第146話 教会へ行く無神論者2

「そちらの使い魔はよく手懐けられているのですね。」


 広い教会の中庭を通りながら、老人神父が言った。


「そうなんですか?」

 俺と瑠璃は顔を見合わせる。


「ここの境界は基本、魔物を通しません。例えギルドに登録されている使い魔であろうとも、主従関係が上手くいってなかったり害意がわずかにでも残っていたりすると通さないものですから。」

「自慢の友達ですから。」

「友達ですか。それはそれは。」

 老人がころころと笑う。


 隣では瑠璃がぶんぶんと尻尾をふっている。

 教会の玄関についた。荘厳ではあるが、華美すぎない絶妙なデザインである。教会は、表向きはあくまでも慈善施設である。豪華に作り過ぎては市井の人間に示しはつかないのだろうが、素材や作った技師が高い質を誇るのが見て取れる。


「申し訳ありません。私は老骨の身でして。この大きくて重い扉は開けられないのです。」

 老人が困った顔で言う。


 嘘だ。

 扉には害意感知の魔法がかけられている。教会への邪心を持つものが触れば、一斉に罠魔法が飛び出す仕掛けだろう。

 好々爺と思っていたが、とんだ狸である。

 気づいてはいるが、騙されたふりをして俺は扉に手をかける。確かに重い。腰が曲がった老人には難しいだろう。でも俺は気づいている。この人、魔法で自身を強化するくらいの実力はあるはずだ。

 気を引き締めて入った方がいいだろう。

 俺は静かに教会の内部へと、入っていった。


「枢機卿を呼んできましょう。お待ちください。」

「そんな階級が高い人、いいんですか?」


 貴族の階級ついでに、教会の階級も学んだのだ。枢機卿は確か、2番目に偉い人のはずだ。


「ストレガの名を冠する者を悪しざまに扱えば、私たちの立場も悪くなるというものです。息苦しいかもしれませんが、ご了承を。しばらく待つことになります。お時間をいただいてよろしいですか?」

「構いません。」


 老人神父はそう言って、教会の奥へと歩いていった。

 礼拝堂に俺と瑠璃だけが残される。護衛も監視もいないのは、入り口で多くの害意感知魔法にかけられたからだろう。

 ステンドグラスが室内に入る光を七色に乱反射させている。それらの脚色された光が、普通の窓から入っている無色の光を際立たせている。

 その光を浴びながら、俺は長テーブルに腰かける。瑠璃も隣に座り、俺の太ももに頭を乗せる。

 礼拝堂の中心には講壇とサークルアンドクロスのレリーフ。銀の輪の中に銀の十字架があしらわれている。この宗教のシンボルだ。円はこの星の形を表し、十字架は神様を表す。星の中にいる神様が人間たちを見守り、救ってくださるという意味がある。


「瑠璃。」

『もちろん気づいておる。』

「強い人間がいるな?」

『あの箱の中におるのう。』

「あれって、懺悔室っていうんだっけ。」

『なんじゃそれは。』

「悩みを聞いてもらうための部屋だよ。神父やシスターが話を聞いてくれるんだ。」

『喋るためにあんな狭い部屋に入るなんて、人間は変じゃのう。』


 世紀単位で湖に沈んでいたお前が言うのか……。


「どうする? 話してみるか?」

『行った方がいいと思うのう。ここへはスカウトに来たんじゃろう? 可能性がある人間は接触すべきじゃ。』

「だよなぁ。」


 アルほど暴力的ではない。だが、間違いなく懺悔室の中にいる人物は実力者だ。淡く美しい白い魔力が四角い部屋からあふれ出している。

 静謐せいひつであるが、同時に雄弁な存在感のある魔力だ。

 刃物のように鋭利なトウツ、知的で爆発的なフェリのどちらとも違う。


「えっと、お邪魔します。」


 瑠璃も入ると狭いので、俺だけ入る。


「はぁあ♡入ってきましたね。」


 何か、部屋の向かい側から艶っぽい声が聞こえた気がする。どんな人なんだろう。俺と向かい側にいる人の間には壁がある。そこにはわずかな溝。三角に狭くなっていく凹みの先が切れており、俺からは相手の姿がほとんど見えない。修道女の服が見えるので、女性であることは推測できる。声も鈴のようにころころした綺麗な声だった。

 逆に向こうからは俺の全身が見えるような仕組みになっている。

 この構造、地味に不公平じゃない?


「えっと、初めまして?」

「初めまして、迷える子羊よ。今日はどのような懺悔をしにきたのですか?」

「懺悔というよりも相談ですね。」

「相談ですか、かまいませんわ。」

「俺は冒険者をしているんです。回復役ヒーラーの人材を探しているのですが、教会内にA級冒険者相当の方はいますか?」

「ほとんどいないと言っていいでしょう。そんな人材がいれば、教会も苦労しませんね。」

「おおう。」


 思ったよりも直球の返事が返ってきた。


「いるにはいますが、契約には高い条件を突きつけられると思っていてください。」

「そうなりますよね。」


 稀有な人材だ。教会としても手放すならば、それなりの要求はしてくるだろう。


「はぁ、はぁ、なんて神々しい香りなの。かぐわしい……かぐわしいわ……。」

「何かいいましたか?」

「いえ、懺悔の続きをなさいますか?」

「そうですね。枢機卿とかいう方がいらっしゃるまでは。」

「まぁ、ラクタリン枢機卿と? 貴方様は要人でございますか?」

「そんなに偉い人間ではないですよ。」

「そうでしょうか。こんなに神聖な匂いがするのに。」

「どんな匂いですかそれ?」


 何か会話が微妙にかみ合わない気がする。


「そも、回復役ヒーラーが必要なのは何故なのです? 迷える子羊よ。」

「戦力増強ですね。」

「何故強さを求める必要があるのです?」

「冒険者として、強い仲間が必要なのは当然では?」

「嘘ですね。貴方からは大きな運命の渦を感じます。大きな目標がありますね?」

「そうですけど、ここで話すことではないかと。」

「大いにございますとも。それが神の御心に沿うものであるか、わたくしは見定めなければなりません。」


 困った。禅問答するつもりはないんだけどなぁ。


「……そうですね。大きな戦いに身を投じる予定はあります。必要なのは、その戦いに耐えうる実力と心の広さをもつ人物が欲しいです。強きをくじき弱きを助く、そういう人がパーティーにいると助かります。」


 ただ、それは魔王との戦いに巻き込むことを意味する。誰でも良いというわけではない。その人の人生のためにも、この世界のためにも。


「そうですか。一応、候補となる人物は一人いますね。」

「本当ですか!?」

「はい。わたくしです。」

「…………。」


 何となく、予想はついていた。この教会に入ってから、強い魔力の素養を感じたのは5~6人ほど。今、小屋の対面にいる、おそらく女性である人物は2番目くらいか。一番強い気配は少しずつこちらへ近づいている。おそらくラクタリン枢機卿とやらだろう。もしくは、手前にいる女性が実力を隠しているのか。


「えっと、お姉さんでいいんですかね。」

「えぇ、わたくしの性別は女性ですわ。」

「出来れば、貴女と交渉がしたい。頼む側の俺が言うのもなんですけど、信頼できる人物かも見定めたいんです。懺悔室から出て顔を突き合わせて会話は出来ませんか?」

「いいですわ。ただ、わたくしの返答は決まっていますの。」

「そうなんですか?」

「ええ、イエスですわ。わたくしは貴方と共に冒険がしたい。」

「初対面ですよ?」

「ストレガの弟子と共に過ごすことが出来るというのは、多くの人間にとって特典であると思いますわ。」

「それも、そうですね。」


 今日まで色んな人間にストレガの名の重さを説かれてきた。それなりに価値はわかっているつもりだ。

 だが、判断が早すぎる気もする。そもそも何故、彼女は俺がフィル・ストレガがとすでに知っているのだろうか。


「ちなみに、教会から貴女を引き抜く場合、何か条件はありますか?」

「いいえ、特にありませんわ。むしろ、ラクタリン枢機卿と一部の信徒以外はわたくしに出て行ってほしいと思っていますわ。」


 おや?


「そうですか。後腐れなく出立できると。」

「そうなりますわね。」

「それでは、貴女自身から何か条件はありますか?」

「そうですね……フィル・ストレガ様、貴方との子どもが欲しいですわ。」


 今、なんつった?


「今、何と言いましたか?」

「子どもが欲しいですわ。」

「誰と?」

「貴方と。」

「俺と誰?」

「貴方とわたくし。」

「——少しタイムアウトいいですか?」


 俺は懺悔室の出口のドアノブに手をかける。


「————逃げるんですの?」


 バギンと懺悔室の壁が突き抜ける音がした。

 壁から白魚のような女性の手が生えてきて、俺の腕をつかむ。


「ぎゃあああああ!」


 身体強化ストレングスをかけて体を螺旋にひねる。懺悔室のドアを背面アタックで突き破りながら外に飛び出す。


『どうした!わが友!?』

「いや俺もわかんないよ!何だあの人!?」

「逃げるなんて、殿方らしくありませんわ、フィル様。」


 懺悔室の壁を突き破って女性が出てきた。

 修道服を着ているが、ここに来るまでに見かけた他のシスターとは全く違う姿だ。

 まず露出度が高すぎる。シスターらしく白と黒で統一されているが、太ももをさらけ出したミニスカート。胸だけをさらしのように隠した黒い布。胸元にはサークルアンドクロスの紋章がついている。ほぼ裸に近い姿なのに、何故かベールだけはしっかり着用しており、黒のロングブーツが白い肌とのまぶしいコントラストを作り出している。


「ち、痴女だー!」


 俺は神聖な礼拝堂でみっともなく叫んだ。

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