第176話 学園生活24(覚悟は少しずつ固めるもの)

「クレアはすらっとしていて羨ましいわね。」


 そう言ったのは、エクセレイ王国の第三王女イリス・ストレガ・エクセレイである。おろした髪を、いつも通りツーサイドアップにまとめようと自分の髪の房を手の上に乗せている。


「そうかな。」

「そうよ。まるでファッションモデルみたい。」

「ファッションモデル?」

「最近、オラシュタットで流行り始めた仕事よ。服を宣伝するために、綺麗な人たちが服を着て都を練り歩くの。手足がすらっとした人が多いし、クレアにぴったりよ。」

「歩くだけでお仕事になるの?」

「そうみたい。」

「変なの。」

「あたしもそう思うけど、すっごく良かったわ。綺麗で。」

「イリスも、いつも綺麗な服を着ているわ。」

「うーん、あたしが着る服とあの人たちが着る服は違うと思う。」

「私には分からないわ。」


 クレアは本音で言っている。森育ちの彼女にとって、1日に数十キロ歩く生活は当たり前であった。服を着て歩くだけでお金がもらえるなんて、理解が出来ない。森を歩いて獲物を見つけ、狩猟し、肉を捌き、売って初めて金になるのであれば、当然理解はできるが。


 そういった職種の人々が街を歩いているのは、休日に課外活動の許可をもらい、イリス達と遊んだ時に見たことがある。そしてそれらの煌びやかな服が、社交パーティーの度に「このドレスでいいかな?」と尋ねてくるイリスの服と大差がないように思えた。かろうじて生地はイリスが着ているものの方が、質の良いということはわかるが。


「あーあ。あたしもクレアみたいにすらっと身長が伸びたいわ。」

「イリスも十分大きいわ。ロスよりは低いけど、アルやフィルよりは高いもの。」

「片方小人族ハーフリングじゃないの。」

「それもそうね。」

「アルもきっと、大きくなるわよ。少し前の社交界でクラージュ夫妻を見かけたわ。二人とも高かったもの。」

「ほ、ほんとっ。」

「アルの話する時だけ元気になるの、何なのよ貴女。」


 クレアが慌てて咳き込んだふりをする。

 それを見てイリスは複雑な心境になる。エルフには呪いがかかっている。種族全体に根強くかかっている呪い。それを考えると、クレアはアルと結ばれることは決してない。クレアはそのことをどう考えているのだろうか。親友とはいえ、イリスはそこに踏み込めないでいる。


 イリスは髪がまとまったので、よく女子寮に遊びにくる黒猫をブラッシングしてあげている。この黒猫も、すっかり女子寮のアイドルになっている。不思議なことに、この黒猫が近寄る男性はフィルしかいない。相変わらず不思議なクラスメイトである。

 毎日一緒にいるのに、掴みどころがない。

黒猫の毛並みから、少年の黒髪を連想する。同じ子どものくせに、妙に落ち着いていて憎らしい小人族の少年。


「イリスだって、今フィルのこと考えてる。」

「そんなことないわよ!」


 髪を逆立たせてイリスが怒ってみせる。それを見てクレアが笑う。


「うふふ。……でもね、私は自分の身体があまり好きじゃないの。身長なんて、伸びたくない。フィルみたいにずっと同じ高さでものを見ていたい。」

「どうして?」

「なりたくない私に近づいているから。」

「それって、クレアが時々見る嫌な夢のこと?」


 イリスは時々、うなされるクレアを起こしては抱きしめる生活を続けている。彼女はその度に、うわ言のように「ごめんなさい、ごめんなさい。」と何度も言う。クレアはどんな夢なのか、決して話してくれない。そしてそれは、イリスを信頼していないわけではない事も、何となく察している。


「まだ、あたしに話してくれないの?」

「ごめん、イリス。」

「いいのよ。でも、いつか話してくれる?」

「もちろんよ。全部終わったら、絶対話すわ。一番よ。一番に、イリスに話すわ。」

 そう言って、クレアが出口のドアノブに手をかける。


 そのクレアの立ち姿が、彫刻のように整った横顔が、流星のように美しく尖った耳が、白魚のような手足が、イリスにはとてつもなく儚いものに見えた。


「クレア。」

「なに?」

 クレアが振り向く。


「貴女、消えたりしないわよね。」

「何言ってるの、イリス。勝手に消えたりなんかしないわ。教室に行きましょう。ロス達が待っているわ。」

 そう言って、クレアはドアを開いた。




「今日からマギアーツと魔法実技の授業数を増やします。理由はみんなが自分の身を、自分で守れるようにするからですよ。」

 優しげな笑顔で、リラ先生が言った。


 その言葉に、クラスの子どもたちの反応は様々だ。実技が増えたことに単純に喜ぶわんぱくな子たち。座学が減ったことを静かに悲しむ大人しい子たち。特に何も考えていない子たち。様々だ。

 少し、様子が違う子たちもいた。騎士志望の子らだ。おそらく、魔物が落ち着かない現状を父親から話されているのだろう。特進クラスの頭がいい子たちだ。それとこのカリキュラムの変更に関連があることに気付いているのだろう。

 特にロスだ。目が使命感と戦意に満ちている。

 イリスは熟考と責任感。

 クレアは絶望と焦燥、そして抗おうとする意思。

 アルは驚くほどに自然体だった。何も考えていないのか。それとも、何か考えた上で落ち着いた表情をしているのだろうか。


 頭に思い浮かぶのは、彼らを戦いに導けという、イヴ姫の言葉。


「アル。」

「何? フィル。」

 ぱっとアルが振り返る。


 今やすっかり見上げる身長になってしまった。大人に比べればまだ低いが、俺からすれば大きい。小学生の頃、高学年が大人の一員に錯覚していたことを思い出す。


「実技とマギ・アーツ、俺ととことんやろう。」

「もちろんだよ!」

「……ごめんな。」

「何で?」

「いや、こっちの話。」

「? 変なフィル。」

「俺もやるぞ!」

 ロスが俺を抱え上げる。


「俺を物みたいに抱え上げるのをやめろぉ!」

「あっははは!」

「フィル、私も。」

 クレアがロスの下から俺を見上げて言う。


「もちろんだ、クレア。」

「あ、あたしも!」

「当然。」

 慌ててこちらへ来たイリスにも返答する。


 俺には既に、冒険者パーティーという一緒に戦う味方がいる。そして、今後はこの子たちとも一緒に戦うのだ。覚悟が必要だ。本当の覚悟が。


 犯罪者数人を手にかけたくらいでは揺るがない、ちゃんとした覚悟が。

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