第68話 母との再会

「誰?」

 すぐに横合いから声がかかった。


 見ると、レイアがそこにいた。ベッドに仰向けに寝そべり、上半身のみを起こしている。手には風属性の魔力が既に生成されている。早い。流石今世の俺のお母さん。

 彼女は俺を見ながら、横に寝ている子どもをちらちらと見ている。クレアだ。妹も一緒に寝ていたのか。


「怪しいものではありません。」

「怪しい人は皆、そう言うの。」

 眉間に険が入る。


 言われてから、ふと考える。爬虫類の魔物ワイバーンのローブで全身を覆い、顔には魔物の骨で形作った異文化のお面。目の前に現れるまで気配を感じさせなかったストールという気配遮断の魔道具を使ってまでして侵入してきた子ども。

 怪しさしかない。


「言われてみれば俺、不審者ですね。すいません。」

 俺はぺこりと頭を下げる。


「え。」


 母は拍子抜けした様子を見せるが、戦闘態勢は崩さない。流石だ。


 どうすればいいか迷う。迷ったが、出たとこ勝負しかないと思ったので、俺はストールを床におろしてお面を外した。頭に巻いたバンダナも外し、尖った耳をぴょこんと立てる。ついでに魔法で淡くて優しい色味の灯りをともす。


 レイアの顔が驚愕に染まる。唇をきつく結んで震わせている。

彼女は何も言わず、しばらく俺の顔を凝視していた。

しばらくすると、彼女はベッドから立ち上がり、クレアに毛布をかけ直す。慈しむようにクレアの額を撫でる。手元に作っていた攻撃魔法はすでに、霧散している。

 俺はちらりとクレアの顔を見る。俺とそっくりだ。瓜二つと言っていい。ただ、俺よりも顔の輪郭が柔らかく丸っこく見える。

 クレアが起きないのを確認したのか、レイアが俺の方に向き直り、こちらに歩いてくる。


「あの、俺は——。」

 何かを言い終わる前に、視界が奪われた。


 レイアが俺に抱き着いたのだ。


「あの——。」


「わかってる。わかってるわ。フィオでしょう。フィオなのね?」

 レイアが俺を抱きすくめる力が強まる。


 彼女は膝立ちで俺のことを抱きしめている。俺の肩に、整った母親の顔が乗っている。正直、どうすればいいのかわからない。わからないので、俺は彼女がしたいようにさせておく。


「良かった。生きていた。生きていてくれた。」

 クレアが耳元でうわごとのように呟く。


「えっと。偽物だと思わないんですか?」

 俺は聞く。


「見間違うはずがないもの。髪はカイムゆずりね。眉の形も。瞳はクレアと同じで私の色。それにこの魔力。私の息子よ。間違いないわ。」

 レイアが話す言葉が震える。


 肩が濡れ始めた。泣いているのか。大人の女性が泣くのを、俺は前世も含めて見たことがなかった。

初めての経験にとぎまぎしてしまう。こういう時、どうすればいいのだろうか。

 ウォバルさんならば、ロットンさんならば、何と言うのだろう?

 どう考えても思いつかないので、準備していた言葉を紡ぐ。


「えっと、貴方は俺のお母さん?」

「ええ、そうよ。」

「そっちが俺の妹?」

「ええ、そうよ。クレアというの。」


 知ってる。六年前から。それでも俺は、確認する。


「俺は、森で魔女に拾われました。」


 レイアが体を離して、俺の肩をもつ。同じ高さの視点で、俺の目を見てくる。俺の顔をそのまま成長させたような顔。それでいて女性らしい柔らかい雰囲気がある。柔らかいだけでなく、目元が知性的だ。その目は、今は涙で赤らんでいる。


「少し前に居ついたと聞いていたわ。この国の英雄ね。ああ、なんてこと。こんな嬉しいことはないわ。」

 花が開くように母は笑った。


 俺はその笑顔を見ると、自分でも驚くくらい心が落ち着くのがわかった。

トウツさんやシャティさん、ミロワさん、アキネさん。綺麗な女性はこの世界に生れ落ちてからたくさん見てきた。だが、彼女の笑顔が一番俺の心に安堵をもたらしてくれる。

 なるほど、これが家族。

 前世でもっと母親に孝行してあげればと、後悔が押し寄せてくる。


「今はその魔女に魔法を教えてもらいながら過ごしています。エルフであるという身分を隠して、ふもとの村にも顔を出しています。」


 俺が言葉を紡ぐ度に、母は嬉しそうにうなずく。


「冒険者を目指しているんです。そのためにもギルドにも顔を出してて。あ、ギルドマスターにも許可をもらってます。ほとんど師匠のコネなんですけど。クエストだって何度も達成しました。そうだ、魔法学園にも行くんですよ。とある方に誘われて、師匠も行けって。そっちには知り合いの冒険者の旧知の人もいるんです。俺、魔法の練習頑張ってるんですよ。今は五属性使えるんです。まだ光魔法は数えるくらいですけど。それに——。」

 湯水のように言葉が出てくる。


 精神年齢が体年齢に引っ張られていくのがわかる。

この人に話を聞いてもらいたい。この人に自分のことを知ってもらいたい。この人に認めてもらいたい。この人に、喜んでもらいたい。

幼稚な欲求が俺の精神をどんどん支配する。その心の変化に俺は逆らわず、思いつくままに言葉を重ねた。そのたびに今世での母親が嬉しそうに反応するのが、この上なく嬉しかった。

 たくさんのことを話した。特にルビーと瑠璃という、大事な友達ができたことを何度も話す。


「——それに、あの。俺のことを生んでくれて、ありがとう。」


 もう一度、俺は彼女に抱きしめられる。

 二人でそのまま無言の時間を過ごした。静寂の中で、虫の音だけがいやに耳に響いた。

 一分くらい経っただろうか。レイアが静かに俺を離す。


「こちらこそ、ごめんね。駄目な母親で。私は母親失格よ。全てを捨てて、貴方を連れて逃げればよかった。」

「それは——。」


 それは、無理だろう。きっとその選択をしたら、俺だけじゃなくてレイアも、カイムも、クレアも不幸になっていた。


「それは違います。俺が証明します。母さん、俺はここに帰ってきます。掟よりも俺の存在が大きくなってみせます。父さんにも会いに来ます。だから、お願いです。待っていてください。」

「……わかったわ。」

 そう言うと、レイアは静かに立ち上がった。


 戸棚の方へ行くと、手に何かを持ってくる。それはかんざしだった。先端には小さな宝石がはめ込まれていた。シンプルだが、使い勝手のよさそうなデザインだ。宝石が魔石だと、俺はすぐに気づく。


「カイムはずるいわね。略式だけど、自分だけ儀式をあげていたなんて。そのナイフ、大事にしてる?」

 レイアが俺の腰に刺してあるナイフを見る。


「はい。何度も命を救われました。」

「……そう。」

 心配そうな顔をして、母は応える。


「エルフの儀式よ。大切な人に自分が普段使いしているものを預けるの。日々使いながら少しずつ魔力を流し込んでいくの。そのナイフも、このかんざしも、魔力を吸いやすい材質で作ってあるのよ。」


 知らなかった。付与魔法エンチャントのようなものがついているとは思っていたが。なるほど、慣習から作られる魔道具だったのか。


「クレアが成人したらあげる予定だったものだけど、貴方にあげておきます。」

「受け取れません。それはクレアのものです。」

 俺はベッドで眠る妹を見る。


「いいえ、貴方のものよ。また作るから大丈夫だもの。」

 柔らかく彼女は笑う。


「この椅子に座って後ろを向いて。こっちに髪を見せて。」


 俺は振り向いて背中を見せる。母の気配が近づく。細くて綺麗な指が俺の髪をすく。


「もったいないわね。カイム譲りの綺麗な髪なのに。もっと大事に扱わないと。」

 母は俺の髪を優しくすいていく。


 気持ちよくなり、俺は目を細める。


「本当は女の子に送るものなんだけど、貴方は大丈夫ね。私とカイムの息子だもの。どんなものも綺麗に着こなせるわ。」


 髪が束ねられるのを後頭部で感じる。結っているのだろう。髪に細長いものが通る感覚がする。かんざしが通ったのだろう。


「こっちにおいで。」


 俺は母親と一緒に姿見の前に立つ。母の魔法で姿見の周りが淡い橙の光で灯される。赤茶けたローブ。茶色のブーツ。そして一つ結びの髪。俺の後頭部で宝石が橙の光を浴びて煌めく。母は後ろから俺の肩をもち、話しかける。


「綺麗になった。女の子が放っておかないわ。」


「そんなこと言わないでよ。」

 つい、本当の子どもみたいなことを言ってしまう。


「うふふ。あっ。」

 彼女が窓の外を見る。


『フィオ!エルフのおじいちゃんとお父さんが帰ってくる!』

 ルビーが壁から現れて言う。


「……お別れね。」

「かんざし、ありがとう。」

「いいのよ。ルアーク長老が手引きしてくれたのね。」

「あ、えっと。その。」

 言っていいことかわからないので、俺は迷う。


「うふふ。あの人は立場があるから厳しいことを選択しなければいけないけど、優しい人だから。」

 そう言って、母は笑う。


「次会う時は、いつかわかりません。」

「わかったわ。待ってる。」


 母は俺と向き合うと、額にキスを落とした。


「次会う時は、たくましい男の子になってるかもね。」

「そうなってみせます。」

 そう言って、俺は窓枠に立つ。ストールを羽織って、気配も絶つ。


 名残惜しそうに、母は俺の頬を両手で包む。


「母さん、行かないと。」

「そうね。カイムは私が足止めしておくわ。」


 俺は音もなく窓枠から降りる。

 反対側でルアークが魔法を使って呼び鈴を鳴らしていた。カモフラージュに魔法を使ったのだろう。

 俺は静かに村の外れへと移動する。感知魔法も潜り抜け、すぐに森の影へと同化する。ある程度離れると、もう一度俺の家を水魔法の望遠鏡で見た。レイアが窓の外をずっと眺めている姿が見えた。俺が森を下っていき、視界からいなくなるまで、彼女はずっと窓から森を眺めていた。




 朝、クレアは目をこすりながら目を覚ます。

 起きると同時に、不安になる。

 いつもは添い寝をしてくれていた母がいないのだ。

 不安になり、ベッドから降りて母の姿を探す。

 母は日曜大工をしていた。小刀で器用に木片を削って、平らにしていく。

 レイアはそこに自分の魔力を少しずつにじませていく。クレアにはまだ感知できない、繊細な魔力操作だ。


「お母さん、何しているの?」

「あら、クレア。そうね、これはクレアがお嫁さんに行ったときに必要なものよ。」


 クレアは不思議に思った。

 それはおそらく、少し前に見せてもらった綺麗なかんざしのことではないだろうかと。何故二つ目を作る必要があるのかと。

だが、幼い頭では疑問は出るが、予測は出ない。

 ただ、無性にクレアは嬉しかった。

 母親が今まで見たことないくらい、晴れやかな顔をしているのだ。


「お母さん、楽しそう。」

「そう? ありがとう。クレアのおかげよ。」


 そう言って、レイアはクレアを抱きしめた。

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