第181話 学園生活27(vsアル前日)

「勉強はしておけ。将来何かと役に立つから。」

「潰しの効く技術を身につけておけ。何処かで役にたつ。」


 前世の父親の言葉である。


 この言葉を父がぼやくようになったのは、俺が思春期に差し掛かった頃である。

 姉は「あ〜あ、始まったよ。お父さんが言い始めると長いからね。覚悟しておきなさいよ。」と言っていた。

 姉の言うとおり、父はこの言葉をことあるごとに俺に言い聞かせていたように思う。宿題をサボった時。朝、寝坊した時。成績が落ちた時。風邪をひいた時。エトセトラ、エトセトラ。


「その勉強と潰しの効く技術を身につけた結果、父さんは毎日つまらない仕事をしているじゃないか。」


 という言葉が喉から出かかったことが何度もあった。

 父は仕事を明らかに楽しんでいなかった。仏頂面でスーツを着て、無言で朝食を食べる。一転して、夕食は楽しそうに食べるのだ。週末は楽しそうにゴルフや飲み会に出かけ、月曜はムンクの叫びのような顔をして駅へと歩いていく。


「父さんはスーツが嫌いなのか。」

 と問うたことがある。


「嫌いだよ。嫌いに決まっているだろう。」

 と父さんが返した。


「じゃあ、何で毎日袖を通すのさ。何で毎日アイロンかけてるのさ。」

 と更に問うた。


 その時の父の顔は、非常に珍しかったことを覚えている。思案げな顔をして、リビングの天井の隅を見つめて何やら考え込んでいた。

 父は仕事以外の時間帯は脳のやる気スイッチを完全にオフにするらしく、俺や母が何かを尋ねても、深く考えもせずに生返事する人間だった。ちなみに姉はその生返事を利用して、よく化粧品を買ってもらっていた。

 その父が俺の疑問に真面目な表情をしていた。

 俺は父のそういった顔を見慣れていなかったので、ドキッとしたものだ。


「これは魔法の服だからなぁ。これを着て、毎日会社に行けば、月末に口座に金が現れるんだ。」

 と、父は答えた。


 考え込んだ割には、あまりにも即物的な回答に、俺は思わず拍子抜けしたものだ。


 父はどこまでも凡庸な人だ。

 凡庸というのは常識の範囲を出ないということだ。


 でも、常識とは素晴らしいものだ。常に識られているから常識。誰もが知っているから常識。その当たり前を、普通を、常識を、父は肩の力を抜いて俺に教えてくれたように思う。

 まぁ、死んでからようやく気づいたのだけれども。


 もし俺が生きていたら、26歳だ。いい歳である。大学をストレートで行けたとしたら、社会人3年目といったところか。高卒で就職した先輩は「何が取り敢えず仕事は3年続けろだバーカ!こんな拷問3年も我慢出来るか!」と叫んでいた。

 死ななければ今頃俺も、そう叫んでいたのだろうか。

 仮に転生せずとも、俺は父の言葉に一定の答えを出せていたのだろうか。

 ……出来てなさそうだな。

 前世の俺は、何かと斜に構えた低燃費系男子だったから。

 それとも、茜や姉辺りが気付かせてくれたのだろうか。わからない。


 父の言葉を今一度思い出す。

 潰しの効く技術を、と言っていた。

 俺がこの世界で最初に身につけた潰しの効く技術は、生活魔法だろう。マギサ師匠の生活能力が壊滅的だったので、必死になって身につけた魔法。それはミリリットル単位で水を操る技術であったり、ゼロコンマの温度調整でステーキに焼き色をつける技術であったりした。


 その生活魔法で用いていた魔力操作が、雷魔法の体得に役立っている。

 前世の父はカイムほど屈強でもなく、誇り高くもなく、見目麗しいわけでもない。でも、間違いなく俺の血肉となる知識と考え方となる骨格を作ってくれていた。

 父さん、あんたの言った通りだったよ。つけられる技術は、つけておくべきだよな。


 ばばあ師匠はそこのところを見越して俺に炊事洗濯をさせていたのだろうか。……いや、ないな。あの人は単純に不精なだけだろう。


 最終目的は、シャティ先生のような戦況を一撃でひっくり返すような大魔法だ。おそらく、それは出来るだろう。俺の魔力総量に目を瞑れば、という条件付きだが。

 今やっている訓練はそれとは真逆の訓練。身体の中にある微弱な電力をコントロールすること。身体の操作命令を伝えるのは電気信号だ。その電気信号を、どうにかしていじりたい。

 やることは生活魔法と同じ。感知魔法でひたすら自分の体内にある微弱な電気を感知する。そのわずかな電気信号に干渉し、運ぶ命令を意図的に変える。


「3秒後、手のひらを地面と水平に。中指を下に向け、親指を水平に。続いて薬指と人差し指をつけて、小指も水平に。」


 電気信号をプログラミングして、自分の指を操作する。一度干渉した命令通り、3秒のラグの後に指がぐねぐねと動く。3秒前に自分が命令した動きを指が忠実に再現する。まるで自分の体の一部ではない、別の生き物のように見えて気持ち悪い。

 プログラミングをミスったのか、薬指があり得ない方向に曲がって「パキン」と乾いた木の棒が折れたような音がした。


「いってぇ!?」

「大丈夫!?」


 突然叫んだ俺を心配して、アルが覗き込んでくる。

 アルも俺の目の前で一緒に瞑想していたのだ。

 アルが死霊高位騎士を退いて以来、2人で続けている日課である。


「フィルどうしたの!? その指!どんな瞑想したら突然指が折れるの!?」

「雷魔法。」

「意味がわかんないよ!ザナおじさん呼ばなきゃ!」

「ちょい待ち。」

 部屋から飛び出そうとするアルを捕まえる。


「治せるから。」


 俺は指を無理やり真っ直ぐに伸ばして、治癒魔法をかける。

 骨が風船のように膨らむ。補修を優先しているのだ。しばらくすると、指の形を元に戻そうと、細く変形していく。


「ふぁあー。すごい。」

 アルがキラキラした目で俺の指を見つめる。


 アルは男の子の割に髪が長いから、そういう顔をされるとときめいてしまう。

 以前、「どうしてそんなに髪を伸ばしているんだっけ?」と聞いたら「フィルがその方がいいって言ったんじゃないか!」と言われた。

 何だって!そんな面倒くさそうな彼氏のようなことを俺は言っていたのか!……いや、言ってたわ。クレアと一緒にショーウィンドウに並んで欲しいなぁという阿呆みたいな発想をそのままに、口走った覚えがある。


「フィルは専門でもないのに、治癒魔法が得意だね。」

「そうかな。」

「そうだよ。僕なんて、適正が光魔法しかないのに。」

 アルが落ち込む。


 回復魔法や治癒魔法は光魔法使いの専売特許である。普通であれば、アルほどの光魔法の適正があれば、とっくの昔に教会に唾を付けられている。

 教会に属するということは、結婚を諦めるか遅れることになる。地方の貧乏な家とはいえ、アルは貴族だ。それでも、教会は死に物狂いでアルを手に入れようとするだろう。それほどの才能を、アルは持っている。


 では、何故声がかからないのか。


 簡単である。

 アルに回復魔法の素養が現れる気配が一切しないからだ。

 教会の財力を支える2つの柱は除霊と治癒。そして、大きいのは治癒の方だ。特に都はそうである。理由は簡単で、目の前に現れない死霊系の魔物よりも、今の俺のように指を折った時に対処してくれる方が、有り難みが分かりやすいのだ。

 だから、教会は死霊祓いエクソシストよりも回復役ヒーラーを重宝する。人心掌握に役立つからだ。

 もっとも、有事の際は死霊祓いの方がもてはやされるのだが。

 ファナが聖女であるのに煙たがられているのは、そういうところだろう。

 暴力というものは、実際に自分を守ってくれてからじゃないと有用なものだと気づけないものだ。


 話が逸れてしまった。

 では、アルの持つ才能とは何か。

アルがロッソと戦っているのを見て、ある程度のものは察している。あとは俺が直接戦って確かめるのみ。


 俺とアルは、もう一度ベッドの上で膝を突き合わせて瞑想を始める。

 お互いに正座。

 アルは俺が正座して瞑想するのを見て、「不思議な座り方だね。」と言って真似してきた。それ以来、このスタイルで瞑想を続けている。週末は相手がトウツや瑠璃に代わる。


 右目だけをこっそりと開き、アルの魔力を覗き見る。

 薔薇の蔦のようにバラバラに激しく飛んでいたそれは、今や整備された都市高速のように整然とした様子で並んでいる。ただ膨張して爆発しそうになっていた魔力は、高い密度で引き締められて綺麗にコントロールされている。

 この量、この密度の魔力を手中に収めている。どれだけの才能があって、どれだけの直向きさがあれば、こんなことが出来るのだろう。

 ファナは俺を「神様に最も愛された殿方。」と形容した。

 とんでもない。

 アルほどこの世界に愛された人間を俺は知らない。


「もう。フィル、集中が乱れてる。」


 気付いたら、アルも目を開いていて、頬をぷくっと膨らませていた。


「すまん。あまりにも綺麗なものだから、見惚れてた。」

「もう!何言ってるのさ!」

 アルが顔を真っ赤にさせて怒る。


 ははは。アルはやっぱり可愛いなぁ。


「もう!もう!フィルったらもう!」

「はっはっは、うい奴めうい奴め。」


 アルが俺を捕まえようとするが、上手く捕まえられない。正座で足が痺れているからだ。ちなみに俺も痺れている。


「えい!」

 アルが上半身でのしかかってきた。


 俺はベッドの上で組み伏せられる。

 え!? 何!? どゆこと!? このふって湧いた幸せハプニングは一体何!? 俺、前世でそんなに徳積んだ覚えないんだけど!忘れてるだけで日本を沈没から救ってたかなぁもしかして!?


「ねぇ、フィル。僕の魔力、ちゃんと流れてるかな。」

「惜しいな、惜しいぞ、アル。俺はそんなシリアスな質問じゃなくてロマンスに溢れた質問が欲しかった。」

「もう!茶化さないでよ!」


 アルが困り眉を作る。

 近くで見ても、均整のとれた顔つきである。色素の薄い、金のまつ毛が綺麗に広がっているのがわかる。アルの膝が俺の股の間を、両手が肩をロックしていて身動きがとれない。


「ちゃんと流れてるよ。とても綺麗だ。」

「……そっか。」


 そう言って、アルが服を脱ぎ始める。


 服を脱ぎ始める!?


「アル!それはまずい!まずいって!俺一生クレアと目合わせられなくなるって!」

「どうしてここでクレアが出てくるの?」

 そう言って、アルが脱いだストールを置いた。


 そのストールの色は黒だった。

 魔力隠しのストール。エルフの長老ルアークが、俺に渡したはなむけの品。アルの魔力が暴力的に眩しかったので、渡していたのだ。

アルの魔力は、ストールを身体から離しても淀みなく流れていた。


「フィルはさ、これで僕を何かから守ろうとしてくれていたんだよね?」

「……そうともいう、かな。」


 実際、もし俺が魔王軍にいたとしたら、アルが成長する前に襲っていただろう。


「僕はもう誰も傷つけない。でも、それだけじゃないんだ。フィルみたいに、誰かを守りたい。だから、これは返すね。」

 アルが魔力隠しのストールを畳んで、俺に手渡す。


「いいのか? あれば便利だぞ?」

「僕はずっと、フィルの背中を見てたいわけじゃないから。」

「言うじゃないか。」

「それにね、フィル。」


 アルが俺に跨って、チェシャ猫のように笑う。


「明日の決闘に勝つのは、僕だから。」


 小さな巨人がわらった。




 本日のオチ。

 リラ先生から言伝を貰った、もとい、他の生徒に頼んでいたところを横から奪ったクレアが、男子寮に訪れた。

 ドアを開き、目からハイライトを失ったクレア。

 「クレア!」と笑顔で迎え入れるアル・オン・ザ・俺。

 顔を引きつらせて「ヤァ、クレア。」と言う俺・アンダー・ザ・アル。


 1週間口を聞いてもらえなかった。


 おかしい。今世の俺が目指すところはつまり、妹の笑顔だったはずだ。

 人生、ままならないもんだなぁ。

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