第99話 学園生活8

「学生諸君、席に着いたかね。」

「「はーい!」」


 そう言ったのは、植物学の教師であるゼータ・ダシマ先生だ。

 周囲では子どもたちが思い思いに座る。決まった席はない。皆自由に座っている。


 週末にクエストとギルドマスターへの報告を終えた俺は、平日の始まりの今日、学園の初めての授業に参加している。


 俺がすべきことはたくさんある。冒険者業然り、魔王対策然り。

だが、学生の本分は勉学である。日中はちゃんと学園の授業に参加すべきだと思うのだ。

 というのも、俺の知識には偏りがある。そのほとんどの原因はマギサ師匠の教育によるものだが。

 一度この世界の教育に触れてみて、俺の中にある非常識を是正しなければならない。そうでなければ、これからの生活が先細りしそうな気がしてならない。


 アルとロスが手招きしてきたので、すぐそばに座る。イリスもやってきて、俺の隣に座った。


「クレア!元気になったんだな!こっちに来いよ!」

 元気よくロスがクレアを呼ぶ。


 クレアはロスを見た後、俺のほうをちらりと見た。

 俺は満面の笑みで見返す。

 彼女は口元を引き結び、教室の反対側に行ってしまった。


「あれ? いつも一緒に座ってるのに。おかしいなぁ。」

「あの子、昨日も寮であんな感じだったわ。事情は話せないけど、フィルと一緒に居られないんだって。」

 ロスにイリスが返答する。


 その場の3人の視線が俺に向く。


「フィル。あんた、あたしのクレアに何かしたの?」

「いや、何もしてはいないけども。」


 返答に納得がいかないのか、イリスが眉をひそめる。


「本当でしょうね?」

「本当も何も、俺はクレアさんとは先週が初対面だしなぁ。」

「そういうことにしておくわ。」

「でもクレア、フィルに抱き着いて泣いてただろ? 何だったんだろうな、あれ。」

 ロスの隣でアルがふんふんとうなずく。


 このアル、どこかで見たことあると思ったら、ロットンさんの脇にいるミロワさんに挙動が似ているんだ。


「はい、そこ。先生の話を聞いてくれると嬉しいなぁ。」


 ダシマ先生が言うと、クラスの子どもたちがどっと笑いだす。


「うわわわ!すいません!」

 ロスが代表して謝る。


 助かった。この話題はあんまり追及されたくないものだったから。

 クレアが俺を避ける理由は、大体想像がつく。託宣夢では、俺がクレアをかばって死ぬことになっている。彼女はそれを阻止するために、俺との人的関係を築かないようにしているのだろう。

 だが、それはあまり効果がないように思う。

 何故なら彼女がいくら俺との関係を切ろうとしても、俺が彼女に関わり続けるからだ。それに、クレアはロスやアル、イリスと仲がいい。イリスとは親友といっても差し支えない関係を築いているらしい。7歳の女の子が、そんな友人をずっと無視するのは難しいと思うけども。


 理由は納得のいくものとはいえ、血を分けた妹から避けられるのは兄として辛いものがある。前世で姉がいたが、俺は決してシスコンではなかったはず。だがこの喪失感は一体なんだろう。これはあれか。娘に「洗濯物を一緒に洗わないで!」と言われた父親の気持ちに類するものだろうか。

 拝啓。前世の父さん。今、貴方が姉に拒絶されたときの気持ちが分かった気がします。異世界より、貴方の息子。敬具。


 見ると、イリスがこそこそとダシマ先生の目をかいくぐってクレアの隣に座っていた。

 プライドが高そうに見えて、思いやりのある子だ。


 ダシマ先生はわざとイリスを見逃しているように見えた。優しい先生だ。

 緑色の短髪に、少し角ばった顔。瞳も優し気な緑。少し潰れた鼻。この世界では美形の人ばかりに出会ってきたから、普通の容姿をする先生に、逆に安心感を覚えてしまう。

 黒板に何やら書いた先生が、こちらの方を向いた。


「さて、早速授業を始めたいところですが、今日は初めてのお友達がいますね。」


 クラスの子どもたちが俺の方を向く。目には興味という感情が張り付いている。

 よく考えたら、クレアの騒動で俺はまともにクラスのほとんどの子と会話ができていない。


「ですので、基礎的な復習から行きましょうか。そもそも論からいきましょう。何故、君たちは植物学を学ぶのか。答えられる人はいるかい?」

「はい!」

「イリスさん、どうぞ。」

「植物毒による暗殺対策です。」

「王族らしい意見ですね。」


 クラスの皆がどっと笑う。

 え、そこ笑うところなのか。

 異世界ジョークわかんない。


「いい意見ですね。イリスさんは王族ですが、このクラスには貴族も多くいます。服毒による貴族の死亡率は無視できるものではありません。特に植物は育て方さえわかればベランダで作れます。最も培養しやすい毒が植物由来の毒と言えるでしょう。」


 なるほど。この世界では、毒殺は一般教養なのか。いや、正確に言えば毒殺対策か。そういえばこの世界はまだ文民統制に向かう最中くらいだったな。

 元の世界だって、近代世界史でも暗殺が多くあった。

 そしてこの教室には将来的にその標的になり得る人材が多くいるのだ。イリスの言っていることは正解の一つと言えるのだろう。


「他にはありますか?」

「冒険者になるためです!」

「いいですね、スペンサー君。君は確か、騎士志望だったかな?」

「はい!」


 一人の少年が意気揚々と答える。

 ちらりと見ると、村や都で見かける同年代の子どもに比べて魔力が多い。もちろん、俺やアルとは比べるべくもないが、同年代では多いのは確かだ。


「何故、冒険者や騎士が植物学を学ばなければいけないか、分かりますか?」

「はい。」

「では、ロプスタン君。」

「はい。イリスの付け加えになるのですが、騎士は主君を守らなければなりません。そのためにも毒対策に知識は必要ですし、逆に主君が傷ついたら薬草の知識があれば救うこともできます。冒険者は自身を守るため。それと、商人に薬草依頼で、安値で買いたたかれないためです。」

「その通り。いい回答でした。」


 ダシマ先生の質問に子どもたちが我先にと答えていく。

 横で黙って聞いているだけでわかる。ロス、クレア、イリス。この3人が抜きんでて優秀なようだ。アルも発表しないだけで知識が追い付いているようだ。


「では今日は、一つの植物を観察してみましょう。」

「毒殺用ですか、せんせー?」

「そんなわけないでしょう。」


 また皆が笑いだす。

 子どもってさらっと怖いこと言うなぁ。


「今日はシンプルなポーションを作りましょう。回復薬草ヒールハーブのみを使います。色んな薬草を混ぜた方が効能は高いですが、それは上級生になってからのお楽しみですね。」


 マジでか。俺は最初からブレンドハーブ作らされてたんだけど。

 師匠、面倒だから基礎を吹っ飛ばして教えやがったな。


「今日の授業の目的は、砕き方と煎じ方。この二つを理解できればオッケーですね。どの位ハーブを砕けばいいのか。どのくらいの温度でどのくらいの時間、煎じればいいのか。予想して試してください。一番効能が高いハーブを作れるか、競争ですよ。」

 そう言って、ダシマ先生はハーブとビーカーを配る。

 ビーカーと言っても、元の世界に比べると透明度は低いようだ。


「加熱は魔法器具を使ってもいいですし、火魔法が得意な子は使ってもいいですよ。では、始め。」


 全員がそれぞれ薬草を砕き、湯に投じていく。


 隣ではロスが「細かくして火力が命!」と、もはや抹茶パウダーになった薬草を湯にぶち込んで、火魔法で加熱する。あっという間に突沸してるけど、いいんだろうか。

 脳筋っぽいけど、成績優秀なんだよなぁ。

 その横ではアルが、ハーブを四つ程に切り分けて、弱火でコトコトと煮込んでいる。


「ロスは何でそんな粉々にするんだよ。」

 俺は思わず聞く。


「よくわからんけど、粉々にした方が、栄養がお湯に染み込むだろ? 熱くした方が栄養も早くお湯に入るし。」


 思った以上にまともな理由だった。


「アルは?」

「えっと、少しずつ温かくした方が栄養が壊れないかなって。だから葉っぱも大きめに切ったんだけど。」


 理由がとても優しい。天使か。

 視界の端では、クレアとイリスが一緒に作っている。


「そういうフィルはどうなのよ?」

「ん~。作業中。」


 俺は水を光魔法でまず浄化する。その水をビーカーに移し、92度ほどでくつくつと温める。この温度を越えると、ハーブの効能を壊してしまうのだ。最も抽出が早く、栄養を破壊しないギリギリの温度。

 小さなナイフで、ハーブの細胞壁を出来るだけ傷つけずに刻んでいく。

 うん。トウツに比べると酷い出来だ。

 ハーブをお湯に入れた後、風魔法で圧縮して気圧差を作る。空気の圧力に負けたハーブが、どんどんその栄養を湯に広げていく。


「うお、何だその色。俺そんな感じになんないぞ?」

 ロスが隣で言う。


「おや、これはすごいですね。」

 近くに来ていたダシマ先生が言う。


「そうなんですか?」

「すぐに売りに出せる出来ですよ。ここまで出来るのは、薬草屋の跡取りの生徒以来ですね。」

「「おお~。」」


 周囲の子どもたちが驚き、俺の作り中のポーションを見に群がる。

 喜びよりも羞恥が勝ってしまう。

 7歳児に知識マウントをとる24歳なんて、ただただみっともないだけである。その上、俺はこの国最高の魔法使いが師匠なのだ。出来て当然なのである。

 視界の端では、イリスが悔しそうな顔をしていた。

 だが、すぐに席に戻り、俺の製法をトレースして作り始める。

 ただの高慢ちきではない。俺をライバルと定めながらも、俺から吸収することをいとわない柔軟性がある。

 もし俺が転生者じゃなければ。もし俺の師匠がマギサ・ストレガでなければ。もし俺が同じ7歳児だったら。そのどれか一つでも満たしていなければ。

 ——俺はこの子には敵わないだろう。


『本当のストレガの後継者は私よ!』


 先週のイリスの宣言を思い出す。

 心配しなくても、君が間違いなく後継者だと思うんだけどなぁ。


 教室の窓枠では、ジェンドが呑気にあくびをしていた。

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