第120話 兎の過去話
「素晴らしい。流石頭目の娘だ。君がいれば御庭番も安泰だ。」
そう言ったのは、どこの誰だったか忘れた。
僕は人の顔と名前が一致しないのだ。どいつもこいつも案山子に見える。口を開けば頭目である父への賛辞。僕の御庭番の才能への賛辞。
聞き飽きた。本当に聞き飽きた。
このままこの箱庭の中で僕は一生を使いつぶすのだろうか。
周囲の人間はやれ「国のため。」だの「一族の使命。」だの言って、自分の人生に満足している。僕も現状に満足するべきなのだろうか。
やりたいことはない。僕には刀を振るうことしか脳がない。今更新しいことに身を投じる? 無理だ。僕にそこまでの熱量はない。流れに身を任せるしかないんだ。
「将来はいい女になる。頭目の娘でなければ手を出してたところだぜ。」
そう言ったのも、誰だか忘れた。
僕は妾の子。頭目である父が色街で引っ掛けた花魁の娘だ。母は売れっ娘の花魁だったらしい。らしいというのは、直接会ったことがないからだ。母は生まれた僕をあっという間に放逐した。水商売はコブつきが生き残れる商売ではないからだ。母であることよりも、花魁として男に愛されることを母は選んだのだ。
馬鹿らしい。男なんて、女の身体ばかり見てくるけだものばかりだ。本当の意味で愛してくれる男なんて、この世に存在するわけがないだろう。大人の男は、みんな汚い。
兎人の身体は異性を惹きつけやすいように成長する。男を引き寄せるような体つきになっていく自分が、成長すればするほど酷く汚らわしい存在に思えてきた。僕を捨てた母が美人であったことを呪う。母の血は無駄に濃く、自分が男を引き寄せる顔つきになっていくのがわかり、嫌だった。忍び装束の上から羽織を着て身体のラインを隠す。一人称もその時から「僕」に変えた。
御庭番としての訓練を受ける時に、すぐ避妊術を教えられた。
お生憎。僕がこの術を使うことなんて、一生涯ないね。
万年発情期なんて言われるこの欲求も、上手くコントロールしてみせるさ。大丈夫。僕なら出来る。
「この檻にいる罪人を全員殺せ。」
これを言ったのは誰か、覚えている。
父だ。
僕が物心ついたときに、短刀を持たせて罪人のいる檻に放り込んだのだ。
「どうした? 殺さなければ自分が死ぬぞ。お前の代わりはいくらでもいる。生き残ったら御庭番として稽古をつけてやろう。」
僕はがむしゃらに短刀を振るった。罪人たちは、まともに食事もとれていない弱った人間ばかり。だが、そこは凶悪犯罪者。目の前にいる幼子である僕を殺さなければ、自分たちが死ぬと悟ったのだろう。彼らが僕に殴りかかる判断は早かった。
木製の檻の中、男たちを全員殺してたたずむ僕を見て、父は笑った。
「少し稽古して気づいていたが、やはり天才であったか!俺は運がいい!」
そう言いながらせせら笑う父の顔が、醜悪に見えて仕様がなかった。神聖な使命? これが? 冗談じゃない。こんなものが神聖なもののはずがない。
「トウツ・イナバ。北の領地の領主を殺せ。殿への謀反者である。」
「トウツ・イナバ。西の蛮族を根絶やしにしろ。貴様なら出来るな?」
「トウツ・イナバ。侵入者だ。殺せ。」
「殺せ。」「拷問しろ。」「姦計だ、出番だぞ。」「素晴らしい手際だ。」「躊躇がない。」「人を殺すために生まれた女だな。」「殺せ。」「流石、頭目の娘。」「天才だ。」「殺せ。」「次代の頭目は君だ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「殺せ。」「コロセ。」「コロセ。」「コロセ。」「コロセ。」「コロセ。」「コロセ。」
「可哀そうじゃ。何か事情があるのじゃろう。許してやれ。」
こう言ったのも、誰か覚えている。
最年少で御庭番入りした僕が護衛する対象。この国一番の城主の息子である、若だ。御庭番はみな、親しみをこめて若様と呼んでいた。
城下の視察に来た際、浮浪者が若に襲い掛かったのを僕が取り押さえ、喉元を掻っ切ろうとしたときのことだ。
「ですが若、この男は若にあだなす者です。慈悲はいりませぬ。」
「そうか? 余は必要だと思うぞ。見たところ政敵でもないの。腹が減っておるのか?」
そう言って浮浪者に自分の食糧を分け与える若を見て、僕は表情に出さず怒りに燃え上がった。
何でお前だけ、のうのうと人に優しくしているんだ!誰のために僕が今まで人を殺してきたと思っている。お前のためだ。他ならないお前のために殺してきたんだ!身体を武器にして汚い男をだますことだってしてきた。悪態をつかれながら拷問だってした。苦しい修行も、お前のために刀を振るうためにしてきたんだ!僕がお前のために何人殺してきたと思ってるんだ!
お国のため? 殿のため? 若のため?
ふざけるな!ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!
「どうしたイナバ。怒っておるのか?」
若の黒い瞳が僕を捉えた。
「……いえ。」
「お主が余についてしばらく経つが、中々本心を語ってくれんのう。仲良くしたいんじゃが。」
それは不可能だ。絶望的なまでに、僕とお前は違う生き物だからだ。
「今度、少し腹を割って話そうぞ、イナバ。」
「畏まりました。」
表情を変えずに、僕は言う。
「からくりと会話しているようじゃのう。」
若がけらけら笑う。
当たり前だ。僕はお前のために作られた、からくりなんだから。
「なんじゃ、また人を殺したのかイナバ。ご苦労じゃのう。」
「怪我しておるのか? 手当するぞ、イナバ。」
「賊を撃退したようじゃの。助かったぞ、イナバ。」
「なんじゃ、団子が好きであったか。早う言え。おやつを変えるよう家臣に言ったのに。」
「う~む。お主将棋も出来るのか。待ったはなしかの? なし? お主自分の主人に容赦ないのう。」
不思議な主君だった。
他の人間は御庭番としての僕ばかりを見てきたが、この人はトウツ・イナバという個人を見ているような気がしたのだ。
幼子だからだろうか。他の大人の男達の様に、下卑た目で僕の身体も見てこない。
純粋、純真。それがぴたりと当てはまるような御仁。
少し、体が火照る感覚がする。性欲のコントロールは完璧のはず。何故だろうか?
「若様。」
「なんじゃ、自分から話しかけるのは珍しいのう、イナバ。」
僕から話しかけたのは、若についてから一年ほどした時のことである。
「何故、僕のことを人扱いするのです。」
「人もなにも、お主は人であろうよ。」
「違います。僕はただの刀です。若を守るための、一振りの刀です。」
「つまらん生き方をしとるのう。お主は。」
「そのつまらない生き方は、お前を守るために出来たのだ。」と、喉まで出かかった。
だが、我慢する。若はまだ小さい。聡明ではあるが、物の道理がわかるほどではない。
「仕事ですので。」
「そうかのう。お主、余を守る仕事は楽しいか?」
「仕事に楽しいも何もありません。」
「本当に?」
黒い瞳が僕を見る。
墨のように綺麗な御髪が風に揺れる。幼子であるゆえに、まだ丸くてふっくらとした顔で僕をのぞき込む。
「——つまらないです。」
人によっては、不敬と糾弾されるだろう。いや、打ち首か。この国の要人を守る仕事。名誉であり素晴らしい仕事だと称賛すべきだ。
だが、この時の僕は何かがおかしかったのだろう。本音を吐露してしまった。
若がにんまりと笑う。
「そうであるか、そうであるか。では、辞めてみるか?」
そう、若は僕に提案した。
僕は若の上にまたがって、その時を待っていた。
若は「大陸に流刑にでもあえば自由になれるんじゃないかの。」と提案した。
子どもの浅知恵だ。
だが、その時の僕は自分の人生も感情も擦り切れていたので、簡単に若の提案に流されてしまったのだ。
作戦は至ってシンプル。性欲に負けた将来有望な兎人が、守るべき主君にお手付きしそうなところを他の家臣に捕まる。
そんな阿呆なことがあるかと思うかもしれないが、僕の種族でこうやって前科者になるやつはかなり多い。
あとは若が大きな声で叫んで、助けを呼べばいい。
「そういえば、イナバに触れるのはこれが初めてじゃのう。」
「このような形になってしまい申し訳ありません、若。」
「何、構わぬよ。大事な家臣が自由を求めているのじゃ。主君として答えなければの。」
「申し訳ありません、若。」
「何でもう一回謝ったのじゃ? ん? 太ももの力が強いの。動けんな。どうしたのじゃ。」
————無理だ。
兎人は万年発情期。その上、当時の僕は思春期に入ったばかりだった。我慢の限界だったのだ。少しはだけた若の素肌が。畳に煽情的に広がった黒くて細い御髪が僕の性欲を刺激する。
「申し訳ありません。若。」
「え、ちょっと待てイナバ。どうして余の服に手をかけるのじゃ? ふりじゃろう? ふりだけのはずじゃろう? 待て待て。お主まで服を脱ぎ始めるでない!お主肌を見せるのを嫌っておったはずじゃろう!? 誰か!誰かー!」
「申し訳ありません、若。もう限界でございます。もう、ほんと無理。辛抱たまらん。ほんとごめん。」
「で、捕まった結果、エクセレイ王国に流れてきたと。」
俺がジト目で見ると、トウツが「いや~。」と照れる。
「何照れてんねん。マジもんの犯罪者じゃねぇか!」
「若には感謝しても仕切れないねぇ。僕の性癖を開発していただいた。」
「恩を仇で返してどうすんだよ!」
「今度、何かしらの形で恩返ししないとね~。」
「本当だよ!いや待て。お前、若に合わない方がいいんじゃないか?」
「でも未遂だったからせーふ。ギリギリせーふ。」
若様が赤い顔してたのはそういうことかよ!
トラウマになってそう。
「若は幼少から豪胆なお人だったから、笑って許してくれそうだと思うなぁ。」
「お前の元
「僕もそ~思う。」
でも、あの若様なら本当に許しそうだよなぁ。
シリアスに話し始めるから、真面目に聞いた俺が馬鹿だった。
やめてくれよ。俺、あの人と学園で会うんだぞ。会うたびにトウツに押し倒された人と思うと、まともに顔を見れないじゃないか。
「そういうわけで、フィオ。」
「何だよ。」
「いつ君は僕に押し倒されてくれるの?」
「何でそういう話になるの!?」
「いや、今聞いたじゃん。僕、かなり我慢してるんだよ? 自分の性癖ストライクの君と一緒に過ごしてかなり経つけどさ、もう我慢の限界が近いんだ。据え膳を鼻先に置かれて数年我慢している僕の身にもなってほしいなぁ。若はうっかり押し倒しちゃったけど、このままだと君も若と同じになるかもしんないよ。」
「もうちょい我慢せいや!」
「はっ。ということはいつか許可を!?」
「しねぇよ!」
色んな意味で疲れる過去話だった。
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