第172話 ギルドの食堂にて
「フィルは何を難しい顔をしているのだ?」
ギルドの食堂でそう聞いてきたのは、ノイタである。青い肌。蝙蝠のような翼。趣味の悪いトゲだらけのボンテージ服。白目が黒目で光彩は黄金。ひょんなことから知り合った魔人族の少女である。
周囲の冒険者たちは距離をとっている。ノイタと関わるのを避けているのだろう。
「少し、考え事。」
俺はスプーンでスープをすくいながら答える。
考え事とは、闇ギルド討伐クエストについてである。正確に言えば、闇ギルドというよりも魔王軍の末端であったわけだが。
目の前にある、焼き加減の甘いステーキを見て思い出してしまったのだ。
覚えているのは手の感覚。賞金首の頭蓋を真横に切断した時の手元への反動。肉の振動と、血の水音。殺してくれと嘆いていた3人の男たちの首を落とした時の虚脱感。
前世の自分は決して強い人間ではなかった。
人を殺せばどんな罪悪感、恐怖心に駆られるのか予想もつかなかったが、成る程これは酷い。胃に穴が空きそうである。
このお肉、食えるのかな。何でいつも通りのメニューを頼んでしまったんだろう。そういえば、あれから肉を食べていない。
でも、食べないと。
今世の俺は体が資本なのだ。
「普通のままでいてね。」と、イヴ姫は言った。
「僕がなくしたものを、フィオは無くさないでね。」と、トウツは言った。
人を殺した後の俺は、普通のままなのだろうか。何かなくしてやいないだろうか。
不安が募る。
ふと前を見ると、頬をぷくっと膨らませたノイタがいた。
「どうした?」
「つまらないのだ。」
「え?」
「つーまぁらーなーいーのーだぁ!つまらないのだ!何でフォークとナイフと睨めっこしたフィルとご飯食べないといけないのだ!こんなに美味しいのに!」
「あ、あぁ。すまん。」
「許さないのだ!罰として肉を寄越すのだ!」
「お、おう。はい、あーん。」
「あーん!はむっ!はむはむふむむうまー!」
行儀悪く騒ぐノイタを冒険者たちがちらりと見るが、青い肌の色を見てすぐに目をそらす。
「ふぁいふぁい、ふぃふふぁ。」
「噛んでから喋ろうな。」
「……大体、フィルは何をそんなに落ち込んでるのだ?」
「…………。」
人殺したから落ち込んでるんだよ、とは言えない。
「やりたくないことをしちゃったんだよ。」
「しなければよかったのだ。」
「せざるを得なかったんだ。」
「ん? というと、フィルはしたくないことをさせられたのか?」
「あー、当たらずとも遠からずって感じかな。」
「変なのだ。」
「変って何が?」
「全部自分で決めたことじゃないのに、何でフィルは全部自分のことにして考えているのだ? 変だ。すごく、変。」
「……それもそうだ。」
「それに何で終わったことで今の時間を潰しているのだ? 無駄で、すごい、変。」
「……お前、実は滅茶苦茶頭いいだろ。」
「えっへん!」
何か、悩んでいることが酷く馬鹿らしいことに思えてきた。
じっと、トレーの皿の上にあるステーキを見る。俺はそれをフォークで突き刺し、口に運ぶ。もにゅもにゅと肉の弾力が舌に抵抗する。前世食べていた肉ほど、噛んで肉汁が出るわけではない。
うん、でもただの肉だ。美味い。余裕で食える。
「あ!次の一口はノイタのなのだ!」
「やだね。これは俺んのだ。というかただ飯食らいするんじゃねぇ!」
「がるるる!がるるる!」
「うわぁ!俺の掌ごと食べるんじゃない!」
「ノイタ。悪目立ちしてるから静かにしようよ。」
そう言いながら、ロッソがトレーを持ってきた。
静かも何も、ギルドは基本騒がしいし、気にしなくていいと思うけども。
ほら、あそこではジャーマンスープレックスされた男が背中で丸テーブル破壊しているよ?
「お、待ってたのだ!」
ロッソからトレーを受け取り、ノイタが肉に食らいつく。
おい。俺と同じステーキセットじゃねぇか。何で俺のを食べる必要があったんだ。
「よう、フィル。」
「やぁ、ロッソ。」
「ノイタのお守り、ありがとう。」
「どういたしまして。」
「ふぉふぉりはんてされてないのだ!」
「はいはい。飲み込んで喋ろうな。」
慌ててノイタが口の中にある肉を咀嚼する。時折上顎から見える犬歯が鋭く、野性味のある食べ方である。咀嚼し終えるかと思ったら、条件反射で次の肉を頬張り始めた。俺たちに話したいことあったよな?
鳥頭なんだろうか、この娘は。将来が心配になる。
「時々ノイタと一緒にいるのか?」
「時々というより、最近の週末はずっとだよ。」
「それはまた……。」
付き合いのいいこって。
「危なっかしいんだよ、この娘。こないだなんて、半グレのパーティーに素で喧嘩売ってたからな。」
「何したんだよ。」
「賭け事に負けて飯を食えていない奴らに『大変そうだな!ノイタは美味しいぞ!』って言って、食い物見せびらかしてた。」
「おおう。」
何というか、想像がつく。そして悪気はないことは何となく感じる。ノイタはこんなんだし、本当にご飯が美味しいから見て欲しかっただけなんだろう。
「止めに入ったら、何故か俺が喧嘩を買ったことになるし。散々だよもう。」
ロッソがエールを喉元に流し込む。
「いいのか?」
俺はエールの入ったジョッキを一瞥する。
ロッソはこの世界では飲酒が合法の年齢だが、今は昼だ。
「今日はノイタと一緒に、クエストは午前に終わらせたよ。」
「仕事熱心だなぁ。」
「そういうフィルだって、最近は学校を休み続けてクエストばかりじゃないか。」
「俺の場合は勤労意欲というよりも、勤労が向こうから来てるからさばいているだけって感じかなぁ。」
「いいなぁ。学園も楽しいけど、早くクエストのことだけ考えて生きていたいよ。」
「学園は今しか行けないんだぞ?」
俺も最終学歴は高校中退という事実には目を逸らして、ロッソに言う。
「やめろよ。フィルまで師匠みたいなこと言わないでくれ。」
ロッソがうへぇ、と顔をしかめる。
「え“。」
ルーグさん、そんな父親みたいなことをロッソに言っているのか。にわかに想像し辛い。
頭に隻腕赤髪の強面男性が思い浮かぶ。
「ルーグさんは、今日はいないのか?」
「師匠、最近は自分の修行ばかりで俺の練習を見てくれないんだよ。だからノイタと一緒に行動してるっていうのもある。」
「なるほど。」
二人とも前衛だが、それはルーグさんと組んでも同じなので、大きな問題ではないのだろう。ソロとペアでは生存率が段違いである。ソロの場合は魔物がいる地帯で大怪我すれば、ほぼ詰みだからである。ペアであれば、片方が時間稼ぎをして負傷者は回復に専念出来る。
「でも、ノイタと一緒にいて大丈夫か?」
「魔人族ってこと? それを言うなら、俺だって元奴隷だよ。」
奇遇だな。俺も現役の奴隷だよ。HAHAHA!
少し安心する。ノイタは行動が危なっかしいが、ロッソと一緒ならば滅多なことはあるまい。
「ノイタはお守りなんてされてないのだ!」
ステーキを完食したノイタが叫んだ。
え、今頃言うんかい、それ。
俺とロッソは思わず顔を見合わせる。堪えきれずに二人で吹き出す。
「何だ!? 何が面白いのだ!?」
ギャンギャンわめくノイタを尻目に、俺たちは笑い続けた。
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