第91話 学園生活3
「う~ん。」
俺は唸っていた。
目の前には大人が全身を見られるほどの大きさの姿見。それに映っているのは制服姿の俺だ。
紺の短パンに、白いシャツ。紺のブレザーに赤いチェックのネクタイ。ブレザーには紺色を際立たせるように、白いラインが所々入っている。
後ろでは鼻息を荒くして、トウツが俺を見ている。フェリもそわそわして俺の制服姿を見ている。
今日は登校初日だ。
昨日の夜までは2人と共に宿で過ごしたが、今日からは寮生活。
寮でよかった……。本当に良かった。
昨日は久しぶりに魔力切れをせずに臨戦態勢で眠ったものだ。
「もう辛抱たまらん。」
トウツが太ももに抱き着く。
「うわあ!何すんだお前!」
「フィオが悪い。こんなにすべすべの太ももを見せつけるフィオが悪い。」
「何言ってんだ!意味わかんねぇよ!」
「すーはー!すーはー!」
「ズボンに顔押し付けて深呼吸すな!」
くそ!離れねぇ!? アリゲーターかよ!? 兎なのに!
体重はトウツの方が重いので、そのまま押し倒される。
やばい。
「もう。」
バチンと音がして、床の板が変形する。変形した板がトウツの腰を円形に囲み、ロックする。
フェリの金魔法だ。よく見ると、この部屋の中はフェリの設置魔法だらけである。ちょっとした要塞だ。
勝手に改造して、宿の人に怒られない?
「あ、ちょ、フェリちゃん。今いい所なんだけど!」
「フィオ。今のうちに登校して。」
「さんきゅー。」
そう言って学園指定のバッグを持ち、俺は飛び出す。
「ノー!ノー!フィオ!僕に行ってきますのちゅーは!?」
「今までそんなこと一回もしたことないだろ!」
「いや一回したことあるじゃん!ちゅー!」
「え、フィオそれどういうこと?」
「その話はまた今度。」
フェリの静止を無視して俺は飛び出す。面倒なことになっている気がするけど、明日の俺が頑張ってくれるだろう。
大体、アスピドケロンの毒ガスをかわすために口で口を塞がれただけだ。あんなものノーカンだ。ノーカン。
身体強化に更にブーストをかける。
都の道を歩く人たちが何事かと俺を見る。
「はっや、何あれ?」
「魔物?」
「いや、人間だ。」
「学園の生徒よ。」
「じゃあ、魔法か。流石シュレちゃん先生とこの生徒さんだなぁ。」
シュレ先生、学園の外でもちゃん呼びなのか……。
俺はあっという間に学園の校門前に到着する。
門の前にはおどおどしたアル。
今日の朝に、一緒に登校しようと約束していたのだ。交友関係は大事だ。古事記にもそう書いてある。
アルは俺の言いつけ通り、ストールを羽織っていた。うんうん、白い魔素が眩しくないね。けっこう、けっこう。
しかし、遠目に見ると女の子にしか見えないな。
「お早う、アル。」
「お早う、フィル。何か速かったね。」
「ん? このくらい、この学園の生徒なら皆出来るだろう?」
「ええっと。高等部ならできるかも。たぶん。」
「あ、うん。ごめん。」
いい加減、自分の実力がこの世界でどのあたりにあるのかを知りたい。
今までの比較対象が高ランクの冒険者ばかりだったから、おそらく俺の考える「普通」はかなり高い位置になっていそうな気がする。
これはいけない。修正しないと。
「フィルはどのクラスなの?」
「特進クラスとシュレ先生に言われたよ。確か担任はリラ先生と言っていたっけ?」
アルの顔色が暗くなる。
俺は何か失言したのだろうか。
「どうした? 大丈夫か?」
「う、ううん。ごめん。」
「だから謝るなって。」
「うん。でも、ごめん。」
この小さな新しい友人が、自分に自信をもつにはどうしたらよいものか。目下の悩みである。今朝、姿見の前で唸っていたのも、アルのことを考えていたからである。
「僕はフィルのことを傷つけるかもしれないから。」
そう、アルが言っていた。
この子が? 虫も殺さないような女の子のような、この子が? まさか、嘘だろう。
アルは俺が渡したストールを制服の上から羽織っている。それを指でつまんでいじって、うつむいている。
この庇護欲を搔き立てる容姿の男の子が、俺よりも圧倒的に内包する魔力が多い。その事実を未だに受け止めきれていない。
俺なりに生まれてから7年、頑張ってきたつもりなんだけどなぁ。少し、自信がなくなる。
「ねぇ。」
アルが声をかけてくる。
内気な彼が自分から話しかけることは、先日初めて会った時はなかった。
「何?」
「フィルはさ、何で遅れてこの学園に入学してきたの?」
「んー。師匠の元で、まだ学ぶことがあったからかなぁ。それと、やるべきことがあったから。」
「やるべきこと。」
「そう、やるべきこと。」
「それは出来た?」
「ううん。全然出来なかった。」
あの日から、定期的に悪夢は度々見る。獅子族の男から腹に穴を空けられて、絶命する夢。俺が死に絶える横で成長したクレアが泣く夢。いくら体を鍛えても、魔法の訓練をしても、この未来が覆る夢を、俺はまだ見ていない。
ルビーをもう一度見えるようにする算段も付いていない。
今も、ルビーはたぶん俺のそばにいる。
そして、俺は未来に対してもルビーに対しても、何かしらの正解を見つけることは出来ていない。
「出来なかったの?」
アルが目を丸くする。
「そうだけど、どうかしたか?」
「フィルは僕よりもしっかりしているから。ストレガ様の弟子だし、何でも出来ると思ってた。」
ほぼ初対面なのに、えらく高い評価を受けたものだ。
「出来ないよ。出来ないことの方が多い。でもやらないといけないことはたくさんあるんだ。」
「やらないといけないこと。」
「そうだよ。アルには、ある?」
「……ある。」
アルは口をきゅっと結ぶ。
「そうか、出来るといいな。」
「うん。」
その時のアルの目には、複雑なものが宿っていた。喜び。希望。諦観。
彼にも何かあるということなのだろう。
生憎、俺は自分のことで手一杯だ。余裕がない人間が人助けをしても、共倒れになるだけだ。俺が彼を助けることは難しいだろう。
でも、心の中では気に留めておこう。
「ちょっと待ちなさい!そこの黒髪!」
幼くて甲高い声があがった。
何だろうと振り向くと、そこには俺よりも少し小さい女の子がいる。
整った顔。桜色の髪。その長い髪をツーサイドアップにまとめている。
何か、どこかで見たような顔だな。
俺は周囲を見渡す。黒髪、黒髪。誰のことだ?
「何とぼけてんのよ!あんたよ、あんた!あんたがフィル・ストレガでしょう!? アルの相部屋だって知ってるんだから!」
女児はきゃんきゃんとわめいている。
えぇ。俺?
何か因縁つけられるようなことしたかな。
おや?
よく見ると、女児の足元には一匹の黒猫。
この黒猫、どこかで見たぞ。というか、ついこないだまで一緒に暮らしてたやつじゃないか。
「おい、お前、ジェンドか?」
「何あたしの足元に話しかけてんのよ!こっちよ!あたしを見なさい!」
「え、あぁ。はいはい。」
周囲の児童生徒がざわめいている。
「おい、あのちびっ子大丈夫か?」
「王族をあしらってるぜ。」
「でもストレガって言ってるぞ?」
「ああ、例の弟子って、あの黒髪のちびっ子か。」
「かわいいー。」
げ。この女の子、王族なのか。
道理で見たような容姿だと思った。エイブリー姫とそっくりじゃないか。
俺の馬鹿。髪の色で気づけよ。ピンク髪は血の濃い王族だって、師匠が言ってたじゃないか。
……不敬罪には問われないよな?
「やっとこっちを向いたわね!」
ふんす、と女の子が鼻を鳴らす。
「これは申し訳ございませんでした。王族の方とは知らず。不快な態度をとってしまいました。」
「そんな細かいことはどうでもいいの!」
どうでもいいのか。
大雑把なのか、心が広いのか、判断に困るところだ。
隣ではアルがあわあわとしている。可愛いかよ。
「あなた、ひいおばあちゃんの弟子ですって?」
「ひいおばあちゃんといいますと?」
「何しらばっくれてるのよ!マギサ・ストレガに決まってるじゃない!馬鹿にしてるの!?」
「い、いえ。してません!してませんって!え、あのばば——マギサ師匠って、結婚してたんですか!?」
「あなた弟子なのに知らないの!?」
「ええ、全く知りませんでした。」
周囲に妙な沈黙が生まれる。
「……本当に?」
「……本当です。」
女の子は考え込み、ぶつぶつと独り言を話し始める。「いえ、でも。ああ、そういえばイヴお姉さまがひいおばあちゃんは適当な性格だって。でも、弟子に自分の家族のこと話さないって、あるのかしら。」
俺のエルフ耳が彼女の独り言を全て聞き取る。
イブ姉さまというのは、おそらくエイブリー姫のことか。
「……マギサ・ストレガ元宮廷魔導士は、先々代の王の伴侶よ。」
「うっそだろおい。」
思わず敬語を忘れてしまった。
あの人王様と結婚してたのかよ!意味わかんねぇよ!自分のこと語らないにもほどがあるだろ!そんくらい俺に教えておけよ!
「知らないようだから、自己紹介してあげるわ。光栄に思いなさい。イリス・ストレガ・エクセレイよ。マギサ・ストレガの正統な後継者は、この私よ!覚えておきなさい!」
「……フィル・ストレガです。初めまして。」
前途多難そうだな、おい。
「決闘を申し込むわ!あたしと戦いなさい!フィル・ストレガ!」
多難の先鋒が飛び込んでくるの早すぎない?
隣のアルが泣きそうになってるじゃん。ちょっと女子~、どうしてくれんの?
「姫様。ここは学び舎でございます。お互い怪我がない方がよろしいかと。」
「この学園は決闘を推進しているわ!それもわからずに入学したの!?」
え、マジで。この学園、バーリトゥードすぎない?
「では、俺の負けでいいので、お断りしていいですか?」
「あなたプライドないの!?」
「そんなもので腹は膨れません。」
黙り込んでしまうイリス姫。
「では、俺はこれで。」
「い、いいの?」
「いいのいいの。平和が一番大事。」
後ろ髪を引かれるアルと一緒に、俺はその場を離れようとする。
「う。」
後ろで短い嗚咽が聞こえた。
「う、うわあああああああああん!だって!だって!あたしが強くないとお姉さまが馬鹿にされるのに!何で相手してくれないのよ!あたしと勝負してよ!勝負してよぉ!」
う、うわあ!急に泣くなよ!?
利発そうな子かと思ったら、そこはちゃんと7歳児なのかよ!
やめてくれよ。前世の時から女性の涙は苦手なんだぞ。
「も、申し訳ありません。姫殿下。どうすれば許してくださいますか?」
すぐに駆け寄り、全力で下手にでる。プライド? 知らん、そんなもん。長いものには全力で巻かれにいくぞ、俺は。
「勝負しろ!あたしと勝負しろ!そうじゃないと泣き止んでやんない!」
「わかりました。します。決闘します。しますから、泣き止んでください。ね?」
「うううう。ぐす。ふぅん、ひっく。本当?」
「本当です?」
「イリスと勝負する?」
「しますします。」
「…………。」
しばらく泣いて落ち着いたのか、すくっとイリス姫は立ち上がる。
「……イリス。」
「はい?」
「いーりーす!あたしの呼び名!」
「あ、はい。イリス様。」
「敬語使うな!クラスの皆は使ってない!」
「あ、ええと、うん。わかったよ、イリス。」
「よし。決闘は放課後!わかったらホームルーム行く!」
「はい。え、何で?」
「同じクラスだからよ!あたしも特進クラス!」
「あ、うんわかった。」
俺とアルはイリスに手を引かれながら校内を歩いた。手を引かれると逆に歩きづらいのだが、彼女は手を放してくれない。
ずいぶんとまぁ、やんちゃな子どもである。
よくよく考えたら俺がこれからするのって、学園生活じゃなくてお守生活なんじゃないだろうか。
そんなことを思いつつ、俺は校舎へと入っていった。
「あら~。イリスさん、転入生君を連れてきてくれたの? ありがとう。」
ほんわかした雰囲気の女性が話しかけてきた。職員だろう。胸元に降りているネームプレートに「リラ・セーニュマン」と書いてある。シュレ先生が言っていた、俺が入るクラスの担任だ。
髪や眉、目はブラウン。綺麗な顔立ちだが、美人というよりも愛嬌の良さが先にくる可愛い人という印象が先にくる。髪をサイドテールに結んでおり、明るそうなリラ先生の雰囲気に合っている。
柔らかい見た目に反した、無骨な左手の手袋が少し目立つ。
「そうよ!あたしは偉いの。」
得意げにイリスが言う。
だが、褒められたことへの喜びを隠しきれていない。
イリスとリラ先生の関係は良好のようだ。
「ごめんね。ここまで道案内してくれて嬉しいのだけど、ここから先は先生がフィル君を連れて行っていい? ホームルームで皆に紹介したいの。」
「リラ先生が言うなら仕様がないわね。任せるわ!」
「ええ、任されました。」
2人は終始笑顔で話している。
何故かアルは一歩下がって俺の後ろに隠れている。
「アル君も、お早う。」
「お早うございます。」
笑顔で挨拶するリラ先生に、消え入りそうな声で返事する、アル。
どうしたのだろうか。
「フィル君もお早うございます。ごめんね。入学前に顔合わせが出来ればよかったんだけど。」
「いえ、急に転入してきたのは僕の方なので。」
「良かったわ。少し私とお話してから、クラスのお友達とは挨拶する予定よ。それまでちょっと待ってね。」
「はい、分かりました。」
俺は一度、イリスとアルと別れる。
イリスは目元に泣きはらしたあとがあるものの、リラ先生に笑顔を、俺にあかんべーをして送り出した。
アルは少し、ほっとした顔をしていた。
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