第55話 初めてのクエスト終幕

「引導を渡す時間だおらぁ!」


 俺は威勢よく肉壁を蹴散らした。


 そこは小さな空間だった。

学校の教室程度の、ほんの小さな空間。

 その空間の中心に、それはぽつねんといた。


 犬のようでいて犬でないような生き物だった。

 大型犬ほどの大きさ。体色は黒いが、石油のような艶がある。一瞬、ラブラドルレトリバーのように見えたが、骨格がほんの少し違う様にも見える。耳は翼の様に長く、横に広がっている。額には小さな三角錐の角が三つ。目はちらりとこちらを伺っている。ラピスラズリのような瞳。ひじ関節には鋭利な棘がついている。不思議なのは、尻尾がイルカのような尾ひれになっているところだ。

 腹から大量の管が伸びており、壁に繋がっている。


「この管が命令用の配線だね。」

 トウツさんが刀を振るう。


 全ての管があっけなく切り刻まれる。

 それは抵抗しない。力なくうなだれているだけだ。立ち上がろうともしない。


「トウツさん。今さらっと斬ったけども。」

「な~に?」

「こいつが支えてないと、ここ壊れるんじゃないの。」

「げ。」

「何も考えずに斬ったんかい!!」

 俺は全力で突っ込む。


「壊れたらどうするんですか!?」

「同じ墓に入れるね、フィルたん。はっ!実質結婚では?」

「ポジティブかよ!」


 俺とトウツさんの会話を、それは胡乱気な目で見ている。


「冗談はさておき。」

「いや冗談じゃないよ?」

「大丈夫大丈夫。僕ならフィルたん抱えて脱出できるからさ。」

「言ったな? 信頼してるからな?」

「未来のお嫁さんを信じて。」

「婚約してねぇよ!」

「でも初キスもらっちゃったし。」

「奪われたんだよ!いや、今それやってる場合じゃない!こいつどうにかしないと!」

 俺は犬みたいな生き物を指さす。


「そうだね。もう観念しているみたいだし、介錯してあげよう。フィルたんがするかい?」

「何故俺がするんです?」

「今日の働きはフィルたんがMVPかな~って。」

「そんなわけないですよ。」

「そんなわけあるよ~。この犬っころを最終的に追い詰めたのは、フィルたんだからねぇ。」

「美味しいとこだけをいただいただけです。」

「謙虚だねぇ。」

「トウツさんがやっていいですよ。俺は周囲を警戒しておきます。」

「は~い。」


 トウツさんが刀を上段に構える。

 それは目の前の兎人を力なく眺めているのみだ。

 それは兎人を見ながらわずかに口を開く。


『……ダ……ゲ。』


「トウツさん待って!」

 俺は叫ぶ。


「おっとっと。」

 トウツさんはそれのすぐ横に刀を振り下ろした。


「どうしてだい?」

「そいつ、何かを言っています。」

「そう? 僕には聞こえないけど。」

「俺には聞こえるんです。少し話していいですか?」

「いいけど。フィルたんが危ないと一瞬でも思ったら、そいつの首をはねるよ。」

「分かりました。」


 俺は恐る恐る、それに近づく。

 ただのキメラが、アスピドケロンという神話生物の呼称をもらうまでに至った怪物。油断はならない。


『ソウダ。ソウダッタ。』

「今度は聞こえます。」


 俺の後ろでトウツさんが肩をすくめる。彼女には神語は聞き取れないのだ。


『フィオ。この子、半分精霊化してる。』

『そんなことあるのか?』

『生物として不相応の力と知恵を身に着けると、稀に起こるよ。単純に力があればいいわけじゃあないけど。妖精の仲間にも、元人間はいるし。』

『その稀な例が今、目の前にいるってことか。』

『そういうことだと思う。』

『ソノコトバ。ナツカシイ。』

『懐かしい? 懐かしいって何が?』

『カツテノアッタ。ソノコトバ、ツカッタ。』

『そうか。お前には友達がいたんだな。』

『モウシンダ。』

『……そうか。』

『フィオ、多分そいつを取り込んだからこうなってるんだと思う。』

『なるほどな。犬並の知能であそこまで戦えるとは思ってなかったけど、そういうことか。』

「さっきから何してんの~? 何かと交信してるの?」

「あ、いえ。俺、森育ちなので、なんとなく言ってることわかるんですよ。」

「嘘でしょそれ。神語だよね?」

「ゔ。」

 図星を言い当てられる。


「何でわかったんですか?」

「僕の国にも、それを話す専門家がいるからね。な~るほど。精霊と直接話せるなら納得だねぇ。五歳児でそれだけ達観出来るわけだ。」


 いえ、違います。前世含めると二十二歳です。でもいい感じに勘違いしてくれたのでそのままにしておく。


「そういうことなので、会話を続けていいですか?」

「いいけど、後で事情は聞くよ~?」

「構いません。答えられる範囲で答えます。」

「それ、ほとんど答えないやつじゃ~ん。」

 ケラケラとトウツさんが笑う。


『待たせて済まない。君の話をして欲しい。』

『……ナゼ。』

『何故?』

『ナゼ、エガオ?』

『笑顔? 笑っているということ?』

『ソウ。オマエ、ウシロ、ソコ、ワラウ。ナゼ?』


 ウシロでトウツさんを見て、ソコでルビーを見た。

 こいつ、ルビーが見えているのか。


『アイツラモ。』


 俺はキメラの目線を追う。俺が破壊した入り口に倒れている、二人の元冒険者の亡骸。

 そうか。あの冒険者たちは、笑って死んだのか。


『何でって、楽しいから? 人との会話は、楽しいだろう?』

『ソウカ。アレモ、ワラッテイタノカ。』

 キメラは自分の尾ひれを見つめる。


『ワシモ、ワラエル?』

『わからないけど、友達が出来れば笑えるんじゃないかな?』

『トモダチ。ドウヤッテツクル?』

「もういいよ、フィルたん。介錯してあげよう。」

「待ってください。」

「駄目だよ、フィルたん。そいつに感情移入し始めてる。それは駄目だ。今はよくても、その感情はいつか君を殺す。」

「っ……。それでも、待ってください。」

「————もう少し、冷静な判断ができる子だと思っていたんだけど。」

 トウツさんが腰だめに刀を構える。


「くそ。」

 俺はキメラの前に立って、トウツさんと相対する。


『ナゼ?』

 キメラが疑問を呈する。


『俺にもわかんねぇよ!』

『フィオ!この子を助けてあげて!半分精霊なら、この子はもう僕の同類みたいなものなんだ!』

『任せろ。』


 ズンッ、と地面が揺らいだ。


「何だ!?」

「これはまずいね~。」

『キメラ!答えろ!この揺れは何だ!?』

『コワレル。』

「トウツさん!キメラが言ってる!ここはすぐに壊れる!」

「よし、逃げよう。」


 俺は後ろを振り向き、キメラに抱き着く。


「……何の真似だい?」

「ここが崩れたらこいつは死ぬ。」


 俺は何をやっているんだろう。


「そ~だね。」

「俺は残って、こいつと一緒にここを立て直します。」


 見殺しにして俺は逃げるべきだ。


「それは許可出来ない。」

「俺を無理やり連れて行く気ですか? もしそうなら、舌を嚙み切ります。」


 トウツさんに守ってもらうんだ。それが一番正しい選択だ。


 トウツさんは俺を見つめる。血濡れのような、深紅の瞳。

 目をそらしてはいけない。俺は彼女の眼をじっと見つめた。


「……そいつごと外に運び込む。でも、外の連中も僕と同じ判断だと思うよ。」

「そうなった時は仕様がないです。」

「行こう。時間がない。」


 トウツさんは俺をキメラごと抱えて走り始めた。


『ナゼ?』

「なんでだろうな!俺もわからん!」

「そいつなんて言ってるの~?」

「何で助けるのかと言ってます!」

「知能高いんだね~。知能高い魔物は残忍なのも多いから気をつけなよ~。」

「肝に銘じます。」

「無理っぽそ~。」

 トウツさんが俺をジト目で見る。


『マニアワヌ。』

「間に合わないと言っています!」

「兎人なめんな。」


 トウツさんが俺ごと身体強化ストレングスをかけ、風魔法で加速する。

 キメラには強化をかけていない。トウツさんがこいつを助ける気は本当に、ない。

 視界がとてつもない速度で後ろに流れる。


『ルビー!先に壁抜けして外の崩壊具合を見てくれ!』


『合点!』

 ルビーが壁の向こう側へ消える。


『マニアワヌ。』

『それはもう聞いたから!』

『チカラ、イル。ソウサ、スル。』

「トウツさん!キメラに魔力を!ここの崩壊を止めます!」

「無理に決まってんでしょ~。信頼できない。」

「トウツさん!」

「無理。」


 俺は魔力を練る。


「何してんの? 魔力切れ起こすよ?」

「こいつが何とかしてくれます。俺が気絶した後でも、トウツさんが俺を守ってくれるんでしょう?」

「————プロポーズ?」

「ちげえよ!」

「でも、魔力の譲渡はミロワちゃんの専売特許。つまりは光魔法でしょ? 出来るの?」

「出来るか出来ないかじゃない。やるんです。」


 俺は自分の魔力とキメラの魔力を同時に見る。

 身体は直接触れているのに、お互いの魔力は反発するかのように弾けて流れている。

 所有権が違うからだ。

 ならば、俺自身の魔力の質を変化させる。そしてキメラの体に勘違いさせ、キメラの魔力と同化させる。俺は練り上げた魔力をひたすらキメラに流し込んでいく。


 それは目をまん丸にして俺を見ていた。


『笑いはしないけど、驚きはするんだな?』

 俺はニヤリと笑う。


『ワラッタ。オマエ、ワラッタ。』

『オマエ、じゃない。フィオだ。』

『ワラッタ。フィオ、ワラッタ。』

『ああ、可笑しくて仕様がないよ。』


 俺は残りの魔力を全て振り絞り、キメラへ譲渡した。

 意識が千切れる。魔力切れ特有の倦怠感と激痛が走る。


「寝たら体触り放題だね~。」

 トウツの口から不穏なセリフがこぼれた。


 え、おい。ちょっと待って。


 そこで俺の意識は真っ暗になった。

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