第61話 それとの契約3

 ロックからガチンと音がする。

 俺はロックを外して床に静かに置く。扉を開ける。柵がギギギと音を立てて錆の臭いがした。握っている柵から硬質な魔素の感覚が流れ込む。複雑かつ煩雑、そして整った付与魔法エンチャントだ。パッと見ただけでは全容がつかめない。流石は鍛冶の名工を排出し続けるドワーフの末裔。俺がこの檻並の作品を作れるようになるとしたら、何年の修練が必要だろうか。


 後ろでカチリと音がする。

 肩越しに後ろを確認すると、トウツさんが刀に手をかけていた。

 大丈夫。貴女の出番はありませんよ。


『やぁ、腹を割って話そう。』

 俺は話しかける。


 キメラはイルカのような尾で床をぴしゃんと弱々しくたたく。

 話を聞いてくれるだろうか。


「気を付けろ、フィル坊。そいつはその魚のような尾と青い瞳だけは手放さなかった。その二か所は魔力の流れが違うらしく、そいつのオリジナルでない部分だ。うちの解析で分かった分ではそれだけだ。そこ以外にも何か隠してるかもしれねぇ。」

「それだけわかれば十分です。」


 そう、それだけ分かればいい。

 そのラピスラズリのような瞳。イルカのような尾。それは君にとっての宝物なんだ。

 そうだろう?


『綺麗な瞳だね。』

 俺は語り掛ける。


 キメラの耳がぴくりと動く。


『尾も綺麗だ。海洋の魔物のものかな。俺が出会ったことがない魔物だ。』

『……ムカシ、ハナシタ。キョギョ。』


 初めて口を開いた。意思の疎通が測れたことにひとまず安堵する。


『キョギョ。大きな魚ということか?』

『ソウダ。カレハ、オオキカッタ。』


 たどたどしい神語でキメラは話す。オオキカッタという発音には、キメラの色んな思いが込められているように感じた。

 言葉に不自由しているというよりも、他人と会話すること自体への耐性がないのだろうか。キメラは俺を見ているようにみえて、そうでないようにも感じる。視線が何となく一致しない。


『大きくて美しい魔物だったんだね。』

『アア、ソウダ。タシカニカノモノハ、ウツクシカッタ。』

 キメラの目線が落ちる。


 昔の思い出を記憶の中から拾い集めているのだろうか。


『さっきは驚かせてごめんよ。』

 俺はまず謝る。


『キサマハ、ワシヲ、シハイスルノカ?』

 そう、キメラは問う。


『違うよ。俺はそんな偉いやつなんかじゃない。』


 そうだ。俺は偉くなんかない。ジェンドやナハトは進んで師匠を飼い主と定めていたように思う。そこにあるのは敬意、そして忠誠。

 俺は思考停止して、師匠と同じようにキメラと主従契約を結べばいいと思っていたのだ。だが、それは間違っていた。

 主従とは上下関係が生まれるものである。

 上下関係とは、上の者が中心に見えるがそれは違う。そういった関係は、下の者が納得しなければ機能しないものなのだ。

 魔物に限らず、何者かを自分の下につけるにはそれ相応の理由か目的か、はたまた力を見せつけなければならない。俺にはその、どれもない。

 であれば、対話だ。

 このキメラが俺に求めるのは何なのか。俺はそれを読み取らなければならない。


『俺は間違っていた。君とは対等な関係でいたい。駄目か?』

 俺は後ろ手に檻の扉を閉める。


「おい、フィル坊。」

「ゴンザさん、大丈夫です。」

 俺はゴンザさんの方を見ずに、手で制す。


 俺が一歩進むと、キメラは立ち上がって後ろに退いた。


『俺が怖いよな。そうだよな。でもお互い様さ。俺だって、君が怖い。』

 そう言って、俺はもう一歩進む。


 俺は魔素を今一度読み取る。空中に散らばっている黒い魔素を一度まとめて取り払う。

 キメラは不思議そうな目で俺を見る。

 今度は別の色の魔素を探す。

 黒で駄目だったんだ。であれば、今度は白。純白の魔素を探そう。キメラが怖がらないような優しい色を探そう。空中の白い魔素を探しては、俺は自分の魔力を流し込んでつなぎ合わせていく。魔素を渡り歩いて紡がれた白い魔力の束が何本も空中で放物線を描き、キメラに近づいていく。まるで毛細血管を体外に放出してあやつっているかのような感覚。白い魔素の線一本一本が俺の神経のようだ。

 キメラは檻の隅まで下がっている。


『大丈夫。怖くない。』

 俺は両手を広げる。


 魔力操作は白い魔素を操るので手一杯だ。

 俺は光魔法を使うのはこれが初めて。やったことがないものをぶっつけ本番でしている。

 さっきの闇魔法よりもさらに感覚が鋭敏になっていく。集中力も魔力も白い魔素にかかりっきりだ。

 いくらキメラの本体が弱いとはいえ、この狭い檻ならばキメラはいつでも俺をくびり殺すことが出来る。


「いくらなんでもそれは無防備すぎ。」


 後ろで無色と緑色の魔素が揺らめいたのを感じる。トウツさんだ。迎撃の準備をしているのだろう。


『大丈夫だから。』


 そう言いながら俺は、白い魔素ごとキメラの首元に抱き着いた。

 キメラのサイズは大型犬程度だ。まだ体躯が小さな俺は下から抱き着く形になる。

 キメラの首がびくんとはねる。


以心伝心ソウルコネクト。』

 思いついたままの魔法名を呟く。


 頭が割れそうになった。

 キメラの数百年の生存の歴史が俺の頭に流れ込んでくる。逆に俺の記憶がキメラに吸われていくことがわかる。

 まずい。俺の頭の容量が足りない。パンクする。キメラと俺の魂の境界が曖昧になりそうなことがわかる。

 俺は慌てて魂の接続情報を絞る。

 キメラも苦しかったのだろう。俺と同じように魔法を狭めることに協力してくれた。


『ありがとう。』

 聞こえているかわからないが、呟く。


 大事な。大事な情報だけを頭の中へと叩き込む。キメラにとっての大事な情報は、記憶は。この子が一番大切にしたかったことは何だ。


『——さき——よ。』


 記憶の中にノイズが走る。だが何かが聞こえそうな気がする。俺はさらに集中力を高めていく。無我夢中だ。頭がパンクしても構うものか。


『小さき者よ。わが友よ。わしを食べておくれ。』


 低い声だった。そして映像が頭の中に入ってくる。

 俺は砂浜に立っていた。眼前には子犬のようなキメラがいる。そして鯨のような魔物。それは美しいラピスラズリのような瞳をしていた。

 そうか、貴方が、キメラにとっての宝物だったんだな。

 魔力が尽きそうになる。俺は慌ててキメラとの接続を切った。


「がっは!げっほ!げっほ!」

 切ると一気に徒労感が押し寄せてきた。


 ギリギリだった。俺の魔力の総量ギリギリ。いや、おそらく足りていなかった。足りない分を補填してくれたのはおそらく——。

 キメラと目が合う。


『ありがとう。俺を信じてくれて。』

『カマワヌ。』

 ラピスラズリの瞳が俺を射抜く。


 初めて真っすぐ俺を見てくれたような気がする。


『その瞳、その尾、知り合いのものだったんだね。』


 キメラの肩がぴくりとはねる。


『……フシギナヤツダッタ。ヤツガナニヲイッテイルノカ、ツイゾワカラナカッタ。』

 キメラが独白する。


『……友達。』

『ナニ?』

『友達と言っていたよ。君のことを。大事な友人だったんだね。』

『————ソウカ。ユウジン。ワシハ、アヤツノ、ユウジンデアッタカ。』

 キメラの瞳から涙が零れ落ちた。


 ラピスラズリの瞳に乱反射して、まるで青い宝石が零れ落ちるかのようだ。


「マジか。魔物が泣くなんて。」

「知能が高い魔物ではよくあるけどね。犬型の魔物では初めての観測なんじゃないかな。」

 後ろでベテラン二人が話す。


『ニンゲン、ナハナントイウ?』

 落ち着くと、キメラが俺に話しかける。


『フィオだよ。フィオ・ストレガ。』

 俺は偽名ではなく本名を話す。


 トウツさんには聞き取られてしまったかもしれない。


『君は一瞬俺と記憶を共有した。どこまで見られたかはわからないけど。元の世界での名前もある。でも今はこう名乗っておくよ。』

『ソウカ。ワシニナハナイ。ツケロ。』

『……いいのか?』

『ワシト、フィオハ、タイトウダ。ダガ、ワシヲナデシバッタホウガ、ツゴウガヨカロウ。』

 そう言って、キメラは翼のような耳を伏せる。


『…………瑠璃。』

『フム、ドウイウイミダ。』

『君のその綺麗な瞳の色だよ。ラピスラズリという宝石の色。俺がいた世界の俺の国では、その色を瑠璃色と言うんだ。』

『ソウカ。ルリ、カ。ヨキナダ。』

 そう言って、キメラは自分の尾を見つめた。


『気に入ってくれたようで何よりだよ。』

 俺はそう言って、キメラに倒れこむ。


「大丈夫?」

 すぐに扉を開けてトウツさんが入ってきた。


「魔力切れみたいです。」

「君は病室に住み込むつもりなのかな~。」

「そうかもしれません。」

 俺は笑う。


 トウツさんも笑った。横でルビーも笑っている。


『フフ。』


 俺は驚いて真上を見た。キメラも、瑠璃も笑っていた。


『ヨロシク。ワガニバンメノトモ。タオレルマエニオシエヨウ。』

『何だい?』

『トモニハ、カゴガアル。キサマニエンノアルモノノ、カゴダ。』


 縁のある?

師匠が言っていた。加護を施す者は大きく分けて三つ。神様、精霊などの力がある霊的存在、そして強い念を残して死んだ死者だ。


『アカネサスカゴ。トモノキオクヲノゾイテ、ワレガヨミトレタノ、ハソレダケダ。』


 アカネサス。茜差す加護。

 ああ、そうか。

 俺は思い出す。

 前世で宙ぶらりんな関係のまま置いてきてしまった彼女のことを。何に対しても熱がなく、つまらない生き方を示していた俺に、正面から向き合ってくれた人。

 そうか。見守ってくれていたのか。

 ずっと思っていた。バトルウルフに殺されそうになった時も、川に流されて漂流した時も、ワイバーンとの戦いでも、俺が死んでもおかしくない場面はいくらでもあった。

 おかしいと思っていたのだ。運が良すぎると。

 そうか、加護か。俺には君がついていてくれたのか。

 涙を目にため込みながら、俺の意識を途切れた。




 後日談というか、本日のオチ。


 夕方にまた病棟で目が覚めた俺は、いよいよトウツさんのお手付きになる寸前だったらしい。

 監視のウォバルさんが二日間瑠璃の寝ずの番をしていたため、仮眠をとろうとした矢先の出来事だったらしい。たまたまそこへ出くわした導き手の小屋ヴァイゼンハッセのメンバーが大立ち回りをしたおかげで俺の貞操は守られたらしい。


 本当に最初のパーティーメンバーがあの人でよかったのだろうか。俺は自問しながら師匠のいる森へ帰ることになる。

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