第137話 勇者とは

「もし伝説の勇者の後継が本当にいるとしたら、それはアルケリオ・クラージュですよね?」

「あら。ようやく気付いたの?」


 俺の問いに優雅に答えたのは、この国の王族の女系子女で2番目の立場にあるエイブリー姫である。

 座っている俺の膝の上には、瑠璃の頭がある。最近は瑠璃の安全性も王宮警備に認められ、一緒に謁見するようになった。

 パーティー内での約束通り、単独行動はしない。今日は瑠璃が俺のお守役らしい。解せぬ。

 ちなみにトウツが付いてくるかと思ったが、昨日帰ってくるなり「疲れた。」と言って眠ってしまった。起こすのも忍びないので、瑠璃と一緒に王宮へ来たのだった。


「ようやくって——いや、アルはプリンセスファボリでしたね。」

「あら。その呼び名、あんまり好きではないのよね。私は国の未来のために優遇しているのであって、私欲のために貴方たちの後見人になっているわけではないのよ。」

「本当ですか? 俺にあんなにレポート提出させているのに?」

無料ただで恩を売るわけないじゃないの。フィル君は現時点で返せるものがあるから返してもらっているだけよ。」

「他の子たちが大人になったら何か返してもらうつもりなんですね?」

「うふふ。」

 我らの姫様が笑って誤魔化す。


 それがまたずいぶんと品がよく、美しいので、ついつい流されてしまう。

 トウツやフェリは自分の美貌に無頓着だが、この人は容姿を器用に武器としている感じがする。使えるものは使えの精神を地で行く人である。


「アルケリオ君はね、宮廷内の力がある武人からたくさんオファーがあったの。学園に入る前から近衛騎士としてつばをつけておけと具申されたほどよ。」

「それほどなんですね。」


 メイラさんが紅茶をもってきた。最近は彼女がエイブリー姫の周囲にいることが多い。イアンさんは忙しいので、最近は姫様の近くにはいない。

 少しずつ。だが、確実に魔物の異変が増え始めている。イアンさんが現場にいることで解決する事件や守られる人間は多い。エイブリー姫は自身の警護よりも国民の命を優先しているのだ。

 「そもそも王宮には武人が多くいるから、イアンがいなくとも回るのよ。イアンが抜けるくらいで突破されるような警備ではないわ。」とは、彼女の言葉だ。

 メイラさんがよくそばにいるのは、近衛騎士で数少ない女性だからだろう。


「そうね。私は王族の中ではけっこう珍しい実力主義の登用をしているわ。それで色んな批判は受けたのだけれども。イアンには感謝しているわ。家柄と実力、勤勉さ誠実さ。それらを全て持ち合わせている人材なんてそうはいないもの。私が登用している人材のトップはゴライア家という高位の貴族出身である。その事実が、けっこう私への批判の障壁になってくれているの。イアンには感謝してもしきれないわね。」

「それ、本人にも言ってあげてます?」

「あら、言っているわよ。仏頂面だけど、とても喜んでくれているわ。彼の真顔を壊すのが目下の目標なんだけど、中々尻尾を見せてくれないのよね。彼にとって私は上司であり護衛対象でもあるけど、親戚の娘みたいなものだから、フィル君が思う以上に親しい関係だと思うわよ。」


 人に歴史あり。姫様とイアンさんの昔はどんなものだったんだろうか。

 姫様が紅茶を口に含む。


「それでね、イアンを始めとして、武人も多くの人間を実力で登用したのよ。後ろのメイラもその一人ね。」


 姫様の後ろでエキゾチックな瞳をぴくりとさせ、メイラさんが頷く。確か、この人は師匠が森に仕掛けた迷宮魔法を突破するために登用した人物だ。


「アルケリオ君を発見できたのは、その副次的な特典ね。天才は天才を知る、というやつかしら。貴族の子息が集まるパーティーで、武人の実力者たちがその日のうちに私に打診してきたわ。『姫様、あの少年を囲ってください。』と。他の誰でもない、私に言えば人材を発掘できるという風潮が王宮内には出来つつあるから、本当に助かるわね。」

「姫様が直接見つけたわけではないんですね。」

「私には、フィル君みたいに便利な目はないからね。羨ましいわ、その目。私も欲しかった。」


 姫様がうっとりした目で俺の瞳を見つめてくる。

 美人に見つめられるというのは悪い気はしない。が、彼女の目に宿っているのはロマンチックなものでは全くなく、研究者がモルモットの細胞に見せるそれである。

 いや、彼女にとってはロマンチックなのかもしれないけども。


「武人たちにも、もちろんフィル君みたいな目があるわけじゃないわね。その目、何て呼ぼうかしら。魔力を直接見る目だから、魔力視の魔眼マギ・ヴァデーレとでも言っておきましょうか。」

魔力視の魔眼マギ・ヴァデーレですか。いいですね。仲間内ではそう言うことにします。」

「出来れば、どうして見えるのか解析してレポートしてね。」

「数十年かかるかもしれないですね。」

「あら、長生きしないと。」


 うふふ、と姫様が笑う。


「イヴ姫。」

 イリスに許可をもらった呼び名で、俺は彼女を呼ぶ。


「なぁに?」

 楽し気に彼女は応える。


「イリスを、どうするつもりですか?」

「——どう、とは?」

「あの子は、イリスは正義感が強い子です。これから大きくなって、魔王のことを知れば彼女はきっと戦いますよ。イヴ姫は、自分の大切な従妹を戦場に引き込むことが出来ますか?」

「——それは、私への質問? それとも自問?」

「……どっちも、ですね。すいません、卑怯でした。自分の判断がついていないことを人に聞くなんて。」

「いえ、いいのよ。それは私もいつも迷っていることだから。」


 少し、表情に影を差しながら姫様は言う。

 彼女に見事に図星をつかれてしまった。ここまで綺麗に言い当てられてしまうのは、前世の彼女の茜以来だろうか。

 俺の背後には今でも、彼女の加護とルビーがいる。気づいたら色んなものを背負い始めていることに、プレッシャーがかかってくる。困ったなぁ。俺の背中はそんなに広くないのに。


「俺は、アルやイリスを巻き込むのが怖いです。アルは天才だ。俺がタイマンで倒せなかった死霊高位騎士リビングパラディンを短時間とはいえ圧倒していました。魔王と今後戦う上で、アルの戦士としての成長は不可欠です。でも、あんなに心優しいアルを、無理やり戦場に引きずり込むのは、怖い。とても怖いんです。」

「そうね。それは、私がイリスに対して思っていたことと同じよ。でもね、フィル君。イリスは正義感が強い子よ。アル君も、数回会っただけだけど、多分そう。あの子たちが目の前で人が苦しんでいるのを見て、黙っていると思う?」

 桜色の瞳が俺を覗きこむ。


「——思わないです。あの子たちはきっと、剣をとる。」

「そう、私もそう思うわ。そしてその時に、剣の握り方すら知らないことの方が残酷。そう思わない?」

「……それは、詭弁じゃないんですか?」

「いいえ、詭弁ではないわ。私もフィル君も弱いわ。この世界の大きなうねりで、干渉できるのはわずかでしかない。勘違いしないで。私は王族で、貴方は転生者。でも、所詮はただの一人の人間よ。」

「それは、そうですけども。」

「私たちはあの子たちを戦場に引きずり込むのではないわ。導くの。」

「言葉が違うだけですよね?」

「そうね。でも、罪悪感は減るでしょう?」


 それはそうだけども、心の中がもやもやする。

 だが、目の前にいる姫様は、この霧がかったような心とずっと向き合ってきたのだろう。


「ふふ、やっぱりこうやって時々フィル君と話すのは落ち着くわね。」

「そうですか? というか、レポートだけが目的じゃなかったんですね。」

「ええ、そうよ。王宮にいると、どうしても国政について考えないといけないから。この仕事をしているとね、人の命がただの数に思えてくるの。」

「……数。」

「そう、数よ。どこそこの領地に疫病が流行り始めた。国費を使って薬を送るべきか。でも、ここで国費を捻出したらインフラに配分するお金が減る。そうなると、もっとたくさんの人が死ぬ可能性がある。じゃあ、知らないふりしてここは見送ろう。ある村が魔物に襲われた。今オラシュタットにいる戦力を送れば、もしかしたら救えるかも。でも、そうしたときにオラシュタットの守りはどうなるの? じゃあ、見送ろう。そういう判断ばかりをしているとね、人の命が尊いものではない気がしてくるの。不思議よね、私はそのために存在しているのに。」

「…………。」


 俺は無言で光魔法を使う。

 後ろに控えるメイラさんが一瞬反応するが、姫様が宥める。


「この魔法は?」

「元々は、師匠に使うために練習していた魔法です。自律神経を和らげる魔法なんですけど。」

「自律神経。何ですか、それ?」

「リラックスできる魔法と思っていただければ。」

「……素敵な魔法ね。とても、素敵よ。」


 俺が新しい魔法を紹介すると、この人は必ず原理を知りたいと食いついてきた。今は、この魔法の原理に食いついてこない。

 ただ、されるがままに目を閉じて魔法を受けている。白い魔素に包まれる桜色の彼女は、とても幻想的で儚い存在に見えた。


「——ふふ。ありがとう。落ち着いたわ。」

「いえ。」

「マギサおばあ様も、きっと喜ぶわ。」

「そうだと嬉しいんですけど。」

「フィル君はお婆様が素直じゃないというけど、隠れてこんな魔法を練習するあたり、フィル君も同じじゃないのかな?」

「言わないでください。あんな婆さんと一緒にしないでほしいです。」

「うふふ。」

 ころころと姫様が笑う。


「フィル君と話すのが楽しいのはね、貴方がとても普通の感性をしているからよ。」

「普通。」

「私の周りにはね、国のために過度な慈悲を要求するか、無慈悲な決断を要求する人ばかりなの。でも、彼らは悪くないのよ? 全ては国のためを思ってこそだから。でもね、ふとした時に疲れるの。ボードゲームの上で人の命を計算し続けるのはね。でも、貴方は違うわ。当然の様に人を心配するし、誰かが傷ついた時にちゃんと自分も傷ついている。それを見るとね、安心するの。私もこの普通の感性をちゃんと残しているのだと、確認できる。」

「それは——辛くないですか?」


 まともな感性を残して、人の命の勘定をする人生。俺だったら気が狂いそうだ。


「辛いけど、残さなければいけないわ。この感情は、絶対に。」

「どうして?」

「もし、私が心を消して政治をするとどうなると思う? 多分、徹底的に合理的な判断をしていくでしょうね。イアンも、メイラも皆も、国のためと故郷のためと、当たり前のように戦場に送り出すわ。ボードゲームのコマのようにね。そして、コマが壊されたらまた新しいコマを新調するの。でもね、考えてほしいのフィル君。それって、これから戦う魔王と何が違うの?」

「……同じですね。それは、もはや人間じゃない。」

「そうなの。私は人間として生きるわ。人間の王族として生きるの。人間らしく命令して、人間らしく必要な人に手伝ってもらうの。その手伝ってもらう人の中に、きっとこれからイリスも入るわ。貴方のルームメイトのアルケリオ君も、そう。だからね——。」


 手伝ってくれる?

 と、彼女は言った。


「もちろんですよ。」


 俺はそう答えた。


「あ、そうそう。」

「何です?」

「私が戦場に導く人に、貴方も当然入っているわ、フィル君。ごめんね?」

 そう言って、彼女は表情をくしゃりと曲げた。


「喜んで、お姫様。」


 俺は騎士の真似事をしてお辞儀をした。

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