第107話 名状しがたいデートのような何か

「フェリだけ綺麗なドレス着てフィオと休日を過ごせるのは、ずるい。今日は僕とベッドの上で語ろうぜ。」


 そう日曜の朝に突然主張したのは、当然トウツである。というか、こんな物言いする人間は俺の周りにこいつしかいない。


「ベッドの上云々は出来ないけど、一緒に買い出しにでも行くか?」


 そう俺が返答し、都の街へと繰り出すことになったのだ。

 瑠璃は平日の寮でいつも一緒に居られるから、お留守番である。ルビーの翻訳という大切な仕事もあるので、出来るだけ一緒に居たいが、二週間ほど放っておいたので今日はトウツへのサービスデーである。

 気分は平日仕事して休日に家族サービスするお父さんの気分。前世の父親は、割と父としての役割を全うしてくれていたのだなと、一度死んでからようやく気付く。


「フィルは何か買うものある~?」


 外に出たので、トウツが俺をフィオではなくフィルと呼ぶ。この名前で呼ぶ人が最近更に増えたため、こっちが本名なんじゃないかと時々錯覚する。


「俺は金欠だよ。知ってるだろ?」

「僕への借金を増やしてくれて構わないんだぜ~?」

「最近ヒモ化が激しいからやめておくよ。」

「ヒモ?」

「女の稼ぎに依存する駄目男って意味。」

「いいじゃんそれ。なろうよ。」


 恐ろしい提案をする女である。俺は本質が怠惰な人間なので、そういった誘惑はやめてほしい。一度死んでようやく是正できそうなのに。


「じゃあ、僕の買い出しのお手伝いだ。」

「そうなるな。姉で慣れてるから付き合えると思うよ。」

「フィル、お姉さんいたの?」

「まぁね。」

「どんな人だった?」

「弟の人権を無視する暴君だったよ。」

「あはは~。」


 何笑ってるんだ。前世の俺は笑いごとじゃなかったんだぞ。

 だが、姉という生き物は不思議なものであり、不満の中に尊敬の念が混ざっている。何だろうな、あの感情。


「今度、フィルの昔の話をもっと聞きたいねぇ。」

「俺も、トウツの昔を知りたいかな。」

「ほう。僕の過去に興味ありと。好感度は上々だね。今夜辺りベッドインの許可が降りそうだ。」

「言ってろ。」


 そう言う間にも、道行く人々は時々俺たちを無遠慮に見る。兎人と小人族(ハーフリング)のペアだ。しかも、片方は異国の忍び装束。この視線にも慣れたと言えば慣れたが、何とかしたいものである。


「いい加減、普通の服を持っといた方がいい気がする。」

「確かにねぇ。ハポンから持ってきた衣類は擦り切れちゃったなぁ。」

「お前、運動量すごいもんな。」

「ベッドの「言わせねぇよ。」量もすごいよ。」

「じゃあ、衣類を見てみるか? その服はハポンの民族衣装だろう? 目立ってしようがない。」

「これ、祖国では隠密用の服なんだけど、ここじゃ逆効果だねぇ。」

「じゃあ何で着替えないんだよ。」

「僕はねぇ、この服を着た僕しか知らないんだよ。」

「…………。」


 トウツはさばけた性格のようにみえる。だが、切り替えられない事情があるのだろうか。それとも祖国にやり残したことでもあるのだろうか。

 分からない。

 彼女にとって、俺は良き友人であることは確かだと思える。それでも、彼女の個人的な事情に踏み込んでいいのか、判断がつかない。

 前世で、踏み込んだ人間関係の構築を怠けていたことが悔やまれる。


「綺麗な服を買おう。それか、普段着として着やすい服だ。」

 俺は声を弾ませて言う。


「急に元気になっちゃって、どうしたのさ。」

「トウツはフェリがドレス着たの、羨ましがってただろう? じゃあ、トウツも着たい服を着てみればいいじゃないか。俺も手伝うよ。」

「……長い買い物になるかもよ~?」


 トウツがにへら、と笑った。

 望むところである。




 やっぱくじけそう。女性の買い物って何でこんなに長いの?

 姉で慣れていると思っていたが、撤回する。これは慣れるものではない。

 あの後、俺はトウツのファッションショーを何度も見せられることになった。時々、ドレスルームに引き込まれそうになるのを何度もかわしつつ見ることになった。

 性分なのだろうか。華美な服を着ず、運動に適したものばかりを着て俺に見せてきた。


「もう少し、綺麗な恰好してもいいんじゃないか?」

「僕は兎人だからねぇ。セックスアピールの要素がある服は着れないんだよ。」

「そうか……。」

「それとね、仕事柄どうしても動きやすい服を選んじゃうんだよねぇ。見目よりも、利便性を重視しちゃう。」


 そうだよね。お前、忍者だもんね。


「そうだ、フィルが選んでよ。」

「え、何でだよ。」

「女はねぇ、男に選んでもらった服を着たいものなのだよ。」

「……俺のセンスに期待するなよ?」

「今日はフィルが僕に優しいから嬉しいねぇ。」


 二週間も放っておいたら、流石の俺もサービスくらいはしようという気持ちになろうというものだ。

 それに今日のトウツはいつもより甘え上手な気がする。俺が年上と知って以降、彼女はそういうところを見せてくるようになった。俺も男であり、女性がそういう一面を見せられると、どうしても弱くなる。

 普段、彼女の強い面しか見ていないから尚更である。


 帽子屋に入ることにした。俺はファッションビギナーなのでトータルコーディネートなんていう難題に挑戦するつもりはない。無難が一番だよね。

 気さくな店主が来客を喜んで迎え、マシンガンのように営業トークを開始する。会話が苦手な俺の代わりにトウツが柔らかい笑顔で店主の接客に応える。俺もフェリも、トウツのこういう所にいつも依存している。フェリはトウツの性に奔放なところを毛嫌いしつつも、一定の信頼を置いているのはこういう所だ。

 戦闘においても日常においても、うちのパーティーの中心は彼女である。


 ちなみにフェリは経済の中心だ。ポーション費用の問題は彼女が全て解決した。俺は借金で首が回らない。トウツは金遣いも奔放なところがある。先ほども「この服どう?」と言われ、俺が適当に「いいんじゃないかな。」と言うと即決して買い、亜空間ポーチに次々と突っ込んでいた。その迷いのなさに驚き、俺は本当にいいと思ったものにしか頷かないようになった。そもそも理想の男児の成長を止めるために、全財産をつぎ込んで根無し草になるような女である。お金の管理が出来るわけがない。こいつ、冒険者でなければ何になってたんだろうな。前職は忍者だけども。

 そういうわけだから、お金の管理は完全にフェリが握っている。彼女も爆発物に性的興奮を覚える変態なわけだが、それを除けば一番の常識人である。一人旅が長かったからか、生活力もある。トウツも俺も、一定のお金は自分で管理しているが、扱いきれないお金は彼女に預けてプールしてある。何か子ども銀行みたい。


 俺?

 …………本当にヒモかもしんない。


「ねぇ、フィル、どれが似合う?」

「俺が似合うと言ったもの全部買うのはなしだぞ?」

「えぇ~。」

「えー、じゃない。」


 「これかな?」と呟きながら鏡面に顔を映す彼女は、とてもB級冒険者には見えない。まるで普通の少女だ。いや、元の世界の基準で言えば大学に入るころだから女性と言った方がいいのか。元の世界の女性を思い出す。この年代になると、一層美容やファッションに気が向く年ごろのはずだ。

 少し、彼女を喜ばせたい気持ちが芽生えてくる。


「ここは、俺がもつよ。」

「およ? 金欠なのに~?」

 ふにゃりと笑いながらトウツが言う。


「いつもお世話になってるからな。後、生活できるくらいの金は自分で持ってるよ。こないだの死霊騎士リビングメイルの討伐報酬で、少し借金は返しただろう?」

「焼け石に水の返済額だったけどねぇ。僕らが悪徳な金貸しだったら、利子も払えていないよ。」

「お前らが優しい悪者でよかったよ。」

「悪者ってところは変わらないんだ。」

 トウツがころころと笑う。


「————これなんてどうだ?」

「ん?」


 俺が彼女に渡したのは、ベージュのハンチング帽だ。レディースの作りになっており、つばは小さい。髪をまとめて収めるスペースを大きくとってある帽子だ。


「ふ~ん、何でこの帽子?」

「トウツの白い髪はとても綺麗だからさ、それに合う色はベージュかなって。後、お前さ、兎人と気づかれて男に言い寄られるの嫌だろ? 耳を隠すのに丁度いいかなって。兎人であることを隠したくないなら、別のにするけど。」


 トウツのたれ耳が、少し跳ねた。


「ふ~ん?」

「……何だよ。」

「んふふ~。」


 そう言うと、トウツが俺を抱き上げて正面から抱き着く。

 圧迫感が!圧迫感がすごい!胸が顔に!顔が胸に!? 何かいい匂いがする!ピーチ臭!?


「やめんか!」


 俺は飛びのく。

 こいつ、俺が年上である事実を時々忘れてるだろ。


「ごめんね~。嬉しくて、つい。」

「窒息死するかと思ったわ!」


 そのハンチング帽はすぐにお買い上げとなった。

 俺は少ない軍資金を切り崩し、トウツにぶっきらぼうに渡す。

 彼女はそれを受け取ると、すぐに着用して花のように笑った。


「他のは着なかったのに、それはすぐに着るのかよ。」

「嬉しいからねぇ。このまま着て帰るよ。フィルの初めての贈り物だから。」

「……そうかよ。」


 始終、上機嫌なトウツと一緒に、俺は帰路についたのだった。

 気づいたらもう、夕刻に近づいていた。

 驚いた。

 楽しい時間はすぐに過ぎるとは良く聞くけども、存外俺もこの買い物を楽しんでいたようだった。




「らっしゃ~せ~。」


 そう、覇気が抜け落ちたような呼び込みの声が聞こえたのは、その帰路のことである。

 人通りが少ない寂れた路地裏の小さなのみの市だ。

 危険だが、俺たちなら大丈夫だろうと道をショートカットしたのだ。

 固い土の地べたに御座を置き、そこに直接商品を置いて並べている。都の表通りは繁盛している店が多かった。服は服屋。帽子は帽子屋。飯は飯屋と、どの店も統一された商品を売っていた。

 だが、この蚤の市は違う。そこの御座にも並べられている商品に統一性はなかった。売れそうなものは全て、取り敢えず置いておく。売れたら儲けもの。売れなくても損はない。そんな、その日暮らしが限界と主張してくるような品ぞろえだった。

 その御座の上に座っていた店主は、犬だった。

 文字通り、犬である。

 犬人族だ。そしてその犬人族の中でも、人よりではなく犬よりの見た目をした人物。顔は完全にイヌ科のそれであり、細長い鼻とギザギザの犬歯が横から見えている。犬のような見た目でいて、骨格がわずかに人間よりで、おそらく二足歩行しそうな外見は、未だにこの世界に生れ落ちて見慣れるものではない。

 確か、獣寄りの獣人は、まだ迫害が激しいと聞く。

 この店主も表通りに居られず、この路地裏に弾かれたのだろうか。


「おう、小人族ハーフリングの少年、だよな? 見ていくかい。」


 つい、目が合ってしまった。

 話しかけられたからには、無視するのがはばかられた。


「そうですね、少しだけ。」

 そう言って、俺は屈む。


「なんでぇ、べっぴんさん連れてるじゃねぇか。どんな関係だい?」

「僕らは冒険者だ。余計な詮索はやめて。」

 冷たくトウツが言い放つ。


 いつもの彼女であれば、「婚約者です。」とか「セフレです。」とでもいいそうだが、真面目に返した。警戒しているのだろう。

 それはここが路地裏だからか。それとも目の前の犬人族が怪しいからか。

 首も、鼻も、前足も、俺が知っている犬の中では一番長い見た目をしている。確か、ロシアのボルゾイ犬というんだったか。しかも無精なのか、毛が伸びっぱなしで御座に垂れ落ちている。毛先は地面の汚れを吸って茶色に汚れている。それが怪しさに拍車をかけていた。


「ひひ。美人が怒ると怖いねぇ。」


 壊れたような笑い方をする老犬。

 前世での幼少の思い出が想起された。友達と公園で遊んでいた時に、しつこく話しかけてきた老人だ。しばらくすると、子どもたちの間で公園に不審者がいるという噂がたった。学校の先生はホームルームで「寂しくて人に話しかけちゃう大人もいるんですよ。」と優しく語り掛けていた。その時の女性の担任の優し気な、困ったような顔が写真のように鮮明に思い出された。

 この老犬もそうなのだろうか。人と言葉を交わすだけで幸せ。勝手だが、そう思ってしまった。


「これは何ですか?」

「そいつぁ、この都のシンボルのレリーフでさ。お土産に他所者が買っていくよ。表通りの連中よりは安くするが、どうだい?」

「……遠慮します。」


 俺たちは観光客ではない。


「そうかい、この魔除けのペンダントはどうだい?」


 ペンダントの魔素を見ると、それらしい付与が見られなかった。眉唾物だろう。


「それもいいです。これは?」


 一際黒い魔素を放つそれが、気になった。

 月の形をあしらった、シンプルな銀のイヤリングだ。


「これですかい? お薦めはしねぇなぁ。こいつは呪術器具カースドアイテムでさ。」

呪術器具カースドアイテム?」

「呪いと引き換えに、付与効果をもたらすアイテムだぁな。ただ、こいつは駄目だ。使い物になんねぇ。今までの使用者は付与効果をもらう前に呪いにやられて手放しちまった。」


 その説明を聞き、俄然興味が出る。魔素をさらに注意深く見て、その呪いと付与効果を推測する。黒の中に、微量の青と緑。いや、白もほんの少しあるのか。

 あれ? このパターン、どこかで見たことがあるぞ。いや、「どこか」じゃない。「いつも」見ているパターンだ。


「これ、千両役者の仮面と同じだ。」

「……本当に?」


 俺の小さな呟きにトウツが反応する。


「間違いない。この魔素の配列がそっくりだ。」

「僕には見えないけどさ、フィルが言うんならそうなんだろうねぇ。」

 トウツが頭の後ろに手を組んで言う。


「どうした? お客さん。これが気になったのかい?」

「ああ、気になる。いくらだ?」

「正気かよ。言っておくが耳につけたら最後、呪いがすぐに発動するぜ? 俺だって押し付けられたんだ。逆に金をもらってな。ここに置いているのだって、早く手放したいからなのさ。」

「……あんたはいい人なんだな。」

「あんだって?」

「手放したいのにお薦めしないなんて、矛盾してるだろ。」

「けけ。」


 老犬がせせら笑う。


「買うよ、これ。」

「どうなっても知らねぇぞ。」

「で、いくらだ?」

「まけてやるよ。三千ギルトだ。」


 中学生が初めて買う装飾品のような値段が出てきた。これ、上手く使えばそれ以上の価値がありそうだけど、いいのだろうか。


「いいのか?」

「もちろんだとも。二言はねぇ。むしろわしは得しかしてねぇ。」

「わかった。」


 俺は懐から金を出し、老犬に手渡す。

 人間のような節くれだった指に、小さな肉球と細長い爪が見えた。手入れされていない毛が指から大量に生えている様に、思わず嫌悪感を抱く。

 その嫌悪が、顔に出ていないだろうか。そんなことを頭の中で考える。


「ああ、そうだったそれとなお客さん。」

「何だ?」


 立ち去ろうとする俺たちを老犬が呼び止める。


「わしを人と呼んでくれてありがとうよ。」

「……どういたしまして。」




「で、そのイヤリングどうするのさ?」

「ん~。俺がもう少し光魔法を上手に扱えれば、解呪できそうな気がするんだよな。」

「そ~なの?」

「そうなの。」

「解呪できたら、どうするの?」

「ん~、フェリに渡すつもり。トウツだけにプレゼントするのもどうかと思うからな。あ、瑠璃とルビーにも考えとかないと。」

「げ~んて~ん。」

「何故。」


 トウツは軽くスキップしながら路地の出口へと先にたどり着く。

 上半身だけを屈め、俺の方へ振り替える。表通りからくる逆光が眩しい。


「女性に贈り物した後に、別の女へのプレゼントを買ったからです。」


 そう言ってほほ笑む彼女に、不覚ながらときめいてしまった。

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