第158話 保健室にて

「保健室を家だと勘違いしてるんじゃないかしら、ストレガ君は。」

「いえ、まさか。いつもお世話になっています。ごめんなさい。」


 触診しながら怒気を放つヒル・ハイレン養護教諭に、俺は平身低頭謝る。


「あははは!フィル怒られてやんの!」

「そんなに強いのに保健室の常連って面白すぎだろ。」

「貴方たちも五十歩百歩です。人のことは言えません。特にロッソ君は怪我が酷いんだから黙る。」

「「はい。」」


 怒られている俺を笑ったロスとロッソがついでに怒られる。ざまあみろ。


 重症だったロッソとアルは、すぐにピトー先生が保健室へと連れて行った。それをしかめっ面で出迎えるハイレン先生。彼女が上機嫌な様子を俺はあまり見たことがない。怪我して迷惑ばかりかけているから仕様がないことなんだろうけども。


「ショー先生も決闘の許可をほいほいあげすぎです!だから私がこんなに忙しくなるんですよ!」

「いやぁ、すまん。」

 水を向けられたピトー先生が謝る。


 怪我した生徒をピトー先生がしょっちゅう連れてきては、ハイレン先生に怒られる。これはいつものパターンである。

 何で俺がそれを知ってるかって? 俺も常連だからだよ。言わせんな恥ずかしい。


「これだから軍属出身の先生は嫌なんです!リスク管理せずに生徒を扱うものだから。」

「でも戦場で死ぬよりマシだぜ?」

「そういうことを言ってるのではありません!」

「はい。」

「もう、貴方のお給料を差っ引いて私にいくらかやってもいいと思うんですよね!」

「いや、すまん。今度美味い酒を奢るからさ。許してくれ。」

「本当ですか!? いつ行くんですか!?」

「え、この場で決めるのか?」

「今決めないと貴方忘れるでしょう!」

「わかった。わかった。じゃあ今週の土曜だ。土曜の夜に飲もう。それでいいか?」

「言いましたね!言質取りましたよ!こないだヘンドリック商会にいいワインが入荷したのを見ました!それで許してあげます!」

「あそこはブランディング上手いから高いんだぞ!?」

「必要経費ですうー!」

 ハイレン先生がベーっと舌を出す。


「なぁ、ハイレン先生って。」

 俺はロッソに近づいて耳打ちする。


「ご想像の通りだよ。でもピトー先生は気付いてないと思う。」

「俺が主君として、ピトー先生に言おうか?」

 ロスも会話に入る。


 ロスはピトー先生の生徒だが、同時に皇族として警護される関係性でもある。かなりややっこしい関係だが、気のおけない間柄でもあるらしく、親戚のおじさん感覚で普段は会話しているらしい。


「いや、黙っとこうぜ。その方が面白い。」

「ロッソ。お前いい性格してるなぁ。」

「だろ?」


 いや、褒めてないんだけど。


「俺としてはピトーに早く幸せになってほしいかな。」

 ロスが言う。


 おい。先生が抜けてるぞ、皇子。


「あたしも賛成。ハイレン先生にも幸せになってほしいわ。と言うか、いつまでも進展がないのが煮え切らないのよね。」

 イリスも会話に入ってくる。


「イリス、アルとクレアはいいのか?」

「あの2人の空間に入りたくないわよ。」


 俺たち3人はそれを聞いて、アルの方を見る。

 そこには満面の笑みでアルの介護をしているクレアがいた。


「クレア、自分で食べられるよ。」

「アルは怪我してるから、無理しないの。」

「でも手は動くよ?」

「念のためよ。はい、あ、あ、あ〜ん。」

 顔を真っ赤にして、スプーンを持つクレア。


「フィル。いつも気持ち悪い顔してるけど、今は一段と気持ち悪いわ。」

「仕様がないだろ。天使が天使の介護をしてるんだ。こんな顔にもなる。」

「あっそ。貴方も大怪我すればよかったのに。」

「何で!?」


 君最近、理不尽なところがおばあちゃんに似すぎてない?


「ていうか、アルすげぇよな。ロッソ兄ちゃんのラッシュ食らってあのくらいの怪我で済むんだから。」

「本当だよ。俺、一応勝ったんだけどなぁ。これじゃ、どっちが勝ったかわからない。」

 ロッソが体をベッドに沈める。


 アルは気絶こそしたものの、十数カ所の打撲で済んでいる。それに対して、ロッソは指と左腕、肋骨の骨折である。

 もし戦場であれば、死んでいたのはアルだ。意識を刈り取られていたのだから、命はなかっただろう。

 だが、何も知らない人間がこの保健室を訪れたら、アルが勝者だと勘違いしていただろう。


 ちなみに俺とロスの怪我は、俺がまとめて治癒した。ハイレン先生には苦虫を噛み潰したかのような顔で見られたが。生徒の自己判断での処置は確実性に欠けるため、自力で処置できる場合でも養護教諭の検診は受けなければならないのだ。中には表面の怪我だけ治して内出血ということも多くあるらしいからだ。目に見えないところは治癒するのは難しい。解剖学が進んでないこの世界では尚更だろう。


 ハイレン先生の検診結果は、初等部組は今日中に寮へ帰ってよし。ロッソは学園内の病棟へ2日入院ということになった。


「どうして!? 俺、勝ったのに!」

 と、最後までロッソは抵抗していた。


 ちなみに、アルも入院はしないのかとハイレン先生にクレアが耳打ちしていたのを俺のエルフ耳は聞き逃さなかった。恐ろしく早い耳打ち。俺じゃなきゃ聞き逃しちゃうね。

 というかクレア、よっぽどアルの介護が楽しかったんだな。

 お兄ちゃんとしては、妹の恋愛観の進みが早くて心配である。







「闇ギルドの討伐ですか。」

「うむ。」


 週末に俺たちを呼び出したのは、都オラシュタットのギルドマスター、ラクス・ラオインさんである。相変わらず渋くて格好いい猛禽類フェイスである。


「この国では奴隷は合法だ。」

「そうですね。」


 俺もそうだし。

 太腿の奴隷印を、机の下で指でなぞる。


「だが、あくまでも国の管理の範囲内だ。」

「違法に奴隷のやり取りをしているギルドがいるということですか?」

「ああ、そうだな。取引されている奴隷にはエルフもいるということだ。あの種族の役割は大きい。国としては軋轢を生むわけにはいかない。確実なメンバーで闇ギルドを裁きたい。そのためには君たち、無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドが必要だ。」

「……なるほど。」


 エルフ、という言葉に思わず反応しそうになった。後ろから怒気を感じる。フェリが怒っているのだろう。エルフがダークエルフに堕ちる原因の多くは異種族との姦淫。そしてその多くはこういった違法の奴隷売買によるところが大きい。エルフは見目が綺麗なので、高く売買されるのだ。そして一度ダークエルフに堕ちてしまえば、彼らの社会での居場所はなくなる。エルフが奴隷に堕ちるというのは、他種族以上のリスクがあるのだ。


 トウツが何だかんだ俺に手を出さないのは、ここが大きい。俺が「ダークエルフになってもいいや。」と言えば、速攻でベッドに縛り付けてきそうではあるけども。

 あれ、そう考えると俺の状況も結構酷いんじゃないか? 俺もうすでに奴隷なんだけど。

 いや、この考えはよそう。深く考えてはいけない気がする。


少し、アルのことを慕っているクレアが心配になる。あの可愛い妹は、そういった種族の壁に折り合いをつけることが出来るのだろうか。


「みんなはどうする? ギルドマスターたっての指名依頼だ。」


一応、リーダーの俺が他のみんなの意思決定を促す。


「やる。この依頼、引き受けよう、フィル。」

 普段は最後に口を開くフェリが、一番に名乗り出た。


「当然、引き受けますわ。悪はすべからく滅ぼさなけらばなりませんもの。」

 ファナも参加表明をする。


「報酬は?」

 トウツが即物的な質問をする。


「一人頭200万ギルトだ。」

「安いね。A級パーティーの人件費に似合わない。」

「賞金首が多く所属する闇ギルドだ。今、声をかけている冒険者全員で折半しても、一人当たり500万以上の追加報酬は固いだろう。」

「お〜け〜。フィル、受けよう。」


 相変わらず即物的で自分に正直な兎である。だが、報酬の釣り上げ交渉はナイスだ。ラクスギルドマスターは適切な報酬を準備してくれる人だが、ここで交渉しないと労働力を安く踏み倒されることはざらにある。アスピドケロン討伐の時、ロットンさんたちに教えられたことだ。

 ロットンさん、ライオさん、ミロワさん、元気にしているかなぁ。


「決まりだな。受けます、このクエスト。」

「助かる。だが、大丈夫かね?」

「何がですか?」

「フィル君、これは平たく言ってしまえば殺人依頼なのだよ。君は確か、まだ人を殺したことはないだろう?」


 脳裏に浮かぶのは、人と同じ顔をした異形、アラクネだ。

今でも覚えている。美しい女性の顔に、ナイフを押し込んだ感触を。皮を、骨を、筋肉を通して実感した、頭蓋を刃物が貫通した瞬間の肉感的な音と振動。

 大丈夫だ。

 人に近い異形だって殺せた。

 人でも大丈夫。俺は大丈夫。


「……問題ありません。」

「そうか。君が言うならそうなのだろう。よろしく頼む。このクエストのリーダーはルーク・ルークソーンだ。近いうちに打ち合わせがある。詳細はその時だ。なお、この依頼内容は完遂まで他言無用だ。」

「わかりました。」


 当代の勇者がビジネスパートナーか。色んな意味で、初めてのクエストになりそうだ。

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