第66話 エルフ村への侵入
エルフの村の名前はコヨウというらしい。
生まれて6年過ぎてから故郷の名を知ることに妙な罪悪感を覚えたが、冷静に考えれば生まれてすぐの俺を殺そうとしたエルフの慣習が悪いので罪悪感をぽいした。
俺はいつも朝起きたら師匠の朝飯を準備して陸上トレーニングや基礎体力トレーニングを行っている。昼前には魔導書を読みふける。昼にまた師匠の食事を準備して、午後には魔物を狩りに行く。夕刻までに時間があれば新しい魔法や、今ある魔法の組み合わせを試す時間だ。師匠に夕飯を作った後は、また魔導書を読みふける。寝る前に残った魔力を全て使い切って、眠る。というか気絶する。
今日はそのいつもの生活リズムを崩すことになる。
夜には今世の母親、レイアに会いに行くからだ。俺は気配遮断魔法をひたすら反復して練習する。
頭に思い浮かべるのはトウツさんだ。彼女のように幽鬼みたいにはなれない。だが、それに近づけることは出来たはずだ。
正直、母親にどんな顔をして会えばいいのかわからない。何を言えばいいのかもわからない。俺は確かに彼女の子どもとしてこの世界に産み落とされたが、親子として過ごした期間は二週間程度なのだ。
はたしてそれは親子と言えるのだろうか。
まだ師匠の方が家族という認識がある。あの人の場合は母親というよりもおばあちゃんだけども。
『フィオ、何か手伝うことはある~?』
『わしも助力しよう。』
ルビーと瑠璃がそれぞれ話しかける。
『ルビーは一緒に付いてきてくれ。侵入した時に見張りが必要なんだ。エルフの中でもお前を知覚できるのは長老だけっぽいし、助かる。』
『任せろ~!』
ルビーが空中でひゅんひゅんと飛び回る。
慣性の法則とかを完全に無視した動きだ。元の世界でことさら真面目に勉強したわけではない。
だが、科学の世界から来た身分としてはルビーの空中旋回の動きに違和感がありすぎて混乱してしまう。何で静止状態から急にトップスピードになるのか。高速で鋭角にカーブできるのか。そもそも飛んでいる方向と翼の動きがちぐはぐだ。
駄目だ。思考を切り替えなければいけない。ここはファンタジーの世界なんだ。異世界文化を吸収しなければ。すーはー、すーはー。
『フィオ、わしは何をすれば。』
瑠璃がイルカ尻尾をぱたぱたと床につける。耳も鳥が羽ばたくようにバサバサと羽ばたいている。
『すまない、瑠璃。君はお留守番だ。』
『何故!』
瑠璃の耳がピーンと横180度に伸びる。
『今回は潜入ミッションだから。瑠璃は俺ほど気配を絶つの、上手じゃないだろう?』
瑠璃は長生きだから、基本的に俺よりもスペックは高い。
だが、巨体を水に沈めていた期間が長すぎたため、案外基本的な能力が備わっていないのだ。
『ぐぬぬぬ。解せぬ。』
『へへーん!ここは先輩の僕に任せときなよ~!』
『ルビー。煽るのはよしなさい。瑠璃、今度の狩は二人で行こうな。』
『本当か!? フィオ!』
『ちょっと待ってフィオ!それは酷いよ!』
二人とも喜怒哀楽が激しいこと。
特に瑠璃は喋りが流暢になってからは元気がいい。会話という何気ないことが彼女にとってはいまだに新鮮なのだそうだ。俺と出会って半年くらいは経っているのに。そりゃ二世紀も喋る相手がいなければそうはなるよな。
『そういや、何で今更なんだろうな。』
瑠璃の事情を考えていて思い出す。
『今更って、何が~?』
ふよふよと浮いてルビーが俺の顔の横にくる。
『レイアとの面談だよ。ワイバーンの異変からもう一年少し経っている。俺を呼ぶとしたらもう少し早くても良かったと思うんだけど。』
『ああ、それは体感時間が違うんだよ。』
『体感時間?』
『そう。多分、僕や瑠璃もフィオよりかは長いよ?』
赤い宝石みたいな目がくりくりと俺を見る。
『わしらは人間よりも長寿だからな。時間の流れを感じる感覚は人間よりも遅い。』
『本当はフィオもエルフだからゆっくりなはずなんだけどね~。』
『うおお……。転生の弊害がここにも。』
俺は頭を抱える。
『あれ、でも何か困ることは特にないし、別にいいのか。』
『そだね~。』
『ケセラセラじゃのう。』
『というか、キメラも犬より少し長いくらいの寿命なんだけど。』
『なんじゃと!?』
瑠璃が驚く。
お前……湖に引きこもりすぎて自分の生態知らなかったのか。
『長寿種の魔物を吸収し過ぎたんだろうな。お前が魔力まで吸い取れる体質だったら本当に勝てなかったよ。』
『そのような化け物みたいな種族、いるのかのう。』
『いるにはいるね~。』
マジか。
『本当か? ルビー。冗談で言ってないよな?』
『ん~。伝説級と呼ばれる魔物とかは大体それに近い能力は持ってるよ~。古代種のドラゴンとか、不死鳥とか。』
ルビーが指をくわえながら言う。
いるのか。ファンタジーの世界すげえ。
「よし!」
俺は両頬を手で張った。
『気持ちを切り替えよう。今夜のことだ。』
『お母さんに会うんだね。』
ルビーが心配そうに俺を見つめる。
『瑠璃の言う通り、なるようにしかならない。今夜、母親に会って話してみるよ。俺に会うくらいで元気になるかはわからないけど。』
『うむ。行ってくると良い。わしには家族の絆はよくわからぬ。だが、友情はわかるぞ。わが友よ。』
ラピスラズリの瞳が俺を見つめる。
俺は黙って瑠璃を抱きしめて、顎の下をわしわしとなでる。
『ずるい!僕も僕も~!』
『いつも思うけど、触ることが出来ないのによく来るよな。』
『気持ちの問題なの!』
俺にエアなでなでをされてルビーがご満悦になる。
『よし、行ってこよう。瑠璃、近くまでは送ってくれないか? エルフの狩人に足跡を追跡されたくない。』
『む!わしにも仕事があったか!任せろ!』
瑠璃の尻尾がぴーんと張った。
俺は瑠璃の背中にまたがる。
『俺が大人になったらこんな風に瑠璃にまたがることは難しいんだろうな。』
『何を言うか、わが友。わしは体のサイズはいくらでも変えられるぞ。』
瑠璃が歩き始めながら話す。
『そういやそうだった。次はどんな動物の形にするか?』
『犬型のまま大きくなってはいかぬのか?』
『そのまま大きくなったら目立つだろうに。』
ただでさえ今も、額の角や翼のような耳、宝石のような目、イルカのような尾で目立っているのだ。
村やギルドの連中が「珍しい魔物テイムしたな。」くらいの認識なのが不思議でならない。やはりファンタジー世界の住人は思考の柔軟性が高いのだろうか。はたまたあの村の住人が特殊なのか。
『アーマーベアにするかのう。』
『それはそれで目立つような。』
『魔物の時点で目立つんじゃないの~?』
『『たしかに。』のう。』
などとつらつら話しながら俺たちは森の奥へ進んでいく。
浅瀬では俺たちが襲われることはほとんどなくなってしまった。
俺がいないときも瑠璃が定期的に狩りへと赴いている。ゴブリンやコボルトなど、独自の情報ネットワークがある魔物たちは俺たちを危険リストに入れているらしく、やつらの方からは襲ってこない。
おかげで探索からの戦闘が主になってしまった。
七歳に魔法学園に入学というエイブリー姫の条件は渡りに船だったのかもしれない。
ここでの戦闘経験は打ち止めだろう。
深層に行けばいいかもしれないが、あそこは魔境すぎて俺には早すぎる。深層の入り口でアーマーベアの亜種を倒すのがやっとである。それに森の奥へ行こうとすると、エルフの狩人の眼がある。
今はばれずにやり過ごせているが、哨戒役がもしカイムかそれに近い実力者であれば逃げ切れる自信がない。
『フィオ、加速しようかの。お主を乗せてどれくらい出るか試してみたい。』
『了解。俺も騎乗技能がどのくらいついたか確認したい。行こう。』
ミシミシと音が下から聞こえる。瑠璃が体を変質させているのだ。
出来たのは太ももが太く、膝下が長いイヌ科の足。犬型の魔物の中でも跳躍を得意とする魔物をミックスさせたのだろう。複数の魔物をミックスさせる発想は俺のものだ。試しにやってみてくれと言ったら、本当に瑠璃はやってのけた。
この世界はおかしい。俺以外がチートだらけだ。
その力強くも細長い足が鋼の鎧でコーティングされていく。アーマーベアの鎧だ。瑠璃はそのまま
そのためにも、積極的に俺の修行に付き合ってくれている。
『ガア!』
アーマーベアの鳴き声をしながら瑠璃が駆ける。
犬型の足を器用に疾駆する。足音はほとんどない。木々の枝や葉を鋼の鎧で弾き飛ばしながら駆け抜ける。
遭遇する魔物たちは踵を返して逃げ始める。ここらはもう、完全に瑠璃の狩場なのだ。
『快適だなぁ。』
『わしの背中は居心地がいいだろう、フィオ。』
『ああ、お前がいてくれて助かるよ。』
俺は首に抱き着きながら瑠璃をなでた。
『ふん。』
瑠璃は尻尾をブンブン振り回しながら加速した。
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