第56話 後始末

 がばっと跳び起きた。


 そこは知らない天井だった。白い壁。木製の置時計。縦開きのドア。白いカーテン。窓から入る柔らかい日差し。黒猫。魔導書を持つ白魚のような手。シャティさん。


「お早う。」

 本をパタンと閉じ、シャティさんは言った。


「お早うございます。」

 反射的に返事をする。


「体調は? 傷の具合は?」

「体調は、いい方だと思います。怪我は……。」


 そういえば足を爆散されたんだったか。あの時はアドレナリンが出ていたから全く意識していなかった。


「ミロワさんの処置が上手かったんでしょうね。何ともないようです。」

 俺はシーツの下で左足を屈伸させる。


「そう。良かった。」

 シャティさんが柔らかく笑みを浮かべる。


「そうだ!キメラ!あいつは!?」

「……一応生きてる。」

「本当ですか!?」

「今はギルドマスターが保護している。村や他の冒険者には報告していない。」


 それもそうだろう。

 年間にして片手で数える程度とはいえ、複数の冒険者の殺害に関わっているのだ。

 俺は何故あの魔物を助けようと思ったのだろう。分からなくなってきた。


「どうしてあれを助けたの? トウツも何故か貴方を擁護していた。」


 トウツさん、擁護してくれたのか。


「どうして俺、あれを助けたんですかね?」


 魔導書で頭をひっぱたかれた。


「いってえ!」

「貴方、馬鹿?」

「酷い!」

「魔物を保護する方が、狂ってる。」

「そうですけど……。でもあれ、精霊に成りかけなんですよ。」


 シャティさんの眉がピクリと動く。


「どうしてわかるの?」


 やべぇ。墓穴掘った。


「えっと。企業秘密?」

「……貴方がマギサ・ストレガの弟子をしてる理由が、なんとなくわかってきた。」

「すいません。」

 よくわからないが謝っておこう。


「でも、貴方の言う通りなら、保護対象。」

「俺は間違ってたんですかね?」

「それはこれから判断すること。」

「そうですよね。」

「ちなみに、エルフなのも企業秘密?」

「え。」


 俺は慌てて顔をぺたぺたと触る。


「……他の人も見ました?」

「全員、見た。」

「……ギルドの人たちも?」

「ローブにす巻きにして持ち帰ったから、知っているのはクエストに参加したメンバーだけ。」


 俺は安堵のため息をつく。


「その齢のエルフということは、捨て子?」

「そんなところです。」

「……そう。」

「……あの。」

「なに?」

「何で頭撫でてるんですか?」

「……何となく。」

「はぁ。ありがとうございます。」

 よくわからないが俺を言う。


「貴方の師匠の迷宮魔法、挑戦してみた。」

「……俺、何日寝てました?」

「三日。」


 だよなぁ。三日も寝てればそんな時間くらいあるか。


「すいません。手伝う予定だったのに。」

「構わない。」

「あの、攻略できましたか?」

「ぶい。」

 シャティさんが真顔でピースサインをする。


「すごい!師匠のあれを突破するなんて!」

「悔しいけど、トウツに協力してもらった。優秀な斥候スカウトが必要だったから。ライオと二人がかりでマッピングしてもらって、やっとだった。」


 あの二人でやっとなのか。ソロB級とA級の斥候二人でやっと。やはり師匠は異常だ。


「どんな仕組みだったんです?」

「教えない。」

 シャティさんはぷいっとそっぽを向く。


「ヒント!ヒントだけでも!」

「……ライオとトウツで地形そのものをマッピングした。私は目に見える景色を魔法でマッピングした。」

「——位相をずらす魔法だったのか。」

「……今のヒントだけで推測した?」

「ええ、なんとなく。」

「いけ好かない子ども。」

「酷い言いがかりだ。」


 ずいぶん前に、ある程度のからくりはエイブリー姫に教えてもらったからわかったのだ。俺の頭が特別いいわけではない。

 でも、理屈がわかったから突破できるものじゃない。俺が単独で突破するにはまだ数年はかかりそうだ。


「ああああああああああああああああ!」


 思い出す。

 俺は思い出してしまう。

 思い出さなければよかった。

 忘れていたかった。


「何?」

 シャティさんが顔をしかめて耳を塞ぐ。


 俺は体にかかったシーツを取っ払い、自分のズボンの中を見る。


「俺何もされてないですよね!? トウツさんに何もされてないですよね!?」


「…………。」

 シャティさんは顔を赤らめて魔導書で顔を隠す。


「え、何ですかその間。やめてくださいよ。何か言ってくださいよ!」


 激昂する俺をよそに、シャティさんは無言でナースコールのベルを鳴らした。




 閑話休題。


「はい。手をグーパーしてください。」


 俺は素直に言うことを聞く。

 脳裏にはトウツさんが気絶する直前に放った呪いの言葉が木霊する。

「寝たら体触り放題だね~。」

 もうやだ。怖い。


 シャティさんが「何とかした。」とは言っていたけども、怖い。


「こっち見てね。はい、これは何本指?」

「三本です。」

 俺は素直に答える。


「はい、じゃあその場で軽く跳んでみて。」


 俺はゴムまりみたいにポンポン弾む。


「筋肉と関節も異常なし。次、服まくってね。心音測るから。」


 俺は上半身裸になる。

 上裸でお面という変ないで立ちになる。シャティさんが退室した後、お面を被りなおしたのだ。亜空間リュックには常にスペアのお面が作ってある。


「ん? どうしたの? 私の顔になんかついてる?」

「いえ、アキネさんに会うのは久しぶりだなぁ、と。」

「ふふふ。久しぶり、フィル君。」

「お久しぶりです。」


 耳が見えてやしないだろうか。俺はターバンを目深にかぶりなおす。


「ギルドマスターも酷い大人ね。こんな小さい子をA級の討伐に連れていくなんて。しかも大人たちは全員ほぼ無傷。シャティさんが魔力切れ起こしたくらいよ。」

「俺が弱かったからです。強かったら、怪我なんてしてない。」

「子どもは弱くて当たり前なの!」


 俺、大人なんだけどなぁ。

 元の世界基準でも十分大人のはずだ。

 今の俺って、アキネさんの年上なんだろうか。十代後半にも見えれば二十代後半にも見える。美人というのは間違いないが、彫の深い人種は年齢が分かりづらい。


「でもまぁ、生きて帰れたので。」

「悪いこと言わないから、この仕事は早くやめるのよ?」

「ギルド職員なのに、そんなこと言うんですね?」

 正直、驚く。


「生存率が本当に低い仕事だからね。その代わり一獲千金も夢じゃないけど。リスクを冒さずに薬草採取に専念する冒険者もいるのよ。同業さんには馬鹿にされてるけど、私は死体になって帰られるよりはそっちを選んで欲しいわ。」

「薬草とりもエリアによっては危険ですよ? 極めれば知識も学者なみに必要だと聞きます。」


「そういうことを言ってるんじゃないの。」


 め!と言いながらアキネさんは俺の口の前でばってんを作る。


「ギルドマスターがす巻きの貴方をもってきて、こいつもスリルジャンキーだ!っていった時は悲しかったわ。」

「心配かけます。すいません。」

「本当よ、もう。」

 喋りながらもアキネさんはてきぱきと俺の包帯をかえていく。


「ミロワさんは優秀な回復役ヒーラーね。治った後のことも考えて処置してる。これなら後遺症もないはずよ。」

「ありがとうございます。」

「治りかけとはいえ、小さい子どもの焼けただれた肌を見るのは嫌よ。しばらく無理はしないでね。」

「善処します。」


 アキネさんがジト目で俺を見る。

 確約は出来かねる。すまぬ。


「はい終わり。トウツさんやウォバルさんが起きたら呼んでくれと言っていたわ。呼んでくる?」


「いえ、しばらく一人で休みます。夕飯前に呼んでいただいていいですか。」

「わかったわ。」


 アキネさんが退室する。

 あの人、医療の知識もあるんだな。ギルド職員はけっこうマルチな人材が多いのかもしれない。ギルドマスターなんか、冒険者兼任だし。


『フィオおおおおおお!』

 壁からルビーが飛び出してきた。


『おっとっと。そんな慌てるなよ。ワイバーンの時に比べたら瀕死でもなかったろ?』

『それでも心配なものは心配なの!』

 ルビーが頬を膨らます。


『はいはい。心配かけてごめんよ。』

『五年間心配ばかりだよ!』

『すまん。』

 俺は思わず笑う。


『あの変態兎から守るの大変だったんだからね!変な犬にフィオを守るよう頑張って依頼して、髭のおじさんたちと合流するまで頑張ったんだから!』

『そうだったのか。ありがとうな。』


 キメラ、俺を魔の手から守ってくれたのか。昨日の敵は今日の友とかいうやつだろうか。


『キメラとは、どんな話をした?』

『よくわかんないけど、たぶんあの子、友達が欲しいんだと思う。』

『友達。』

『うん。昔それに近いものはいたらしいんだけど。』


 モウシンダ。

 キメラの言葉を思い出す。

 その友達とやらはいつ死んだのだろう。

 キメラは何年も森の奥の湖に沈んで潜んでいた。湖にいたはずなのに、海洋の魔物を大量に吸収していた。それこそA級冒険者たちがてこずるほどのストックがあった。

 長いこと孤独だったのだろうか。


『よくわかんないけど、あいつに会おう。』

『キメラに?』

『ああ。多分、このクエストはあいつと話さないと終わりじゃないと思う。』

『わかった。髭のおじさんに頼んだら話せると思うよ。』

『そうするよ。』

「それにしても。」

 俺は視界の端にいる黒い塊を見る。


「お前、やっぱりいたんだな。」


 そこには黒い猫がいた。窓から入る木洩れ日を気持ちよさそうに浴びて背伸びをしている。師匠の使い魔であるジェンドだ。


「アスピドケロン討伐の時、俺を見守ってくれていたのか。」

「にゃん。」


 この「にゃん。」の発音は肯定の「にゃん。」だ。伊達に五年の付き合いじゃない。鴉のナハトの鳴き声も大体パターンが分かってきている。


「バトルウルフの時も、アーマーベアの時も、ワイバーンの時もそうだったけどさ、本当にお前らは見守るだけなのな。」

「にゃん。」

「手助けされると俺の成長にもならないけどさ、もう少し心配してくれていいんじゃない? 割と今回俺、死にかけたよ。」

「にゃーん。」

「はいはい、可愛い可愛い。」


 猫という生き物はずるい。大体愛嬌で乗り切ってしまうのだ。

師匠がこいつと契約をしているのは可愛かったからに違いない間違いない。いや、猫を愛でる師匠は想像がつかないけども。


 俺はもうひと眠りして、ウォバルさんとトウツさんを待つことにした。

 本当に今回のクエストは疲れた。

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