第111話 社交パーティー2

 イリスの顔が強張っている。


 彼女の表情はミザール邸に入り、人と接触する度に落ち込んでいった。

 貴族たちがエイブリー姫やイリスの桜色の髪色を指さし、せせら笑う様子が何度も見えた。イアンさんがその度に額に青筋を浮かべ、メイラさんが「どうどう。」となだめている。

 エイブリー姫に挨拶をしてくる貴族は大きく分けて3種類に分かれた。彼女の王族としての仕事ぶりに敬意を示す者。言葉こそ丁寧だが、明らかに侮蔑の混じった態度を示す者。貴族としての義務感から王族への挨拶をする者。この3つだ。

 イリスは自分や尊敬する従姉が侮蔑の感情を向けられるたびに、傷ついている様子だった。だが、子どもなりに我慢して表に出さないようにしている。強い子だ。


「これは、どういうことですか?」

 思わず俺は、聞いてしまう。


「この国も一枚岩ではないということよ。」

 エイブリー姫が答える。


「エクセレイ王国は大きく分けて3つの派閥があるわ。王権派。権力分立派。そしてそのどちらでもない中道派ね。権力分立派は、分かりやすく言えば貴族の自由裁量権を引き上げろと主張している派閥ね。」

「それは、下手をすれば王族を貶していることになりませんか?」


 「俺たちに権力をよこせ」ということは、「お前たちの統治に不満がある」ということだ。場合によっては不敬罪なのではないだろうか。


「そう解釈する王権派もいるわね。ただ、エクセレイ王国は決して小国ではないわ。私たちだけでは国全体を完璧に指揮できないのは事実。どうあがいても貴族の協力は必要よ。だから、彼らの主張には一定の正義があるの。どんな形であれ正義を踏みにじった瞬間、私たちは悪と捉えられるわ。」

「それでもあの態度は、いいんですかね?」

「あら、直接私たちに悪口を言っている人はいないわ。フィル君は何を言っているのかしら。」

 そう言ってエイブリー姫がとぼける。


 強い人だ。今世で初めて見るタイプの強さ。

 よくよく考えれば、この人は生まれた時からこの環境で生きているのだ。このくらい出来て当然なのだろう。


「俺には政治は分かりません。でも、エイブリー姫の手腕は素晴らしいと思います。学園で、貴女の力のおかげで助かっている人をたくさん見ました。」

「ありがとう。でも、彼らにとっては力不足のようね。」

「何故?」

「私とイリスは、どうしても比較対象が初代の王とおばあ様になるから。」

「あっ。」


 そうだ。桜色の髪と瞳は、初代の王のトレードマーク。この国を立ち上げ、最も評価された統治を見せた王様。それだけでなく、最年少かつ最も評価された宮廷魔導士の血筋。期待するなという方が難しいのだ。


「お父様も、平均以上に優秀なはずよ。でも、おじい様とおばあ様が統治した時に、この国は飛躍的に発展したから。お父様はそれを一つもそこねず継承しているのに、誰も評価してくれないの。あらいけない。愚痴になってしまったわね。」


 後ろに控えているイアンさんは無言で見つめている。主が本音を吐露していることに安堵しているのだろうか。


「エイブリー第二王女殿下は、もちろん王権派なんですよね?」

「ええ、この国が良い方向に進めばどこでもいいのだけれど、王権派ね。」

「別の派閥同士がパーティーに集まるって、いいんですかね? 同じ派閥だけで集まるのは駄目なんですか?」

「それは表立った敵対の意思表明になるから、無理ね。」

「王族も貴族の人も、大変ですね。」

「うふふ。やってみたら楽しいものよ。代わってみる?」

「遠慮します。」


 ストレスで胃に穴が空きそうだ。


「イリスはまだ社交経験が浅いの。フィル君がフォローしてくれる?」

「俺も今日がデビューなんですけど。」

「あら、貴方なら出来るでしょう?」


 桜色の瞳が俺を射抜く。人の上に立つ人間の目。平服されて当然の目。屈服させて当然の目。

 この人は優しい。だが、どうしようもなく「人を使う側」の人間なのだと思わされる。


「俺なんかで良ければ、貴女の可愛い従妹をエスコートしますよ。」

「うふふ、よろしくね。私は話さないといけない人が多いから。」

「お疲れ様です。」

「まだ疲れてないわよ。」


 綺麗な姿勢のまま、エイブリー姫が人込みの中へと切り込んでいく。後ろには鎧ではなく、社交用の軍服に身を包んだイアンさんとメイラさん。

 貴族たちが礼をしながら彼女たちへ道を開ける。

 淡いピンクのドレスが彼女の美しさを一層引き立たせている。

 その立ち姿の流麗さは他の貴族の追随を全く許さない。

 今日の主役はなにがしミザール公爵とのことだったが、間違いなく彼女が主役を奪うだろう。それほどに彼女は強く、美しかった。


「トウツ。俺、貴族に転生しなくてよかったわ。」

 兎人の耳だけに聞こえる声で言う。


「僕もそう思うねぇ。祖国の主の親戚も、胃をよく壊してたよ。」

「そうかい。自分のことだけ考えて生きていたいよ。」

「フィルには無理でしょ~。」

「そうかな。」

「そうだよ。」


 横を見ると、不安そうな顔でエイブリー姫を見送るイリス。

 とりあえずは、彼女に元気になってもらうことが第一ミッションかな。


「イリス、少しバルコニーで休憩するか?」

「え、トウツさんはいいの?」

「こいつはどんな環境でも生きていけるから。」

「僕の扱い雑過ぎない?」

「信頼してるんだよ。」

「物は言いようだね~。そういうことにしてあげよ~。」


 俺は手を引いてイリスと一緒にバルコニーへ向かう。

 後ろの方を見ると、貴族の男性にダンスの申し出をされるトウツが目に映った。上品な笑顔で対応をするトウツ。

 少し、それを見て嫌な気持ちになった。何だこれ。不整脈か。




「で、何よ。あたし別に疲れてないんだけど。」


 二つ結びの髪を跳ね上げながら、イリスがつんつんする。

 その割には、俺に手を引かれているときにほっとした顔をしていたと思うけど。

 大人の貴族がたくさんいる空間に耐えられなかったのだろう。強くても7歳児なのだ。


「いや、俺が疲れたんだよ。」

「は? まだパーティーは始まってすらいなかったわよ。」

「人ってたくさんいると酔うんだな。」

「ああ、それ、田舎から来た貴族がよく言うわね。」

「おま、それ本人に言ったりしてねぇよな。」

「言っちゃったわ。喧嘩になって打ち負かした後に謝ったけど。」

「お前は間違いなく師匠の孫だよ。」


 本当、似ているよ。あの人に。

 師匠、元気にしているかなぁ。まともな家事が出来ているだろうか。

 ジェンドは変わらずイリスの守護をしている。というか今、バルコニーの柵の上に乗っている。どうやって侵入したんだこいつ。

残されたナハトが気になる。あのカラス、まともな食生活を送れているんだろうか。雑食だから大丈夫だろうけど。

もしかして、ジェンドの方がこっちに来たのはそれが理由か?


「エイブリー姫が心配なのか?」

「何よ。あたしたちにどーじょーしてるの?」

「違うよ。苦労を労わっているんだよ。」

「あんたの時々難しい言葉使う所が嫌いよ。」


 そういう「嫌い」を隠さないところも婆にそっくりだ。


「貴族なんて嫌いよ。イブ姉さまの頑張りなんて知らないくせに。」

「でも、本気で尊敬してる人たちもたくさんいただろ?」

「当り前でしょ。お姉さまはすごいんだから。尊敬するのは普通よ。」

「なるほどね。」


 時々、いつもの第3闘技場でイリスと決闘する。俺がロスやイリスと決闘するのは恒例行事となっているので、今では見物客は少なくなった。

 イリスの動きが良くなるのは、いつもエイブリー姫から助言をもらった後だ。

 彼女にとってエイブリー姫は絶対なのだろう。


「確かにエイブリー姫はすごいけどさ、イリスはこだわりすぎじゃないか?」

「イブ姉さまは、本当は弱いの。」

「弱い? あの人が?」


 とてもそうは思えない。


「あたしが桜色の髪で生まれたから。いつも泣いていたから、代わりに強いふりをしてくれているの。だから、あたしにとって、姉さまは特別。」

「…………。」


 なるほど。なるほどなるほど。

 そりゃそうか。最初から強い人間なんていないよな。当然だ。王族とはいえ、人間は人間。イリスの言う、頑張りも知らないくせにというのは、もっともな話だ。


「イリスはエイブリー姫が好きなんだな。」

「ええ、そうよ。あ、馬鹿。何で聞いてるのよ。今のは秘密よ。」


 うっかり従妹の秘密を話してしまった彼女に、庇護欲が芽生えてしまう。


「何よその顔、気持ち悪いわね。」


 前言撤回。誰がばばあ師匠のミニマムタイプに庇護欲なんて湧くか。


「そっか、じゃあ代わりに、俺の秘密を一つ答えようか。」

「フィルがそれを言った時に、『生まれる前は何だった?』と聞きなさいと、イブ姉さまが言っていたわ。」

「うん、うん。それ以外の秘密でいいか?」

「ええ、あたしはいいけど。」


 あの姫様、ほんと怖すぎだろ。


「俺にはね、人の魔力が見えるんだ。」


 それを聞くと、イリスの目が驚愕に染まる。桜色の瞳孔がきゅっと閉まる様が綺麗だ。


「何それ、卑怯じゃないの。あたしも欲しかった。」

「生まれつきだからなぁ。あげられないよ。」

「お姉さまのお気に入りになるわけだわ。」

「お前もそうだろ。」

「そうかしら?」

「仮にお前が従妹じゃなくても、あの人はお前を取ると思うぞ。」

「…………ふん。」


 耳がぴくぴくと動く。

 わかりやすい子だ。社交界は向いてないんじゃないだろうか。


「でさ、俺にはわかるんだよ。」

「何が?」

「魔法の鍛錬が本当に出来ている人と、出来ていない人。」

「……貴方が知識もないのに有名な生徒ばかりと決闘していたのは、そういうことなのね。」

「そういうこと。」


 イリスの言う通り、俺は色んな生徒と決闘をしている。おかげで対人戦にも慣れてきたと思う。そりゃまぁ、トウツと組手した方が何倍もいい練習になるけども。

 今のところ、中等部1年までは問題なく倒せている。そろそろ2年に手を伸ばしてもいいかと考えているところだ。


「でさ、このミザール邸に集まっている人たちもざっと見たわけ。どうだったと思う?」

「さぁ。あんたが何を言いたいのかさっぱりよ。」

「エイブリー姫が一番綺麗な魔力をしていた。水と風魔法が得意なんだっけ。透き通った青と、新緑の緑と、桜色が綺麗に調和した綺麗な色だった。お前の言う通り、あの人は特別だよ。」

「でしょ!そうでしょ、そうでしょ!お姉さまはやっぱり特別なのよ!」

「ああ、後、お前のもすごく綺麗だぞ。学園の初等部ではイリスくらいのは片手で数えるくらいしかいない。深い青と桜色だ。きっと将来はいい魔法使いになるんだろうなぁ。」

「…………。」

「どうした?」

「うっさい!こっち見んな馬鹿!」

「えぇ……。」


 元気づけるため褒めたのに、結局イリスはしばらく不機嫌なままだった。

 解せぬ。

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