第79話 vsアラクネ・マザー&レッドキャップ
「…………貴方は、私を追ってきたのね。」
奥の方で
それを遠くに聞きながら、フェリファンは静止した。
目の前に妨害者が現れたからである。
アラクネ・マザー。
神に憎まれ、蜘蛛に転生させられた哀れな種族。目の前にいるアラクネ・マザーは原種ではない。原種が産んだ、たくさんの子どもたち。その子孫。だが、神への憎しみを変わらず心に内包してアラクネは生まれる。タラントという、虫とほとんど変わらない知能から、進化することで憎悪という感情を獲得する。それに突き動かされて行動する。目の前にはダークエルフという
「ニクイ。ニクイニクイニクイ!!」
アラクネ・マザーは髪を人の腕でかきむしる。
手入れすれば綺麗になるであろう灰色の髪が、ぼさぼさに乱れていく。かきむしり過ぎて、頭皮から血がにじみ出てくる。爪の間に血がたまる。
それを眺めながら、フェリファンは手袋を装着した。
「こっちよりかは、オーガの方がまだ与しやすい方なんだけど。私ってやっぱり、運がないのかなぁ。」
フェリファンは寂しそうな顔をしてアラクネ・マザーと対峙する。
「ニクイイ!」
アラクネ・マザーが糸を吐き出す。
それをフェリファンは手でつかみ取る。前衛は得意ではない。だが、彼女は魔法のスペシャリストだ。足りない運動能力を
「ギギギ!」
アラクネ・マザーは糸ごとフェリファンを引き寄せようとする。
「
糸がプチンと切れる。
「ギギ!?」
アラクネ・マザーは手繰り寄せた糸を見る。
糸の先はどす黒い色に変色し、蒸発するような音をたてて溶けている。
「グギギ。」
アラクネ・マザーは慌てて溶け続ける糸を切り離す。
「驚いた? この手袋ね、亜空間ポケットになっているの。少し魔改造して、特定のものだけを吐き出せるようにしてある。材料は物を腐蝕させる化合物。金魔法で少し腐蝕を加速させるだけのお手軽魔法よ。貴方の吐き出す繊維は強力だけども、私と相性が悪いわね。オーガの方が与しやすいとは言ったけど、別に貴方が苦手というわけではないのよ。」
フェリファン対アラクネ・マザーの戦いが、始まる。
轟音が鳴り響いた。
オーガがしびれを切らし、巨大樹を振り回して攻撃してくる。
「そんなほいほい振り回すものじゃないだろそれ!棒術かよ!」
頭上に影。丸太が迫ってくる。
「くそ!」
ローリングしてかわす。
「食らえ。
丸太を火が伝っていき、火の粉がオーガの顔面に降りかかる。
「ガアアアア!!?」
オーガが目を抑える。
「もらったぁ!」
俺はオーガの腹部に乗り上がり、魔力を練る。
腹部にナイフが突き刺さっていた。
「え、は、な?」
横を見ると、レッドキャップがいた。斧ゴブリンでも、剣ゴブリンでもない。音もなく俺の懐に忍び寄って、ナイフを突き立てたのだ。
「がはっ。ゴブリンアサシン? ここにきて——。」
無我夢中でナイフを振るう。
ゴブリンアサシンは音もなくかわし、森の影に同化して消える。
「くそ。探知にも魔力を割かないと!」
頭上に拳。
「うおお!?」
俺はローリングでかわす。
オーガが復活したのだ。オーガは自動回復もちだ。耐久性トップレベルは伊達じゃない。
「これ以上のゴブリン追加はやめてくれよ本当!」
再びオーガと対峙する。
「
火の連弾をオーガに浴びせる。
「ガアアアア!」
オーガはフィジカルと
「種族値の暴力野郎が!」
俺は木陰に近寄らず、見晴らしのいいルートを選んで走る。
広い道はオーガの独壇場。茂みの中はゴブリンアサシン。どちらを選んでも敵のホームだ。意図的にこいつらが配置されていたとすれば、非常にまずいことになる。司令塔であるゴブリンキングがいるということだ。いや、いるだろう。レッドキャップが複数いるのだ。十中八九いる。
オーガのストンピングをローリングでかわす。ナイフで爪を斬りあげて剥がす。
「ガアア!?」
「悲鳴がワンパターンなんだよ!」
亜空間ポケットから大剣を取り出す。アスピドケロンの体内で倒した、アンデッド冒険者が持っていた大剣だ。それをふくらはぎに突き刺す。
「グオオオオ!?」
オーガがたたらを踏む。
横合いからきたゴブリンアサシンのナイフをかわす。
「それもワンパターンなんだよ!」
返す刀でナイフを振るうが、かわされる。
「くそ!大剣が。」
ゴブリンアサシンに気を取られ、大剣がオーガの足に刺さりっぱなしになる。ゴブリンアサシンがまた、林の影に消える。
敵との距離が離れたのを確認し、俺は回復ポーションをがぶ飲みする。回復魔法に魔力を割いている場合ではない。腹の傷が癒え始める。だが、血が足りない。長期戦になるとまずい。
「フィル!」
見ると、フェリさんがこちらへ駆けてくる。
「何で戻ったんですか!」
俺は叫ぶ。
何のために俺が足止めを買って出たと思っているんだ!
「ごめん。不味った。」
彼女は俺と背中合わせになる。
彼女の視線をたどると、樹上を駆けまわる存在が近づいてくる。アラクネ・マザーだ。それだけじゃない。赤い影も一つ。
「ゴブリンアーチャーか。」
俺は歯ぎしりする。
彼女は戻ってきたのではない。逃げ帰ってきたのだ。
「防御魔法、お願い。」
フェリが言った瞬間、太ももの奴隷印が熱くなることに気づく。刻印が、彼女が言ったことを命令と判断したのだろう。
「お安い御用!」
俺は
土魔法で壁を作った方が頑丈だが、オーガなら一発で破壊してしまう。この戦いの中だけで、ゴブリンアサシンとゴブリンアーチャーという新手が出てきた。視界が狭くなる土壁は駄目だ。特にアーチャーを警戒するため、風の防壁を選んだ。矢が飛んで来たら、風で曲げる。
「ありがとう。」
フェリさんはそう言って、肩に刺さった矢じりを抜いた。
「負傷していたんですね。」
「ええ、肩で助かったわ。足を射抜かれていたら逃げられず、死んでいたわ。」
「毒は?」
「塗ってあるみたい。」
「ポーションは?」
「あるわ。」
彼女が後ろでポーションをあおる。
「フェリさん。」
「何?」
「森を焼きましょう。」
「…………。」
彼女には酷な提案である。ダークエルフに墜ちているとはいえ、彼女はエルフだ。森をこよなく愛する種族。先ほどの爆弾攻撃も、森を傷つけない範囲に抑えていた。
「無理しなくていいです。俺はあくまで貴方の
「……いえ、やりましょう。」
「本当ですか?」
「私たちがやらなくても、持久戦になればあのオーガが破壊し続けるわ。森のためにも、この戦いは早く終わらせる。」
「分かりました。瑠璃!」
俺は
『呼んだかの、フィオ!』
すぐに上から瑠璃が降ってくる。
「ひう!?」
フェリさんが瑠璃の姿に驚く。
瑠璃は今、魔猿の体をベースにイルカみたいな尻尾、デビルサイガの捻じれたドリルのような角、ジャイアントクロウの真っ黒な羽をしている。その尻尾、意味ないと思うんだけど、こだわりなんだろうなぁ。
瑠璃を追いかけてゴブリンメイジも巨大樹の上に現れる。
オーガ、ゴブリンアサシン、ゴブリンメイジ、ゴブリンアーチャー。どれもレッドキャップだ。そしてアラクネ・マザーとその子どもたち。
オーガが長剣をふくらはぎから引き抜く。じわじわと傷が癒えていくのがわかる。
「フェリさん。」
「何?」
「俺と貴方は会ったばかりです。」
「そうね。」
「俺を信用してくれますか?」
「——どういうこと?」
「攻撃に専念してください。防御のことは考えないで。守りは俺と瑠璃で固めます。」
この提案は俺と瑠璃が彼女を裏切り、逃げだしたら破綻する作戦である。その場合待っているのは彼女の、死。
出会ったばかりの人間が提案するものではない。俺は卑怯者だ。お人好しの彼女が断らない作戦を押し付けている。
「いいわ。しましょう。」
ほらね。彼女は最高に致命的に絶望的に、優しい。だからこそ、ソロでやってきたのだろう。誰にも裏切られないように。
「いいんですか?」
「私は後衛特化。貴方は前衛も出来るみたい。全員が生き残るなら、それしか道はない。」
「……よろしくお願いします。」
トウツが斧と剣ゴブリンを引き付けてくれて助かった。敵に前衛専門がいたら、この作戦すら出来ない。
オーガの再生が終わった。
「ガアア!」
オーガの叫び声と同時に、魔物たちが一斉に動き出す。一番の戦力が復帰するのを待っていたのだ。
ゴブリンメイジが
「瑠璃!」
『あいわかった!!』
瑠璃の猿の両腕が盾に変形する。とっておきのタラスクの甲羅だ。ここで出し惜しみする理由はない。
俺は風魔法で上空の蜘蛛を弾き飛ばし、飛んできた矢の軌道をそらしてオーガの顔面へ向かって受け流す。隣で瑠璃が死光線を弾いている。
「ガア!?」
オーガが驚く。
大したダメージはない。だが、その矢は毒入りだろう?
ゴブリンメイジがオーガの肩に飛び乗り、処置をし始める。くそ、回復手段がある闇魔法の使い手かよ。厄介だ。
視界の端でゴブリンアーチャーが樹上から駆け下りているのが見える。接近しなければ、俺の風の防壁を突破できる威力の矢を撃てないのだろう。これがライオさんレベルだったら初撃で詰んでいた。
「誰かが蜘蛛に噛まれたら終わりね。ポーションを飲む暇がない。」
フェリさんが大量の爆弾を木の幹に打ち込む。
ズドンと発破音がし、木々が燃え始める。一本の木がオーガの方に倒れこむ。
「ガアアアア!?」
オーガは突然のことに驚き、木の下敷きになる。
ゴブリンメイジは慌ててオーガの体から跳び下りる。
俺は蜘蛛やゴブリンアサシンの潜伏場所を減らすため、風魔法で火種に酸素を送り込み、燃え広がるのを加速させる。蜘蛛のテリトリーを少しでも減らす。
オーガはすぐに立ち上がってくる。他の対処を早くしなければ。
「瑠璃!アーチャーを!」
『あいわかった!!』
ゴブリンアーチャーが周囲を駆けまわっている。距離にして10メートルと少し。この距離ならば俺の風の防壁を矢が貫通すると踏んだのだろう。当たりだ。ゴブリンアーチャーの動きに合わせて、フェリさんを円の中心に瑠璃が円形に回りけん制する。
「もっと燃え広がらないとね♡」
フェリさんが錬成した丸薬を上空に打ち上げる。丸薬は花火のように爆発し、火の粉を巨大樹の葉にふりかける。樹上では蜘蛛たちがパニックを起こしている。アラクネが燃えていない巨大樹に避難するのが見える。
何か今一瞬、フェリさんの声が艶っぽかったぞ?
ゴブリンアーチャーが射ってくる。瑠璃が盾で防ぐ。その盾に糸がへばりついた。
『ぬ!?』
見ると、アラクネが瑠璃の盾を引っ張っている。やつも体のいろんなところが焦げており、満身創痍だ。
「させるかよ!」
俺はナイフで糸を断ち切る。
俺の真横にゴブリンアサシンが来ていた。
「知ってた。」
ズボッと、アサシンの足が地面に埋まる。俺がアスピドケロンに散々されたピンポイントの落とし穴だ。
「俺が風魔法で防御している間、瑠璃が何もしていないと思ったか?」
一閃。ゴブリンアサシンの首が胴体とお別れする。残る敵はあと4体。
「ギャガガ!」
慌ててゴブリンメイジが死光線を放つ。
瑠璃が前に躍り出て、盾で防ぐ。
「流石メイン盾!」
『前に集中せんか!』
「ガアアアアアアアアア!」
巨大樹が上空に吹っ飛ぶ。オーガが起きたのだ。
「フェリ!あいつの一撃は流石に受けきらんない!」
余裕がないので呼び捨てにする。
「分かったわ。」
オーガの頭上には、すでに大量の丸薬が降っていた。
「発破。」
フェリさんが唱える。
オーガの真上にあった丸薬が発破する瞬間、それらは明後日の方向へ飛んでいき、遠い所で爆発する。
「どうして!?」
「アラクネ・マザーか!」
いつの間にか、オーガの周囲には即席の蜘蛛の巣が張られていた。丸薬を糸でからめとり、遠くへ放り投げたのだ。
「糸の対策をします!糸を設置できるオブジェクトを無くす!自滅覚悟で周囲を焦土に変えることは出来ますか!?」
「出来るけど、私に防御手段はないわ。」
出来るだけですげえよ。なんつー火力だ。
俺は火球と風刃でけん制する。魔力の残量が厳しくなってきた。
「構いません!俺と瑠璃で貴方を守ります!」
「分かった。」
「瑠璃!」
呼ばれた瑠璃が体内からタラスクの甲羅を吐き出し、俺にパスする。そして空に飛び立ち、姿を変える。猿の頭と長い出足が引っ込み、翼が生えた平たい星のような形になる。水生の魔物、
アスピドケロンの時にこいつを使われなくてよかったと、心底思った魔物である。
「貴方の使い魔、何でもありね。」
「自慢の友達です。」
「友達……そう、友達なの。」
フェリさんが顔を強張らせながらも笑う。
「魔法が練り終わったわ。合図で防御を展開して。」
「了解。」
『あいわかった!』
「瑠璃も了解と言っています!」
フェリさんが一瞬眉をひそめるが、すぐに気を取り直して魔法を展開する。そりゃ、人語を話さない魔物と話せるのは不思議に思うだろう。だが、今は説明する暇はない。
「これは特別性。」
フェリさんが錬成し終えた丸薬を四方八方にまき散らす。
「今!」
彼女の合図で、瑠璃が五本の
「発破。」
ドームの外で爆発音がする。その爆発は単発で終わらない。連鎖して多段爆発しているように聞こえる。エルフ耳が大きな振動をいくつもとらえている。瑠璃の外装はタラスクの甲羅でハニカム構造になっており、振動吸収もされているはずだ。それでこの振動。外は一体どうなっていることやら。
「あはは、うふ♡」
隣から不穏な笑い声が聞こえた。俺はフェリさんの方を見るが、暗くてよく見えない。え、もしかしてこの
「爆発が長いですね。これ、どういった魔法なんですか?」
「私が化合して解き放った丸薬は、熱に反応して爆発するの。必要なものは爆発する本体。それによって燃えるもの。そして燃えるための温度。最初は丸薬本体が爆発するわ。それによって、爆発する種がまき散らされる。次はその種が燃やされるものに付着し、反応して爆発するわ。反応熱の応用ね。現在進行形で燃えている巨大樹が大量にあるもの。種は巨大樹にぶつかれば盛大に連鎖して爆発するでしょう。温度も十分ね。この甲羅の外は、酸素と巨大樹を使い潰すまで爆発し続けるわ。ああ、使いたいけど使えない魔法が出来てよかったわ。流石に危ないから今まで使用を控えてたもの。今日は厄日だと思ってたけど、最高の一日ね。こんな美しい爆発音が聞こえるのだもの。直接観察できないのが残念でたまらないわ。」
早口で言ってそう。というか早口で言っていた。隣でルビーがドン引きしている。これは犯罪者予備軍ですわ。ダークエルフに堕ちるのも納得のパブリックエネミーである。
何か、こんな人前に見たことあるな。——思い出した。俺を学園に誘ったエイブリー姫だ。
心なしか瑠璃の内部の温度が高い。いや、実際に高いのだろう。タラスクの甲羅は熱遮断性能も高いはずだが、汗がダラダラと出てくる。このままでは干からびてしまう。
「
亜空間ポケットに保存していた水を外に出し、氷に結晶化する。部屋の温度が少しずつ落ちていく。
「貴方、何属性使えるの?」
「今度話します。はい。」
俺はコップも取り出して、水を手渡す。
二人で水を飲みながら爆発音を聞く。死闘していたはずなんだけど、謎に和んでるなぁ。
「こんな素敵な音だもの。ワインを飲みながら聞きたかったわ。」
「擬態できてないですよ。」
思わず突っ込む。
慌てて手をわたわたさせながら「違うのよ、違うのよ。」と弁明するフェリさん。もう遅い。
『フィオ。滅茶苦茶痛い。』
『毛づくろいを3時間に増やすから我慢してくれ。』
『あの雷の
『お前、俺と出会ってから散々な目にしか合ってないな……。』
『飽きはせんがの。』
外の音が鳴りやんだ。
「大丈夫みたい。準備は大丈夫?」
「平気です。まだ戦える。」
亜空間リュックからポーションを取り出す。
自分で飲みながら、フェリさんにも手渡す。
『瑠璃、ありがとう。開けてくれ。』
『あいわかった。』
瑠璃が形をドーム状から海星に戻す。ずしゃりと地面に落ちる。ジャイアントクロウの翼が焼け焦げて消滅しているようだ。
『すまない、瑠璃。』
『毛づくろいを、丹念にの。』
『もちろん。』
前を向く。
そこにはオーガが地面に四つん這いで倒れ伏していた。魔素を見る。オーガの体表に魔力の流れはない。完全に沈黙している。
「レッドキャップがそんな簡単に死ぬかよ。出て来いよ。」
オーガの亡骸の影から、ゴブリンメイジ、ゴブリンアーチャー、アラクネ・マザーが飛び出てきた。
「味方を壁にしたか。来いよ!」
敵の三体が一斉に動き出す。後ろでフェリさんと瑠璃も動き出した。
敵は3体、こちらも3人。
さぁ、最終決戦だ。
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