第63話 フィオ、6歳
『瑠璃、ここまででいい。降ろしてくれ。』
『いいのか? わが友。もっとわしに乗っていていいのだぞ?』
『お前が乗せたいだけだろうに。』
瑠璃は図星だったのか、尻尾をだらんと下にたらす。イルカみたいな尻尾を土に引きずるのを見ると、もっと大事に扱わなくていいのかとたまに思ってしまう。
俺は六歳になった。
誕生日の日は特別に何かを祝うようなことはなかった。それは別段珍しいことでもなく、毎年のことだ。ただ、ルビーはいつも元気よく俺に声をかけてくれるし。妖精の歌を披露してくれる。俺はその独特なリズムの音が好きで、季節の節目や誕生日にルビーの歌を聞くのをいつも楽しみにしている。『毎日歌おうか?』とはルビーに聞かれたことがある。俺はそれに『ルビーの歌声は特別な気分がするから、特別な日に聞きたいんだ。』と返した。ルビーは満更でもない顔で『ふんす!』と鼻を鳴らしていた。
師匠はなんだかんだ誕生日には魔法の手ほどきをしてくれる。逆に師匠が誕生日の日には、俺は気合を入れた食事をふるまっている。
瑠璃は『生きた年数を数えるのか。ニンゲンには変な文化があるのう。』と言っていた。
瑠璃の神語は発音がここ一年で明瞭になった。言語能力が低いのではなく、単純に二世紀ほど他人と話していなかったからカタコトになっていたらしい。
スパンが長すぎて想像もつかない。二世紀の間ぼっちとか、俺だったら心が壊れる。老人言葉なのはファーストお友達もご年配だったということで、それを真似ているからだ。言語サンプリングが今までそれしかなかったとのことだった。
ちなみにこいつ、雌だった。発覚して驚いたときには拗ねてしばらく無視されたものだ。
一年近くの付き合いでようやく気付いた。こいつ、けっこう面倒な性格をしている。
ちなみにトウツさんには「今が食べごろか!」と言いつつ襲われた。性的な意味で。
瑠璃に協力してもらっても勝てなかった。何だあの化け物。この一年死に物狂いで体を鍛えたのに、トウツさんの力が圧倒的過ぎて、俺は自分が強くなったのか自信がなくなったものだ。
そして、生れて初めて、文字通り生れて初めて!ジェンドとナハトが助けてくれた。バトルウルフ、アーマーベア、ワイバーン、そしてアスピドケロン。あらゆる魔物に殺されかけたけど助けてくれなかった師匠の使い魔がここにきて助けてくれた。
トウツさん。あんた伝説の魔法使いの使い魔に危険人物認定されたよ。そこで俺はトウツさんや二匹の使い魔の本領をほんの少し垣間見るのだが、それはまた今度の話としよう。
俺は今、エルフの森の深層に来ている。
深層は、エルフの村の奥の方へ行ったところだ。エルフの村の位置は、この森の大きな指標位置となっている。何の指標かというと、危険度のことである。エルフの村よりも浅瀬は危険度が低い。深層は危険度が高い。ほら、わかりやすいだろう?
エルフたちの役割は森の保全。精霊に近しい種族である彼らは、精霊たちの源泉である魔素の濃い森を守ることが役割である。ついでに、魔素の濃い場所はそれにつられて強力な魔物も住み着く。そういった場所に行く冒険者は、よほど実力が備わっていなければ自殺行為となってしまう。つまりエルフたちは指標なのだ。彼らの森の守衛に勝てないほどの実力者は奥に進んでも、どの道死ぬ。
人里に行けば「エルフどもは森の富を独占していやがる!」だとか「俺たちのハンティングを邪魔しやがった!」だとか悪評が絶えない。
が、彼らには正しい使命があってそういったことをしているのだ。それなりに冒険者としての知見がある人間はそこへの理解を示すことができる。だが、エルフの高慢な性格も相まって誤解がなくなることはないのだそうだ。
俺が六歳までこの深層に挑戦することを先延ばしにしていたのは、ひとえにそのエルフ対策である。彼らに見つからずに森の奥へ侵入する。その手段が今までなかったのだ。トウツさんに手伝ってもらえば、おそらく去年には出来ただろう。だが、それでは俺自身が成長したことにはならないし、何よりも手助けのお返しとして何を要求されたかわかったものじゃない。
そのため、この一年はスニーキング関連の魔法を瑠璃と一緒に特訓したのだ。瑠璃の背に乗って移動したのもそのためだ。俺という
まぁ、俺もエルフなんだけども。
実際、この身体はかなり便利なのだ。魔法との親和性がべらぼうに高いし、五感が人間よりも鋭敏だ。特に聴覚が素晴らしい。
そして今、俺には瑠璃という嗅覚もある。人に見られない、壁抜けもできるルビーがいる。今は別行動だけど、トウツさんという斥侯のスペシャリストもいる。
あれ? 何か俺のパーティー、窃盗団みたいな特性もちばっかりじゃないか?
深く考えるのはよそう。
俺は体勢を低くして足元の土を見る。顔を地面に擦り付けて耳を当てる。お目当ての魔物を探すのだ。師匠は「野生児に見えるからそれはやめな、みっともない。」と言う。でも仕様がないじゃないか。実際山育ちだし、第一森の民のエルフなのだ。中身は人間だけども。
「ううん。ここにはいないなぁ。」
『上で見てこようか?』
『わしが臭いで探しちゃろう。やつの臭いはわかりやすいからすぐわかるぞ。』
ルビーと瑠璃がそれぞれ言う。
「いや、いい。自分の斥侯としての腕を上げたい。自力でいく。」
『え~。つまんな~い!』
『我儘を言うな、火の精よ。』
『なにお~!僕の方が妖精としては先輩なんだぞ!うやまえ~!』
『そんなこと申されても。』
ルビーと瑠璃が漫才を始める。
「集中したいから静かにしてくれないか?」
『はぁ~い。』
『御意。』
瑠璃、それトウツさんの真似か?
「う~ん。この足跡も違う。体重が軽すぎるな。」
俺はぶつぶつ言いながら森をうろつく。
今回はジェンドもナハトも同伴していない。保護観察がとれたということらしい。
「自前の使い魔が出来たんだろう?じゃあこいつらは必要ないね。」
とは師匠の弁。
「いえ、瑠璃は使い魔じゃなくて友達ですよ。」
「魔物を
「わかりました。それでいいか? 瑠璃。」
『構わぬ。』
「まぁ、ジェンドやナハトほどの力はないだろうね。だがお前、主人が死にかけたら背負って逃げるくらいのことはできるだろう?」
『言われなくとも。』
「ふん。じゃあいいさね。」
という一幕があった。やっぱ師匠、ルビーや瑠璃の言うことなんとなくわかってるよな。神語が使えないから、わからないはずなんだけどなぁ。
「お。」
『どうしたの~?』
『どうした、わが友。』
「みーつけた。」
『うんこ持ってニヤついてるフィオ、こわい。』
『控え目に言って不審者であるな。』
「おいそこ。人を変質者扱いすんな。」
俺が見つけたのはアーマーベアの糞だ。古びて質が悪くなった金属粉が一緒に排便されるのがアーマーベアの糞の特徴だ。だから、異臭の中にわずかに金属の臭いが混じっているのだ。エルフでなくとも、人間でも慣れればかぎ分けられるので、上級者向けの判別方法ではない。
「ということは、はっけ~ん。」
俺はアーマーベアの足跡を見つけた。
体重が重いため、くっきりと残っている。魔物には色んな身の守り方をするやつらがいる。見つからないように痕跡を残さないもの。見つかっても逃げる手段を持つ者。そしてアーマーベアは見つかっても傷つけられないものだ。
だから足跡をくっきり残しても問題ない。金属特有の臭いも気にならない。たいていの敵は撃退できるからだ。
それでも何故、今さらアーマーベアなのか。俺は四歳になるころにはアーマーベアを安定して単独で狩ることが出来ていた。火魔法で鋼鉄の鎧も楽々と攻略できていたからだ。
今回アーマーベアを選んだ理由は三つある。
一つは俺の体術の向上を確かめるため。トウツさんにこの一年、みっちりとしごかれて俺は体術と剣術を引き上げた。
ついでに寝技と称して身体をまさぐられたけど。これはある意味、暗黙の等価交換だったのでしようがない。俺も交渉上手になったものだな。本当、嫌な大人になったもんだぜ。
二つ目は深層のアーマーベアが特別だからだ。アーマーベアの皮膚は鋼鉄で出来ている。もちろん、滑らかに動けるようにするために鱗のような形状をしている。その鱗は栄養状態がよければどんどん新しく生えてくる。
肉食であり鉱物食。摂取したタンパク質と鉄分を体内で配合して自身の肉体とするのだ。新しく生える鋼鉄の皮膚はそのまま古い皮膚に圧縮して圧着されていく。樹木の年輪のように、密度を増して重くなっていくのだ。
つまり、アーマーベアは長寿であればあるほど頑丈だが、同時に体重も重くなってくる。若い個体は素早さで。老いた個体は強靭な防御力で生き残るのだ。アーマーベアの老衰はすなわち、自重を支えきれなくなって鉱物と化してしまうことだ。静物のように置物と化してしまう。
間抜けな生態に見えるかもしれないが、若い個体はその老衰した個体に敬意を示して共食いする。
俺はその共食いを初めて見たとき、神聖なものを目撃したような気さえした。彼らへ尊敬の念がわいたものだ。
そしてごくまれに、共食いを逃れて生き延びる長寿の個体がいる。そいつらはほとんど例外なく森の深層へと足を踏み入れていく。
何となくわかっているのだ。森の秩序を守るためには、自分たちは浅瀬にいてはいけないと。
そのごくまれな個体たちは自重を支えることができる。
どうやって?
魔法で、だ。
どういった原理かはわからないが、アーマーベアの中にはこれを体得してしまう個体がいる。人間の冒険者を真似したという説がある。ゴブリンメイジみたいな亜種の個体であるという説もある。
なんにせよ、彼らは生来の頑強な体に加え、魔法で体を強化できるのだ。これほど素晴らしい好敵手は他のダンジョンには早々いない。俺の体術を試すにはうってつけの相手だ。
三つ目の理由。というか、ほぼ今回のメインの理由だ。
瑠璃の強化。
この一年、手に入れた有用な素材は瑠璃に吸収してもらっている。
だが、アスピドケロンとして俺たちに立ちはだかった頃の瑠璃に比べると、弱すぎると評価せざるを得ない。
俺も頑張って色んな魔物を討伐したが、二世紀にわたって大海をたゆたった瑠璃の収集物に追い付けるわけがなかった。
瑠璃は防御が心もとないことを気にしていた。タラスクの甲羅というメイン盾のほとんどを失ったからだ。
瑠璃は臆病な自分を恥じていたが、俺はそれを好ましく思っている。臆病だからこそ、強敵たりえたのだ。
その臆病な友人が、盾が欲しいと言ったのだ。友人としては応えてやりたい。
だから俺はアーマーベアを討伐する。
くっきりと地面に刻印された足跡をたどっていく。
「見つけた。」
それは巨大な銀山だった。高さは3メートル近く。
俺はアーマーベアがここまで大きく育っているのを見たことがない。
荒れた岩地の中心に鎮座している。周囲は明るい土色。それに対してアーマーベアは銀色。まるで姿を隠す気がない。いや、隠す必要がないのだ。それだけに頑強。鉄壁。
「
アーマーベアの鼻の頭で火球がさく裂する。
アーマーベアがぱちりと目を覚ました。首を軽く振る。まるで火球ではなくて羽虫にさわられたかのような反応だ。アーマーベアがこちらをじっと見た。
「よう。お休みのところ悪かったな。俺と死合おうやぁ!」
俺は
銀山が立ち上がった。
戦いが始まる。
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