよね? 多分、現国王は貴女の手腕を買って自由に動かしている感じがします。魔王と本当にことを構えることになった時、指揮を執るのは貴女ですよね?」
「……最近、フィル君が嫌な方向に賢しくなったからお姉さんは悲しいのです。」
イヴ姫がよよよ、と泣きまねをする。
「貴女が時々俺を社交界に連れて歩くものだから、身についたんじゃないですか。」
俺はあきれる。
信頼は大事だ。
戦争が始まった時、信頼されていない人物に大事な戦闘や戦局は任せられない。イヴ姫は社交界で俺にその信頼を取り持つ仕事をしてくれている。おかげで、俺の貴族からの覚えは良い。
一部を除いて、だが。
とりわけ、学園の実地訓練で一緒に行動したドゥレン家などからは敵視されている。ヴラット・ドゥレンを始めとしたあのメンバーは、全員退学になったと聞いた。闇ギルド、もとい、魔王軍との初めて接敵した時、その土地を治めていたのもドゥレン家だった。俺から2段構えで貴族としての面子を潰された形となる。身から出た錆びとはいえ、嫌われて当然だろう。
パルレさんが紅茶を置く。
会釈をする。
「でも、フィル君は社交マナーが身につくのは早かったわね。前世はそこそこの家の生まれだったの?」
「何のことを言っているのかわかりませんが、イリスが教えるのが上手いんですよ。」
サブリミナルに前世聞き出そうとするの、やめてくれません? 心臓がもたない。
「そう、そのイリスよ。私、大事な従妹が泣く姿も見たくないのよね。だから、遠征はやめてほしいのだけれど。」
「イリスが俺のために泣きますかね?」
「いい加減、しらばっくれるのをやめたら?」
「…………。」
そりゃあ、流石に俺も気づいている。
あの少女が俺に少なからず好意を抱いていることくらい。
でも、色んな意味で俺は彼女の好意に素直に向き合うことはできないだろう。そもそも歳の差がありすぎる。彼女は俺を少し大人びた同級生と思っているだろうが、こっちからしたら年の離れた姪っ子みたいなものである。
種族としての違いもある。恋仲になどなってみろ。ダークエルフ直行コースだ。俺はコヨウ村に帰るまでは、ダークエルフになるつもりはない。
そして、茜。
前世での俺の恋人。なぁなぁで付き合っていたけど、死ぬ前になって大事な存在だと気づいた女の子。
俺は何だかんだで、彼女のことを忘れられないのだろう。
茜さす加護。彼女は今でも加護として俺を守ってくれている。どんなつもりなのかは、分からない。俺が庇って死んだから、罪滅ぼしのつもりなのか。はたまた、死んでもまだ俺のことを好いてくれているのか。
分からない。
分からないは、怖い。
そして、この未知が既知になることは、おそらくない。
「……ダークエルフになるのは怖いですからね。」
「便利な逃げ口上ね。」
「今日はやけに当たりが強いですね。」
「愛しのフィル君が出ていくといって、最愛の従妹に小言を一晩中聞かされた女性が目の前に座っているのだけれど、何か言うことあります?」
「ごめんなさいすいません。」
「よろしい。」
『わが友ださすぎじゃのう。』
『瑠璃まで当たり強くなる必要なくない?』
みんな、酷い。
「……許可します。」
「え?」
「許可すると言ったんです。」
「本当ですか!? でもどうして?」
「許可貰ったら貰ったで、素直に受け取らないところがフィル君の面倒なところよ。」
「はい、すいません。」
イヴ姫が紅茶を口に含む。
俺もそれに倣い、口に含む。茶葉の香りが鼻孔を通る。気持ちが少し落ち着く。同じ茶葉をこないだ買ったはずなんだけど、何でこうも味が違うのだろうか。魔法で温度調節と抽出は完璧なはずなのに。う~む、謎だ。メイドってすごい。
「同盟を急いで結ぶ必要があるのです。」
「同盟?」
「そう、同盟。闇ギルドに扮した魔王の手先をフィル君たちは、こないだ潰したわけだけども。そこは何処だった?」
「北西ですね。レギア皇国との国境沿いです。あっ……。」
国境沿いということは。
「合点がいったという顔をしているわね。そうよ。エクセレイ王国の地方が侵されていたのだもの。他の国がそうではないと、言いきれる?」
「……ないですね。むしろ、ここの近隣で一番軍備が整っているのはエクセレイです。他の国の方がむしろ御しやすいでしょう。」
「そう、そうなの。だから、汚染が始まる前に他の国の中枢とは手を組んでおかないといけないわ。」
「派手に動いたら危険では?」
「逆よ。拠点を一つ潰したのよ? 手記を奪取されたことも、敵は気づいている。つまり、エクセレイ王国が魔王対策に動き出した方が自然なの。それでも大々的には動けないけどね。普通の為政者であれば、魔王崇拝のカルト信者が地方の隅で暴れていたと判断するでしょう。」
「でも、俺たちは本当に魔王が暗躍していると知っている。」
「貴方とクレアちゃんのおかげでね。」
巫女が二人いるのは心強いわね、とイヴ姫が付け足す。
「魔王と、はっきり言いはしないわ。でも、国境できな臭い動きがあったから、そっちも気を付けてね。場合によっては軍事協定を結びましょう、と提案するのがベストね。」
魔物の大反乱の予兆という大義名分もあるしね、とイヴ姫が付け足す。
「なるほど。」
「そこで、欲しい人材があるのよ。」
「人材?」
「大使よ。国交大使が欲しいの。有事の際に、エクセレイが他国とすぐに連携出来るための橋渡しね。私が動かせる信頼できる駒は本当に限られているの。だから、正直貴方の遠征は渡りに船ではあるの。」
「なるほど……。協定を結ぶ国は?」
「
「何というか……バラエティ豊かですね。」
「そうなのよ。そして、この仕事を信頼して任せられる人材があまりにも少ないの。王族含め、ね。学園からも、シャティ・ダンナーの研究成果を盗んだ人物が出た。彼は魔王様とやらに心酔していたそうね?」
「そのようですね。裏切り者があの男だけとは思えません。」
「プライドの高いことで有名な吸血鬼を取り込むほどだものね。」
「では、虫の国へ、交渉へ?」
「最初から交渉という名目で近づくのは危険ね。あくまでも、冒険者の増援として。武勲を挙げれば、普通の国であれば王族が箔付けのために褒賞を与えようと呼びつけるわ。」
「なるほど。」
「そして、貴方が信頼できると判断すれば、交渉を始めて。」
「俺の判断でいいんですか?」
「貴方の眼ならば、大丈夫でしょう?」
「魔力を見ることが出来るだけですよ?」
「あら。感情の機微はある程度魔力の流れに現れるのでしょう? フィル君、貴方がレポートで報告したんじゃないの。」
「あくまでも、凝視したらの話ですね。実力が近いか離れていれば、読み取ることは難しいと思います。」
「それでも、よ。今は貴方以上に自分の身を守れて、交渉が出来る人材がいないわ。運のいいことに、貴方にはプロのスパイと聖女がついている。何故野良でいたのか分からない金魔法のスペシャリストと、可愛いわんちゃんもね。」
イヴ姫がほほ笑みながら瑠璃を見る。
瑠璃は渋面で返す。イヌ科の表情は雄弁である。うちのパーティーメンバー、不敬が過ぎるやつ多すぎない?
相変わらず気難しいやつだな……。もしかしたら、フェリ以上に人を受け入れるラインが厳しいかもしれない。
「他の、2国は誰が?」
「エルドランは私が。アトランテはどうしましょう。手駒が本当に少なくて困るわね。シュレ学園長ちゃん先生にお願いして、フィンサー先生を借りようかしら。」
「イヴ姫もシュレ先生をちゃん付けで呼ぶんですね。」
「あら、私だってあの人の教え子よ。」
「……言われてみればそうですね。」
王族として仕事しているから忘れそうになるが、この人は学園を卒業してあまり年数は経っていないのだ。
「学園にも手助けを依頼しないといけないなんて。じり貧ですね。」
「あら。詰んではいないわ。打てる手があるだけ、有難いと思わないと。少なくとも土俵に立つことは出来るもの。」
「俺はそこまでポジティブになれませんね。」
「ポジティブだとか、ネガティブだとかじゃないわ。出来ることをして、お祈りするだけよ。」
「結局、神頼みなんですね。」
「あら、神様に直接拾われた貴方がそれを言う?」
「ははは。」
乾いた笑いしか出ない。
「そう言えば。」
「何?」
ティーカップを持って見つめ合う形になる。カップ越しに見えるイヴ姫の唇は楽しそうに三日月を形どっている。
「この国に
確か、学園にいたはずだ。教室で窮屈そうにしているのを見かけた覚えがある。あれでも混血だからサイズは小さいらしいが。
「生き方が特殊な種族たちだから、自分たちの国にこもっているのよ。これは他の種族と仲良く出来ないという理由ではなく、近すぎると軋轢が出来てしまうという意味で。例えば巨人族。うちの国の一次産業で、彼らの食料を賄えると思える?」
「……めちゃお金かかりそうですね。」
「そう、そうなのよ。巨人族は味方につけば強いわよ。でも、有事が起きない場合は巨額の食費がかかる。だから、彼らの産業はほとんどが農業と畜産業のみ。次点で武器の精製、鍛冶屋ね。彼らの営みは食べて、戦いに備えることがほとんどよ。それがわかっているから、どの国も彼らという種族を自分の国に引き入れないの。そして、巨人族自身もそれを分かっていて距離を取っている。仲良くすることは、身内に引き入れるだけが手段じゃないの。仲良くしたいからこそ、距離をとるべき時もあるわ。」
「生きづらいですね。」
「えぇ、私もそう思うわ。種族の違いなんて、無くなればいいのに。」
「それは王族として発言していいので?」
「貴方が黙っていれば、私は何も言っていないことになるわ。」
信頼が怖いよ……。
「魚人族は海の底でないと生きられないから、陸の上にいないのね。頑張れば生きてはいけるけども。フィル君は自分が病弱になると分かっている環境にわざわざ身を置こうと思う?」
「思わないですね。」
「でしょう? でも、こことの交渉は大事なの。エクセレイ王国は海に面しているから、彼らの国を奪われたら厳しいわ。陸や空から攻められれば敵の総量は推測できるけど、海は無理だもの。」
俺は海の中から
ぞっとしないな。いつ終わるかわからない敵の増援が海から延々と続くのだ。ストレスで疲弊している戦場でその光景を見たら、多くの戦士が心を折るだろう。
「海の底は、守りに適しているわ。だからあの種族は安定した繁栄をしている。でも、逆に言えば彼らが落とされれば、陸の上の私たちは彼らの状況を窺い知ることが出来ない。早急に交渉しなければいけないわね。」
「最優先なら、何故イヴ姫が交渉しないんです?」
この人は、大事な仕事は自分でしそうだと勝手に思っていたが。
「イアンからNOが出たわ。巨人族は陸の上だから何かあれば逃げられるけど、海の底は彼らのテリトリー。交渉が決裂することは、ほぼイコールで私の死よ。」
「……なるほど。」
「だから、巫女であるフィル君もそこには送れない。」
「フィンサー先生であれば、いいと?」
「……あの人の最優先はシュレ先生よ。そしてシュレ先生は学園の生徒を愛している。戦況が悪くなれば悪くなるほど、学園の出身者や現役の生徒も戦場に駆り出されるでしょうね。」
「——フィンサー先生が断らないと踏んでの王命ですか。」
ティーカップを握る手が強くなる。
彼女が寂しそうに俺の手元を見つめる。
その桜色の瞳を見て、頭を冷やす。
「すいません、そうですよね。フィンサーが駄目ならば、じゃあ他に誰が適任かという話になる。実力や能力を考えれば、フィンサー先生を動かすのは仕様がない。」
「ありがとうね。」
「何がですか?」
「私の代わりに、怒ってくれて。」
「……どういたしまして。」
この人は、こういうところが卑怯だ。
何も言えなくなるじゃないか。
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