第106話 宮殿訪問2
「う~ん。」
そう唸りながら俺のレポートをひたすら読み続ける麗しい女性は、エイブリー姫である。桜色の髪、桜色の瞳。整った顔。悩まし気に表情をくるくると動かすが、どこで切り取っても均整がとれている顔は、前世ではテレビでしか見たことがなかった。
今世? 該当する人間が多すぎる。
エイブリー姫は挨拶もそこそこに、レポートをもらうとすぐに読みだした。少し眺めるだけかと思ったら、突然来客応対用の豪奢な椅子から立ち上がり、業務用デスクの椅子へ座り直したのだ。そちらのデスクも木造の彫刻が流麗でいて繊細な作りである。
そしてそのまま熟読し始めて今に至る。
脇に控えるイアンさんは、眉間に指を当てている。
俺とフェリは既に二杯目の紅茶を頂いて待っている。
「申し訳ございません、フィル様、フェリファン様。姫様はこうなると止まらないのです。ただ、姫様も相手は選んでおられるのです。フィル様とフェリファン様が寛大と信頼してのことなので、ご容赦を。」
「いえ、俺もそこに知識があるならば、周囲が見えなくなることはありますので。」
「ありがとうございます。」
それでもエイブリー姫ほどではないが。
レポートに目を通す彼女の表情は真剣そのものだ。目だけが文字を追っており、体は時々姿勢を正すだけでほとんど動かない。思考すること以外に無駄なことは一切したくないことが、見てわかる。時々まぶたがぴくりと痙攣する。琴線に触れるものでもあったのだろうか。
前世でもこの世界でも、嫉妬した人はたくさんいた。エイブリー姫はその中でもかなり上の方に入るだろう。
自身の目標を早く見つけ、楽しく研鑽する日々を送っている人たち。前世でそれに出会えなかった俺は、それを見るたびに胸が痛んだ。どうして出会えなかったのだろう。どうして俺にはなかったのだろう。
いや、そうじゃない。俺は探していなかったのだ。目標は、夢は、将来は、向こうからはやってこない。甘えていたのは、俺自身だ。
目の前の彼女はどうだろうか。初めてであったときもそうだった。彼女は誰よりも「好き」に一直線な女性だ。尊敬と嫉妬。それが今の俺の中にある彼女への印象だ。
結局彼女はレポートを読破してしまった。読み終えると紙の束を胸に抱えて「はぁ~。」と恍惚に息を吐く。充足感をここまで身体全体で表現する人を初めて見た。
「大変素晴らしいレポートでした。粗削りでしたが、発想が飛躍しています。フィルの考えはどう考えても私たちと違いますね。」
お前、異世界人だろ? と彼女の桜色の目が語っているように見えた。
怖い。
「お褒めに預かり光栄です?」
敬語に自信がないので、疑問形で終わってしまう。
「今度、文章を添削して寮に送りますね。」
「えぇ……、いや、はい。ありがとうございます。」
勉強熱心すぎる人だ。王族としての公務はいいのだろうか。
「待たせてしまったわね。ごめんなさい、これは私の性分なの。」
「いえ、むしろほっとしました。」
「何がです?」
「イリスと出会った時も思ったけど、貴方も師匠の親族なんだな、と。」
「あら、おばあ様と比較していただけるなんて嬉しいわ。おばあ様もそうなの?」
「ええ、魔導書を読んでいるときに話しかけたら魔法で吹っ飛ばされます。」
「あらあら、ふふ。」
エイブリー姫が上品に笑う。
今の発言をあらあらで流すのか。
「それで、レポートの件でいくつか質問なのだけど。」
「はい。」
嫌な予感がする。
「身体強化の魔法の体内での魔力の流動的運用に関してなんだけども、これは素晴らしい理論だわ。もし体系化できるならば、エクセレイ王国はフィジカル面で最も強い国を名乗ることができるわね。今までは体格的にアドバンテージがある種族を多く抱える国に先を譲っていたのだけれども。竜人族が多いレギア皇国が復興中の今、どこがトップとは言えない状況よ。上手くいけば我が国がトップに躍り出るわね。でもね、難しい魔力操作が要求されるのよね、これ。フィル君には当然できるのだろうけど、私の見立てではエクセレイ魔法学園でもこれを出来るのは100人に1人程度よ。そのくらいの難易度。しかも、他の魔法を一旦捨ててこれの研鑽に数年を費やした場合ね。学園の生徒は貴族が多く、家に代々伝わる魔法を優先して修練するでしょうから尚更無理ね。仮にこれを軍部に卸しても、体得できる人間はわずかよ。私が出来る人間のみをピックアップしてもいいけど、試してくれるかは分からないわ。下手したら今ある身体強化の扱い方に
「姫様、本題の方を。時間が押しています。」
イアンさんが言う。
というか断ち切った。いいのか、主の話を遮って。
そう思ったが、よくよく考えたら師匠の家で会った時もそんな感じだった気がする。
顔に苦労がにじみ出ている。ここで本題を切り出したということは、この人、最初からこうなることを見越してタイムスケジュールを組んでたっぽいな。
「あら、ごめんなさいね。話してたら楽しくなっちゃって。でも、今の質問に対する返答は考えておいてほしいわ。」
「——頑張ります。」
返事を何とか絞り出すように言う。俺は学園生活の間、彼女の知的好奇心に付いていくことが出来るのだろうか。
イアンさんがエイブリー姫の後ろで目礼しているのが目に映る。高圧的な人だが、俺によく配慮してくれる人だ。俺も小さく頷いて返す。
「そうね、本題と言えば、今度立食パーティーがあるの。フィル君にはそれに参加してほしいわ。」
「立食パーティーですか。」
「ええ、そうよ。公爵以上の人間が誕生日の時には開催されるの。この国は合理性をそれなりに求めるお国柄でね、社交デビューや新しい騎士のお披露目なども兼ねて行われることが多いの。」
「ということは、俺を紹介するということですか?」
「大々的にはしないわ。貴方に興味がある人間が勝手に貴方を見るだけ。ストレガの弟子と既知を結びたい人は話しかけてくるでしょうね。——嫌そうね?」
しまった。師匠にもルビーにも言われてたじゃないか。俺は顔に出るって。
隣を見ると、フェリもまだガチガチに固まっている。これは戦力にならなさそうだ。
「すいません。」
「いいのよ。貴族出身ではない私のファボリはそういう反応を返す子が多いわ。」
「そうなんですね。」
「社交界なんて面倒ですものね。」
「姫様。」
「あら、いけない。」
イアンさんにたしなめられ、可愛らしく舌を出す姫様。
「今のは忘れて頂戴ね。」
「俺は忘れっぽい人間なので、大丈夫です。」
「あら頼もしいわ。」
姫様がころころと笑う。
イリスとはやはり、かなり違った性格だ。マギサ師匠の違うところをそれぞれが受け継いでいるように感じる。
「それで、参加してくれるかしら。イリスもいるわ。面倒であれば、会場の隅でイリスと一緒にのんびり過ごしていればいいわ。」
「わかりました。」
「それと、パーティーは基本、ソロでの参加が認められないの。これは若い貴族の逢引を防ぐことと、防犯の意味もあるわ。フィル君には同伴できる人はいる?」
そう言われて、俺はちらりと横のフェリを見る。
顔を真っ青にして顔をぶんぶんと振る彼女。
すごいな。元から暗色の肌なのに、青くなるのがわかったぞ。
「貴女はダークエルフね? 貴方の種族を差別するつもりではないわ。でも、社交界には出ない方がいいと思う。」
「姫様、私からも。」
「いいわ、イアン。」
「姫様は寛大な御方だ。能力と忠誠がある者であれば、誰でも認める度量をもっておられる。だが、それを全ての貴族に求めるのは難しいというもの。今回は見送らせてほしい。」
そう言うと、イアンさんは綺麗に俺たちに軍属の礼をした。
「いえ、そんな。頭を上げてください。」
慌ててフェリが言うと、イアンさんが頭を上げて後ろに下がった。
「イアンは心配性ね。説明しなくてもフィル君たちは分かってくれるのに。」
姫様が言うと、イアンさんが目礼する。
そこでようやく気付く。イアンさんは主が頭を下げそうになったから前に出たのだ。そして代わりに自分が頭を下げた。
これが忠誠というものか。
「それで、どうする? 誰か連れて行く人はいる? おばあ様は絶対に都へは帰らないわよね。」
「もう一人のパーティーメンバーがいるので、彼女を連れてきてもいいでしょうか。」
「構わないわ。」
「ちなみに兎人が駄目ということはありませんか?」
「大丈夫よ。ひと昔前は難しかったけど、今は獣人も社交界に多くいるわ。煙たがっている人もいるにはいるけどね。」
「助かります。」
「でも、身辺調査はさせてもらうわね。」
「…………。」
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません。」
言えない。そいつ、国外追放されたやつですなんて、言えない。
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