第92話 学園生活4
談話室に入ると、すぐにこの学校での過ごし方やルールを教えられる。寮でのルールの説明も聞いた。
「本当は保護者にもする説明なんだけど、フィル君はしっかりしているから大丈夫そうね。でも、渡した資料は必ず保護者の方に渡してね。」
「はい、わかりました。」
「あ、そうそう。大事な書類。使い魔の瑠璃ちゃん、でしたっけ。この子の入園許可証も発行されたわ。明日から学園の中に連れて入れるようになるから。この許可証は大事にしてね。」
「ありがとうございます!」
「犬型に近い魔物みたいだから、フィル君が掃除をこまめにすれば部屋の中に入れても大丈夫よ。」
「はい!」
やっと瑠璃と一緒に過ごすことが出来る。
最近は外の小屋で過ごさせていたから心苦しかったのだ。
「これで話は全部おしまいね。何か質問はありますか?」
にこやかに、リラ先生が俺に聞いてくる。
「そうですね、あの、イリスさんに決闘を申し込まれたのですが、大丈夫でしょうか?」
「決闘? ええ、いいですとも。」
えぇ。いいのか。
「魔法の腕を磨くのは大切なことです。決闘はちょっと過激かもしれないけど、経験をせずに戦場に出て戦死するよりかは、ここで経験しておいた方がいいわ。」
なるほど。
この学園に通う児童生徒は貴族が多い。人によっては騎士になる貴族もいるだろう。場合によっては、立場上戦場に出なければいけない貴族もいる。
今のうちに危険に慣れておけということだろう。
「それに、ここは先生たちが立ち会わないと決闘は出来ません。知らないところで喧嘩されるよりは安全よ。」
「そうなんですね。安心しました。」
無法地帯ではない。管理された中で、ルールを守ってということなのだろう。
「他には、何かありますか?」
「そうですね——。」
頭に思い浮かんだのは、俺のルームメイトの顔だ。
「アル——アルケリオ君のことなんですけど。」
「ええ。」
「何か、すごく何かに怯えているようでした。アルは何に怯えているんですか?」
俺が尋ねると、リラ先生は考え始める。
「そうね。貴方も今日からクラスの一員なのだし、教えておいた方がいいかも。」
少し、間を置くと、リラ先生は左手の黒い手袋を脱ぎ、ブラウスの左袖をまくり、地肌を見せる。
リラ先生の素肌を見て、俺は二の句を紡げないでいた。
彼女の綺麗な容姿からは想像がつかないほどの、痛ましい怪我の痕。そこかしこにケロイドが飛び散っており、凄惨な傷が過去にあったことを痛々しく雄弁に語っている。
「この怪我は?」
「実習の時にね、こうなったの。アル君たちの実習の時に。」
リラ先生はつらつらと話し始めた。
この学園では、中等部や高等部の討伐実習に、初等部の子どもたちが帯同して見学するらしい。
「それは危険ではないか。」と問うた。
リラ先生は、「教師が監視しているし、弱い魔物しか出ないエリアよ。」と答えた。
重ねて彼女は説明する。この実習にはもちろん、危険が伴う。だが、この実習を始めて以降、卒業生の魔物が原因とする死亡数が激減したということらしい。言葉を重ねて魔物の危険性を説明するよりも見せて、戦わせたほうが早い。歴代の学園長の方針からくる伝統の実習なのだそうだ。
長い歴史とその功績が支柱にあるため、貴族からも文句はほとんど出ないらしい。ほとんど、という所が引っかかるが。
もちろん、事故がある年もあるし、死者が出る場合もある。
だが、将来出るであろう死者数を考えると、それは「尊い犠牲」や「教訓」として処理されるらしい。
俺が子どもだからだろう。リラ先生はそういったことをオブラートに包んで説明してくれた。
「フィル君は鋭い子なのね。」と笑っていた。
事故があったのは、高等部の生徒の討伐にアルたちが同行した時である。
その高等部の生徒たちは、学園の安全な環境の決闘で実績を積んだことが裏目に出た。慢心した彼らは、自分たちの実力以上の敵に挑んでしまう。返り討ちにあい、初等部の子どもたちが危険にさらされた時、それを救ったのがアルだった。
「アルが?」
「ええ、そうよ。でも魔法を制御出来なかった。あのまま暴走していたら、あの子は魔力切れで死ぬかもしれなかったの。」
想像がつく。アルの魔力量は異常だ。小さな子どもの演算能力で、コントロール出来るはずがない。
だから、一番近くで巡回していたリラ先生が止めた。左上半身を犠牲にする形で。
学園にいた
結果として、リラ先生は一生背負わなければならない怪我が残ってしまった。
悲劇はそれだけじゃなかった。
傷モノになったリラ先生に、政略結婚としての価値が無くなったのだ。元々それほど高い階位ではなかったセーニュマン家は、取り付けてあったリラ先生の婚約を破棄されることになる。
以来、アルはずっとリラ先生に負い目を感じている。
ということらしい。
「先生は、それでよかったんですか?」
思わず、俺は尋ねてしまう。
「ええ、これで良かったのよ。大事な教え子を守れたんだもの。後悔なんて、あるはずないわ。」
そういったリラ先生の表情には、曇いっぺんもなく、ただ満足げな笑顔が浮かんでいた。
この強さだ。
クレアを守るために、今の俺に必要な強さ。
この世界に転生して以来、強い大人に出会ってばかりだ。
「こんな大事なことを教えてくれて、ありがとうございます。」
「いいのよ。クラスの子たちは皆知ってることだもの。フィル君だけ知らないで過ごすのも、おかしいことになりますから。」
「アルは、優しいやつなんですね。」
「ええ、だからフィル君、あの子と仲良くくれたら嬉しいな。」
「もちろんです。」
「シュレ学園長先生やフィンサー主幹教諭からの打診もあったの。アル君のルームメイトにフィル君をって。」
「何故です?」
「あの子はお友だちや、もう一度私を傷つけることを恐れているわ。だからしばらくはルームメイトなしで過ごさせていたの。でも、いつかは自分の魔法と向き合わないといけない時がくる。」
自分の魔法とコントロールしないと、また人を傷つけて自分を傷つけるから、とリラ先生は言う。
「アル君に自信をもってほしいの。そして自信はある日突然降って湧いてくるものではないの。毎日の繰り返しでしか得られないのよ。あの子には、毎日ルームメイトを傷付けなかったという経験を積んでほしいの。フィル君には危険かもしれないけど。」
「出来ますよ。俺なら何があっても、アルを傷つけません。」
「フィル君は強い子なのね。」
リラ先生が笑う。
笑顔が絵になる人だ。こんないい人の婚約を破棄するなんて、件の貴族とやらは見る目がなさすぎる。
「学園長たちが、貴方を推す理由がわかってきた気がするわ。」
「そうですかね。」
「ええ。ストレガの姓を名乗っているし、実力も申し分ないと太鼓判を押されていたわ。アル君に何かあっても対応出来ると。」
「過分な評価、ありがとうございます。」
「ふふ。大人みたいな言い回しをするのね。」
リラ先生はころころと笑う。
いや、まあ実際大人なんですけどもね。
「あら、いけない。もうホームルームの時間ね。話しすぎてしまったわ。行きましょうか。」
「はい。」
俺はリラ先生の後ろを歩く。
「イリスさんとも仲良くなっているみたいだし、先生嬉しいわ。フィル君はきっと、イリスさんにいい刺激を与えてくれると思うの。」
「はあ。」
あれは仲がいいと言えるのだろうか。女児に振り回される男児にしか見えないと思うけども。
「はい。ここが教室です。私が呼んだら入ってね。」
そう言って、リラ先生は先に入室する。
廊下には俺一人。
いや、先客がいる。
一人と一匹だ。
「よう。さっきぶり。」
「にゃん。」
この「にゃん」は挨拶の「にゃん」だ。
7年の付き合いでわかる。
目の前にいる黒猫はジェンド。マギサ師匠の使い魔だ。
「やっぱお前、他人の空似じゃなくてジェンドだったんだな。」
「んなーう。」
他人というよりも、他猫の空似だけども。
「お前も、こっちに来ていたんだな。」
「にゃあん。」
「師匠にひ孫のところに行けとでも言われたのか?」
「んにゃあ。」
「前々から思ってたけど、やっぱお前の主人、ツンデレだよ。」
「んなー?」
こっちの世界ではツンデレは通じないか。当たり前だ。
自由になってやると言ってエルフの森に篭りつつ、ひ孫の心配はするのだ。あの婆さんも、たいがい不器用な人である。
「お前、エルフの双子が早死になのを知ってて、俺のこと適当に護衛してただろう。」
「なうーん。」
窓際の棚の上で、ジェンドがごろごろとし始める。
腹立つ。腹立つけど可愛いから許せる。
俺はため息をつく。
変だとは思っていたんだ。ジェンドもナハトも、あまりにも俺の危機に対して無頓着だった。ただのスパルタではなく、本当に死んだら死んだでそれでよかったのだろう。
師匠の使い魔であるこの二匹の倫理観は、ルビーのそれに近いのだろう。種の中の一体の個体が死んだところで、大局的には変化がない。そういったドライな死生観。
その上、俺はこの世界の筋書き上では生まれなかったはずの存在。バグであり、癌でもある。消えたところでジェンドの様な超自然的な存在にとってはどうでもいいことなのだろう。
「俺と違って、イリスはちゃんと守るんだぞ。」
「にゃん。」
「そのにゃんは肯定のにゃんだな。」
とってつけた、にゃんじゃない。
安心する。
師匠はこの気まぐれな友人に、可愛いひ孫の命は厳守するよう命じているのだ。
俺がストレガを名乗っていることに憤慨し、決闘を申し込んだ少女を思い出す。
「何が正当なストレガの後継者だ、イリス。他でもない師匠が君のことを大事な血縁だと認めているじゃないか。」
羨ましい。あの子は家族に認知され、愛されている。
頭に思い浮かぶのは、前世の家族の顔。そして、カイムとレイアとクレア。
妙にノスタルジックな気分になってしまった。
今から学友たちに自己紹介しなければいけないのに。
「フィル君お待たせ。教室に入ったら、黒板の前に立って自己紹介してね。」
「はい。」
「ふぃる・すとれがです。とくいなまほうは火です!よろしくおねがいします!」
自己紹介を終えると、ぱらぱらと拍手が鳴った。
歓迎されているようで、ほっとする。
アルと目が合う。自信なさげに小さく手を振ってくる。可愛いかよ。
イリスは俺に威嚇していた。さっきまで泣いていたのが嘘みたいだ。
ガタッと、音がした。
一人の女の子が立ち上がったのだ。
俺は思わずその子の顔を見て驚愕する。
レイアと同じエメラルドの瞳に、絹のような金髪。夢の中で出てきた少女が、そのまま小さくなったような姿。何よりも、顔の輪郭や鼻だちが俺そっくりだった。
クレアだ。
何故彼女がここに?
俺は混乱する。
彼女はまるで、幽霊を見たかのような表情をしていた。
俺の気持ちに整理がつく前に彼女は自分の机から離れてこちらへ駆け寄ってきた。
タックルかと思うほどの勢いで俺に抱きついてきた。
今の俺なら、アーマーベアが突撃してきても正面から受け止められる。
だが、彼女の悲壮な顔を見ると、受け止めることが出来なかった。
俺は実妹に押し倒される形になる。
突然のことに教室がざわつく。
「……なさい。」
「え?」
胸元で妹が小さく呟く。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
俺の腰にまとわりついたまま謝り、慟哭する妹の様子は異常だった。
只々許しを乞う妹の悲壮な姿は、俺が望む再会の形とは程遠かった。
察しの悪い馬鹿な俺は、ようやく気づく。
妹のクレアもまた、巫女なのだ。
俺が見ている悪夢を彼女もまた、何度も見ているはずだ。繰り返し、何度も何度も見ているはずなのだ。
見知らぬ少年が自分を庇って腹に穴を空けられる姿を。
それも、彼女は俺みたいな大人じゃない。
この子はたったの7歳だ。
どれだけ辛かっただろう。どれだけの自責の念にかられたのだろう。どれだけの苦しみだっただろう。
もし俺が本当の7歳であれば、とっくの昔に心が潰れている。
この子はそれを今日まで耐えてきたのだ。
そして今、夢で何度も殺されるのを見てきた少年が、突然目の前に現れたのだ。
こんなことにもなるだろう。なって当たり前だ。
であれば、兄として出来ることは一つだ。
「許すよ。」
「————え?」
「君が何で俺に謝っているのかわからない。でも、俺は君を許すよ。きっと、許す。」
「————ああああああああああん!」
妹は脇目もふらず泣き続けた。
俺はそれを黙って、抱きしめて聞いていた。
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