第115話 学園生活15

「リラ先生は、グラン公のことが好きなんですか?」


 俺がそう聞くと、リラ先生はバインダーを地面に取り落とした。


「わ、うわわ。」

 慌ててバインダーを拾う先生。


「も、もう。フィル君、大事な話があるって言うから時間を割いたのに。聞きたいのはそんなことなの?」

 困り顔で眉をひそめる先生。


 悩ましい顔もキュートな先生である。グラン公が入れ込むのもわかるというものだ。あの息苦しい社交界に、こんな柔らかい雰囲気の女性がいれば、誰だって声をかけるだろう。誰だってそうする。俺だってそうする。


「大事なことです。俺とアルの大事な担任の先生の話なので。」

「ちょ、ちょっと待ちなさい。」


 リラ先生が周囲をきょろきょろと見回す。興味をもった女性教員たちが、ちらちらとこちらを見て聞き耳をたてていることがわかる。女性がこういった話を好むのは、異世界に転生しても変わらないものである。


「場所を変えましょうか。」

 取り繕うような笑顔で、リラ先生は言った。


 職員室のすぐ近くの給湯室というところで、俺たちは対面して座った。小さな部屋だ。子どものカウンセリングをするための部屋でもあるのだろう。窓から入ってくる木洩れ日が心地よい。

 リラ先生がお湯を魔法で沸かせる。


「何か、欲しい飲み物はある? コーヒーと紅茶ならあるわ。でも小人族ハーフリングは猫舌が多いんでしたっけ。お砂糖も必要よね?」

「いえ、大丈夫です。これを淹れてもらえませんか?」

 俺は自前の茶葉を手渡す。


「あら、もうお気に入りの茶葉を持っているなんて。フィル君は大人ね。」

「それほどでも。」

「あら、この茶葉、発酵していないわね。緑色のままだわ。大丈夫? 生臭くないかしら。」

「緑茶です。」

「東の国の?」

「そうですね。」

「何でこんなものを?」

「冒険者業を一緒にしている者が、ハポン出身でして。」


 フェリさんの情報を元に、手に入れたものである。借金を返すことも大事だけど、心の余暇は大事だよね。

 いや、別に借金から目をそらしているわけじゃないよ? 本当に。マジで。信じて。


「あら、ほぼ鎖国しているようなものなのに珍しいわね。私もその国出身の人間は数えるくらいしか知らないわ。」

「え、知っている人がいるんですか?」

「ええ、留学でこの学園に通っているわよ。」

「それは何とまぁ……。」


 どこかで縁が繋がりそうな気がする。いい意味でも、悪い意味でも。

 頭の中で性悪兎がちらつく。


「先生も飲んでみますか?」

「何事にもチャレンジね。試してみるわ。」

 そう言って、ティーポットに茶葉とお湯を淹れる先生。


淹れ方が日本式ではなく、紅茶の淹れ方のそれだったが、深くは言及しない。俺も茶の淹れ方はよく知らないのだ。


「えーと、グラン公の話でしたっけ。」

「そうですね。」

「その話、絶対にしないといけない?」

「ええ、してもらわないと。」

「アル君のために?」

「はい。」

「フィル君は優しいのね。」

「そうですかね?」


 よく子どもを見ている人である。時々俺がアルに配慮している様子を観察していたのだろう。


「そうね。グラン公のことは好きよ。とても紳士的な人だったわ。」

 先生が緑茶を口に含む。


「あっさりしているけど、発酵していないお茶も美味しいわね。」

「気に入って頂いて、何よりです。」

「ふふ。」


 笑った後、リラ先生はお茶に砂糖を投入した。

 お茶に砂糖を投入した。

 緑茶に砂糖を!?


「ん? どうしたの? フィル君。」

 先生がこちらを怪訝な顔でうかがう。


 一瞬混乱したが、この国は紅茶文化なのだ。そうか、そうだよな。飲み物のベースが紅茶なら、緑茶にも砂糖入れるよな。そうだよな……。

 理屈ではわかるが、自国の食文化を汚されたような、変な屈辱感がそこにはあった。リラ先生に悪気がないだけに、この感情をぶつける場所がなくて困る。


「いえ、何でもありません。それでグラン公のことですけど、具体的にはどこが好きなんですか?」

「いやに積極的に聞くわね……。他のみんなに言わない?」

「絶対言いません。」

「言ったら通知表の成績下げるからね。」

「言ったら針千本飲みます。」

「そこまではしなくていいわよ。何かのおまじない?」

 先生が苦笑する。


「そうね。グラン公への最初の印象は、仕事の鬼ね。」

「仕事の鬼。」

「私がまだ社交界に慣れていなかった頃にね、グラン公とは度々出会ったわ。面白い人だった。家柄が良い上に、領地の運営もお上手だもの。社交界の女性が放っておかなかったわ。」

 気難しいけど、よく見れば顔が整っているし、と先生が言う。


「へぇ。その女性には、どのように対応されていたのですか?」

「無頓着、馬耳東風とはあの人のことね。ほぼ全ての女性のアプローチを無視していたわ。というよりも、気づいていなかったのかも、あの人。何度も食い下がった令嬢に『で、君は私の領地と領民のために、何をしてくれるのかね?』とおっしゃった時は、笑いをこらえるのに大変だったわ。」


 社交界では力を発揮できないという批評が間違いではないことがよくわかった。グラン公の誕生パーティーで引退したはずの父親がしゃしゃり出るはずである。ああでもしないと、グラン公は結婚しないのだろう。


「そうですか。それがどうして先生との婚約につながったのです?」

「そうね。あの人にとってのパートナーって、対話相手だったのかも。」

「対話相手。」

「そう。一般的な貴族の令嬢は年若い内に結婚するわ。だから、社交界でも若さを武器にアピールする子も多かった。」

「なるほど。」

「セーニュマン家は、そこそこ高い階級ではあるけども、父が高望みしちゃったの。だから私は売れ残っちゃったわけね。」

 先生が舌を出す。


 先生ほどの女性が今日までに結婚できなかったことに違和感があったが、そういった事情があったのか。

 リラ先生は美しい。出し惜しみし、より良縁を目指す父親の気持ちもわかろうというものだ。


「だからね、私は結婚を諦めていたわ。グラン公と話す時も、どうせこの人は妻を娶ろうなんて考えていないだろうし、自由に趣味の話をしていたの。」

「どんなことです?」

「確か、教育に力を入れれば領地が富むという話だったわ。その時から学園の教師を目指していたのよ。」

 けっこう成績優秀だったんだから、と先生が付け足す。


「それは、グラン公が好きそうな話題ですね。」

「フィル君はグラン公に直接会ったんでしたね。私も彼があそこまで食いつくなんて、思いもよらなかったわ。それを見たガラール元公爵がすぐに私の父に縁談を持ってきたの。藁にもすがる思いだったのでしょうね。息子が結婚しさえすれば、何でもいいといった感じだったわ。」


 俺は壇上で演説していたガラール元公爵を思い出す。あの人も一族の繁栄に必死なのだろう。


「父はもちろんすぐにオーケーしたわ。」

「先生はそれで良かったんですか?」

「ええ、私にとっても素晴らしい縁談だったわ。知れば知るほど、グラン公はいい殿方だと、知ることが出来たわ。私ね、もう一生結婚は出来ない身体になってしまったけど、これでいいと思っているわ。彼以外がパートナーなんて、今は考えられないもの。」

 そう言って、幸せそうに先生は緑茶を口に含んだ。


「だそうだ、アル。」

「え?」


 部屋の隅から、アルが顔を出した。気配隠しのストールで隠れていたのだ。流石エルフの長老の私物。リラ先生程の人物でも、至近距離で隠すことが出来る。


「え!?」

 思わぬ展開に驚く先生。


「リラ先生、本当ですか!?」

「え、アル君どうして、え?」

「本当ですか!グラン公爵と結婚したいんですか!先生!」

「え? え?」


 気配すらなかったアルが同室にいたことに混乱するリラ先生。アルは興奮してぴょんぴょん跳ねながら問い詰める。

 テーブルから顔の半分しか見えないのがえげつないほど可愛い。


「え、ええ。そうね、結婚したいわ。」

「わかった!僕がなんとかする!」

 そう言って、アルが両手のこぶしをぐっと握る。


「え、なんとかするって、どうやって?」

「そういうわけです、先生。では失礼します。」

「失礼します!」


 そう言って、俺とアルは退室した。


 最後までリラ先生は唖然とした顔で「そういうわけって、どういうわけ?」と呟いていた。

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