第60話 それとの契約2
『なんだか、さびれているね。空気も魔素も。』
入ってすぐにルビーが言う。
『そうだな。何だかいるだけで気がめいりそうな場所だ。』
俺も肯定する。
地下室の中は真っ暗だった。檻から金属特有の血の臭いがする。檻の中には姿の全容はわからないが、四足歩行の魔物たちが目を光らせてうろうろとしている。歯ぎしりの音が聞こえた。見ると、子どもくらいの人型の影が見える。ゴブリンだ。
少しずつ目が慣れてきた。俺たちが入ってきたことに興奮したんだろう。魔猿が檻に狂ったように体当たりするのが見える。背中は怪我だらけでぼこぼこだ。
「ここは魔物を生きたまま保管しておく場所だ。」
ゴンザさんが言う。
「どうしてこんなところが?」
「新人冒険者の訓練用だな。ここにいる魔物程度は殺せないと、冒険者ライセンスは与えられない。俺たちは自殺幇助業者じゃねぇ。ま、お前さんはこいつらの相手をさせずに実践に放り出してしまったがな。」
ゴンザさんが髭を触る。
なるほど。言われてみればそうだ。命がかかっている仕事なのに何の研修もなく放り投げるような仕事は有り得ない。
「別にこういうことをするのはな、義務じゃないんだよ。都みたいに一般人の人口が多い場所なんかは逆に危なくて禁止されているまである。ここは住んでいる連中がいい意味で無駄なことは考えない連中だからな。こういったことも出来る。但し、魔物への知識が深い人間と、何かあったときに沈静化できる人間がいることが最低条件だ。俺がギルド職員に識者をたくさん抱えているのはそのためだな。めちゃくちゃ投資したんだぜ?」
俺は査定所にいた身なりのいいギルド職員たちを思い出す。そうか、あの人たちは知識階級層の人たちなんだ。当然、給料を弾まなければ働いてくれない。
「ここが規模の割に稼ぎがいいのはそういうことだな。生存率が高い。ゆえに低級の冒険者どもも稼ぎが安定している。冒険者たちの安定はギルドの安定だ。」
割と自転車操業だがな、とゴンザさんが付け足す。
「俺も出来るだけ稼ぐようになりますよ。」
「そうなってくれると助かる。」
俺たちはゆっくり歩きながら進む。
ゴンザさんと会話することで、何となくここの寂れた雰囲気にも耐性がついてくる。
「灯りをつけないのは勘弁してくれよ。火を灯すとここの連中は暴れて傷んでしまう。弱った魔物を訓練で倒して、勘違いした新米冒険者が出ても困る。」
「気を付けます。」
俺たちはより深いところへと進んだ。入り口から差し込んだ太陽光はもうほとんど見えない。
それは一番奥の檻にいた。一際頑丈そうな檻に入れられたそれは、ただ静かにイルカのような尾を丸めて眠っている。いや、わずかに耳が反応した。こちらの様子を伺っているのか。
檻の両脇には冒険者がいた。おそらくゴンザさんが言っていたB級の冒険者たちだ。片方はギルドで見たことがあるブラウンの髪の魔法使いの男だった。
「やぁ。ストレガ氏のお弟子さん。」
その魔法使いが声をかけてくる。
「えっと。こんにちは。」
俺は思わずしどろもどろになる。
俺はこの人と初めて会った時にゴンザさんとも出会った。そしてゴンザさんの
その時、この人は俺への嫉妬を隠しきれていなかった。どんな顔をして話せばいいのかわからない。
「はは、天才でもまだ子どもなんだな。人見知りの姪っ子を思い出すよ。」
ブラウン髪の魔法使いは笑う。
「はぁ。」
「君には礼を言いたかったんだ。」
「え。」
はて、俺は何か彼にしただろうか。
「僕はね、君に嫉妬したのさ。いい歳した大人が五歳児に嫉妬したんだぜ? 笑えるだろう?」
俺だけでなく、周囲の人間がみんな彼の言葉に耳を傾けている。
「思い知ったんだ。君を見て。心の底の何処かで俺は自分のことが凡人であることを認めきれずに、何か才能があるはずなんだって思い続けていた。」
俺はただ、黙って聞く。
「でも君の魔法は雄弁だった。お前は凡人だって、語り掛けてきた。僕はその時は君が残酷な存在に思えて仕方なかったんだよ。お前が続けてきた努力は惰性だと。結果に繋がらないつまらないものだと。でも今は違う。君はこの上なく優しい。」
「……俺はそんな人間じゃありません。」
「僕が勝手にそう思っているんだから、それでいいんだよ。ありがとう。俺を諦めさせてくれて。一度自分の弱さを認めることが出来たらね、不思議と魔法の研究に身が入るようになったんだ。君みたいな才能ある人間には稚拙な研究かもしれないけどね、僕はこの研究をするのがたまらなく楽しいのさ。」
魔法使いさんが椅子から立つ。もう一人の守衛の人も立ち上がった。
「魔法が好きなんですね。」
「……ああ、大好きだよ。」
そう言って、茶色髪の魔法使いさんは去ろうとする。
「あの!」
俺は思わず呼び止めた。
「なんだい?」
彼は立ち止まる。
「お名前を、教えていただいていいですか?」
彼は一瞬、目を丸くした。が、すぐに顔に笑みを浮かべる。
「ビニーさ。よろしく。」
「俺はフィル・ストレガです。よろしくお願いします。」
俺は頭を下げる。
二人の檻の看守は静かに地上へと去っていった。
ウォバルさんがお面の上から俺の頭をなでる。
「アルシノラスの冒険者は、いい奴ばかりだろう?」
ゴンザさんが言う。
「ええ、とっても。」
俺はそう言い、振り向く。
そこには翼のように長い耳をもつ犬のような魔物。
彼は今の俺とビニーさんの会話に、何かを感じたのだろうか。
いや、彼が使えるのは神語のみだ。それも、俺みたいに神語を万能言語として通訳代わりには使っていないみたいだった。
不思議そうな目で俺を見ている。ラピスラズリの色をした瞳。それを見ると吸い込まれそうになる。
「気を付けろよ。フィル坊。こいつを入れられる檻は限られているからな。俺が念のために拵えていた特殊な
なるほど。
キメラは目撃情報が稀にではあるが定期的にレポートとしてあがる。討伐記録も。
だが、テイムされた記録が少ないせいでその生態が謎とされていた。
この世界でいう頑丈な檻は魔物由来のものが多い。どの檻に入れても檻そのものを自分の一部にして脱出するのだから、始末に負えないだろう。
ゴンザさんが討伐クエストを中々出せなかったのも頷ける。
『やぁ、三日ぶりかな。』
俺は神語で話しかける。
ラピスラズリの瞳が訝し気に俺を見る。
『警戒してるよね。そりゃそうだ。』
こいつを檻にいれた張本人は俺だ。当然だろう。
『恥を忍んで俺が言うことを聞いてほしい。俺に
キメラは興味なさそうに、前足を腕枕にしてうつ伏せに寝ている。
いや、興味はあるはずだ。片目だけを開けて俺の方を伺っている。
『君としても悪い話じゃないと思うんだ。このまま俺と契約しなければ、君はきっと処分される。』
ゴンザさんたちは優しい人たちだ。だが、彼らは優しいだけの人々ではない。彼らの優先順位は自分に近しい人間や村の人々なのだ。間違っても、昨日今日出会った魔物ではない。
キメラの耳がぴくりと動く。
やはり、俺の神語を聞き取れている。
『契約魔法を発動するよ。何も言わなければ、同意とみなして始めるけど。』
俺は体の周囲に魔力をめぐらす。
使う魔素の色は黒。闇魔法の色。主従契約を結ぶための色。俺の魔力は宙にある黒い魔素に結びついていき、檻の中に充満していく。キメラが身じろぎする。そのキメラに俺の黒い魔力がまとわりつく。
『
返ってきたのは拒絶だった。
キメラは恐ろしいほどの力で俺の魔力を押し返してきた。こいつの保有する魔力は中型の魔物程度だ。鍛えた俺よりも少ない。
だが、こいつの経験は俺のそれを世紀単位で上回っている。あっという間に魔素の主導権を握られ、突き返されてしまった。
「駄目だったか。フィル坊、退いてくれ。」
ゴンザさんが背負っていた斧を持ち出す。
「待ってください!」
俺は叫ぶ。
「何言ってんだ。失敗だ。契約を拒絶したら殺されることはちゃんと話したんだろう?」
「話しました、でもまだすることはあります!」
「これ以上何するってんだ。こいつは自ら死を選んだ。このまま自然界に帰っても、ガワは全て俺たちが持っていっちまったんだ。どの道生き残れない。」
「お願いします。俺に任せて下さい。」
俺は
「ほう?」
ゴンザさんが楽しそうに笑う。
「俺に喧嘩売るたぁ、面白いな。フィル坊、そうこなきゃ。」
ゴンザさんは斧を背中にしまう。
「……いいんですか?」
「あと一回だ。あと一回だけチャンスをやろう。そのアプローチに失敗すればそいつは処分だ。その檻もあと一晩あれば攻略されかねん。そいつの恐ろしさの本質はクラーケンの足でもタラスクの甲羅でもねぇ。長寿特有の老獪さだ。」
「……任せてください。」
俺は檻の方を向き、お面を外す。
両手で頬を張った。
「ゴンザさん、ウォバルさん。俺の顔を見ないでいただくと助かります。」
「心得た。」
「おうよ。」
もう、一度見られてしまっているが、出来るだけ顔を覚えられたくない。
俺はラピスラズリの瞳をもう一度みる。
そうだ。声のかけ方がまずかった。主従契約を結ぶのはあくまでもこっちの都合。こっちのエゴだ。そこにキメラの都合は全くない。彼は湖の底で静かに暮らしていただけ。冒険者を何人か殺したかもしれないが、彼は自分の生息域を守っていただけに過ぎない。彼の立場にたって考えなければならない。
忘れてはならない。彼は臆病なのだ。
『済まなかった。そうだよな。怖いよな。俺も君が怖かったから忘れていたよ。君も俺が怖いんだよな。』
そう、俺は呟く。
「ゴンザさん。この檻の鍵をください。」
「……入る気か?」
「はい。」
俺は後ろを振り向かずに返答する。
「正気か?」
「俺はいつでも正気ですよ。」
「それは違うと思うな~。」
トウツさんが呟く。
失敬な。
「ちっ。どうなっても知らねぇぞ。」
そう言って、ゴンザさんは鍵を放り投げる。
「我儘ばかり、すいません。」
「いいんだよ。我儘はガキの特権。それを聞くのは大人の義務だ。」
ますます転生者とばれるわけにはいかなくなったな。困ったぞ。
「ありがとうございます。」
俺はそう言いながら、キメラに向き直る。
『待たせたね。腹を割って話そうじゃないか。』
俺は鍵を差し込んでロックを外した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます