第184話 フィオ、10歳

「遠征に行くから出席停止の申請をする、とな?」

 シュレちゃん学園長が眉を潜めた。


 今や誰も彼もを見上げて過ごしているので、自分より小さいシュレちゃん学園長を見ると謎の安心感がある。


 俺は10歳になった。この世界に生まれ落ちて10年。前世の経験も含めれば、それなりに落ち着いてきたように思う。そうだよね? 何か自信なくなってきた。

 前世を加算するといい歳だが、ここではあくまでも10歳。色んな特例を認められて冒険者としての活動が認められてきた。

 だが、遠征となると話は別。学園やエイブリー姫という後ろ盾から物理的に離れることになる。まずは身近なシュレ学園長から説得すべきだろう。


「はい、遠征するには今しかないかと。」

「理由を聞かして。」

「おそらく、魔王軍である獅子族の男が攻めてくるのは、俺とクレアが十代半ばごろです。クレアの身長を見ての推測ですけど。それまでに出来るだけ多くの魔物を倒して、魔力の総量を引き上げないといけないんです。」

「シャティ先生の雷魔法を使うには、魔力が足りない?」

「知ってたんですか?」


 シュレ学園長の推測通りである。雷魔法はべらぼうに魔力消費が激しい。体得するのはまだしも、まともに扱えば持久戦には不得手である。それはアスピドケロンとの戦いでシャティ先生が2発しか魔法を撃てなかったことからわかる。

 逆に言えば、たったの2発で戦況を変えられるとも言うが。瑠璃はあれを食らってよく生き残れたな、本当。


「もちろんたい。正直、対魔王のために色んな魔法使いに学んで欲しいが、水魔法と風魔法の二属性を高いレベルで扱えるという前提条件が難しすぎやったけんね。現状、フィル君に代表で体得してもらうしかなかね。」

「そうですか。」

「ゆくゆくは使い手を増やす予定ばい。エクセレイ王国はマギサ・ストレガの影響で強力な水魔法の使い手に事欠かん。つまり、風魔法と知識量さえカバーできれば分隊くらいは作れるじゃろ。」

「それでも分隊ですか。」


 確か分隊は、10人前後だっけ。


「多めに見積もったとよ? フィル君もシャティ先生も、自分の特殊さに頓着すべきばい。」

「はぁ。」

「で? 魔力の総量を増やすために遠征を?」

 シャティ学園長が先を促す。


「はい。都は冒険者による魔物討伐の争奪戦になっています。冒険者の総数が多いので、捌き切れています。」

「そうやね。死亡率も減っとる。亜種、群生、そして進化。危険度が増すことで警戒心が高まり、死者数が減るとは皮肉なもんやね。」

 シュレ学園長が肩をすくめる。


「地方と、外国であれば追いついていないかと。」

「その通りやね。慢性の冒険者不足が起きとる。お主ら以外のA級はしょっちゅう故郷に出戻りしておるようやね。そっちの故郷は大丈夫なんか?」

「フィンサー先生の元パーティーメンバーがいます。エルフもいるし、何より師匠がいます。」

「いらん心配だったね!」

 快活にシュレ学園長が笑う。


 そうなのだ。アルシノラス村は、実は軍事力が安定している村なのだ。南の田舎なのに、それだけの戦力があるのは、ギルドマスターであるゴンザさんの企業努力のたまものだろう。ところでギルドって企業扱いでいいんだろうか。


「フィンの旧友ね。会ってみたかねぇ。」

「てっきり会ったことがあると思っていました。」


 意外だ。確か、先の魔物の大反乱スタンピードでシュレ学園長とフィンサー先生は知り合ったと聞いたけども。その過程で他のメンバーとは知った仲にならなかったのだろうか。


「あの男はスマートに見えるやろ? 実はけっこう心配性で嫉妬深いのよ。私とウォバルとやらを会わせたくなかったらしかったいね。」

 学園長が心底楽しそうに笑う。


「フィンサー先生が? 意外ですね。」


 いつも冷静沈着で、斜め上から人を面白おかしく見ている人だと思っていたのだが。

 当時、ウォバルさんはリコッタさんと恋仲ではなかった。自分のパーティーメンバーの男前と意中の女性を合わせたくないというのは、男心としては当たり前の流れかもしれない。


「抜け目ないやつやからね。好機を絶対逃さない男なんよ。」

「シュレ先生を全力でモノにしにいってたんですね。」

「その通りとよ!」

 たはー!っとシュレ学園長の笑顔が弾ける。


「ご馳走様です。」

「何で手を合わせるとね?」


 そんな楽しそうに惚気られたら、合掌するしかあるまい。


「話がそれましたね。それで、出席停止の件ですが。」

「随分と出席にこだわるたいね。」

「学歴は大事でしょう。」

「え、そう?」


 え、大事じゃないの?

 というか、学園長がその反応でいいの?

 え、これどっちだ? 俺が異世界文化を吸収できていないのか? それとも学園長の考えが特殊なのか? いやいや、元の世界にだって学歴が就職に関係ない国だってあったはずだ。ここはケースバイケースだろう。


「フィル君は学園を無理して出なくても、もはや実績があるけんね。拘らなくてもよか。」

 シュレ学園長が投げやりに言う。


 なる程、確かにそうだ。

 俺は現状、無理に卒業に拘らなくとも良い立場にいる。教科書に書いてある魔法はほとんどマスターした。学園の図書館はまだまだ有用な知識の塊だけど、学びたいことがあるならば、お金を出して優秀な教師に来て貰えばいい。魔導書も、買うだけの資産は今ならある。


 だが、頭に4人の少年少女が思い浮かぶ。

 途中退学は却下だ。

 俺はみんなと一緒にこの学園を卒業したい。元の世界では結局、高等学校を卒業出来なかったのだ。この世界でくらい、きちんと学業を修めたいものだ。


「それでも、ここを出ておきたいんです。」

「わかった。許可しようたい。」

「本当ですか!?」

「ただし。」

「ただし?」

「学園にいながら冒険者業を優先するために、数ヶ月くらいの出席停止なんて許可、前例がなか。他の人間を納得させる何かが必要たい。」

「必要な何か、とは?」


「取り敢えず、この学園の頂点を取ればいいんじゃなかと?」


 シュレちゃん学園長先生は、悪戯好きの童女の様に笑った。







 グラーツ・ブリラントは思った。

 遂に来たかと。


 ここはオラシュタット魔法学園、その高等部キャンパスのロッカースペースである。

 周囲では、同じ高等部生が慌ただしく着替えや今日必要な教具のチェックなど、それぞれの日常を流している。

 その動き回る周囲の喧騒の中、一枚の便箋の差出人の名前を見つめているグラーツは、高速再生動画の中にたたずむ静物のようだ。


「どした? グラーツ?」


 不思議に思った級友が、グラーツに話しかける。同じ特進クラスの男子だ。


「来たんだよ、ほら。これ。」

 グラーツが便箋の差出人を指差す。


「え、おいこれ!」


 級友の大声に、周囲の高等部生が集まる。


「どうした?」

「何かあったか?」

「事件か?」

「今週は誰も魔法実験で爆発してないよな?」

「ザナ寮長のお叱りは勘弁だぜ。」

 口々に言い、男子生徒たちが集まる。


 それもそのはず、グラーツは高等部生の中心人物である。学年で成績を常に首位で維持しており、首席卒業が確実視されている。初等部の頃は決闘で数回負けることもあったが、現在では負けなしである。


 男子生徒たちが便箋を覗き込む。

 最初は全員、ラブレターだと思っていた。グラーツのことだ。またどこかで女子に気に入られて告白でもされるのだろう。

 貴族の彼にはすでに婚約者がいる。卒業と同時に豪華な式を挙げて呼ばれることを、級友たちは楽しみにしていた。


 だが、それはそれ。

 肉食系の女子というものはそういったことも関係なくアプローチをするものである。よほど自分に自信があるのか、はたまた蛮勇か。もしくは、人の所有物だからこそ奪いたくなる面倒な心理か。

 高等部では、告白を断ったグラーツを嫉妬に駆られた男子が集団で襲い、袋叩きにするのが恒例行事だった。その後、一人ずつ決闘で叩きのめされるまでがセットであるが。


 結論から言うと、便箋はラブレターなんていう桃色なものではなかった。




 差出人 フィル・ストレガ




 名前だけで、この便箋の意図がわかろうというものだ。まさか恋文ではあるまい。10歳そこらの男児が17歳の青年に告白など、創作の物語でも中々ないはずだ。女子寮ではそういったものが流行っているらしいが。


「マジかよ。」

「来ちまったな、遂に。」

「決闘だ。」

「始まったな。終わりの始まりが。」

「卒業して逃げおおせることが出来なかったか。」

「先輩たちずるいわ。これと戦わなくて済んだんだから。」

「頑張れよグラーツ。」

「負けるなグラーツ。」

「骨は拾ってあげるよグラーツ。」

「君ら他人事だからって、酷くないか?」

 グラーツが眉を潜める。


「で、受けるのか?」

 最初に話しかけた級友が言う。


「……受けるよ、もちろん。」


 周囲の男子がはやし立てる。大声で叫ぶもの、手を叩くもの、口笛を吹くもの。騒ぎに気づいた女生徒たちも集まり始める。


「高1や2年たちみたいに、この挑戦を無視することも出来る。でもダメだ。それだけはやっちゃあならないんだ。僕は3年の首席。つまり、今のこの学園のトップなんだ。僕の背中にはこの学園の名前が乗っている。それだけじゃない、お前らのプライドも、乗っている。」

「よう言った!それでこそ男だ!」

「初等部の子どもなんて吹っ飛ばそうぜ!」

「何がストレガだ!かかってこいやぁ!」

「おまっ!それは不敬罪だろ!?」

「気を付けろ!ポーションの材料にされるぞ!」

「きゃー!グラーツ君かっこいいー!」


 グラーツの受諾宣言に、高等部棟のボルテージが上がり始める。

 ボルテージは日中上がり続け、決闘が始まる放課後には最高潮に達していた。







 グラーツは闘技場の石畳の上に突っ伏していた。

 客席は、決闘開始時の熱気が嘘のように静まっていた。試合が始まる前に囃し立てていた高等部生たちは、通夜のように黙りこくっている。


「対戦ありがとうございました。」


 戦う前は見下ろしていた小人族の少年を、今度は地面から見上げる構図になる。


「やはりブリラント先輩の土魔法は随一でしたね。構築が本当に早かった。エクセレイ特有の汎用水魔法との組み合わせも絶妙でした。」


 勝者に褒められるとは思わず、グラーツはガバッと顔を上げた。皮肉られたと思ったのだ。

 だが、少年の翡翠色の瞳は澄んでいた。そこに侮蔑の色など、全くない。少年は本気でグラーツの魔法を褒めているのだ。


「土魔法に限れば俺以上でした。自分の土俵に持ち込まれれば危なかったかも。荒野とか、渓谷とか。土が多いところならばあるいは。いやでも学園内での決闘は闘技場でしか出来ないから、たらればの話になってしまいますね。ああ、あと水魔法の併用によって土魔法の発動が足を引っ張られて、少し遅れているのがネックだったかと。いや、でもそれでいいのか。水魔法が同じくらい早く発動出来ればそれはそれで脅威だな。すいません、今言ったことは忘れて下さい。先輩はやっぱり水魔法も極めた方がいいと思います。」


 グラーツは思わず乾いた笑いが出てしまった。

 同時に、自分がちっぽけな存在に思えた。

 目の前の少年は、この学園で競争しているのではない。もっと広いところで、何か大きなものを目指して魔法を極めている。これがストレガ。最も叡智を極めた魔女が、弟子と認めた存在。

 立ち上がり、膝の土をはらう。


「完敗だよ。今日は僕にとって、いい経験になった。」

「こちらこそ。土魔法をもっと極めようと思えました。後で、図書館で勉強会しませんか?」

 小人族の少年がしゃがんで耳打ちする。


「いいけど、条件がある。」

「何ですか?」

「そうだね、僕は卒業したらブリラント領を統治しなければならない。でも、父がまだ現役でね。それまでは騎士として活動することが決まっているんだ。」

「はぁ。」

「そこでもっと強くなる。僕が自分を認められるくらい強くなれたら、また戦ってくれるかい?」

「もちろん、喜んで!」

 小人族の少年が笑った。


 グラーツは何となく感じていた。自分はこれから更に強くなるが、目の前の少年は自分よりも早く強くなっていくだろう。次戦う時は、おそらく手も足も出ない。

 それでいい。


 自分は今日、大海を知れたのだから。

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