第94話 学園生活6

「やぁ、待ってたよ。」


 職員棟に行くと、フィンサー先生が待っていた。

 イリスとの決闘の後、アルやロスとも別れて俺は先生を訪ねていた。

 全てはクレアのことを知るためである。


「そこの談話室で話そうか。来なさい。」


 俺はフィンサー先生の後ろをついて歩く。


「いい試合だったね。イリスさんの良さも見れたし、君がまがい物の弟子でないことも、あの場にいた人間は確信しただろう。実力が足らない者は気づけていなかったが。」

「あれで良かったんですかね?」

「いいとも。私はコーヒーを飲むけど、君はどうする?」

「俺もコーヒーでいいです。」

「舌が大人だね。小人族ハーフリングは発達が早いと聞くが、君は特別早いようだ。」

「よく言われます。」


 小人族の発達が早いことは、小さい代わりに大人になるのが早いといえばわかるだろうか。他の種族に体躯で劣る代わりに、幼少期での病死などが少ないのである。

 フィンサー先生は多分、俺が普通の子どもでないことは察しているだろう。「どう」普通でないかまでは分かってはいないと思うけども。戦斧旅団アックスラッセルで知的労働が多い役回りだったと聞く。警戒するに越したことはない。


「クレアは大丈夫ですかね。」

「あの子は強い子だよ。しばらくは落ち込むだろうけど、きちんと立ち直るはずだ。問題は原因だ。」

「原因。」

「そう、原因だ。心当たりがあるんだろう?」


 フィンサー先生がコーヒーをテーブルに置く。

 俺は無言になる。

 この人を味方につけるべきだろう。ゴンザさんやウォバルさんと既知の仲だ。今ある情報だけ見れば、事情を話せばこの人はすぐに味方についてくれるはずだ。

 だがリスクがある。

 託宣夢で見た獅子族の男は魔王軍の躍進を示唆していた。

 その躍進は、いつから始まっていたのか。もしかしたら既に始まっていて、この学園にも魔手が伸びているかもしれないのだ。目の前のフィンサー先生に及んでいる可能性はゼロではない。判断がつかない。


「そう、それでいい。」

 フィンサー先生が沈黙を破る。


「それでいい、とは?」

「私が学園の先生である。知り合いの知り合いである。それだけで君が私を信頼するならば、私は君の評価を下方修正せざるをえない。」

「……御眼鏡に叶ったということですか?」

「そうなるね。」


 フィンサー先生は優雅にコーヒーを口にふくむ。

 俺もコーヒーに口をつける。

 熱っつ!うげ!むせた!


「ははは。子どもの舌には厳しかったかな?」

「……わざとですか?」

「さてね。」

 爽やかな笑みを浮かべる先生。


「——クレアさんが学園に通っているのは、巫女としての役目を果たすためだよ。」

「……それは、俺に話してもいいことですか?」

「シュレがね、血眼になって君の身辺調査をしたんだ。もちろん私も協力したよ。結果は白。君は間違いなくマギサ・ストレガ氏の弟子であり、身元が不詳なものの、危険人物ではないと我々は判断している。愛する妻が君を信じると言ったんだ。夫の私が信じないわけにはいかない。」

「ありがとうございます。」

「でも、君は私たちをまだ信用できない。」

「…………。」

「いいよ、それでいい。」


 フィンサー先生は眼鏡を指でいじる。


「クレアさんから、託宣の報告があった。巫女の一族は、国の一大事を王族に知らせる決まりがある。今後、彼女に追加の託宣があった場合は、すぐに報告出来るように王族のお膝元に居た方がいい。」

「そのために学園に留学したという形をとったんですね。」

「そうなる。この国で一番強い冒険者は大体都に常駐している。騎士もそうだ。傭兵たちの戦力も捨てがたいけど、彼らは戦争や紛争が多い国境沿いを根城にしているからね。」


 つまり、巫女として最も安全なところを選んだということか。

 俺はエイブリー姫の護衛のイアンさんを思い出す。


「エルフたちは、このことについては。」

「連中も我々に任せるだけでは不安のようだね。念のために、エルフの護衛も都に来ているよ。冒険者のふりをしている。エルフは珍しいが、都では目立たないだろう。彼女の両親もいるみたいだね。」


 心臓が跳ね上がる。

 いる。

 オラシュタットにカイムとレイアがいるのだ。


「——クレアは託宣を報告する時、どんな様子でしたか?」

「託宣の内容は聞かなくていいのかい?」

「国の一大事なんですよね? 今の俺に手伝えることがあるとは思えないです。」

「そうか。私は流石に王族の間に入れる身分ではないのでね。だが、気丈に振舞っていたと聞いているよ。」

「そうですか。」


 妹が自分の役割を一生懸命やっている。

 それを聞くだけで、胸のすくような思いがする。


「ずいぶんと、あの子を気にするね。そしてあの子も君を知った風だった。」

「…………。」

「そこは話せないんだね。」

「すいません。でも、踏ん切りがついたら話します。俺も、フィンサー先生とシュレ学園長は味方につけたい。」

「ゆっくり待つよ。君の決断をね。」

「ありがとうございます。」


 俺は職員棟を後にした。

 この人たちが味方につけたいのは、俺じゃない。俺の後ろにいるマギサ師匠だ。

 それでいい。俺は俺で、マギサ師匠をダシにしてクレアを守るための情報を引き出す。そんなこと、フィンサー先生も重々承知のはずだ。

 腹芸であの人たちに敵おうだなんて、微塵も思わない。

 でも、ベストは尽くさなければならない。

 明日はトウツとフェリに相談しよう。来週には瑠璃も学園に連れて行こう。

 そして、一人でも多く学園内で味方を作っていく。

 魔王は、こうしている間にも味方を増やしているかもしれないんだ。


 おっと。帰りに寄らないといけないところがあった。

 俺は図書館棟へと足を向けた。


「ただいまー。」

 俺は寮の自室へ入る。


「え、あ!お帰り!」

 顔を赤らめてアルが出迎えをしてくれる。


 7歳男児なのに新婚の若奥さんみたいな反応するのなお前な。

 大変可愛らしく存じます。


「何でそんなおっかなびっくりなのさ。」

「えっと、人にお帰りっていうのが新鮮で。」


 アルはもじもじとパジャマ姿で指をいじる。

 君、生まれる性別間違えてない?


「そう。はい、これ。」

「なぁに、これ?」


 俺が手渡した紙袋を、アルがのぞき込む。

 中に入っているのは、俺がシャティさんに相談して借りてきた魔導書だ。

 この学園は素晴らしい。買えば一冊数十万はする本を自由に借りることができるのだ。

 俺が今借金漬けになっている原因は千両役者の仮面と、ポーション代と、魔導書代がほとんどである。瑠璃に貢いでいるというのもあるが。

 この学園は、所属しているだけで借金の原因の一角を潰してくれるのだ。

 定期的にエイブリー姫が眠る王宮に礼拝しなければ。


「この魔導書は?」

「リラ先生に聞いたよ。魔力暴発が怖くて魔法の実習授業を全部見学してるんだろ? 実践しないにしても、理論は知っておくべきだろ。」

「僕のために?」

「ん? そうだけど。」


 そう言うと、アルの表情がぱっと華やぐ。紙袋を宝物のようにぎゅっと抱きしめる。


「えへへ!ありがとうフィル!」


 何だお前可愛すぎかよ誘ってんのか告ってやろうかこいつ。


「ねぇ、見てもいい?」

「もちろん。」


 借りてきたものだからな。存分に見るといい。

 自身に借金があることも相まって、彼女に適当なプレゼントを渡してご機嫌取りしているヒモ男のような気持ちになってくる。

 いや、ヒモやったことはないんだけれども。


「フィル、これは?」

「これか? 魔力の基本操作編。特に光魔法に特化したやつな。師匠が監修しているやつだから間違いないはず。」

「僕が光魔法使いなの知ってたんだ!」

「フィンサー先生に聞いたんだ。」

「へぇ。」


 嘘です。君の魔力を読み取りました。

 人によってまとっている魔力は色も量も千差万別だが、アルほど真っ白で暴力的な出力は見たことがない。

 神に愛される証拠が才能というならば、アルは間違いなく溺愛されているのだろう。


「これは?」

「体から魔力が離れた時、コントロールを取り戻す基礎理論だな。子どもでも分かりやすく書いてあるから見やすいぞ。絵が多いし。それはシャティ先生のお薦めな。」

「ああ、あの若い先生!」

「知ってるのか。」

「うん。口数少ないけど、とても人気の先生だよ。」


 やはり異世界でも変わらないのか。美人は得。


「こっちは?」

「光魔法の王道の回復魔法だな。特に外傷に関する魔法の発動方法が書いてある。これは俺自身のお薦めだな。とても分かりやすかった。やっぱ都の出版はいいな。校閲こうえつが本当にきちんとしてる。」

「がいしょう? こーえつ?」

「怪我した時の治し方の魔法のこと。校閲はちゃんと本が書けてるかチェックする仕事のことね。」

「へ~。」


 その後は2人で光魔法のことについて語り合った。

 気づいたことは、アルはちゃんと魔法が好きなのだということ。

 リラ先生を傷つけたトラウマがあるせいで、アルは魔法を全く使っていない。

 それでもこの少年は魔法を恨むことなく、愛し続けているのだ。

 俺にはそんなアルが、眩しくて尊い存在に思えたのだ。


 ちなみにその後、日課の魔力切れをして就寝した俺を、アルが泣きながら引きづって寮の管理人を叩き起こすことになる。


 忘れてた。

 他の人たちって、魔力切れは普通しないんだった。

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