第80話 vsアラクネ・マザー&レッドキャップ2

 敵が一斉に動く。先ほどまでは数の暴力で不利だった。だが今は3対3だ。勝利がそこまできている。

 息が苦しい。フェリさんの魔法で、周囲の酸素濃度が落ちているのがわかる。

 アラクネ・マザーが驚異的な瞬発力で横に掻き消える。ゴブリンアーチャーが弓を引き、それにゴブリンメイジが闇魔法でバフをかける。


「呪い付きだ!かわせ!」

 後ろの瑠璃とフェリさんが散開する。


 黒い魔素にコーティングされた矢が飛んでくる。それを俺たちはかわす。横合いからアラクネ・マザーが糸を吐き出す。


風壁ウィンドウォール。」

 風の壁で糸を逸らす。


 ついでに風を混ぜて酸素を味方に供給していく。

 アラクネ・マザーのホームアドバンテージはもはや、ない。危険なのは残りのレッドキャップたちだ。アラクネ・マザーが後ろに下がる。


「ギャギギギ!」

 レッドキャップたちが死光線トート・ルーチと毒矢を何発も乱射する。


 魔力の管理をかなぐり捨てているのがわかる。余裕がないのは、向こうだ。俺と瑠璃がタラスクの甲羅で攻撃を全て跳ね返す。この武器も敵にはないアドバンテージ。魔法で強化しなくても、素材の力でごり押しして攻撃を防ぐことができる。


「フィル、周囲の空気が戻ってきた。次の糸が来たら火魔法で受け止めて。」

「わかった。」


 じりじりとゴブリンたちの攻撃をさばきながら、接近していく。ゴブリンたちはどちらも後衛。接近戦に持ち込めば、勝ちだ。


「ニクイィ!」

 アラクネ・マザーが慌てて糸を吐き出す。


 これ以上接近されたら負けが確定すると気づいたのだろう。


火壁ファイアウォール。」

 糸をフェリさんの指示通り、火の壁でふさぐ。


「引火させましょうか。伝染火薬ポルボラ・コンタージョ。」


 フェリさんが火の壁に手をかざし、金魔法をかける。火の壁の向こうで、アラクネの糸が導火線のように火花を散らして短くなる。とてつもないスピードで加速した火花は、アラクネの口元で爆発する。


「ギイイイイイ!」

 アラクネ・マザーはたまらず後ろに後退する。


 だが、もう隠れる巨大樹は周りにない。


 火の壁を、人影が突き抜けてきた。ゴブリンアーチャーだ。矢じりを逆手に持って、俺に襲い掛かる。


「後衛なのに突貫!?」

 俺は慌ててナイフで迎撃。


 矢じりを持った腕を斬り落とし、心臓を一突き。油断せず、ナイフをねじりながら引き抜き、頭を火球ファイアボールで吹き飛ばす。

 頭がなくなったゴブリンアーチャーが膝立ちでくずおれる。


 死臭がした。

 ゴブリンアーチャーの死体から黒い魔素が吹き荒れる。

 そして俺は気づく。ゴブリンアーチャーの肩越しで、ゴブリンメイジが醜悪な顔をして笑い、口から血を吐いて倒れる姿を。

 自分たちの命を犠牲にして呪いを放ったのだ!

 後ろには瑠璃とフェリさん。

思い出すは走馬灯。この世界で出会った人々の顔が一瞬で思い浮かび、最後に思い出したのはトラックからかばった時の、茜の茫然とした顔。

 俺は足を動かす。あの時出来たんだ!今回も出来る!


 ゴブリンアーチャーの死体に抱き着き、魔力の全てを注ぎ込んで浄化魔法を展開する。止めなければならない。この死体には、レッドキャップ2体分の怨念。それも命を懸けたことで強力なバフがかかってる。


「フィル!?」

『何を?!』

『やめてー!』

 後ろで3人の悲鳴が聞こえる。


 一気に脳の機能が落ち込むのがわかる。身体の機能が生命維持に注力し、考える力が失われる。目の前が薄暗くなる。意識が途絶えかける。


「ここで気絶したらそのまま死ぬぅ!」

 俺はナイフを太ももに突き刺す。


「いでええええええええ!」

 刺傷による痛覚と呪いからくる鈍痛にもだえ苦しむ。


 亜空間リュックからポーションを全て出し、効能もラベルも確認せず、キャップを地面でたたき割ってから飲む。


「がはっ、げほっ、ぐうううう!」

 嘔吐する。


 だが、嘔吐した先からポーションを飲む。飲まないと死ぬ。身体が寒い。天気は快晴なのに、凍えそうだ。


「待って!まずはこのポーションから!こっちの固形型のを噛んで!落ち着いて!」

 フェリさんが介抱に向かう。


「どうして飛び出したの!どうして!私が呪いを弾ける可能性は考えなかったの!」

「俺は貴女の奴隷サーバントなので。」

「それを万能な返事にしないで!」

 フェリさんの肩越しに、ルビーが泣いているのが見える。


『フィオ!』

 瑠璃が駆けつける。


 瑠璃の体から管が飛び出し、鋭利な針になる。その管を俺の体中に突き刺す。輸血だ。俺は普段から、瑠璃に自分の血を与えて貯蓄してもらっていた。こういう時のためである。まさか、こんなに早く出番があるとは思わなかったが。


「貴方!」

 フェリさんが一瞬驚く。


 が、瑠璃と目が合う。俺の脈の動きを見て、瑠璃が何かしらの治療を施しているのだと、すぐに気づく。流石金魔法使いだ。

 気を取り直したフェリさんが、闇魔法を使い始める。俺を呪うつもりだ。とどめを刺すつもりじゃないだろう。ゴブリンメイジの致死量の呪いを、軽い呪いで上書きするつもりなのだ。とっさにその発想が出るのはすごい。俺は薄れそうな意識の中、感心する。

 隣では瑠璃が蜘蛛の糸を吐いて、俺の傷口を処置している。蜘蛛の能力を吸収していたのか。


 視界の端で灰色の影が動いた。

 アラクネ・マザーだ。


「——ニクイ。」

 勝ちを確信したのか、ゆっくりと近づいてくる。


「フェリさん。逃げて。」

「無理よ。」

「応戦して。」

「今、治療をやめたら貴方が死んでしまう。」

「お願いします。」

「黙って治療されて。」

 奴隷印が熱くなる。


「ニンゲン。シネ。」

 アラクネ・マザーが襲い掛かる。


 女性の上半身と、蜘蛛の下半身が分離した。

 ずしゃりと、アラクネ・マザーだったものが、地面にまき散らされる。蜘蛛の部分は地面でばたばたともだえ苦しんでいる。


「——トウツ。」

「待った?」

 トウツが到着したのだ。


 手にはゴブリンの頭。


「貴方、それは。」

 フェリさんが言う。


「これ? これはね、ゴブリンキング。そんなことよりフィル、生きてる?」

「何とか。」

「フィルをこんなにしたのは誰?」

 おぞましいほどの殺気が彼女からほとばしる。


「もう、死んでるわ。」

 フェリさんが指さす。


 そこには吐血して倒れ伏している、ゴブリンメイジ。

 トウツはそれを視認すると、こちらへ歩いてくる。殺気はもう霧散して消えてしまっている。俺の目の前にしゃがむと、両手で俺の頬を包み込む。少しずつ体の魔素の流れが循環していく。直接、彼女が魔力を流し込んでいるのだろう。


「これは?」

「僕の祖国で、師匠が弟子に魔力の練り方を教えるときに使う技術だよ。回復役ヒーラーほどの出来ではないんだけどね。気休めにはなる。」

「……ありがとう。」

「こちらこそ、ごめんね。」

「……何がだ?」

 呪いで体が重く、呂律も回らない。


 顎の筋肉も上手く動かせないほど、やられているらしい。


「フィルを信頼しすぎた。レッドキャップの連携を止めるために、ゴブリンの本部を見つけて叩いた方が早いと判断したんだ。君なら持ちこたえられるだろうと。」

「——ありがとう。」

「何が?」

 トウツが目を丸くする。


 普段はたれ目で、目に覇気がない彼女が驚くのをみると、ある種の晴れやかな気持ちになってしまう。


「俺を信頼してくれて。俺を一人前の冒険者として扱ってくれたんだろう?」

「それで、君が死ぬのなら意味がない。」

「あるさ。俺は元々赤子の時に死んでたんだ。これは延長戦だ。十分なんだよ。」

 視界が埋まる。


 トウツが抱きしめたのだ。


「息が出来ん。」

「ごめん、しばらくはこのままでいさせて。」


 俺の体調が回復したのは、一時間後だった。




「嫌だ。」

「我儘言わないの~。」

「俺は歩ける。」

「何で君はそんなに意固地になるの?」

 俺たちは言い争っていた。


 俺は一人で立って歩けるのに、トウツとフェリさんが抱っこして運ぶと聞かないのだ。男としてそれは恥ずかしいのでご免被る。俺は自身の足を叱咤し、膝に手をかけて立ち上がろうとする。頭からべしゃりと地面に突っ込む。ぐぬぬ。


「ほら~。無理だった。僕の背中を貸すからさ、こっちおいで。」


 トウツが俺の腕をとる。もうニッコニコである。


「待って。」

 フェリさんが言う。


「フィルの主は私。ここは私が連れて行くわ。」


 トウツとフェリさんの間で、何かが弾けるような感じがした。

 え、何これ。


「ふぅん。でもさ~。フェリちゃんはこのクエストが終わったら奴隷の契約を解約するんだよね?」

「まだこのクエストは終わってないわ。ギルドに討伐報告をしないと。」

「僕、フィルのパーティーメンバーだよ?」

「それを言うなら、私も即席とはいえ、メンバー。」

「僕はお互い呼び捨てで名前を言う仲だからなぁ。フィルはお利口さんだから、年上はさんづけで呼ぶんだよね~。」

「フィル。私のことはフェリと呼んで。」

「急にそんなことを言われても、あててて!?」

 奴隷印が熱くなる。命令と印が判断しているのだ。


「ふぇ、フェリ!フェリ!」

 苦痛に耐えきれず、彼女の名前を連呼する。


「ほら、私も呼び捨てよ。」

「それはずるくない?」

「私を主に選んだのはフィル自身よ。貴方は彼に逃げられたんでしょう?」

「へぇ……。」

 トウツのたれ目がスッと細くなる。


 二人の女性の後ろにはオーラがあふれ出ていた。トウツの後ろには虎。フェリの後ろには龍。俺は初対面の瑠璃の時よりも恐怖を感じた。いや、もう一人いた。彼女たちの間に浮遊している赤い妖精。ルビーだ。ルビーは両脇にいるトウツとフェリに『シャー!』と威嚇している。虎と龍にハムスターが挟まれている。何してるんだお前。


『フィオ。』

 瑠璃が無言で俺の脇に寝そべる。


 今は犬型に体を戻している。俺が昇りやすいように、羽を生やしてそれをスロープみたいに地面へ垂らしている。


「流石だ、友よ。」

『当たり前だ、友よ。今日は休め。毛づくろいは後日でよい。』

「助かるよ。」

 俺は無言で瑠璃の背に乗る。


 女性陣2人と妖精1人は、それをあ然とした顔で見届けた。今日は疲れた。君らにはもう関わる余裕がない。


 視界の端に、灰色が見えた。それはずるずると地面を張って、森の方へと向かっている。アラクネ・マザーだ。


『瑠璃。』

『……何をするつもりだ?』

『いいから、彼女の所へ連れて行ってくれ。』

『——妙な気を起こすなよ。』

 瑠璃は俺を背に乗せたまま、ゆっくりとアラクネ・マザーに近づく。


 それに気づいたルビー、トウツ、フェリが後ろをついてくる。

 アラクネ・マザーは近づいていく俺たちを見ると、必死になって腕を動かす。上半身の戦闘力は高くないという前情報は本当だったんだな。千切れた胴体から、青緑の血を地面にまき散らしながら、匍匐前進している。


 アラクネ・マザーの眼前に来る。


『瑠璃。おろしてくれ。』

『危険だ。』

『いいから。』

『む。』

 瑠璃は素直におろしてくれた。


 俺をおろしてすぐに瑠璃は体から刀を生やす。アーマーベアの表皮を変形させたものだ。


「タスケテ。タスケテ。」

 アラクネ・マザーが悲壮な顔をして俺に乞う。目には涙が溜まっている。


 本当にベースは人間の魔物なのだと、まざまざと見せつけられる。


「フィル。騙されないで。そいつは瑠璃じゃない。」

 トウツが言う。


「よう。少し、触っていいか?」

「……?」

 アラクネ・マザーは怪訝な顔をする。


 俺は彼女の服に手を伸ばした。蜘蛛の糸で縫製した、白くてシンプルなシャツだ。彼女の祖先の物語を思い出す。神と織物勝負を仕掛け、恨みを買い、魔物に墜とされた種族。

 彼女のそばに正座で座り込む。シャツを手のひらにのせて、親指と人差し指で挟むようになぞる。生地がきめ細やかで、ほんのわずかに品のいい光沢がある。蜘蛛の糸らしく頑丈だが、しなやかさがあった。縫製の隙間が見えないほど、繊細に編み込まれている。縫い目が全く分からないほどに。元の世界でブランド品と言われても納得がいく品質だった。


「綺麗な服だな。お前、裁縫が得意なんだな。」

「ア……。」

 アラクネ・マザーが茫然とした顔をする。


「アリガトウ。」


 そう言って、アラクネ・マザーは口を広げた。裂けるほどに。裂けた口の中から蜘蛛が顔を出す。色は黒を基調にした赤と紫。毒蜘蛛だ。

 俺はその蜘蛛にナイフを突き立て、アラクネ・マザーの顔ごと穿つ。


 音もなく、アラクネ・マザーは絶命した。


 バトルウルフも、アーマーベアも、ワイバーンも、アスピドケロンも、倒した時は達成感があった。今回俺に訪れたのは虚脱感だけだった。俺たち以外の冒険者は、おそらく死亡。森も焼野原になった。残ったものは、ほとんどない。


「ルビー、これでいいか?」

『うん。』

「彼女に話しかけたのは、俺のエゴか?」

『そうだと思う。そうだけど、僕はそんなフィオが好きだよ。』

 ルビーが笑顔を咲かせる。


「そうか、良かった。」


 俺はアラクネ・マザーからナイフを引き抜き、開いた目を閉じさせる。穏やかな顔をしていた。

多分、俺の気のせいだと思うけども。


「瑠璃。食べてくれ。」

『あいわかった。』


 瑠璃がアラクネ・マザーを吸収しているそばで、振り向いて俺は言う。


「帰ろう。お家に。」

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