第64話 vsアーマーベア亜種

 アーマーベアの周囲に無色の魔素がビリビリと振動して集まっていく。身体強化ストレングスの魔法だ。ギシギシキチキチギギギギと、金属が擦れたりぶつかったりする音が周囲に響く。

まるで小さな銀山のようにして眠っていたやつは今、俺を敵として認めて立ち上がった。


「お前に恨みはないけどな、腕試しの相手になってもらうぞ。」

 俺も身体強化を体にまとう。


 鬨之声ウォークライで挑発したのは腕試しだからだ。

 不意打ちが許されるのであれば、いつでも倒せる相手ではある。今日は違う。真っ向勝負で倒す。


 野生動物のように、地面に張り付くようなクラウチングスタートの姿勢をとる。顎のすぐ下に荒地の地面がある。最も筋肉量がある太ももから尻にかけてのところを中心に魔力を流し込む。上半身が崩れないように腹筋と背筋もバランスよく配分する。胸筋から胸鎖乳突筋、そして僧帽筋へと、上半身にも魔力がせり上がって流れ込んでいく。人体の中でも最も重い骨をもつ頭を前に突き出して、地面を全力で蹴る。

 一直線にロケットスタートする。小細工もフェイントもいらない。風魔法で自分の進行方向の空気抵抗の一切を取り払う。

 敵との距離は一瞬で詰まった。肩と腕でデルタの形を作り出し、ぶちかます。


 アーマーベアは危険を察知したのか、立ち上がるや両腕をクロスして俺のぶちかましを正面から受け止めた。防御にはやはり自信があるのだろう。とっさに腕の身体強化を強めているのが見て取れた。


 ガオン!という鈍い音が荒地に広がった。


 アーマーベアは両腕を跳ね上げられる形になる。


「慌てて上腕のみを強化したな!身体全体を強化しないからそうなる!」

 俺はハイキックを繰り出す。


 ハイキックだが、相手が大きく俺が小さいので膝を強襲する形となる。相手側からしたらローキックだ。

 メギャン!と金属がへし折れる音がする。敵の左足を膝ごと破壊したのだ。


「骨折コオオオオス!」


 いける。俺の方が身体強化を使いこなしている。

 すぐさま胴に拳のラッシュを見舞う。アーマーベアの腹部に小さなクレーターがいくつも出来上がる。

 上から前腕の爪が降ってきた。

 俺は後ろにスウェーしながら下がる。すぐに後ろ脚で地面を蹴りだして脇腹にも蹴りを見舞う。

 牙が目の前に来る。

 俺は下がらずに懐に飛び込んでかわす。

 敵の胸に肩と背中を密着させ、背面アタックで弾き飛ばす。

 敵の上半身が跳ね上がる。すぐに体勢を立て直して爪を振るってくる。


「らあああああああああ!」


 俺は地面に下半身を固定させ、腰を螺旋させる。その力を肩から肘、そして掌底を作った拳に魔力ごと送り込む。

 バギャンと音がする。俺の掌底が勝ち、アーマーベアの爪が砕け散る。

敵はもう左足と右の拳が使い物にならなくなった。

 瞳から戦意が失われるのがわかる。


「ごめんな。逃がさないよ。」


 俺はすり足で接近しながらさらに多くの魔力を体につぎ込む。次は地面の力は借りない。俺は跳躍してアーマーベアの懐に飛び込み、右のストレートを打ち込む。傷んでいた腹に俺の腕が貫通して陥没する。


「ギャガガガ!」


 アーマーベアは泡を吹いて倒れた。


『どうだった~?』

 終わったのを確認したルビーが聞いてくる。


『上々かな。全身をまとめて強化するんじゃなくて、固まった魔力を強化したい個所に流れるように移す技術。多分、これで体得したことにしていいんだと思う。トウツさんほど魔力の流れが綺麗というわけではないけど、深層のアーマーベアに通じたんだから上等だと思う。』


 普通のアーマーベアはC級中位指定だ。ワイバーンはB級上位指定。

だが、このアーマーベアはB級上位指定で、ワイバーンと同等だ。俺も一応、体術のみでB級を相手できるということになる。

 魔力をつぎ込めばタラスクの甲羅も割ることができるだろう。本家のタラスクは魔法も使うから手も足も出ないだろうけども。

 そしていかんせん、魔力の総量はまだまだ少ない。

 一人でアスピドケロン時代の瑠璃はまだまだ倒せる域にはいない。

 トウツさんに師事してよかった。体術に関してはかなり魔力を節約しながら戦えるようになった。

 スピードもトウツさんにはまだまだ追いつかないが、かなり速くなった。


『瑠璃。飲み込んでくれ。』

『いいのかのう? わが友は最近、収入がない。』

『う……。わかってるよ。でも今はお前の戦力強化が最優先だ。飲み込んでくれ。』

『困ったときは言うのだぞ。』

 そう言って、瑠璃はアーマーベアを飲み込み始める。


 瑠璃の言う通りだ。この一年、俺は収入がほとんどない。弱い魔物を狩ったらギルドに納品してはいる。だが、それなりに強い魔物は瑠璃に吸収してもらっている。そうなると小遣い稼ぎ程度の収入しかなくなってしまったのだ。


 魔法を学ぶために、村へ行商が来たときは魔導書も買いあさっている。

 その魔導書がべらぼうに高いのだ。

 印刷技術がまだないからだろう。転写魔法ができる魔法使いもいるらしいが、これもまた人件費が馬鹿高い。

 本の価格帯を知ったときは、師匠の書庫が宝の山に見えたものだ。

 ちなみに俺が「これは使える!」と思って買ってきた魔導書を師匠にボロクソに酷評されることもしばしばあった。

 ばばあ師匠に、オブラートに包んだ表現というものはない。むしろ丸い言葉をわざわざ尖らせて放ってくる人種だ。


 そういった出費もあるわけで、以前のワイバーン討伐で得た貯金を切り崩しながら生活しているのである。

 おかしい。俺は異世界転生ボーナスで魔法の天才としてこの世界に生まれたはず。冒険者になれば金持ちほどはいかないまでも、それなりにいい収入くらいにはと、楽観的に考えていた。

 ところが今、この体たらくである。

 でも、瑠璃の強化をやめるわけにはいかない。瑠璃の戦力はいつか絶対必要になる。何よりも、大切な友達が二世紀かけて集めた素材を俺は剥ぎ取ってしまったのだ。生涯をかけて半分くらいは返してあげたい。


 俺は飲み込み作業中の瑠璃を見る。自分よりも明らかに大きいアーマーベアの体躯がぐにゃりと歪んで吸収されていく様は、何度見ても飽きない。

 あれ、どうなってるんだろう。

 以前瑠璃の体を指でいじってみたが、結局わからずじまいだった。ちなみにその日以降、俺に体をいじられるのが癖になった瑠璃の毛づくろいをしてあげることも日課になった。ルビーは『ずるい!ずるい!』と駄々をこねていたけども。


 アーマーベアの鎧はタラスクの甲羅ほど固くはないが、戦力の足しにはなる。深層のアーマーベアの体表はべらぼうに重い代わりに本当に固い。

 その重さから、普通のアーマーベアと違って冒険者の装備に使われることは少ない。若いアーマーベアであれば、重装歩兵の装備には使われるらしいが。

あの巨体を操っていた瑠璃なら、亜種のアーマーベアの素材もうまく使うだろう。


「なるほどのう。深層入り口の湖で何かが潜っているのは気づいておったが、キメラであったか。」

 すぐ真横から、青年にも老人にも聞こえるようなテノールの声がした。


 俺は慌てて弾かれるように横へ跳び、身体強化をかけてカイムのナイフを構える。


「よい反応じゃ。村に残ればよき狩人になれたものを。」


 端正な鼻筋が通った顔。老人のような老獪さと子どものような快活さが同居したような顔。身体は細長いが、必要な筋肉が無駄なくついていることがわかる。エルフの長老だ。


「……ルアーク。」

「ふむ。森の魔女に名前を聞いておったか。ならば話は早いのう。」


 ルアークが近くの岩に腰かける。


 俺は困惑する。この人は敵なのか味方なのか。自分を殺しかけたエルフの掟。それを追従する代表者だ。

 同時に、俺がクレアをかばった作戦の最後のダメ押しを手伝ってくれた人でもある。

 俺は身体強化をやめずに会話することにした。


「何の用だ。今更俺の前に出てくるなんて。また俺を贄にしにきたのか?」


 俺はハンドサインで瑠璃に逃げろと指示する。

 瑠璃は無言で俺の隣にきて、お座りをする。


『何で言うことを聞かないんだ!』

『友の危機だ。付き合おう。』

 瑠璃は凛とした中性的な声で返答する。


 くそ。だとすれば、会話で友好的に別れるしかない。

 おそらくこの人と俺が戦っても、太刀打ちできない。

 ワイバーンの異変を思い出す。小鳥のようにワイバーンたちを次々と撃ち落としていた。あれはこの人のもつ魔法の中でも汎用性が高いだけで、とっておきの魔法ではないだろう。


にえにはせぬよ。事情が変わった。」

「変わった? 何の事情がだ?」


 俺に腹芸は出来ない。

 出来ないことはしないに限る。

 ストレートに質問する。


「お主にも直にわかる。今お主を処分せぬのは、そうじゃな。お主が善性の人間だからじゃろうな。」


 俺が善性だから殺さない? 何を言っているのかわからない。


「クレアをかばった判断は見事であった。お主がエルフの、しかも双子に生まれたことが悔やまれるのう。」


 ルアークが俺を見る目は優しい。それゆえに不気味だ。

 クレア!そう、クレアだ。俺がエルフの村から逃げ切れたあと、彼女は元気にしているだろうか。忌子として排斥されていなければいいが。


「クレアは今、幸せか?」

「すくすくと育っておるよ。お主のおかげじゃ。」


 俺はほっと胸をなでおろす。

 この人の言うことが信頼できるかは微妙だが、安堵の感情が俺を包み込む。


「ふむ。ずいぶんとクレアのことを大事にしておるのう。お主は転生者じゃ。いわゆる他人であろう? 何故そうまでして肩入れする?」


 その質問を聞き、俺は少し安心した。このエルフの長老は得体はしれないが、人の心までは読めないのだ。


「家族だからだよ。」

「家族とな。」

「俺は前世で、家族らしいことが出来ずに死んだから。」

「……なるほどのう。」


 ルアークはもっている杖を指でいじる。

 杖にはめ込まれている魔石の周囲にある魔素の流れが美しい。素材はかなりのものなのだろう。加工した人間も名工に違いない。


「あんた、何が目的だ? 俺の前に現れたのは世間話するためじゃないだろう?」


 エルフの長老がどんな役職かは深くは知らない。

だが、その辺をほっつき歩けるような身分でないことくらいは俺でもわかる。


「ふむ。お主に会ってほしいものがおるのじゃ。」

「会ってほしい? 誰にだ?」

「レイアじゃよ。」


 それは今世での俺の母親の名だった。

 何故、という疑問が頭の中に浮かび上がり、ぐるぐるととぐろを巻く。彼女は俺が死んでいると思っているはずだ。それをわざわざ知らせる? どうしてだ。忌子の件は一体どうなったんだ。


「話すと長いのだがの。お主が死んだあと、彼女はふさぎ込んでしまってのう。カイム以外の村人とは会話すら難しくなったのじゃ。」


「……母さんは、優しそうな人だった。」

「やはり赤子の時から意識がはっきりしておったか。」

 ルアークが得心のいった顔をする。


「母さんは今、どうしている?」


 レイアという女性を母と呼ぶことに違和感をもちながらも、俺は言葉を重ねる。彼女とはほんの数週間の付き合いしかない。母と呼ぶ暇すらなかったのだ。


「今もふさぎ込んでおる。お主が亡くなったとされたあの日の後、ワイバーンが森で暴れる事件が起きた。お主、カイムと共に戦ったであろう?」

「ばれてたのか。」

「カイムは気づいてなかったがのう。あの男は鋭い方ではあるが、流石に息子が生きて森にいるとは考えが及ばなかったようじゃな。」

 小人族と勘違いしておったわ、とルアークが付け加える。


「その異変の時にの、多くのエルフが死んだ。中にはレイアの無二の親友までおった。わしらは長寿の種族じゃ。それゆえに人数が少なく、友人との絆は歴史が長く、固い。」


 仮に、エルフのように長寿ではないとしてもだ。大事な親友と息子と立て続けに亡くしたらどうなるだろうか。

俺はそれほど深い悲しみに沈んだことはない。想像がつかなかった。


「レイアは命の危機にある。」

「そんな!? どうして!?」

 俺は慌てる。


「我々は精霊に近しい種族じゃからのう。肉体よりも精神の方が優先される。レイアに生きる意志がないならば、それは体にも影響を及ぼす。」

「でも、クレアは? カイム——父さんだって。」

「その二人がいるから命をつなぎとめておる。だが、ずっと床に伏せっておる。カイムも精神的に限界じゃ。二人とも娘の前では気丈に振舞っておるが、いつ崩れるかわからぬ。」

「…………。」


 俺は考える。ここでルアークが俺を騙す必要は全くない。俺を予定通り忌子として処分したいのならば今出来るのだ。

 優先順位を考えろ。俺がこの世界で優先すべきなのは、ルビーや瑠璃、師匠を除けばやはり家族だ。

 その家族が危険だと言っている。どの道他に選択肢はないのだ。


「……いつ顔を出せばいい?」

「ふむ。明日の夜。狼の夜泣きが聞こえる時間帯に来ればよい。その時間であればクレアも眠っておる。カイムは私の方から用事を言いつけよう。その様子だと、村の衛兵を騙す手段くらい持ち合わせているのだろう?」


「まぁ、そのくらいは出来るはず。」


 やはりエルフたちを騙す手段も見透かされている。これだけ看破された上で対等な交渉を持ち掛けられたのだ。俺に断る権利はないといってよかったのだろう。


「もう一つ、忠告をしておこうかの。エルフの中には死体が見つかっていない者もいる。恐らく、騒ぎに乗じて村民に危害を与えた者がおる。」


「どういうことです? 誰ですか?」


「革靴の足跡が大量に見つかった。おそらく普人族じゃ。」


 エルフや獣人たちは、よく普通の人間たちを普人族という。特徴がないからな。


「何故そんなことを? ワイバーンではなくエルフを攻撃するなんて。」


「わしらの種族は奴隷として高価じゃからのう。」


 思わず無言になる。

 森の危機であるというのに、文字通り火事場泥棒をする輩がいたのだ。


「攫われたエルフたちは?」

追跡者トラッカー執行者エンフォーサーに捜索してもらっておる。エルフの中でも、下界で活躍できる人材じゃよ。犯罪者の追跡と断罪を生業としておる。」


「……今の俺の力では、そちらは手伝えませんね。母の方の件は、師匠に相談して決めます。」

「助かる。お主には貧乏くじを引かせてばかりじゃ。エルフの村長として礼を言う。」

 ルアークが頭を下げる。


「え、あ、その。」


 相手が頭を下げるとは思わず、俺はしどろもどろになった。


 気が付くとルアークは消えていた。俺の気配遮断魔法への意趣返しなのだろうか。目の前にいたはずなのに、どう消えたのかすらわからなかった。


「……帰るか。」

『わふ。』


 俺の独り言に、瑠璃が本当の犬のように応えた。

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