第83話 悪夢
「ふ、ふおお。」
鏡の前で、変な声が出る。
『すごいのう。エルフに見えぬぞ。』
『一般的な
瑠璃とルビーも感想を言う。
試しに千両役者の仮面をつけてみたのだ。
まるで自分の肌のように顔と同化した。変化はすぐに表れ、俺の顔が変形する。エルフ耳は普人族のように丸くなった。顔はあまりいじらない。カイムやレイアに似すぎているところは少しいじったが。
エルフであることさえ、ばれなければいい。
「これなら、よっぽどのことがなければ、ばれない。」
俺はほくそ笑んで夕食の準備をした。
「クソガキ。あんたにゃ、金銭感覚も教えておくべきだったねぇ。」
師匠はポタージュスープをスプーンですくいながら言った。
「いや、こんなん事故ですやん。やりくりなんて無理ですよ。」
俺はフランスパンにかじりつく。
カンパグナ村でのレッドキャップたちの査定が終わり、俺たちはエルフの森へ戻ってきていた。
トウツとフェリはアルシノラス村にいる。あの2人を一緒にしておいて良かったのだろうか。何故か犬猿の仲だし。
レッドキャップたちは、素材自体は普通のゴブリンと変わらないので、買取料金は安い。
ただ、誰かが定期的に処分しなければ危険な種族なので、ギルドからは報酬がもらえる。
レッドキャップなのでもちろん、かなりまとまったお金が支払われた。
だが、俺は普段から師匠にポーションを頼りきりだったので、そのお金は全て師匠にもっていかれた。研究費のために、びた一文もまけてくれなかった。
師匠のポーションは素材の代金をけちらずに、性能重視なので高価なのだ。これでも身内びいきで安くしてもらっているとのこと。市場で買った場合の値段を聞かされた時、一生ローン生活する自分を想像したものだ。
フェリは「ますます私を手放せないわね。」と言っていた。
彼女、孤独をひねらせ過ぎて俺に変な依存心を覚えてやしないだろうか。立派な大人の女性とはいえ、彼女が浮かべた笑みに変な恐ろしさを感じた。
実際、彼女の言う通りである。ポーションを自作できる彼女がパーティーメンバーにいるのは大きい。回復手段のある
『フィオ、わしの体内にある素材、売ろうか?』
瑠璃が心配顔で聞いてくる。
イヌ科の動物に寂しい顔をされると心にくるものがある。
前世で犬を飼ってなくてよかった。いたら勉強せずに犬の世話ばかりしていた気がする。
「いや、その判断をするのは早すぎるよ。瑠璃は大事な戦力だし。大丈夫。借金の取り立て屋は身内なんだ。身内だから、まだ何とかなるんだ。」
『その身内が危険な気がするんじゃがのう。』
「それを言うなよ……。」
『しばらくは、あのダークエルフのお姉さんに囲ってもらうしかないね。あ、フランスパンは口の中がごわごわするから、スープ食べて!』
隣からルビーも言う。
俺は味覚をリンクさせているルビーのために、ポタージュをよそう。
「う~ん。フェリに頼りすぎな気がするけど、仕様がないよなぁ。」
「そのフェリってのは、どんなやつだい。」
師匠が会話に入る。
師匠が俺の事情に興味を持つのは珍しい。
「新しく入ったパーティーメンバーです。ダークエルフなんですけど。後衛専門で、金魔法の使い手です。師匠も多分、興味をもつ魔法を使いますよ。」
「へぇ、そうかいね。」
「森の一角を一瞬で焦土に変えてましたからね。」
「そりゃあ、会うのが楽しみさね。」
あ、これは本当に興味をもったやつだな。
表情が魔法のことを考えるモードに切り替わっている。
「しかしお前さん、自分がお尋ね者のくせにダークエルフを抱えるとは、阿呆なのかい?」
「何も言えねぇ。」
俺の千両役者の仮面を彼女に渡すことも考えた。
だが、彼女はそれを拒否した。
「この肌は、悪いことなの? 私はそうは思わない。自分を偽って逃げるのは嫌よ。」と彼女は言った。
トラブルを避けるためにローブで隠すが、自分は偽らない。
それが彼女の考えるラインなのだろう。強い
俺もこの仮面に頼らず、自分をそのままさらけ出せる日はくるのだろうか。
その日が待ち遠しい。
「そのダークエルフは、今度連れてくるといいさね。」
「研究のためですか?」
「それもあるが、単純にあの種族は
「それもそうか。」
確かに、師匠の家はこの上なくセーフハウスとして最高の機能を果たすと言える。もし彼女がエルフに見つかってしまったら、その監視の目は俺にまで及んでしまう。
それは危険だ。
それはそれとして、トウツが何と言うだろうか。
彼女は定期的にこの家に現れては、俺が作る食事にあやかる。
自分はずっと客人扱いだったのに、新しく表れたフェリは同居人になるのだ。
何か面倒なことになりそう。面倒なことへの思考は蓋をするに限る。今度考えよう。その時になった俺、頑張れ。
「お前さん、魔法狂いのピンクとの約束はあと半年だろう? どうするのかいね。」
「予定通り、ルビーが見えなくなったら行きますよ。」
途中編入になるのだろうが、それはまぁいいだろう。
というか、この国の第二王女捕まえて魔法狂いのピンク呼ばわりとは。師匠にしか言えない呼び名である。普通の人ならば不敬罪だよなぁ。
ルビーに関してもそうだ。
いまだに対策らしい対策がない。
ルビーを知覚できるようになるには、少なくともマギサ師匠以上の魔力を内包しなければならない。その師匠が20年はかかると言っている。
八方ふさがりである。
「ふん。」
師匠が手紙を机の上に滑らせる。
「これは?」
「入学の推薦書だよ。あのピンクが書いたものさ。あれは政治に明るくないが、魔法の振興のためにはえげつない方法をとってでも予算を巻き上げているらしいね。これはその一環だよ。奨学制度とかいうやつだね。」
「授業料いらないのか! 助かる!」
金欠なので、本当に助かる。
働いてるのに、何で所持金が減っていくんだろう。
ワイバーンをギルドに収めたときはお金持ちだったんだけどなぁ。
「ありがとう、師匠。後半年、よろしくお願いします。」
「あと半年の辛抱だね。いなくなってくれると精々するよクソガキ。」
「言ってろ。」
そう言って、俺は寝室に行った。
夢を見た。
それは夢というには、あまりにも現実味を帯びた夢だった。
色、におい、臨場感。まるで自身がそのまま体験しているかのような、リアルな感覚。
レイアに似た少女が、獅子のような髪をした大男に殺される夢。
俺はそれを見て、獅子のような男に向かって怨嗟の声を叫んでいる。俺は死に体で、地面に這いつくばっている。
周囲にはたくさんの冒険者、騎士、傭兵、そしておびただしい数の魔物。
少女の腹部にはぽっかりと穴が空いていた。男が拳で貫通したのだ。ずしゃりと、地面に横たわる少女。泣き叫ぶ俺。
「巫女は殺した! 魔王軍は更なる躍進をする!」
大男が叫ぶ。
「クレア! クレア! 起きてくれ!」
泣き叫ぶ俺。
クレア?
あの、腹に穴を空けられた少女は、双子の妹のクレアなのか?
疑問がわいた瞬間、俺は目が覚めた。
寝汗が酷い。
インフルエンザにかかった日の翌日みたいに体がだるい。
夢というものはあやふやなものらしく、起きるとすぐに詳細が不明瞭になることが多いと、前世のテレビで言っていた。
だが、俺が見た夢は色濃く記憶に残り続け、ただの夢ではないことを確信させた。
根拠はない。でも、そこに変な確信があるのだ。何だろう、この感情。
キモチワルイ。
俺は洗面所に駆け込み、嘔吐する。
汚物を水魔法で洗い流し、顔を洗う。
『大丈夫? フィオ。すごいうなされてた。』
ルビーが話しかけてくる。
「ああ、大丈夫だよ。大丈夫。」
『嫌な夢を見たの?』
「ああ、見たよ。最悪な夢だ。」
『どんな夢?』
ふとルビーの目を見ると、今まで見たことがないくらい真剣な表情をしていた。
初めて会った頃のルビーは天真爛漫で、無垢で、倫理観の欠けた底抜けな表情をしていた。
俺との付き合いが長くなるたびに、ルビーの表情は人間に近づいている気がする。
「妹が、クレアが、殺される夢。殺した男は2メートル以上はある大男で、魔王軍は躍進すると言っていた。多分、獅子族だと思う。」
『それは、
「たく、せんむ?」
『巫女の力だよ。エルフの巫女の力。』
「みこ?」
『……もう夢を見てしまったなら、教えた方がいいね。』
瑠璃が近づいてくる。
心配そうに俺に鼻先を擦り付けてきた。
「大丈夫。瑠璃、大丈夫だから。」
俺は座り込んで、瑠璃の毛づくろいをする。
『エルフの巫女は、未来予測が出来るんだ。フィオが見た夢は、おそらく現実に起きる。』
起きるのか、あれが。
クレアが死ぬ未来?
それが?
現実に?
「じゃあ、俺は何のために生まれたんだよ……。」
自分の膝に顔を埋める。
クレアの兄になるためじゃなかったのかよ。
何のためにバトルウルフから逃げ切ったのか。何のためにマギサ師匠の元で修行しているのか。何のために冒険者を目指しているのか。何のために学園へ行くのか。
一体、何のために?
わからない。わからない、わからない。
わからないは、怖い。
ストレスに押しつぶされそうになり、頭をかきむしる。
『落ち着いて、フィオ。これは未来予測だよ。決して予知じゃない。』
瞬時に、ルビーが言いたいことがわかる。
「変えられるのか!?」
俺はルビーに詰め寄る。
そうだ。ルビーは予測と言ったのだ。予知ではない。確定していないのだ。
あの未来がもし変えられるのならば、俺は何でもする。
何だってする。
俺はこの世界では、兄なのだから。
思い出すのは、しわくちゃの赤ん坊だった妹の姿。レイアを初めて訪ねた時に見た、可愛らしく寝息を立てている姿。
『うん。ただ、問題がある。』
「問題?」
『エルフの双子の呪い。』
「呪い……。」
コヨウ村のエルフたちの、忌子への怨嗟の声が頭の中でリフレインする。
『エルフは本来双子で生まれてくるのはあり得ない。魔核が本来一つだからね。でも、フィオとクレアは一つの魔核で2人存在している。これはよくないことなんだ。本来冥途にあるはずの魂が、無理やり現世に間借りしている。僕ら妖精が実体化しているようなものだよ。』
何となく、——何となくルビーの言いたいことがわかってくる。
『そんなアンバランスな存在が長持ちするはずないんだ。フィオかクレアは、7歳を過ぎたら何らかの方法でどちらかが死ぬ。この世界のバランス調整のために。』
俺は考え込む。
また吐きそうになる。でも体の中にはもう、胃液しかない。吐きたくても吐けない自分の体にイライラする。
「でも、俺は運がいい。」
これも茜の加護なのだろうか。そう思いたい。
茜差す加護。瑠璃が教えてくれた、俺についている加護。前世で、俺に最愛を説いてくれた人。
『運がいい?』
ルビーと瑠璃が不思議そうに俺を見る。
「ああ、この上なく運がいいよ。俺の姿は今のままだった。結局、不老の薬がそのままなんだな。それはいいんだ。クレアは成長していた。恐らく、十代半ばくらいだ。ルビーが言う通り、7歳過ぎたら危ないんだろう? 託宣夢はクレアが十代半ばで死ぬと言っている。でも逆を言えば、それまでは死なないんだ。結構な年数を神様とやらは待ってくれているんだ。俺は、運がいい。」
俺の顔を見て、ルビーと瑠璃が安堵の表情を浮かべる。
「ルビー。」
『何? 僕に出来ることなら、何でも言って。』
「俺、もう一度寝るよ。」
『うん、わかった!——え?』
呆けたルビーと瑠璃を置いて、俺はもう一度ベッドに戻る。
心に灯すのは一念のみ。
俺の、今世での兄としての覚悟だ。
変える。この未来を。
そのためだったら、何だってしてみせる。
「クレア、どうしたの? 起きなさい。」
そう、声をかけたのはレイアだ。
フィオに出会って以降、復調したレイアは穏やかな日々を送っていた。
今日は規則正しい生活をしているはずのクレアが起きてこない。
何故だろうか?
レイアは不思議に思い、愛娘の寝室へと入る。
愛娘は青白い顔をしていた。
レイアは慌ててクレアの元へ駆け寄る。
「どうしたの? 熱かしら。体調はどう? 気持ち悪くない?」
かいがいしく話しかける母親をよそに、クレアはただ壁を見つめていた。
目の焦点が合っていない。
「ねぇ。お母さん、夢を見たの。」
レイアは身構える。
我が子が夢を見るその意味を、彼女は知っているのである。
彼女もまた、巫女の一族だからだ。
そしてクレアは巫女として覚醒する7歳に近い年齢だ。
「私が、殺されそうになる夢。でも、わかんない。途中から書き換わったの。私じゃなくて、男の子が死ぬの。お父さんみたいな、黒い髪をした男の子。ねぇ、お母さん。この男の子は、何で私の代わりに死ぬの?」
レイアは無言でクレアを抱きしめる。
クレアはただ、静かに泣く母親を困惑して受け入れていた。
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